第百四十二話:隠神島パンデミック!
それが起きたのは、メッセージを送りララちゃんを探し始めた矢先だった。
黒い何かが島中から立ち上り、空を覆い尽くす。
ほんの数分で空は黒く夜のように染まって、明らかに異質な空気が周囲に漂い始めていた。
それだけでも異常事態だというのに、島の中で俺達はさらに厄介な事態に直面していた。
「ウゥ……アァ……」
「アァ……ウ、マァ……」
島の中を彷徨い歩く住民達……ただし顔にはタヌキのお面が装着されていて、動きは完全に自我が薄れているようにしか見えない。
端的に言って、ほとんどゾンビと大差ない状態と化していた。
「なんでゾンビパニック映画が始まっとんじゃぁぁぁ!」
「私にもわかりませんよぉぉぉ!」
俺は今ソラを抱えて、走ってくるタヌキゾンビ(仮)から逃げていた。
女の子を抱えながら全力疾走って、意外といけるもんなんだね。
火事場の馬鹿力、バンザイ。
「つーか何であの人たち召喚器片手なんだよ!?」
「ファイトして負けたらゾンビ化させるとかじゃないですか!?」
「設定がサメ映画未満じゃねーか! 監督の降板を要求する!」
つーかゾンビ化(?)してもカードゲームなのかよ。
カードゲーム至上主義が概念レベルにまで侵食しているのは、もうその時点で新種のホラーだぞ。
「あとツルギくん、なんで私この体勢なんですか!?」
「これが一番持ちやすかったんだ、文句は後にしてくれ!」
俵担ぎを避けることしか頭になくて、咄嗟にやってしまったお姫様抱っこ。
あくまでソラを安全に逃すためなのだけど……流石に不可抗力は主張しきれないか?
何にせよ今はファイトを挑もうとしてくるゾンビ(仮)からソラを逃す事が優先。
「ツルギ、あの人たち思いっきり感染してるっプイ!」
「だろうな。でもアレ本当に同じウイルスか? ゾンビゲームに出てくるやつじゃねーだろうな!?」
「そうだったらボクがウイルスに気づくはずが無いっプイ」
頭上にいるカーバンクルの言う通りだった。
よく見れば周囲……隠神島全体に薄らと黒い霧が広がっている。
間違いなくウイルスカードによるものだ。
(となれば誰が、どうやってこんな規模のウイルスを撒いたんだよ)
アニメでは一年生の終盤で似たような展開があったけど、こんな小さな島で起きるようなものじゃないし、やる意味もない。
ウイルスカードを造っていた施設があったとはいえ、あの廃墟みたいな場所から急にウイルスが拡散したりするのか?
考えるとキリが無さすぎる。
(とりあえず体勢を立て直せそうな場所……そうだ!)
がむしゃらに走っている道を再認識して、一つの逃げ場所が思い浮かぶ。
俺達が泊まっている別荘だ。あそこなら籠城もしやすい。
俺は一心不乱に別荘に向かって駆け出した。
「うぉぉぉぉぉぉ! 限界を超えろ俺の筋肉ゥ!」
「荷物を下ろしても良いんですよー!」
それはできません!
後ろを気にせず走り続けて、ついに別荘の近くまで到達した。
少し安心はしたけど、後ろから追っ手の足音が思いっきり聞こえてくる。
と、ここで俺はとんでもない事に気がついてしまった。
(今別荘の鍵持ってるのって、速水とアイだけだぁぁぁ!?)
