第百四十六話:ギョウブという化神の記憶②
ギョウブがララと出会い、友達になって数日が経過。
お互い初めての友達という事もあって、最初は手探りな距離感であったが、それもすぐに解決した。
夏休みに隠神島に来ていたララはギョウブを祖母の家へと連れて帰ったが、当然普通の人間に彼を見る事はできない。
ギョウブは見えないなりにこっそりと家にお邪魔するのであった。
「エヘヘ〜、ギョウブってモフモフなのです〜」
夜はララにせがまれて一緒の布団で寝るギョウブだったが、少し暑いこと以外に不満はなかった。
そして朝がくれば一緒に外へと遊びに出る。
「ララ。ボク達化神は他の人には見えないんだから、あんまり言いふらしちゃダメだよ」
「でもギョウブはここにいるですよ」
まだ幼いララには分からない理屈。
ギョウブは諦めてララという友達と遊ぶ事にした。
色々な交流を経て、二人の間にある友情は強固なものになっていく。
そんな中ギョウブは、自身の傷が完治した事に気がついた。
(エネルギー補給なんてしてない筈なのに……ララと一緒にいたからかな?)
だとすればララは、ギョウブにとってパートナーと呼べる人間である。
彼女が自分のパートナーであれば、これほど嬉しい事はない。
ギョウブはそんな喜びを噛み締めながら、ララとの時を過ごした。
そんなある日の事であった。
ギョウブがララと一緒に島の中を歩いていると、彼女カードショップの前で立ち止まったのだ。
憧れを抱いたような目でカードを見つめるララ。
そんな彼女を見てギョウブは、自分自身のカードが今どこにあるのかを思い出してしまった。
(そういえば、ボクのカードって……まだあそこに残ったままだ)
一応同名カードがあればそちらに移る事はできる。
しかしギョウブはショップで自身のカードの値段を見つけてしまい、酷くショックを受けた。
(1枚……500万円!?)
人間社会に疎いギョウブであっても、それがララには出せない金額だと容易に気づけてしまった。
もしもララと正式にパートナーになるためには、何としても自身のカードを回収する必要がある。
しかし肝心のカードはあの施設の中。あまりにも危険過ぎた。
「ギョウブは、カードの化神さんなのですよね?」
「う、うん」
「ララはまだデッキを持っていないですけど、いつかギョウブといっしょにファイトをしてみたいです」
「そう、だね……ボクも、ララと一緒にファイトしてみたい」
ギョウブにとっての本心であり願い。
だがそのためにやるべき事も理解していたので、ギョウブの心は酷く締め付けられていた。
それでもギョウブは、ようやく出会えたララというパートナー……友達の願いを叶えたいと思ってしまう。
追っ手にはまだ見つかっていない。
時間は流れて、ララは自分の国に帰る日が近づいてきた。
その中でギョウブは、一つの決心をするに至る。
「ギョウブはいっしょにハワイへ来てくれるです?」
「……ララ、ごめん」
それはララが隠神島を去る前日の出来事であった。
ララと一緒にいたいという気持ちはある。
しかしギョウブにはやらなければならない事があった。
「今年は、一緒にいけない」
「どうして、ですか?」
「ララとずっと一緒にいたいから。そのためにやらなきゃいけない事があるから……だから、今年は一緒にいけない」
「ギョウブのやらなきゃいけないことって、何ですか?」
ララに問われて、ギョウブは少し言い辛そうになってしまう。
あの施設で起きた事は、流石に言えない。
ならせめてと、ギョウブはララが理解できる範疇の真実を伝える事にした。
「ボクのカードを取り戻しに行く」
「ギョウブのカード?」
「うん。絶対にそれを取り戻すから……来年は必ずララのデッキに入たいから」
一緒にファイトをする。これからも一緒にいる。
大切なパートナーであり、友達の願いを叶えるために必要な決意。
僅かに震える声をどうにか押し殺して、ギョウブはしばしの別れを告げようとする。
「だから、少しだけお別れ。今度はちゃんとララと一緒にいられるように……ボクも頑張るから」
断言なんてしない方がいいのかもしれない。
それでも未来への約束を果たす理由にするためにも、今のギョウブにはそう言葉にする他なかった。
初めてできた友達との別れ。ララは何も言わずにギョウブへと抱きつく。
ララから特別な言葉は出てこない。ギョウブの耳に聞こえてくるのは嗚咽を我慢している声のみ。
「……待ってる。また会えるってボクは信じているから」
優しげな声でギョウブが告げると、ララは彼を抱きしめたまま頷くばかりであった。
そしてララと別れたギョウブは、覚悟を決めて例の施設へと駆け出した。
目的は自分のカードを奪還する事。そして可能であれば施設にいる化神達を解放する事。
月島ララという少女と出会った事で、ギョウブは人間という存在に大きな可能性を感じていた。
(化神には必ずパートナーとなる人間がいるって言うなら……ララのようなパートナーと出会えるんだったら。この喜びはみんなで知るべきだ!)
