第百五十話:ぼくはいきていた
それは、感染者とのファイトを終えて一息つこうとした瞬間だった。
山頂の方から、巨大な火柱が空に立ち昇っていくのが見えた。
俺はその炎の正体がすぐに分かってしまい、同時に流れが少し変わってしまった事も悟ってしまう。
「キュップイ、あれは」
「ブイドラだ……ここで進化したのか」
本来ならもう少しだけ後の出来事が、前倒しで起きた。
それの良し悪しはまだまだ分からない。
ただ一つ言える事は、これで藍がギョウブに敗北する事はなくなったということだ。
「ツルギ、どうするっプイ?」
「どうせ全員倒したんだ。俺達も行くぞ」
20人以上の感染者だった人達を一旦放置して、俺は山道を走る。
基本的に一本道だったおかげで、迷う事はなかった。
そしてこれも一つの予想通りだった事であり、道中で九頭竜さんと合流できた。
恐らく俺と同じで、感染者との戦いを引き受けて藍を先に行かせたんだろう。
「九頭竜さん、シルドラ!
「天川くん」
「そちらも済んだようだな」
「ちゃんと全勝してきた。ここに九頭竜さん達がいるって事は」
「うん。藍は先に行った……でも、今の炎って」
やっぱり九頭竜さん達も気になるよな。
というかあんな派手に炎柱が空に向かって昇っていたら、誰だって気になる。
「多分、ブイドラじゃないかな?」
「あの雑種だと? まさか」
「進化したんだろ。きっと藍が必死に勝とうとしてる」
俺がそう言うと、九頭竜さんは少し複雑そうな表情を浮かべた。
まぁ気持ちは分かる。藍が勝つという事は……ギョウブが消滅するという事でもある。
だから俺は一度止めた。それでも藍は行くと決めた。
だったら俺達にできる事は……藍の意思を尊重する事だけ。
「いこう、九頭竜さん」
「うん。藍を一人にしたくない」
気持ちは同じだったらしい。
俺と九頭竜さん達は山道を進んでいく。
そして、藍達の姿が見えた時には……全てが終わった直後だっ。
真紅の身体を持つ巨大な竜〈ビクトリー・ドラゴン〉が、いつものブイドラの姿に戻っていく瞬間。
そして、立体映像が消えてファイトが終了した瞬間であった。
「終わったところだったか」
「藍!」
九頭竜さんが心配そうに藍の名前を叫んで駆け寄る。
藍の身体はこの距離からでも分かる程に傷だらけだった。
恐らくウイルスとの戦いで相当なライフダメージを受けたんだろう。
一方で俺は、ギョウブの方が気になってしまった。
「ギョウブ。なんでララちゃんの前に」
「キュプ〜? ウイルスの匂いが薄れて……これは、ギョウブの中にあった混ざりものが消えていってるっプイ」
俺の頭上でカーバンクルが信じられないものを見るように、そう呟く。
確かにララちゃんの前で無言のまま立っているギョウブをよく見ると、身体から蒸気のような何かが放出されていた。
キラキラと光っているそれは、天に昇っている。
光はまるで生命のようで、何故か長い束縛から解放されたようにも見えた。
「カーバンクル。あれってもしかして」
「化神の生命っプイ。ウイルスの中にあった生命が解放されて消えていってるっプイ」
「成仏ってやつか」
だけどウイルスが化神を、化神の生命を使って作られたのであれば。
そのウイルスが消え去ってしまったギョウブは、やっぱり消滅してしまうんだろう。
「けどなんでウイルスごと消滅じゃなくて、ウイルスだけが消え始めてるんだ?」
「そこっプイ! なんでウイルスだけが消え始めてるっプイ?」
「俺に聞かないでくれ、分からないんだから」
だけど、月並みの言葉を使って許されるのならば。
見るからに正気を取り戻したであろう今のギョウブがいる事は、紛れもない奇跡なんだと思う。
傷だらけで息が荒くなっているギョウブは、その場で沈むように座り込んでしまった。
