狐の国から来た子にお菓子をあげなかったので、イタズラをされて鼻血を出しました
山の葉の色が、黄色や赤に染まる秋。
長靴で砂利道を歩く。
両手で一輪車を押しながら。
農作業用の長袖の上着に、ジーンズ。
暑くもなく、寒くもない秋の日和。
稲藁の束を乗せて、ごとごとと音を立てながらのんびりと家に向かう。
14歳の秋。
狐の国から来ている同い年の留学生の可子と過ごす、最初で最後の14歳の秋。
紺色の冬服から、時々、もふもふの耳としっぽが出てしまうかわいい、かわいい可子。
将来は僕のお嫁さんにきてもらいたいと思っている。
それなのに。
春からなんの進展もない。
健全さしかない14歳。
ばあちゃんがいるとはいえ、年頃の男女が同じ屋根の下。
何か起きてもいいだろう。
不慮の事故とか。
こう、あるじゃん。
着替えとか、そういうの見ちゃうとか。
夏なら水着とか夏祭りでハプニングとか。
こう、あるじゃん。
それなのに、何もない。
予想外のガードの固さ。
まぁ、可子は育ちのいいお嬢様だから、それはそれでいいんだけどさ。
でもなぁ。
秋の紅葉が終われば、今度は雪に囲まれた冬が来る。
厚着じゃん。
冬服はもこもこで、それはそれでかわいいけど。
「うーん」
前はこんなこと考えたりしなかったんだけどなぁ。
「うーん」
長靴の音と、一輪車の音に紛らわせるように、ため息にも似た唸り声を漏らす。
がたがたと砂利道に弾む一輪車の振動を受けながら、藁の束を弾ませて、のたのたと歩いていると、どこからかカラスの声。
集団のカラスの鳴き声。
ぎゃーぎゃーとうるさい。
なんだ?
ずいぶん殺気だった鳴き声だな。
人が近づく音が聞こえると、普段なら飛んで避けていくのに。
光を浴びながら落葉がはらはらと散る林の中を覗く。何羽ものカラスが羽をひらめかせながら、ある1箇所目掛けて攻撃をしていた。
それは普段見ない執拗さで、好奇心が優った僕はこっそりと林の中へと足を踏み入れた。
ばきっ、と枝を踏んで音が出る。
でもカラスたちは逃げない。
何かおかしいと思い、さらに近づくと。
そこには小さな子どもの姿。
真っ黒いマントで身を守るようにしゃがんでいる。頭からは、真っ赤なリボンをぶら下げているが、それをカラスがくちばしで引っ張ろうと何度もつつく。
しゃがみこんだ地面には、落葉の上に置かれたカゴ。
そのカゴにもカラスが攻撃をしている。
「いたっ!」
小さな子どもが悲鳴をあげる。
「もう!やめて!やめてよ!……いたいっ!」
僕は急いで足元にあった長い枯れ枝を掴むと、カラスめがけて振り回した。
「アー!アー!」
「ギャギャッ!」
「いって!なんだ?!あっち行け!」
「アー!!」
子どもの上で枝をぶんぶんと振り回して威嚇すると、カラスたちが子どもの方から離れてカゴに向かった。
今のうちにと、子どもの後ろから腕を回して抱き上げてから、一目散に林の中から逃げ出した。
この辺りのカラス相手にケガをさせると、本当に報復される。
走っている車の前に金属片を落とすとか、どこで覚えてきたんだかわからないシャレにならんことを平気でしてくる。
ばあちゃんたちに話しておこうと思いながら、抱え上げて連れてきた子どもを一輪車の藁の束の上に乗せる。
頭にかぶさった黒マントのフードを外すと、艶やかな黒髪がさらりと出てきた。
姫カットっていうのかな。あごの辺りで段違いにカットされた髪が軽やかに揺れた。
僕を見上げる瞳は大きな黒目で、長いまつ毛が濃い影を落としていた。
「だいじょうぶ?けがしてない?」
「わかんない」
「とりあえずここから離れるから。しっかり藁につかまっててね」
こくん、と首を縦に振ったので、もう一度フードをかぶせると、僕は一輪車の持ち手を握りしめた。