必ず成し遂げるという決意を抱いて、ギョウブは一度脱出した施設の入り口でもある岩壁へとたどり着いた。
何故か脱出時と同様に出入り口が僅かに開いていたが、ギョウブはそれに疑問を持つ事なく突入。
化神の気配は奥からいくらでも感じ取れた。まだ生き残りはいるはずだと信じてギョウブは奥へと駆けていく。
だが彼が戻ってくる事を予想していたのか、ギョウブが例の機械のある部屋に近づいた瞬間、施設の罠が作動した。
「しまった!?」
あのガラス張りの牢屋と同じ作りの捕獲籠が床から展開されていく。
咄嗟に逃げようとしても罠の方が早く、ギョウブは捕獲されてしまった。
そして施設にアラームが鳴り響き、気づいた白衣の人間が数人やってきた。
「まさか本当に戻ってくるとは。所長の勘もすごいな」
「この捕獲用の罠だってそうだ。所長が用意したものだけど、見事に機能してる」
「全く、手間取らせやがって」
口々に言葉を吐き捨て、白衣の人間達はギョウブの入った捕獲籠を部屋の中へと持ち込む。
悔しさで頭に血が上りかかっているギョウブだったが、どうにか理性を総動員して落ち着こうとする。
必要な事はこの籠から脱出する事であり、まずはタイミングを伺う事だ。
そんな考えをしていたギョウブであったが、例の機械を前にした瞬間全ての思考が吹き飛んでしまった。
「「「――――――――――――――――!」」」」
機械の上にある台。
あの日、目の前で化神を惨たらしく分解していた場所に浮かんでいたソレは、形容し難い肉の塊であった。
否、肉の塊ではない……いくつもの生物が強引に混ぜ合わせられた悍ましいナニか。
なによりギョウブの恐怖心を煽ったのは、その肉の塊から凄まじい怨嗟を交えた悲鳴が聞こえてきた事である。
「まさか……これ全部」
「あぁ、化神だよ。お前たちは感情を昂らせるとより強力なエネルギーを生み出すからな。こうやって憎悪を煽ると効率がいいんだ」
あくまで気楽に、作業行程を紹介するように答える白衣の人間。
自分達の所業を理解しているのか、そうでないのか。
どちらにせよギョウブには、眼前のソレが悪魔の所業にしか見えなかった。
「なんで……なんで人間なのにこんなにも……」
「お前が逃げなければもう少し早く終わる作業だったんだけどな。あと一匹もどこにいって――」
「ボク達だって同じ生命なのにッ! なんでこんな事ができるんだよッッッ!」
怒りが爆発して叫びを上げるギョウブ。
だがそれを聞いた白衣の人間達は皆、心底不思議そうな表情を浮かべるばかりであった。
「何を言ってるんだ? 化神は生物じゃない」
「違う、ボク達は」
「どう足掻いても不安定な存在でしかない。それを生物と定義付けるなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある」
さも当たり前の事を言うように、白衣の人間達は皆笑い合っていた。
ギョウブの心に大きな傷がつく。
ララのような優しい人間がいた……なのにここに居る人間達はどうしてこうも違うのか。
怒りや嘆き、そして同胞を殺した者達への憎しみがギョウブの中で芽生える。
「おーい、さっさと入れちまおうぜ」
「それもそうだな」
そう言うと白衣の人間達は、捕獲籠ごとギョウブを機械の上に置いた。
流石に不味いと感じたギョウブは、必死に籠を壊そうとする。
「おい出せッ! 出せェェェ!」
叫んでみるも、白衣の人間は誰一人として反応しない。
そのまま軽い様子で……機械を作動させた。
「ッッッ!?」
