06
一週間の馬車の旅。
用意された馬車は、さすがは公爵家の所有する馬車と称賛できるほどに、居心地の良いものだった。
ふかふかのソファ。
揺れも少ない。
宿泊先も、立ち寄った町や村で最高ランクの宿である。
とはいえ、辺境の村へと向かう道。
日が経つにつれ、整備が行き届いていない道を通る回数が増え、その度に体全体が上下に揺れる。
「ミュリエル、大丈夫かい? 酔ったりはしていないかい?」
「大丈夫です、お父様。この程度であれば、まったく問題ありません」
そんな環境でも、ミュリエルは笑顔を崩さなかった。
前世のミュリエルは、劣悪な環境で生きてきた。
隣の部屋の音が響く、壁の薄い安アパート。
虫は遠慮なく部屋に入り、隙間風も日常茶飯事。
あげく、死ぬ直前は牢屋の中だ。
そんなミュリエルにとって、この程度の不快さは、なんでもない。
「そろそろ到着致します」
馬車を操る御者の声に、ミュリエルは窓から顔を出す。
リーバリ村だったはずの場所が見えてきた。
道の先にある、全壊半壊の家々と、村全体を囲んでいただろう柵の残りかす。
村の中には、兵たちが走り回っている。
村人と思しき人間は、ミュリエルの目では確認できない。
ミュリエルは、思わず口を手で覆う。
「ミュリエル? 平気か?」
「ええ、大丈夫です……お父様」
覆われた手の中で、ミュリエルは笑っていた。
「お疲れ様です」
到着した馬車から降りたバラッシとミュリエルの迎えたのは、リーバリ村を管轄におく兵長である。
まずはバラッシに美しい敬礼を示し、同行してきたミュリエルに一瞬驚いた表情を向けたが、すぐにミュリエルにも美しい敬礼を披露した。
「こちらです」
兵長に案内されるまま、バラッシとミュリエルは村の中を歩く。
村の中には兵たちが待機するためのテントが多数張られている。
「状況は?」
歩きながら、バラッシが兵長へと問いかける。
「は! 村の建物はすべて破壊され、金品の類も奪われていました」
「金銭目的の盗賊の仕業か?」
「その可能性もありますが、リーバリ村は裕福な村ではありません。村一つ潰す労力に見合う金銭を得られるかというと……」
「単純に、盗賊たちが知らなかっただけか。あるいは、別の目的があったのか」
「目的については、目下調査中です」
「そうか。それで、生き残った村人は?」
三人は一つのテントの前に到着した。
兵長は会話を中断し、入り口を開いた。
テントの中には、三人の兵と、机が一つ。
バラッシが入ってきたことに気づいた兵たちは動きを止め、敬礼をする。
「ああ、すまない。仕事を続けてくれ」
兵長は、机の上に置かれた紙の束を手に取り、バラッシへと渡す。
紙には、村人の名前がずらりと並び、名前の横にはバツマークが書かれていた。
「村人のリストです。バツがついているのが……」
「亡くなった村人たちか」
既に、七割以上の村人にバツがつけられている。
残りの三割も、無事だというわけではなく、不確定というだけだ。
村の中では、死体の転がる位置や死体の大きさから、粛々と死者の特定が今も進んでいる。
「断定はできませんが、おそらく……全滅かと」
「そうか……」
バラッシは、哀しそうな瞳で、リストを見る。
バラッシにとっては、家族でも友人でもなんでもない名前の羅列。
しかし、バラッシの領民たちだ。
バラッシの心がずきずきと痛む。
「お父様! 私にも見せてください」
机の高さに届かない身長で、ミュリエルが言う。
「ミュリエル、これはおもちゃでは」
「わかってます! 亡くなった方たちの一覧ですよね? 亡くなった民は、私の家族も同様。その名を、私の目に刻み付け、弔いたいのです。せめて、安らかに眠れるように」
バラッシハ、ミュリエルの伸ばす手に、紙の束を渡した。
ミュリエルは、受け取った紙を先頭から末尾まで、嘗めるように見始めた。
探しているのは、主人公の名。
(ジェリー・ブルー。ジェリー・ブルー。ジェリー・ブルー)
つまり、主人公の死の確信。
(アンドレ・ブルー……違う。ヘレナ・ブルー……違う。ジャン・ブルー……違う)
ミュリエルの目は――。
(ジェリー・ブルー……あった!)
主人公の名を捕らえた。
ごくりと息を飲み、視線を名の左側へとスライドしていく。
バツマークがついていた。
(死んでる)
それは、死亡確定を示すマーク。
(死んでる死んでる死んでる!!)
必死に奥歯を強く噛み、表情を面に出さない。
必死に笑いをかみ殺す。
無理がたたったのか、笑みの代わりに、涙がこぼれてきた
「ミュリエル! どうしたんだい!?」
突然涙を流すミュリエルを、バラッシが心配そうにのぞき込む。
「……いえ。……なんだか、哀しくなってしまって」
ミュリエルの目から落ちた涙が一滴、ジェリー・ブルーの名にあたり、その名をにじませた。
(やった……! これで私は……ミュリエルは、幸せになれる!)
リーバリ村襲撃事件。
調査は継続されたが、犯人はついぞわからずじまい。
バラッシは王国より、管理体制の甘さを指摘されて多少の罰を負ったが、それだけだ。
事件の詳細は本となってまとめられ、王宮図書館に仕舞われて、歴史の一部へと溶け込んでいった。




