第百六十二話:世界を構成する『におい』達
夏休みも終わりが近づいてきて、今は8月下旬。
智代ちゃんの配信で【バニラコントロール】を使ってから10日ほどが経過した。
あの後の俺は現実を見たくなかったので、エアコンの効いた部屋に篭っていたのだけど……流石にそればかりじゃ不味いので、意を決して外へ散歩に出てみた。
(とは言っても、パッと見はなにも変化なんてないんだけど)
ただしそれも、この世界ではの話。
前の世界と比べれば、社会だって色々と変化している。
無論、変化してない事柄はいくらでもあるけど。
(車が走る音だとか、人の声だとか……音は何も変わらない)
個人的に変化があるとすれば、それは匂いだと考えている。
この世界は前と比べて、少しだけ匂いが違うような気がするんだ。
自宅から少し離れた場所にあるカードショップへ向かう最中、俺は無意識に鼻で空気を吸い込んでしまう。
(人やコンクリの匂いは変わらない。だけど町という単位で言えば、カードの匂いは濃く感じるような気がする)
カードの素材である紙とインクの匂い。
そしてカードショップの扉から漏れ出る効きすぎた冷房の空気。
これだけなら前の世界でも、場所を選べば存在はした。
だけど今は、その『におい』も場所を選ばない。
(そういうところはカードゲーム至上主義な世界だから……だけど、そういう世界だからこそ出てくる……嫌な『におい』もある)
勝敗がハッキリする世界とは、明暗がハッキリする世界でもある。
勝者は富でも名声でも手に入る一方で、敗者に与えられるのは屈辱と凋落のみ。
ほんの少し目を向けてみれば、顔色の悪い敗者が道を歩く姿が見える。
(この世界では珍しくない……だからこそ分かりやすく残酷でもある)
何より連なって頭の中に浮かびあがるのは、少し前に黒崎先輩から告げられた数字のこと。
26人。今年の聖徳寺学園1年A組の残り人数。
元々40人のクラスで、徐々に数は減っていくと聞いてはいたが……まさかここまで一気に減るとは思わなかった。
だがそれ以上に、自分の認識が甘かったと思わざるを得ない事は……
(アニメではなくて現実、今となっては当事者。そういう認識が甘かった)
心が折れて自主退学する生徒は少なくない。
だけどその中に自分の顔見知りが入るという事を含めていなかった、俺自身の甘さ。
いざ蓋を開けて想像をしてみれば、存外重く心に圧し掛かってくる。
(今更なんて言われたらそれまで。俺自身これまで散々勝ってきたわけだし、目に見えない所で何が起きていても不思議ではないか)
そういう勝敗の果てで、見えない位置まで押しやられた人間の末路。
いくらかは伝聞で知っているとはいえ、所詮はただの知識だ。
とはいえ顔見知りがその末路を辿ったとなれば、お世辞にも気分の良いものとは言えない。
(二学期が始まれば嫌でも突きつけられる事実……進級する頃には更に減ると考えたら、気が重い)
だけど考え始めればキリがないのも事実。
ならせめて今だけは、少し目を逸らそう。
そんな事を考えている内に、俺は目的地であるカードショップに到着した……のだが。
「キュップイ? どうしたっプイ?」
俺の頭上からカーバンクルが問いかけてくるが、何も反応できない。
思わず真顔を通り越して虚無のような顔を浮かべながら、俺はカードショップの入り口に大きく張り出された紙を見ていた。
『バニラサポート高額買取中』
「まだ……高騰するのかよ」
張り出されている買取表を見ると、とうとう〈無色無敵セイバー〉が65万円での買取になっていた。
買取価格だぞ、販売価格じゃないんだぞ。
前の世界だったら65万円もあったら、無限デッキ制作編に入れたわ。
「比較的安価なデッキだったのに、こうもお高くなるとは」
「ボクに休暇を与えてくれた神のようなデッキだから当然っプイ」
「我々が愛した【バニラコントロール】は高騰し過ぎた、何故だッ!?」
「坊やでも組めそうな強デッキだからっプイ」
相棒よ、コントロール系のデッキは扱いが滅茶苦茶難しいんだぞ。
あとバニラモンスターが主軸でも、サポートは結局バニラではないからな。
そう考えれば高額化は必然……なのかな?
