悪役令嬢。断罪裁判で弁護士と出会う
「エマ•エバンス。被告は、フランソワ•レイエスを害した罪にて、極刑に処す。何か申し開きはあるか?」
裁判長が淡々と告げる。私はただ、被告人席で下を向いて、時間が過ぎるのを待っていた。
私にはベルナルドという婚約者がいた。彼はこの国の第一王子であり、未来の王であった。私は彼のことが好きだったし。妃になるのをそれはそれは楽しみにしていた。
それなのに、彼女は突然現れた。金髪に青い目をした美しい少女フランソワ。
誰もが彼女に奪われ、恋をした。それはベルナルドも例外ではなかった。彼は彼女に夢中になり、私のことを邪険に扱うようになっていった。
彼を取られたくなくて、彼女に嫌がらせをした。そんなことしても彼が帰ってくるわけないのに。当時の私にはそのことがわからなかった。結局のところその悪行は彼に知られ、私は卒業パーティーで婚約破棄と断罪された。
ー今頃二人は結婚の相談でもしているのかしら。
「申し開きはないようだな。それではこれにて閉廷とする」
裁判官が木槌を振り上げる。
ああ、もうすぐ何もかも終わるのね。
「異議あり!」
その声は、突然法廷に響き渡った。
思わず、顔を上げ、その声がした方に振り向いた。
開いた扉のそばで、息を切らした若い男が一人。男は息をと整えてからつかつかと歩いてくる。男は警吏が止める間も無く、柵を飛び越えると、しれっとした顔で空席だった弁護人席に腰掛けた。
「貴方はここがどこだかわかっているのですか?」
後を追って、柵を越えようときた警吏を手で制し、裁判長が男に視線をやった。
「はい、分かっております。神聖であり公平なる法廷です」
「そうです。貴方はその法廷で何をしているのですか」
「私は、エマ・エバンスの弁護人です。遅れて申し訳ありません。申請書もここに」
男はそれを提出し、裁判長はそれをパラパラとめくった。
「裁判に遅れてくるなんて非常識です。もう、結論は出たでしょ。何を今更」
今まで、生あくびだけしていた検察側が、男を睨みつける。しかし男はどこ吹く風と澄ました顔でそれを見つめ返していた。
「しかし。私という弁護人が現れた以上。なんの意見も聞かずに判決を出すことは非常識だと思いませんか。公平を掲げる法廷の意思に反する」
「神聖な法廷に自分が遅れたことを棚に上げて……この場を侮辱するのですか!?」
トントンと、裁判長が木槌で机を叩く。
「確かに……。書類は本物です。よって異議を認めます。その代わり弁護側は異議の内容を手短に説明するように」
裁判長はため息をつきながら書類を検察側に回した。
私は目の前で行われている問答をただ呆然と見つめていた。弁護士……?確かに申請だけならした。だけど形式的な手続きでしかなかったはずだ。私は無罪ではない。私がフランソワを虐めていたのは事実だし。私を弁護するということは、王家に歯向かうことと同じだ。そんな負け戦、引き受けてくれる者などいないと思っていたのだが……。
「はい。では、まず、被告がフランソワ嬢を害したと言いますが、それは具体的にどのようなことでしょうか」
「今は、異議について述べる時間なのだが、貴様は裁判が初めてなのかな?えっーと、リアム・クローバくん」
リアム•クローバ。ダメだわ。名前を聞いてもわからない。
「はい。初めてなんですこの裁判が。失礼。しかしその異議を明確にするために改めて検察側からの意見を聞きたいのです」
初めて?!初めての裁判で王家に歯向かってきたのこのリアムという男は。こんな裁判を受けるなんて腕鳴らしのつもりなのか知らないが、私を庇ったというだけで今後の仕事はないものと思った方がいいわよ。弁護士なんてなるのは大変と聞くのに。そのキャリアまで捨てるのか?このバカ男は…。
「検察側は害の内容について説明してください」
検察はため息をつくと、一度はしまったいつかの証拠品をかばんから出していく。