都合よく二人の内どちらかが別荘に逃げ込んでいるという確証もない。
後ろの追っ手ゾンビ(仮)はまだいるし、完全に詰みじゃねーか。
「ウアァ……ターゲット、ロッ、クゥ」
しまった、召喚器の射程圏内に入られた。
感染しているゾンビ(仮)が手に持った召喚器が、こちらに無線接続をしてくる。
どちらだ、俺の召喚器ならソラだけ逃がせるけど……ソラの召喚器だった場合、ウイルス対策ができない。
胃の中が急激に冷えていく感覚がした。とにかく自分の召喚器に繋がる事だけを願ってしまった、その時であった。
「えっ?」
「プイ?」
一瞬、ほんの一瞬だけ俺達を守るように……大きく白い翼が広がっていた。
バサリと音を立てるかのように広がり、召喚器の接続を防いでくれたのか、俺達の召喚器はファイトモードに入っていなかった。
「エオス、トーレ?」
俺の腕の中で、無意識的にソラが呟く。
恐らくそうなのかもしれない、そう確信に至るよりも先に白い翼は跡形もなく消え去っていた。
翼に怯んだのか、ゾンビ(仮)の動きが少し止まっている。
「二人とも、こっちよ!」
瞬間、別荘の扉が開いてアイの声が聞こえてきた。
俺はすぐさま踵を返して、ソラと共に別荘の中へと避難した。
扉が閉まる音を背にして、俺はこの上なく息を切らせてしまう。
「ツルギくん、大丈夫ですか?」
「大丈夫……大丈夫……体力が、限界を超えた、だけだから」
「重くてごめんなさい。明日からご飯を減らします」
「大丈夫、重量を気にする余裕も無かったから」
とりあえず息を整えて、現状を把握する。
別荘には俺とソラ、アイと速水もいる。
なんだ、ほとんど揃ってるじゃんか。
「天川と赤翼も無事だったか」
「二人が最後ね。メッセージに既読がついてなかったから、心配してたのよ」
「あぁ、だからみんな居るのか……良かった」
スマホを確認したら、アイが別荘に逃げ込む事を提案していた。
意図せず正解を選べたらしい。
「あれ、そういえば藍と九頭竜さんは?」
「ツルギ……それなのだけど」
アイが何やら言いにくそうな様子で、目線を横に向ける。
その先に向いてみると、部屋の隅に藍と九頭竜さんがいた。
だけど様子がおかしい。あの明るさと元気の塊のような藍が、絵に描いたように落ち込んでいた。
「なにがあったんだ」
「ブイ……ギョウブが、全ての元凶だったブイ」
パタパタと飛びながら、ブイドラが俺にそう告げてきた。
ギョウブが元凶? ウイルス関連の事件で化神が黒幕になるなんてあるのか?
俺がそう考えていると、シルドラも説明にやって来た。
「我も流石に想定できなかった。あの化神、島中のタヌキを触媒にしてウイルスを拡散し続けていたようだ」
「キュップイ!? もしそれが本当なら、島に入ってから感じていた気配も納得できるっプイ」
「ギョウブは自らの身体を霧のように拡散させて、島のタヌキに入り込んでいたのだ。どういう原理か分からぬが、ウイルスと共にな」
「それなら全部説明がつくっプイ。ギョウブの気配はあるのにどこにも居なかったことも、カードはあるのに化神本体が行方不明だったことも」
シルドラの説明でカーバンクルは相当腑に落ちているらしい。
だけど俺にはイマイチわからん。それでも……ララちゃんのパートナーである化神、ギョウブが全ての元凶で間違いないという事だけは理解できた。
だけどなお前ら。ソラと速水は化神が見えないし聞こえないんだから、もう少し通訳する俺にも分かりやすく説明してくれ。
「ねぇカーバンクル、あのタヌキ仮面の人達はどうなっているのかしら?」
「キュプイ。あれはウイルス感染者っプイ。でも昨日の人達のような感じなら、多分ウイルスの本体を叩けば元に戻るはずっプイ」
「本体……つまりギョウブね」
納得しているところ悪いんだけどアイさん、化神は普通の人には見えないからね。
貴女は今何もない空間に話しかけていることに――
「あの、ツルギくん。さっきから気になっていたんですが……そこにいるカーバンクルって」
「なんて?」
「あとブイドラとシルドラも見えるんです。初めて見るモンスターも一体」
まさかソラ、化神が見えてる?
さっきエオストーレっぽいの出てきたせいで?
「天川、実は俺も見えている」
「なんて?(Part2)」
「どうも島の空黒く染まってから、徐々に見えるようになってきたんだ」
「私もです。逃げている途中で少しずつツルギくんの頭の上に……」
マジかよ、化神が騒動を起こしたせいか?