「年月経ったとはいえ、カードの価格には慣れない日々だよ」
価値観のギャップが埋まらない事をぼやきながら、俺はショップの中へと入る。
中はパッと見の変化はない……強いて言うならバニラ関係の特設コーナーが出来ていたくらいか。
もう特設コーナーをまじまじ見るのも億劫に感じて、俺は視界に入れないようにショップの奥へと進んでいく。
「あっ、知ってる気配っプイ」
「知ってる加齢臭なのね! 奇遇なのね!」
俺の頭上でカーバンクルが「ギュプ!?」と短い悲鳴をあげて項垂れる。
そして聞き覚えのある口癖と声だったので、誰がショップにいるのかすぐに理解できた。
「珍しいな。アイがこっちのショップに来てるの」
「あらツルギ。私はソラに誘われて来ただけよ」
「ツルギくんはフリーファイト目当てですか?」
アイの隣で小さなシルエットがぴょこぴょこと可愛らしく動いているソラ。
そして彼女達の近くでパタパタと翼を動かして飛んでいる化神のウィズ。
ウィズは即座にカーバンクルの元にやってきた。
「お久しぶりなのね。カーバンクルのおじ様もお久しぶりなのね」
「だからボクはおじ様じゃないっプイ。せめてお兄さんって呼んで欲しいっプイ」
「その魂でお兄様はいくらなんでもキッッッついのね」
至極真っ当と言わんばかりの様子でウィズに言い切られてしまうカーバンクル。
隠神島の時もそうだったけど、カーバンクルの年齢って人間換算で何歳なんだ?
あと相棒よ人の頭上で号泣しないでくれ、ビッチャビチャなんだよ。
「ウィズ、もう少し発言には責任を持ちなさいな」
「でもお姉様、おじ様はおじ様なのね」
「せめてカーバンクルって名前で呼んであげなさい」
「はーいなのね」
叱られた子供のように渋々引き下がるウィズ。
というか完全にアイが姉とか母のポジションになっているな。
そういう相棒関係ってのもあるんだろうけど。
「……今日は薄っすら見えますね」
そう言いながら興味深そうに俺の頭上を見上げるソラ。
やっぱり隠神島の一件以降、少しずつ化神が認識できるようになっているみたいだ。
俺は試しに頭上にいたカーバンクルを両手で掴んで、ソラの頭に乗せてみた。
「キュプ〜、知らない頭上っプイ」
「あっ、なんだかモフモフと体温を感じます」
完璧に認識はできていないようだが、存在はしっかり感じとっているソラ。
自身の頭上に乗ったカーバンクルをモフモフと触り始めている。
やっぱり小動物系のモンスターが女の子と触れ合う様子は、良い画になるな。
「そういえばウィズも認識されてるのか?」
「えぇ、薄っすらとは見えてるそうよ。声までは聞こえないそうだけど」
「やっぱりこの前の事が切っ掛けなんだろうな……多分ソラの化神ってアレだし」
「そうね、言われなくても見当がつくわね」
この前の一件で現れた白い羽根といい、ソラも薄々勘付いているだろうし。
カーバンクルも化神はエオストーレだって断言しているし。
今のソラを見る限り、多分そう遠くないうちに目覚めるんだろうな。
「それでアイとソラもフリーファイトか?」
「それも含めて色々ね。軽いショッピングの後に立ち寄っただけよ」
そう言うアイだが、ショッピングという割には大きな荷物が見えない。
見えるのは妙に膨らんでいるエコバッグのみ。
「薬局、百均、ホームセンターってとこか」
「ごめんなさい許してください」
「アイちゃん? パイプユニッシュが必要になる前にキッチンは掃除しましょうね」
もう言葉も出ねぇよ。
マジでなんで一人暮らしを許可したんだ宮田家の皆様。
「ウィズ、お前よく一緒に暮らせるな」
「なに言ってるのね。ウィズには馴染み深い環境で嬉しいのね」
「比較対象がおかしい奴に聞くんじゃなかった」