「アー!アー!」
振り返ると林の方にだけ、カラスが集中して飛んでいくのが見えた。
原因はあのカゴだったのだろうか、
とにかく逃げるに限る。
僕は藁束と子どもを乗せた一輪車を、がたがたとうるさく音たてながら疾走した。
「……ご、ごめん」
家の敷地内に入ってから一輪車を停めて、藁束の上にへばりついた黒いマントをはがすと、涙目になった女の子が僕を睨みつけていた。
そりゃ、そうだ。
仕方ないよなぁ……。
カラスが怖かったからといって、無言で砂利道を走る一輪車にずっと揺られていたら怒りたくもなる。気持ち悪くなっていないだけマシだけど、それを言ったら本気で泣かれる。
「今、下におろすから、ね。はい、抱っこするよ」
「や」
「え?」
「や、れおなにさわんないで」
「ええ〜」
「ひとりで下りる」
よろよろと腕と足を伸ばして、一輪車から下りる。
けれど、足が震えていたせいか、こてん、と地面に転がって落ちた。
「だ、だいじょうぶ?」
丸くなったマントごと抱え上げると、ふわふわしたものが手に触った。
「んん?」
おしりのあたりがふわふわしてる。
抱え上げて、僕の視線より上にある子どもの顔を見ると、ふかふかの三角の耳。
狐の耳が出てる。
「……もしかして、狐の国の子?」
うるうると涙目になった小さな女の子は、ふわふわの耳を震わせて声をあげた。
「可子ねえちゃーん!!」
「……うわっ!」
耳がキーンってなったぞ!
「れ、玲於奈ちゃん?!」
抱え上げたまま振り返ると、白い割烹着を着た可子が立っていた。
料理の途中だったみたいだ。
「可子ねぇ〜ちゃあ」
「玲於奈ちゃん、どうしたの?!それにその服は?!」
「とりっくおあとりーと」
「え?」
「はぁ?」
可子と僕がびっくりした顔になったのが面白かったのか、女の子は笑い出してもう一回言った。
「とりっくおあとりーと!お菓子ちょうだい!」
話を聞いてみると、ハロウィンの仮装をして、可子にお菓子をねだりにきたらしい。
「魔女のかっこうになってね、カラスをばあぁってしたがえてくるつもりだったの」
「それで、カゴにカラス集めの実を入れてきたのね……」
「カラス集めって何?」
「ネコのまたたびみたいな。でも、狐の国のカラスは集まるくらいで済むけど、こっちのカラスは酔っ払うっていうか、ちょっとした麻薬みたいな強いものっていうか……」
「……じゃあ、あれ、酔っ払いに絡まれてたのか。どうりで攻撃的だったはずだよ……」
手を洗ってから、縁側で柿の葉のお茶を淹れて、3人並んでお茶を飲みながら話している。
お菓子は、無い。
「……お菓子、作り置きの無かったよね?」
「今、栗のおこわができたけど……」
「とりっくおあとりーと!お菓子!お菓子!」
「栗のおこわじゃ、だめ?」
「やだぁ〜!お菓子おかし!お菓子がいい〜」
「今から作るから、時間かかるよ?」
「……おかし。食べたい」
「……クッキーでもいい?」
「うん!」
嬉しそうに耳をぴこぴこと動かす玲於奈ちゃん。
ごきげんで頭を可子にすりつけているけど……藁カスがすごいついてる。
「玲於奈ちゃん、かゆくない?藁が服の中とか入ってない?」
「かゆいけど、へーき!」
「ダメでしょ!お風呂入って!」
「えー?れおな、お風呂きらーい」
「もう6歳なんだから。ちゃんとお風呂入れるでしょ?」
「やだー。可子ねえちゃん、洗って!」
「そうなると、お菓子作れないよ?」
ぷうっとほっぺをふくらます玲於奈ちゃん。
かわいい。ほっぺ、つついてみたい衝動にかられるな、これ。
「じゃあ、豊比古おにいちゃんと入る?」
可子がさらっと提案をした。
いやいやいやいや!いくら小さいとは言え、女の子とお風呂?!それはダメだろ?!