自分という存在に、何かが入り込んできた実感があった。
絶望と恐怖に支配され始めるが、ギョウブの身体はもう動かない。
邪悪な力であるソレが侵食してくる悍ましさと同時に、自分達を羽虫とも思ってすらいない人間達への怒りが燃え上がる。
(ララはあんなに優しかったのに……ボクと友達になってくれたのに)
怒り嘆きも憎しみも、全てがギョウブの思考を染め上げていく。
ギョウブに侵食してきているソレは、変化を決して見逃さなかった。
(あれ……これ、誰の声)
音ではない、頭の中に何かが語りかけてくる。
ギョウブに語りかけてくるソレは、邪悪な誘惑を仕掛けてきた。
その怒りをぶつけたくはないか?
その嘆きを叫びたくはないか?
同胞達の苦しみを、憎しみ晴したくはないか?
(誰……誰が、ボクに)
この邪悪な意思に従ってはいけない。
ギョウブは本能的にそれを感じ取るが……ソレはあまりにも強大過ぎた。
『オマエたちの滅び方は、我々が決めてやろう』
存在の分解が始まった瞬間、ギョウブは凄まじき恐怖と苦しみと同時に、ソレの姿を認識した。
どこまでも果てがない無限の闇。
それを内包する太陽の如き巨体。
黒い球体のソレは、内側からギョウブを見つめていた。
(勝てない……どれだけ足掻いても、ボク達化神じゃあ……コイツには勝てない)
そして分解されていく。
想像を絶する苦しみを味わいながら、ギョウブは肉の塊の中へと混ぜられてしまう。
もはや言葉を紡ぐ余裕も無い状態であるはずだったが、ソレがギョウブの意識を強引に維持していた。
『オマエが頭になれ。お前が仲間の憎しみを引き受けろ。我々はそれで悦べる』
ソレはまるで小さな子供が喜ぶ時のような声色で宣告してくる。
するとギョウブの中に、生きたまま分解された化神達が急激に入り込んできた。
思考が蹂躙される。感情が染められて陵辱される。
恐怖と嫌悪感に染まっていたギョウブだったが、徐々に強制適合していった。
(やめて……ボクを奪わないで……ボクは……)
心が書き換えられる、記憶が曖昧になっていく。
どうして外へ逃げたんだろう。
自分は何をしたかったんだろう。
(たすけて、ララ……ララ……だれ、だっけ)
大切な人だったはずなのに、黒い何かで記憶が染められている。
自分はララという人間と何があったんだろう。
『その人間は、オマエを捨てた』
(捨てた……ララはボクを……オレを捨てた)
黒い囁きは、事実さえも書き換えられてしまう。
もはやギョウブに抵抗の意思は残っていなかった。
化神達の力を吸収し、ウイルスという邪悪な力と同化していく。
『良いぞ。これでこそソラナキの下僕だ』
それはソラナキと名乗ったが、今のギョウブにはどうでも良いことであった。
ギョウブの中にあるものは人間に対する深過ぎる憎悪。
そして自分達を踏み躙った人間に対する復讐のみ。
本来想定されていないウイルスと化神の同化に、施設にいた白衣の人間達は驚き狼狽えていた。
ウイルスと同化したものの、ギョウブは存在が不安定な状態であり、無差別に生命喰らう力を持った含質量電子プログラムと化していた。
もはやタヌキの形状は留めていない。
青白い半透明の怪物と化したギョウブは、自らの意思で機械の上から降りてきた。
「ひぃ!?」
「退避! 全員退避だー!」
「やめろ、来るなぁぁぁ!」
最も機械に近い位置にいた白衣の人間が絶叫する。
しかしギョウブは知ったことかと言わんばかりに、その人間の身体を握りしめた。
「ギャァァァァァ! 痛い、いだいぃぃぃぃぃぃ!?」