そういえばウィズのいた場所も結構な環境だったな。
もちろん汚れとかそういう意味で。
「そういえばツルギは今日は何が目当てなのかしら? 貴方が引き起こした物価変動の見物?」
「……あの配信、見てたのか?」
「アーカイブだけどね。あれだけ派手に目立ったんだから、嫌でも目に入ってくるわ」
「同接数とか再生回数スゴいことになってましたね〜。ネットニュースになってましたけど、一瞬『Cosmoちゃんねる』を超えたって」
「……なにそのチャンネル」
本当に聞いたことのないチャンネル名がソラの口から飛んできたので、思わずそう聞き返してしまう。
するとソラとアイから信じられないものを見るような目を向けられてしまった。
なんでさ。
「ツルギくん……智代ちゃんの配信に出てたのに、知らないんですか?」
「知らない。そもそも俺って配信とか見る文化を持ってないし」
「ツルギ……貴方ってこうサモン以外の文化に関心が薄い事があるわよね?」
「だってサモン楽しいし」
そう返答するや、アイとソラは同時に眉間に手を当ててため息を吐いた。
仕方ないじゃん事実だし。
あとカードゲーム至上主義世界で産まれ育った人達には言われたくないです。
「これです。最近あちこちで話題になっている中学生配信者ですよ」
「へー、中学生って事は智代ちゃん達と歳は近いのか」
「むしろ私達の方が近いわね。女子中学生インフルエンサーで大人気配信者、早乙女コスモ。年齢的には私達の一つ下よ」
ソラのスマホ画面を見ながら、アイが簡単な説明をしてくれる。
なんか動画配信者らしいサムネとかが色々出てくるし、再生数もなんだかスゴい数字が出ているな。
白に近い灰色の髪が特徴的な女の子が出ているけど、多分この子だろう。
……何故か不思議と『何か』が引っかかるような容姿だと感じてしまう。
でも引っかかりの正体も分からないし、アニメの登場人物でもないし。きっと思い過ごしだろう。
「でもツルギくんが知らなかったのはビックリです。一番知っていそうだったので」
「なんで俺が知ってそう判定受けてるんだ?」
「そりゃあそうでしょ。だってその子、今年のJMSカップ優勝チームのリーダーよ」
マジですか。
そういえば今年のJMSカップの頃って色々バタバタしてたから中継とか見てなかったな。
しかも俺的には現在アニメシナリオへの絶賛介入中なので、それどころではなかったというのもある。
「世の中色々あるんだなぁ」
「薄い反応ね。貴方が派手にやったから智代のチャンネルもスゴい事になってるんじゃないの?」
「卯月が色々教えてくれた。チャンネル登録者が爆増したってさ」
「それだけで済めばいいわね」
ごめんなさい、元アイドルにそう言われると不安になるんです。
一応後で卯月に様子を聞いてみよう。
「あっそうだ、二人には先に伝えておこうと思うんだけど――」
例の同盟の話をしようとした次の瞬間、背後からフワフワと浮かんでいる一つの気配が近づいてきた。
「オやオや、化神の気配が集まっていると思えば。貴方方でしたか」
声がしたので振り返ると、そこには大きな懐中時計と歯車で構成されている、一体の化神が浮かんでいた。
黒崎先輩のパートナー化神〈【運命の使徒】我は汝を時明かす者〉こと、シーカーだ。
「ツルギ殿とカーバンクル殿はオ久しぶりで御座います。他の皆様はオ初ですね」
「キュップイ? シーカーがいるって事は――」
カーバンクルと同様の予想は俺の脳裏にも浮かんでいた。
そして答え合わせをするように、その人は姿を現す。
「ん。天川か……奇遇だな」
アイとソラは誰なのか分かっていなさそうだったが、俺はすぐに理解できていた。
黒と白のツートンカラーな髪色の先輩。
六帝評議会【裏帝】黒崎勇吾がそこにいた。