一瞬うろたえたが、それは瞬殺された。
「れおな、いやだ!可子おねえちゃんがいい!」
……ですよね。
ぷうっと膨らませたほっぺを可子にすりつけた。
「お風呂に入ってる間に、クッキーの材料揃えておくから。入ってきなよ。藁がついたままだとかゆくなっちゃうよ」
「うん。わかった。じゃあ、玲於奈ちゃん、一緒にお風呂行こうか」
「うん!」
にこにことしながら、玲於奈ちゃんが可子に抱きついた。
いいなぁ、と思ったけれど、顔には出さないようにした。つもりだ。
可子たちが風呂場へ消えてから、台所で小麦粉と砂糖とバターを用意していると、急にばあちゃんが現れた。
「うっわぁ!……あ、ばあちゃんか。びっくりした」
「なんだ。玲於奈、こっちに来たのか。向こうでいないいないって、騒いでたぞ」
「……ばあちゃん、狐の国に行ってたの?」
「ちょっと茶を飲みにな」
狐の国は遠い。
それこそ国として認識されないくらいに遠い。
それくらい遠くて、まともな地図にも載らない道を行かなければならない場所にあるのに、ばあちゃんは近所の感覚で行って帰ってくる。
この村の年寄りは、たおやかに、健やかに過ごして還暦を迎えると、お稲荷様から神通力を頂けるらしい。
そして、僕のばあちゃんが授かった神通力は、お稲荷様の偏愛が強く、誰よりも強力な行商スキルを持っている。
100キロ離れていても、5分もかからずに移動できる。
どこまで行ってもばあちゃんにとっては近所にすぎない。
ただ歩いているだけだと本人は言うけれど。
そのばあちゃんが言うのだから、本当に狐の国の方で玲於奈ちゃんがいなくなって騒ぎになっているんだろう。
「ハロウィンでお菓子をもらうために魔女の仮装をしてきたんだけど、カラスに襲われて。今、可子がお風呂に入れてる」
「カラス集めの実がなくなってたらしいが……それも玲於奈か。やれやれ、大変だわい」
「こっちのカラスには麻薬みたいなものだって言ってたけど」
「まぁ、あのカラスどもは、悪さしてたから丁度いいだろうなぁ」
「え、何。怖い」
「焼き菓子作るのか?」
「あ、うん、クッキーなら出来るから」
「それなら庭の胡桃、用意してやれよ」
「ああ、そうだね。うん、わかった」
「じゃあ。ちょっと、狐の国に行ってくるか」
「電話したら?」
居間の方に指を向ける。
ダイヤル式の黒電話が向こうにかけられるはずだけど。
「行った方が早い」
「まぁ、ばあちゃんならそうだね。いってらっしゃい」
ザルを持って振り返ると、もうばあちゃんの姿は台所には無かった。
庭の胡桃の木の下に向かう。
真っ黒い塊を長靴で踏む。
ぐちゃっと表面が崩れる。
両方の足を使って、真ん中にある固いものが出るようにちまちまと踏むと、胡桃の殻が出てくる。
木の上の実をとるよりも楽なので、毎年地面に落ちて腐るのを待ってから収穫をしている。
それを繰り返し、20個くらいの胡桃をザルに集める。
そのまま外の井戸端で、ざばざばと水洗いをして汚れを落とす。
いつもならこのまま天日で乾かすが、今日は今すぐ使うので、乾いた雑巾で拭く。
そして、焦げても構わない鍋に胡桃を入れて、ひたすら炒る。
ごりごりごり
がらがらがら
割れ目が開くまでひたすら鍋をかき混ぜる。