並べられたのは破損した教科書や医師の診断書、第三者の証言をまとめ上げた紙の束。
「被告人はフランソワ嬢に酷い虐めをしていた。内容としては教科書を破ったり、中庭に呼び出して頬を叩いたり、お茶会でその所作を辱めたり……。とまぁ、そんなことだ。これらはそれを裏付けるもの」
「ふむ、それだけですか?」
「それだけとは、なんだ。これは立派な犯罪だ。器物破損、傷害、名誉毀損。初心者はそんな罪状しか知らないかな?」
ニヤニヤと笑う検察。そう、それは全て事実だ。リアムはふむ。と息を漏らす。
「それは確かに、酷い話です。しかしそれは死刑になるほどのことでしょうか」
「は?」
「失礼ながら、そこの傍聴席にいる貴方、立っていただけますか?」
指をさされた女が戸惑いながら立ち上がる。
「裁判長。そこにいる女性ですが、昨日バーで旦那さんを引っ叩いたそうです。しかもお店のビール瓶で。甲斐性なしとかなんとか……皆の前で酷い言葉を浴びせかけていたとか」
女性は真っ赤な顔をして隣にいた男を叩いた。
「な!それはこの甲斐性なしが大事な生活費を全部ギャンブルに溶かしてきたからなんだよ!!そうでもしないと怒りは収まらなかった!!」
男は項垂れたまま女に叩かれ続ける。
「ありがとうございます。では検察官。彼女も死刑ですかね。だってほら。旦那さんに対する傷害、旦那さんの購入したものの器物破損。公衆の面前での侮辱罪……」
女はびくりと震えて検察を見つめる。すると今まで項垂れていた男の目がカッと見開かれ、勢いよく立ち上がったかと思うと柵をガンと叩いた。
「バカ言っちゃいけねぇよ!そんなんで死刑になっていたら世話ねぇよ!あの叱責は俺を愛してるからこそだろ!なぁ、ハニー」
「……あんた!!惚れ直したよ」
夫婦は抱き合い、愛を囁き始めたので警吏に法廷を追い出されていった。
「ケースが違うだろ。奴らは庶民だ。この女が傷つけたのは国母となるお方だぞ。これは不敬罪でもあるのだ」
そうなのだ。フランソワはもはや王族に連なる者。そんな者の持ち物を壊したり、悪意をもって侮辱したり、ましてや手を上げては不敬どころの話ではない。彼女が望めば死刑なんて当たり前。
「ふむ、つまり。罪状を不敬罪に変えるということですか」
「……ああ、そんなのどちらでもよい」
「裁判長もそれでよろしいでしょうか。私の異議とはそれなのですが」
裁判長は検察とリアムを見比べる。
「検察側はそれでよいですか?」
「はい」
「では異議を認めます。被告、エマ•エバンスの極刑に対する罪を不敬罪に変更します。これにて閉廷」
木槌を振り上げる裁判長。まぁ、罪状が変わったところで結果は変わらないわよね。ベルナルドは大切な花嫁を傷つけた私を殺したいほど憎んでるんだから。拷問がない時点で十分酌量されてると思った方がよいかしら。
「異議あり!」
響いた声に裁判長も、シパシパと瞬きをする。誰もがポカンとリアムを見つめた。
「貴様!今度はなんなんだ!」
「検察は不敬罪が何かを簡潔に述べてください」
「は?」
検察は裁判長の方を見て、どうにかしてくれと手を広げるが、裁判長は手でそれを払う。頭を抱えたまま検察は苦虫を潰したような顔をした。
「……王族に連なる人間の尊厳や心身を傷つけたものに対する罪だ」
「じゃあ、被告の罪には当てはまりませんね」
「はぁ??」
「だってそうでしょう。フランソワ嬢はまだ、婚約者であり王家の人間ではありません。民間人として裁かれるべきです」
「バカ言え、婚約者も王家の人間として認められているんだよ」
そうなのよ。王家の婚約者には国庫の一部の使用が認められている。それは仁義を重んじる王家が婚約者となる者をすでに王家の一員として認めているからだ。私の妃教育にかかる費用もそこから出ていたしね。
「それでは、私はフランソワ•レイエスとベルナルド第一王子を不敬罪として訴えます」
「はぁ??!!」
大きな口を開けたまま、検察は首を傾げる。
