異形と邂逅
俺が陰から二人を観察していると突然――二人の近くに異常な体躯の化け物が現れた。
それは巨大な肉塊だった。肉が流動的に蠢き、所々骨が突き出している。
よく見るとそれは様々な魔物や動物の手足だった。それが無数に生え、枝葉の様にその体を埋め尽くしている。
「混沌の異形……」
冷や汗を流しながら、少女がその名を呟いた。
混沌の異形――
確かあいつはあらゆる生物、魔物の肉を喰らいその一部を取り込む魔物だ。そして自分の体にその一部を生やし、異形の姿に変わっていく。
しかし、普通はあそこまでの大きさにならない。せいぜいが人と同じ程度の大きさのはずだ。
あいつは人の三倍以上はある。
はっきり言って異常だ。そして突然現れた。
俺も気がつかなかったし、少女が使っていたスキルにも引っかからなかったらしい。
あいつは明らかに何かがおかしい。
そのことは二人も感じたらしく、すぐに魔力を練って逃走に移っていた。
「逃げるぞ!」
「分かっ――」
だが、ゴーレムが少女に手を伸ばした時には既に少女は殴り飛ばされていた。
そして壁の中に消えた。
(どういうことだ……?)
俺はゴーレムの言っていた幻影層の事を思い出す。
もし、幻影層というものがこういった異常な事態が起こる場所なのだとしたら。
近づかない方が良い。
「ソフィア……ッ!」
ゴーレムは一瞬悔しそうに声を荒げたが、すぐに壁へと走っていった。
壁の中に入り込んでいく。
混沌の異形もそれに着いていった。
(おそらくあの向こうが幻影層……)
俺は迷っていた。
行くべきか否か。
あの向こうには確実に異変が待っている。
それは避けるべきリスクなのではないか。
(……いや、見ておくに越したことは無いか)
冷徹な思考を引き伸ばしの結論で誤魔化し、俺は二人の入った壁へ近づいた。
【脚力強化】と【気配隠匿】を使いつつ、慎重に壁を触る。
手が滑り込んだ。
やはりこの中に入れるようだ。
(行くか)
思い切って顔を突っ込む。
すると途方も無い魔力濃度に五感が歪む感覚がした。
(なんっ……だこれ!?)
目を凝らしよく見ると、内部の魔力濃度が桁違いであることがわかる。
濃すぎる魔力は空気中で結晶化し、輝く霧のようなものを作り出している。
だがそれだけ見れば幻想的な光景も、その実とんでもない猛毒だ。
その霧を吸い込めば一呼吸で死に至るだろう。
「ソフィア! 息するんじゃないぞ!! ちょっと待ってろ!」
歪む視界の中で、ゴーレムが混沌の異形と死闘を繰り広げているのが見えた。
ゴーレムは呼吸の必要が無い。だから彼は戦っていられるが。
呼吸ができない中で傷付いた少女は、うずくまって何とか呼吸をしないように耐えていた。
「クッ、ソ……!」
ゴーレムはすぐに少女を連れ出そうとする。だが、混沌の異形に邪魔されてしまって動けない。
もがく少女の動きが小さくなっていく。
このままでは少女は死ぬだろう。
しかし、今の俺はあいつを倒せるか怪しい。
どう考えても退くべきだ。
見知らぬ二人を見捨てる事になるが。
危険を見ておけば後で対策ができる。
今は観察に徹して――
【脚力強化】
――俺は飛び出していた。
思考を締めようとした時には既に。
(ああそうだ――俺はそういう奴だった)
こうしていつの間にか勇者になっていたんだ。
俺はウィスプに戻り、身体の炎を薄く伸ばしていく。そして部屋全体の膨大な魔力に絡ませ。
一気に吸収した。
立ち込める霧状の魔力が俺の身体一点に収束していく。
濃すぎる程の魔力が消失し、視界が開け猛毒が消えた広場の中央。
俺はそこにラットの姿で降り立った。
(これだけあれば――)
急激に己を構成する魔力濃度が上昇し、さらに煌めきを増した身体。
結晶化する程の魔力濃度は、圧縮吸収され俺に長らく感じなかった体の重みを与えた。
久しぶりの体重に高揚しながら、俺は力の具合を確認する。
(――いけるな)
突如現れた俺という異物に対し、少女とゴーレム、混沌の異形は奇異の視線を向けた。
ここまで来たら戻れない。
混沌の異形を倒し、二人には何とか見逃してもらう。
先程までは、幾重にも重ねられた混沌の異形の肉塊を貫通する術を俺は持ち合わせていなかった。
しかし、これだけの魔力量があればあの技が使える。
【縮・全霊の牙】
それは勇者だった時に編み出した技術。
通常のスキルに使う数十倍の魔力量を強引に使用し。
そのスキルでは成し得ない潜在能力を引き出す荒技。
本来、誰も使わない。
上位互換のスキルを使えばいいだけだから。桁違いの魔力消費をする必要など誰もが感じない。
だけど俺は斬ることしか出来なかったから。
それだけに全てを費やした。
【縮・脚力増強】
大地を蹴り、瞬間的に天井へ着地する。
そのまま混沌の異形の脳天に飛び出した。
強制的に過速されたスキルは。
その限界を優に越え。
速さは刹那を駆ける程に。
牙は空間を貫く程に。
速く、鋭く、異形の敵を絶命させた。
「大丈夫か?」
その魔力消費に身体の輝きは鳴りを潜め。通常のラットと変わらぬ姿になった俺は二人にそう声をかけた。