菜箸で、ごりごり。
鍋を振って、がらがら。
「んー。こんなもんか」
見る限りの胡桃の殻に割れ目が出てきたので、そのまま鍋に蓋をする。
そして冷めるまで放置。
待つ間に蒸し器の蓋を開けて、栗のおこわをいただく。
稲藁貰いに行ったりなんだりで、腹が空いてる。
いくつかをラップでおにぎりにする。
クッキーが出来るまで、これを食べてもらおう。
ふんわりとした餅米は、今年の米。
可子の得意なおこわは、今日も美味しい。
無心で食べていたが、風呂場の戸が開いて、ばたばたと急ぐ足音が聞こえた。
お風呂から玲於奈ちゃんがあがったのだろう。
僕は食べ終わってから、胡桃の殻を割るために必要なマイナスドライバーを探しに台所を出た。
廊下を進んで、襖が開いた部屋を通り過ぎる。
「ん?」
なんだか白いものが視界を掠めた。
戻って部屋の中をのぞくと、そこには裸の可子が立っていた。
真っ白な肌に黒い髪が映えて、その毛先の下には。
「〜〜〜〜っ!!」
目に見えたものが何なのかを理解した瞬間、僕は自分の顔の前が熱くなって、ぬらりと鼻から血が出るのを感じた。
急いで鼻に手を当てて、しゃがみこむと、背後から廊下を走ってくる足音と振動が響いた。
「豊比古、どうしたの?お腹痛いの?」
心配そうな可子の声がした。
「え?」
鼻を押さえながら顔を上げると、髪を結んだ浴衣姿の可子がいた。
あれ?浴衣着てる。
虚な視線で部屋の中に顔を向けると、そこには両手を横に下ろしたまま、裸で立っている可子がいた。
しゃがんでいるから、今度は見上げる形になった。
新たな衝撃が僕の心と体を襲う。
「…………!」
鼻を強く摘んで、目を固くつぶって、下を向いたら、ぽたぽたと床に血が落ちる音が聞こえた。
その上、しっかりと可子の裸は記憶に残ってしまい、目を閉じても状況は変わらないことに気づいた。
そんな混乱の中にいる僕の頭上で、廊下側にいる可子の悲鳴が轟いた。
「玲於奈ちゃん!変化を解きなさい!だめ!早く!」
「…………」
「お菓子あげないからっ!」
「やだぁ!!」
ふわっと風が部屋の方から届いた。
目をもう一度開けると、そこには小さな裸の男の子が立っていた。
僕が小さい頃に着ていた水色の浴衣を着た玲於奈ちゃん……正しくは、玲於奈くんが、べそべそと泣きながら栗のおこわのおにぎりを食べている。
その姿を見ながら、まだ怒っているのは台所に立つ可子だ。
「玲於奈ちゃん、変化するならもう一緒にお風呂に入らないからね!」
「やだぁ……。ごめんなさい。可子ねえちゃ」
姫カットといい、まつ毛の長い大きな目といい、女の子にしか見えない。
なんでも狐の国では格式ある御本家が玲於奈くんのおうちで、子どもが7歳になるまでは女の子の姿で育てるらしい。
玲於奈という名前も、ノーベル賞受賞者である玲於奈氏と同じで、獅子のように強い男に育って欲しいという願いを込めて名付けられたらしい。
そして、御本家の中でも先祖返りと呼ばれる力が強い玲於奈くんは、見たことのある相手になら変化することができる。
ただし、まだ子どもで未熟なため、自分の声を出してしまうと解ける。
つまり、玲於奈くんは、一緒にお風呂に入った可子に変化して、「とりっくおあとりーと」を実行したのだった。