傍聴席も、ざわざわと声をあげる。それは私もだ。どこまでバカなのだこの男。王家をこちらから訴えようなんて彼こそ不敬罪で首を吊られてしまう。てかもはや吊られろ。
「フランソワ嬢が明確に婚約者になったのは卒業パーティーで王子の宣言があってからです。それまでは一学生にすぎませんでした」
「だが今や王子の婚約者だ!過去のことも不敬罪には問えるのだよ。時は関係ない」
にやりと、リアムが微笑んだ。
「はい。その通りです。そしてそれ以前の婚約者はそこにいるエマ•エバンスです」
急に指差されどきりと心臓が跳ね上がる。
リアムはカバンからいくつかの書類を取りだすと、裁判長と検察に一組ずつ配った。
「これは、被告人がまだベルナルド第一王子の婚約者であった時、彼とフランソワ•レイエスが不貞行為を働いていると認めた第三者の証言をまとめたものです」
リアムは書類の一式を傍聴席にもばら撒いた。
「アー、テガスベッタ」
舞い上がったそれを、手を伸ばして受け取る傍聴席をリアムはニコニコと見つめている。警吏が止める聞かず、人々はそれを受け取った。
「そしてこっちが本来、婚約者手当の領収書の束。でもおかしいですね。この領収書。ベルナルド第一王子とフランソワ嬢が学生時代によくデェトで使っていたお店のものが多い。そしてお店の方も二人が来たことは覚えていても、被告が来たことはないと言っている。宝石店にオートクチュール洋裁店。あら、なんでしょう。ホテルの明細書もあります……。うわー!これが本当なら横領罪ですね。アー!マタテガスベッタ!!」
「貴様の手は何度滑るんだ!裁判長!異議ありです!こんなことは議論ではない。やつがやってることは法廷侮辱罪だ!」
「異議を認めます。弁護側はみだりに証拠品を第三者に渡すことは止めるように」
検察はほっとしたような顔をし、リアムは拗ねたように口を尖らせる。
証言リストは私のところにも舞い降りてきた。その名の中に見覚えがあるものがいくつかあった。私の友人たちの名前。あの卒業パーティーの日、警吏に連れて行かれる私を皆が遠巻きに眺めていた。自分の味方なんていないと思っていた。友達なんていなかったんだ。そう思っていたのに。不敬に問われかねないことなのに証言をしてくれた。そんなことが嬉しくて、鼻がつんとした。この裁判が始まって初めて涙がこぼれそうになった。
「では、傍聴席側に一つだけ質問をいたします。もし、ご自身のパートナーにこのような浮気相手が現れたらどうしますか?」
引っ叩いてやるさ!
嫌味の一つも言いたくなるね……
確かに嫌がらせもしたくなる。
あんた大変だったんだね!
そんな奴別れて正解だよ!
傍聴席にいた複数の女性が声をあげ、私に励ましの声をかける。ついに涙がこぼれて私はその場で俯いた。女性たちはすぐに警吏に追い出される。残った男たちは貧乏ゆすりをしたり視線を逸らしたり、ひたすら頷いたり……どこか罰が悪そうであった。先ほどまでゴミムシでも見るようだった視線は同情の眼差しにに変わってた。
「この裁判は陪審員制ではない。民意を味方につけても結果は変わらないぞ!」
「ええ、この裁判は事実のみが全てです。だから事実を言ったまでです。エマ•エバンスはベルナルド第一王子とフランソワ•レイエスに不敬な行為をされていた。よって私は二人を不敬罪に問います!」
「御託をペラペラと……その女が王子の婚約者だったのは過去の話だ!」
「貴方が言ったんです!過去のことも不敬に問えるのだと!!」
「屁理屈だ!」
ダンダンと、木槌が鳴る。
「静粛に。弁護側はつまり何が言いたいのですか?」
リアムは、まるで非礼を詫びるように、そして懇願するように、深々と頭を下げた。
「彼女に……エマ•エバンスに考える限りの減刑を」
裁判長は私のことをじっと見つめた。初めて目が合う。
「被告人。何かいうことはありますか」
「え……あ……」
「反省しているかと聞いているのです」
「………はい」