でも今は説明しやすくなったと、前向きに捉えた方がいいのかもしれない。
化神の説明をしたい気持ちはあるけど、今はそれより気になる事がある。
「なぁアイ……ララちゃんはどこだ?」
ララちゃんの名前を出した瞬間、アイは鎮痛な面持ちになった。
答えなのかもしれない、少なくとも良い状況ではない事は確かだ。
「ララは……ギョウブに身体を乗っ取られたブイ」
「は? 乗っ取られたって」
「ギョウブのやつ、ララちゃんと再会できたと思ったらッ! あの子の身体を奪ってッ! わけわからない復讐に走ったんだブイッ!」
心底悔しかったのか、ブイドラは目に涙浮かべて叫ぶように告げてくる。
化神が人間の身体を乗っ取る、そんな事があるなんて想像もしていなかった。
「ブイドラ、詳しく教えて欲しいっプイ」
カーバンクルに促され、ブイドラは隠神大社で何があったのかを教えてくれた。
同時に俺は理解した、どうして藍が落ち込んでいるのかも。
「死んだ化神の怨みって、オイラには全然わかんないブイ!」
そう苛立つブイドラを前にして思い出した。
俺は藍だけじゃなく、ブイドラにも例の施設の事を話していなかった。
どうやって説明したものか、とりあえずレポートの事は伏せてウイルスの事だけ説明するか。
「ウイルスの材料にされてたのね」
俺よりも先に口を開いたのは、ウィズであった。
「ウイルスの、材料ブイ?」
「あのウイルスはウィズ達と同じ、化神を殺して造られたものなのね……ギョウブは、ウィズと同じ施設にいた化神の一体だったのね」
曖昧な推測の言葉ではない。
今のウィズは間違いなくギョウブは施設にいた化神だと断言していた。
「ウィズもこの黒い空や、ギョウブの気配を感じて……忘れたかった記憶が蘇っちゃったのね。間違いなくギョウブは、ウイルスカードってのを造っていた施設にいた化神なのね」
そしてウィズは、重々しい様子で話を続けた。
「そして……四年前に、施設にいた人間を皆殺しにしちゃった化神なのね」
「みな……ごろし……なんで、化神が人間を殺して」
相当ショックだったのか、言葉を失ってしまうブイドラ。
正直、俺もこの展開は予想外だった。
でも改めて思い返せば、どこか納得はできてしまう。
突然消えた施設の人間、レポート用紙を染めていた黒いなにかは固まった血だったのかもしれない。
「なぁウィズ、なんでギョウブはウイルスを撒く事ができているんだ? ウイルスカードを手渡しているとは思えないけど」
「カードなんて必要ないのね。今のギョウブはウイルスそのものと同化しちゃっているのね」
「同化……それ、ギョウブは大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないから、こんな事になっているのね」
嫌な記憶を思い出しているのか、ウィズは心底苦そうな様子を浮かべている。
そしてウィズは、自身が覚えている限りの事を語ってくれた。
「ウィズはずっと施設の中で隠れていたのね。でも四年前に一体の化神が自分のカードを持ち出して、外に逃げ出す事に成功したのね」
「それが、ギョウブか」
「そのまま逃げ続ければ良かったのに、なぜかギョウブは施設に戻ってきて……悪い人間達にまた捕まってしまったのね」
ウィズ曰く、隠れていたので詳しい事は把握できていないが、魂感知の能力でギョウブの出入りは知る事ができたらしい。
「そして戻ってきたギョウブを使って、人間達はまた実験を始めたのね……でも実験は失敗して、ギョウブはウイルスと同化。怒りや憎しみに飲み込まれて暴走するギョウブが怖くて、ウィズは根の殻に包まって震えていたのね……」
「その暴走したギョウブが、施設の人間を殺したのか?」
「そうなのね。ウィズが殻の外に出た時には、全てが終わった後だったのね」
人間は跡形もなく消えてしまい、ギョウブも行方不明に。
ウィズはその後、死んだ化神達の墓守をするために施設に残り続けた。
「これがウィズが思い出せる事なのね」
「キュプ……ウイルスと同化してしまった化神、それじゃあギョウブは」
何かに気がついたのか、カーバンクルは珍しく顔を青くしている。
そんなカーバンクルに対して、ウィズはコクリ頷いて答えを出した。