「ギョウブ!」
後ろにいたララちゃんが、すぐさま彼の元へと駆けつけた。
血で毛が汚れているギョウブを抱きしめるララちゃん。
当初の話に聞いていたような憎悪は何も感じられない。
今のギョウブは、これ以上無いくらい落ち着いた様子だった。
「ギョウブ……ギョウブぅ」
「ごめんね、ララ……ボク、色々、間違えちゃったみたいだ」
「いいの。ギョウブ、ちゃんとララのこと思い出してくれたです」
「うん、やっと、思い出せた……やっと、ララと会えた」
弱々しい声で受け答えをするギョウブ。
藍は九頭竜さんの肩を借りて、俺達の近くまでくる。
みんな言いたいことは沢山あるだろうけど、今はララちゃん達の時間を邪魔したくなかった。
「ララと、いっしょにいたかったから、頑張ったけど……上手くいかなかった」
「でも、ギョウブはララのところに来てくれたです」
「こんな事に巻き込みたくなかった。ボクだけで、全部終わらせたかったのに」
「なに言ってるですか! ララはギョウブのパートナーで友達なのです。辛いことも、楽しいことも全部、いっしょにいたいのです」
目に涙が浮かんで、声が震えているララちゃん。
恐らくギョウブに取り憑かれている中で、彼の身に何が起きたのかを察したのだろう。
そう思えてしまうには、十分な状況だった。
「ボクは、ずっと……生命になれていなかった」
ふと空を見ると、島を覆っていた暗闇が消えて、美しい夕暮れが広がっていた。
「ボクはずっと、生きているって、自信が持てなかった」
「ギョウブ?」
「生きてもいないのに、本当にララと友達になっていいのか……分からなかった」
「いきてます……ギョウブは! 化神はちゃんと、生きてるです」
化神は不完全で不安定な生命体である。
カーバンクルやウィズ達も同じ事を言っていたし、きっと化神は全員知っている事なんだろう。
だからこそ、ギョウブにとっては大きなコンプレックスでもあった。
だからこそ俺達人間は、彼らを生命だと言い続けたいんだ。
不安定であっても、確かにそこで生きているんだから。
「……よかった。ララがそう言ってくれて」
ララに抱きしめられながら、安心しきったようにそう口にするギョウブ。
彼は夕暮れ空を見上げて、小さく微笑んだ。
「ボクは……生きていた」
自分という生命を認める事ができた瞬間、ギョウブの身体がゆっくりと光の粒となって散り始めた。
「ギョウブ!?」
ララちゃんも異常に気がついたらしく、声を上げてしまう。
やはりウイルスと同化していたせいか、消滅は回避できなかったらしい。
「プイ。あれはエネルギー切れ……もしかしたら」
俺の頭上でカーバンクルが何か考え込んでいるが、ギョウブはその間も徐々に消滅が進んでいく。
「ララ」
ギョウブは短い腕を使って、頑張ってララちゃんを抱きしめ返す。
そして小さく腕を上下させ、彼女安心させるように言葉を続けた。
「大丈夫。大丈夫だよ」
「でもギョウブ。どんどん消えて」
「ボクは、ちょっと眠るだけだから……その間だけのお別れだから」
「いやです、やっギョウブに会えたのに、またララはひとりぼっちに」
「ララなら大丈夫……ボクといっしょに戦ってくれたから。ララは強い子だから」
ギョウブ身体の消滅は進み、とうとう下半身が消えてしまった。
それでもギョウブは自身の恐怖を見せる事はなく、ララへの気持ち伝え続けた。
「ありがとうララ……ずっとボクを待っていてくれて」
「あたりまえなのです。ギョウブは、ララのお友達ですから」
涙を流しながらも、精一杯の笑顔でそう言うララちゃん。
ギョウブは頬を擦りつけて、彼女に感謝を告げていた。
「ありがとう……ボクと、出会ってくれて、ありがとう」
「ギョウブ、いなくなるですか?」