被害が甚大なイタズラだったけど。
鼻にティッシュを詰めている僕の間抜けな姿は、まぁ、まだいい。
玲於奈くんが帰ってからの可子との生活が怖い。
思い出して鼻血を出したりなんだりする恐れもあるし、何より可子からの冷たい視線と態度が怖い。
進展がないなと嘆いていたちょっと前の僕をぶん殴って沼に沈めてやりたい。
こんな進展は望んでいなかったし、思っていた以上に僕の中での耐性が低すぎた。
ガードの固い可子で、本当によかったと今は思っている。
苦しい呼吸に耐えながら、胡桃の殻の割れ目にマイナスドライバーの先を差し込み、ぱきっと音を立てて殻が開く。
竹串で中の実を掻き出す。それをボウルに溜めてから、冷たい視線の可子に渡す。
可子はそれをクッキーの生地に混ぜようとボウルを傾けたが、いつの間に来たのか、ばあちゃんが胡桃の中に黒胡麻を足していた。
「胡麻の風味もいいぞ」
「わぁっ!びっくりした!おばあちゃん、いつ来たの?」
「なぁに。今だよ」
なんでもないことのように、飄々と答えた。
そして、可子と一緒になってクッキーの生地を伸ばして型抜きを始める。
僕はその間に電気オーブンのスイッチを入れて、泣いている玲於奈くんのためにほうじ茶と胡桃にハチミツをかけたオマケを用意した。
刺激は強かったけど、まぁ、その。いい仕事してくれたからね。玲於奈くん。
ぐすぐすと泣きながら、狐の耳としっぽを出したまま、お茶と胡桃のオマケを食べ終わった頃、ほわほわと甘い匂いが台所に満ちてきた。
「……いいにおい」
「今度は、電話してからおいでよ。その方がお菓子を早く食べられるよ」
「……うん」
「ハロウィンじゃなくても大丈夫だから、今度は大人の人と一緒においで」
「……うん」
可子に怒られている男同士、何かの絆が芽生えたような気がする。台所の端っこで、玲於奈くんと僕は、おとなしくクッキーが焼きあがるのをじっと待っていた。
夕陽の柔らかな色を障子越しに浴びながら、玲於奈くんはようやくご要望の胡桃入りクッキーを食べていた。
「おいしい!」
「そう、よかった。お土産分もあるからね」
「ありがとう!おねえちゃん、大好き〜」
にこにことクッキーの食べかすを口の周りにつけながら、玲於奈くんが言った。
浴衣の上に可子のパステルカラーのカーディガンを羽織って食べる姿はやっぱり可愛い女の子だった。
「玲於奈くんは、7歳になったら男の子の服を着るのかぁ。こんなに女の子っぽいのになぁ」
ほっぺについた食べかすをとってあげる。
つやつやでぷくぷくのほっぺだ。
「れおな、お父さんにそっくりなの。小さい時のお父さんの顔が今のれおなとおんなじなの」
「へぇ。じゃあ大きくなったら玲於奈くんはお父さんみたいになるのかな?」
「うん!そして可子ねえちゃんをおよめさんにするの!」
おい?ちょっと待て。
聞き捨てならないこと言ったな?
まさか、可子は、玲於奈くんと結婚の約束してないよな?子どもの口約束とか、安易にしちゃダメだぞ?
不安になって、玲於奈くんと反対側のテーブルに座る可子の方を向くと、急に頬を染めて、みるみると真っ赤な顔になった。
んん?何か、その顔、見たことあるぞ。
何回か僕といい雰囲気になった時にその顔を見せてたよね?