呆気にとられたまま答える。でもこれは本心だった。フランソワが素晴らしい女性だということはわかる。私は王子の婚約者という立場にあぐらをかき、いばり散らしていた。私が自分を磨いていれば、もっと謙虚でいれば王子は私を選んでくれたかもしれない。それなのに私は相手を陥れることでしか自分を上げて見せることしかできなかった。それはあまりにも身勝手で誇れるものではなかった。その証拠に、今日の今日まで私を助けてくれるものはいなかった。この男以外は……。え、ほんと何者なの。この人。
「被告エマ•エバンスの判決は保留。次回の審議に回す。その際には証人としてベルナルド殿下とフランソワ•レイエスの両人を召喚するように。本日はこれにて閉廷」
何度も空ぶった木槌が一際大きな音を立てた、法廷に音を立てた。
※
結論を話そう。
私は傷害罪にて貴族の地位の剥奪をされた。でもそれだけだ。私が婚約者である期間のフランソワとベルナルドの不貞行為が不敬罪と認められ、裁判長は王家の二人に賠償を命じた。死刑囚に賠償なんて、前代未聞。賠償をこちらが断ることを条件にフランソワは親告罪である侮辱罪と器物損害罪を取り下げ。傷害についてはこちらが不敬罪を取り下げるのことを条件に投獄と賠償なしでの身分剥奪で手打ちとなった。
「貴方は一体誰なの?どうして私を助けてくれたの?」
自由になった身で初めてリアムと話した。
リアムは困ったように笑う。
「やっぱり貴方は覚えていなかったか」
リアムの話によると、なんと彼は私の同級生だった。彼は平民の出でありながら私たちのような貴族や王族の通う学園にやってきた特待生だったという。その出自から言われもない非難を浴びているところに私が通りがかり、そいつらに嫌味をガツンと言ってやっていたらしい。
「相手を下げたところで自分が上がるわけないのにお世話なことね」
王子の婚約者に目をつけられたと思った彼らはリアムをそれ以来いじめなくなったという。
「僕は君の高潔さに心底救われたんだ」
目をキラキラと輝かせながらリアムは笑った。
あーあ。私自身。フランソワをいじめてたっていうのに、そんなこと言ってたんだ。とんでもなく情けなくて恥ずかしい。
「でもよかったの?私を助けて王家に歯向かって……もう貴方に弁護士の仕事はこないわよ?」
弁護士になれたということはあの学校を相当な優秀な成績で卒業したということだ。平民が資格をとるなんてこと滅多にできることではない。しかも弁護士なんて将来を約束されていたようなものなのに、私のせいで無駄にさせてしまった。
「いいんだ。あの卒業パーティーで助けられなくてごめん。あのあと急いで司法試験の勉強して滑り込みで免許とったんだ。もう目的は達成したろう!だからいいのさ」
頭が痛くなる。馬鹿と天才は紙一重。
「はぁ……私そんなたいそうな恩なんて売ってないんだけど……貴方のこと覚えてすらなかったし。そんな恩だけで助けてくれたなんて貴方とんだお人よしね」
「恩だけなもんか。俺はその時君に惚れたんだよ」
「は?」
「でも、王子の婚約者だろ?流石に高嶺の花すぎてさ。もちろん諦めてたんだけど。君、婚約破棄されてくれたから。死に物狂いで弁護士になったんだよ。ここで君を助けて恩を売っとけば僕を邪険にはできないだろう?ちょうど身分だけ平民になってくれたし。これでこれから存分にアピールできるというわけだ」
「はぁ??」
恥ずかしげもなく言って、リアムはその手を私の手に絡めた。体温が上がっていく。こんな馬鹿。決して好きではない。ただ、そんなにしれっと言われるとこっちが、恥ずかしくなってくる。
「しかし困ったな。ということで僕は無職だし、君にアピールしようにもプレゼントも買えないんだ。いっそなにか商売を始めようか」
対して悩んでそうになく、それでもうーんと唸るリアム。
ああ、馬鹿。ほんと馬鹿。
握られた手を見つめ、私はため息をついた。
私は、とんでもない奴に惚れられてしまったらしい。
おしまい