ギョウブに握りしめられた人間は、生きたまま肉体を電子プログラムにされて吸収されてしまう。
じわじわと肉体を溶かしながら変換されているせいで、その苦しみは想像を絶するものであった。
何が起きたのか理解した白衣の人間は、我先とその場を逃げ出し始める。
「……逃がさない」
一人目を溶かしきり、完全に吸収したギョウブは逃げ惑う人間達をゆっくりと追い始める。
二人目は恐怖で腰を抜かした人間であった。ギョウブは足からゆっくり溶かしてみた。
三人目は銃を持っていた。ギョウブは無意味なそれを腕ごと溶かして、次に頭から分解吸収してみた。
それからも色々な方法で人間を喰らっていくギョウブ。
この憎しみは中にいる化神達のものなのか、植え付けられたものなのか、もうどうでも良かった。
「ひぃ、来るな、来るなァ!」
最後の一人はあの出口から脱出をしようとしていた。
何やら壁のボタンを操作しているが、何も起きない。
「な、何故扉が開かないんだ!?」
白衣の人間が混乱していると、施設にあったスピーカーから誰かの声が聞こえてきた。
『すまないね。遠隔操作で扉をロックさせてもらったよ』
「その声、所長、所長なのですか!?」
『状況は把握しているよ。大変な事になってしまったね』
「そうです。もう私以外全員殺されました! だから冗談なんてやめて扉を開けてください!」
『君は……どうして含質量電子プログラムを人間に使用してはいけないか、知っているかい?』
スピーカーから唐突な問いかけが流れてくる。
白衣の人間は一瞬ポカンとするが、すぐさま必死に訴えを再開した。
「所長ッ今はそんな問答をしている場合じゃ」
『人間を電子変換するとね、元に戻せずグチャグチャになってしまうんだよ。生命活動を維持させたまま、ね』
「何を、言いたいんですか」
『ウイルスと同化しただけでなく、人間を電子変換して喰らう化神。これほどの貴重なサンプルを捨てられるわけがないだろう?』
スピーカーの向こうからは喜びに満ちた男の声が聞こえてくる。
白衣の人間は嫌な予感がして、酷く焦り始めた。
「所長、出してくださいッ! 所長!」
『その化神の怨みは相当だ。しばらく満腹にはならないだろう。そして何より――』
「所長ォ!」
『僕はキミ達の破滅が、楽しみで仕方ないんだ』
狂気と歓喜が混じり合った声で、男は死刑宣告をしてくる。
その意味を理解した瞬間、白衣の人間は頭が真っ白になってしまった。
言うだけ言い終えると、スピーカーはブツリと切れて何も聞こえなくなってしまう。
「嫌だ、たすけてッ! 出してッ! 出してェェェェェェェェェェェェ!」
錯乱して扉を叩き続けるが、人間の事情など気にしていないギョウブは無言で歩み寄ってくる。
白衣の人間は恐怖に顔を歪ませて、泣きながら叫び続ける。
「所長、たすけて、たすけてください! 所長……三神所長ォォォォォォォォォォォォ!」
所長、三神当真の名前を叫ぶが誰も助けには来ない。
最後の一人はギョウブに足を握られて、ジワジワと足元から溶かされ……吸収されてしまった。
施設の人間を喰らい尽くし、自身のカード回収したギョウブは、一度も振り返る事なく外に出る。
ほとんど電子プログラムと化していたギョウブに、物理的な壁は意味を成していなかった。
夜空を見上げて、ギョウブは憎悪で瞳を赤く染め上げる。
「必ず……必ずオレが、復讐してやる」
そう言い残してギョウブの身体は霧のように消え去る。
隠神島のタヌキ達を利用してカードを隠し、ギョウブは復讐を実行に移す時を待ち続けるのだった。