嫌な予感がして、玲於奈くんの方に視線を戻すと、そこにはカーディガンを肩に軽く羽織って、胸元をはだけさせている美少年が座っていた。
「……可子、玲於奈くんは何に変化したの?」
「……玲於奈くんのお父さんが、高校生くらいの時、かな」
そう言って可子は甘いため息を吐いた。
「可子?」
「……かっこいい」
「可子?!」
「可子おねぇちゃんの初恋の人だもんね、お父さん」
ふわっと風が舞う。
振り返ると、子どもの姿に戻った玲於奈くん。
そして、それを抱える美しい大人の男の人。
「お父さん!」
「玲於奈、勝手にこっちに来ちゃダメだろ。
ご迷惑おかけしました」
「あ、いえ」
「可子、世話になったな。わざわざ焼き菓子をありがとう」
「……いえ、そんな。あ、これ、お土産分です」
「えー?!れおな、まだ帰らない!」
「そうかそうか、ほら、もうひとつ食べろ。うまいか?」
「うん、おいしい……」
もぐもぐと玲於奈くんが口を動かして、最後のひと口を残して飲み込んだ途端に、寝息をたてて眠り始めた。
「玲於奈くん?」
「さっき、混ぜた黒胡麻が効いたのぅ」
「ばあちゃん?!びっくりした!」
「玲於奈はいつも可子がいると帰らないからな。ちょっとお婆さまに助けてもらった」
「これ、僕たちも食べて大丈夫なの?」
「心配ない。狐の子どもにしか効かないからなぁ、まぁ、豊比古くらいならちょっといつもよりよく眠れるくらいだな」
「ふぅん……」
僕がばあちゃんと話している間に、頬を染めたままの可子がクッキーをラッピングした袋を玲於奈くんのお父さんに渡している。
羽織に着流し姿の玲於奈くんのお父さんは、軽く頭を下げるとそのまま帰っていった。
「……ばあちゃん、玲於奈くんのお父さんって」
「御本家の当主様だな。確か歳は28だったかのぉ?可子が玲於奈くらいの時にべったりくっついてたのをよく見たぞ」
ふぇっふぇっと楽しそうに笑うばあちゃん。
いや、全然楽しくない話なんだけど。
可子の初恋の相手で14歳年上の既婚者と、可子をお嫁さんにもらいたい8歳年下の美少年の卵。
どっちも嫌だ……!
その上、僕は鼻血出した奴と分かる状態だったし。
泣ける。
そっと鼻に詰めたティッシュを外し、飲みかけのお茶をすする。
玲於奈くんのお父さんが消えた玄関先から戻ってきた可子は、まだ夢の中にいるような顔をしている。
むっとした。
「トリック オア トリート!」
座ったまま大きな声で叫ぶと、可子はびっくりしたようにこっちを向いた。
もう一度大きな声で。
「トリック オア トリート!」
僕が叫ぶと、可子は少し迷ってから最後のクッキーを手にとると、僕の口に差し向けた。
「はい、あーんして」
「ん」
無言で口を開けて、もぐもぐと咀嚼する。
甘い。
そして胡桃と胡麻の香りが鼻腔をくすぐる。
「イタズラの方がよかった?」
「別に」
ぷんっ、とふくれて顔をそらす。
可子がくすくすと笑う声が、耳元で聞こえた。
「じゃあ、トリック オア トリート」
「お菓子、もうないよ」
「じゃあ、イタズラね」
そう言って可子は僕の唇に、柔らかな指先を添えてじっと見つめた。
「え」
唇の表面だけをなぞる指先。
ぶわっと顔が火照る。
指が動き、可子の顔が近づく。
「………!」
ぎゅっ、と鼻をつままれた。
「また、鼻血出てるよ」
そう言って、つり目がちの大きな目を三日月のようにして笑う可子。
「〜〜〜っ、ティッシュとって!」
「はい、どうぞ」
その後、妙にご機嫌な可子に膝枕されて、鼻血が止まるまで時間がかかった。
もうハロウィンに便乗したりしない。
そう強く思った14歳の秋だった。
(*´Д`*)狐の国の子2人からいたずらされましたね!
余裕こいてた14歳の春の短編はこちら。
『狐の耳としっぽのかわいい君をお嫁にもらいたいから筍料理もおぼえます』
(https://ncode.syosetu.com/n1258hp/)
初恋に浮かれてるだけの話です。(*´ー`*)