「少し間、眠るだけ……だから、きっとまた会える」
だから……と、ギョウブは続ける。
「また会えたら、もう一度だけ友達だって、言ってくれるかな?」
「はい……何度でも言ってあげるのです!」
「……よかったぁ」
これで悔いはなくなった、まるでそう言わんばかりのギョウブ。
そんな彼の意思に従うように、山頂に一陣の風が吹いた。
風と共に彼の姿は消えて……化神ギョウブは俺達の前から姿を消してしまった。
「……ギョウブぅ」
落ちていた1枚のカードを拾い上げて、嗚咽をあげるララちゃん。
俺はそんな彼女にどんな言葉をかければ良いのか、全く分からなかった。
そんな時だった。
俺の頭上にいたカーバンクルが飛び降り、ララちゃんの元へと駆け寄っていったのだ。
「ちょっと失礼するっプイ。クンクン……やっぱり、これって」
「どうしたカーバンクル?」
「信じられないっプイ。でも確かに、ギョウブがまだカードの中に残っているっプイ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺だけでなく藍や九頭竜さんも顔を上げた。
まだカードの中に残っている。
という事は消滅はしてなくて、エネルギー不足の休眠状態になっているだけ。
「ギョウブは今眠っているだけっプイ。だからエネルギーが溜まって、その時が来ればまた……」
「ぐずっ、ギョウブに会えるですか?」
「キミが信じ続けるなら、きっとっプイ」
そう言い残すとカーバンクルは再び俺の頭上へと戻ってきた。
「なぁカーバンクル。本当に大丈夫そうなのか?」
「ウイルスは完全に消えていたっプイ。だから今は本当に休眠状態なだけ」
「だけどエネルギー不足になった化神が復活するには」
「ただの悲しみよりは可能性のある希望っプイ。ツルギ達がボク達化神を生命だと思ってくれている限り、ボク達も希望捨てたりしないっプイ」
「……そっか」
だったら尚更、今回一番頑張った奴を褒めないとな。
俺は藍の元へと歩み寄って、その頭に手をおいた。
「ありがとうよ。多分俺が戦ってたら、こうはならなかった」
「何もできてないよ。アタシは結局――」
「理想にはならなかったかもしれない。でも形は何であれギョウブは生き残った。永遠の別れになるはずだった二人に希望が残ったんだぞ。だったら藍は、もっと褒められるべきだと俺は思う」
「天川くんの言う通り。これは藍が起こした奇跡だから……他の人が褒めなくても、ボクが藍を褒める」
そう言うと九頭竜さんも藍の頭を撫で始める。
流石に二人同時に撫でられると恥ずかしいのか、藍の顔が耳まで赤くなってきた。
でも止めてやらねえ。褒め尽くしてやる。
「ふん。雑種の割には頑張ったようだな」
「あぁん、まーた嫌味ブイ!? オマエも少しは褒めてみろブイ!」
「……大義であったぞ、ブイドラ」
俺達の近くではブイドラとシルドラがいつものように喧嘩をしている。
かと思ったが、意外にもシルドラは顔を背けつつも、小さな声でブイドラを褒めてきたのだ。
これはかなり意外な展開。アニメだったらかなり後にならないとやらないのに。
「オマエ……オイラの名前を呼んだブイ?」
「知らん」
「呼んだブイ! もう一回呼べブイ!」
「知らんと言っている! だから離れろ雑種!」
相当照れているのか、必死にブイドラをあしらおうとするシルドラ。
そんな2体のチビ竜を見ていると、自然と笑みが浮かんできてしまった。
「もう、シルドラは」
「もうちょっと素直になればいいのにね〜」
藍と九頭竜さんにも笑顔が戻ってきている。
俺はララちゃんの元へと歩み寄って、彼女に手を差し出した。
「いっしょに帰ろう。みんなのところへ」
「……はいです!」
腕で涙を拭い取り、ララちゃんは力一杯の返事をして、俺の手をとるのだった。