「全ての生命をウイルスで飲み込むか、ウイルスごとギョウブ自身が消滅するか、どちらかしか残されていないのね」
それは事実上、ララちゃんの願いが永遠に叶わなくなるという宣告でもあった。
全てを感染させて道連れにするか、ファイトをしてギョウブを消すか。
どちらにせよ、誰かがララちゃんの友達に引導を渡さなければいけなくなってしまった。
「ウィズ、本当にどうしようもないの?」
話を聞いていたのか、塞ぎ込んでいた藍がウィズにそう問うてきた。
だけどウィズから出てくる答えに変化はない。
「あそこまで侵食していたら……そもそもが不完全な存在である化神はどうにもならないのね」
「ウィズの言う通りっプイ。化神を材料にしたウイルスと同化なんてしたら、都合よく切り離すなんて事もできないっプイ。いつものようにウイルスだけを吸い上げようにも……ギョウブ自身がウイルスになっていたら、もう不可能っプイ」
カーバンクルがウィズの言葉を肯定してしまう。
シルドラも目を伏せて、首を横に振るばかりであった。
どうしようもないという事実を突きつけられ、藍は完全に言葉を失ってしまう。
「……カーバンクル、ララちゃんとギョウブがどこにいるのかは分かるか?」
「あれだけハッキリと気配を出していたら丸わかりっプイ……もう隠す理由もないって感じもあるっプイ」
だろうな。
流石にララちゃんの身体を乗っ取るなんて、許すわけにはいかない。
それに島中の感染者を放置するわけにもいかない。
となれば、俺が憎まれ役をするしかないな。
(あれ? そういえばソラと速水は感染してないんだよな)
俺や藍、九頭竜さん、そしてアイはパートナー化神がいるからウイルスを抑制してくれていると想像がつく。
ソラは……エオストーレが何かしてくれているのかな?
速水はあの一件があったし、一度感染したから耐性でもできているのかな?
何にせよ、今この島で動けるのは俺達だけだ。
「自分でなんとかしないとだな」
俺がそう呟いて自分の召喚器を手にとると、カーバンクルは「キュップイ」と鳴いてデッキの中に戻っていく。
そして俺が立ち上がると、速水が声をかけてきた。
「天川、どこへ行く気だ?」
「ちょっと、ギョウブを止めてくる」
「お前の実力はよく理解しているつもりだが、一人で行く気か?」
「ウイルスって厄介だからな。比較的慣れてる俺が行く方が良いだろ」
そう言って扉の方へ行こうとすると、速水に肩を掴まれてしまった。
「俺も行く。感染の苦しみは十分以上に理解しているつもりだ。放ってはおけない」
「私も行きます。ツルギくんにばっかり任せていられませんから」
「……二人は分かってるだろうけど、かなり痛いぞ」
速水は当事者、ソラはあのファイトを見ている。
ウイルス戦は肉体へのダメージが発生するという危険性があるという事は知っているはずだ。
「この状態、痛みで済むなら儲けたものだろう」
「それに私達も強くなったんですよ。島の人達を助けるために頑張りたいです」
ギョウブの事は理解できているはず、それでも行くという事は……背負う事も覚悟の上と判断していいんだろう。
特にソラは、こうなると頑固だからな。
「ウィズ、貴女はどうしたいの?」
俺達の後ろでは、アイがウィズにそう問いかけていた。
数秒の間の後、意を決したようにウィズは答える。
「助けるなんて都合のいい事は言わないのね……でも、アイツのやっている事を止めないわけには、もっといかないのね!」
「そう、だったら私一緒に来なさい。できる事は全部やるわよ」
「はいなのね! アイリお姉様!」
そう言うとウィズはアイの召喚器へと入っていく。
あっちも戦う覚悟は決まったみたいだ。
残るは藍九頭竜さんなんだけど……
「藍……」
心配そうに声をかけるブイドラに、藍は俯くのみ。
その隣で九頭竜さんも彼女を心配そうに見つめていた。
「ボクは藍と一緒にいる。もしもの時に藍を守りたい」
「……分かった。藍を頼む」
無理強いなんてできる場面では絶対にない。
ましてや今回は最後の結果考えれば尚更そうなってしまう。
「じゃあ、行くぞみんな」
俺はそう言って、覚悟を胸に別荘の扉を開けて外に出た。




