05
ミュリエルは、興奮のあまり破顔を隠せなかった。
「ミュ、ミュリエル様……。その……、何か良いことでもあったんですか?」
「いいえ、何でもありません。驚かせてしまってごめんなさいね」
使用人から指摘されれば、一時的にはいつもの表情に戻るが、数分後にはまた崩れてしまう。
今夜は、リーバリ村を滅ぼす当日。
ヨハネは、スロバリン家で過ごした長い期間で、国内外に広い伝手を手に入れていた。
そのうちの一つが、エオーリエ盗賊団。
貴族とは、時に手を血で染める。
スロバリン家もまた、歴史を遡れば非合法な仕事を請け負う交渉人との繋がりがあった。
ヨハネはスロバリン家の王女直属の執事という立場を利用し、交渉人と接触し、リーバリ村を滅ぼす手はずを整えた。
決して、スロバリン家からの依頼だと判明しないよう、交渉人から何重という組織を介してエオーリエ盗賊団へ依頼が届く。
何重という組織を介することで相応の金が動くことにはなるが、無欲なヨハネには手付かずの給金も残っていたし、ミュリエルの小遣いという補助もあった。
「お父様! ヨハネと私でね、お父様のために準備したの!」
「おお、なんて美しい絵なんだ! ありがとう、私の愛するミュリエル! そしてヨハネ!」
金の動きをカモフラージュするため、ミュリエルは同時期、著名な芸術家へ絵画の作成を依頼していた。
絵画の価格は、言い値で決まる。
多額の金が動いても、それを理由に誤魔化せる。
取引自体はヨハネが行った。
バラッシは、スロバリン家当主として大金が動いたことは把握していたが、具体的な絵画の金額はヨハネによって握りつぶされた。
(ああ……待ち遠しい……)
夜、ミュリエルは自室で体を震わせる。
手筈通りであれば、今頃はリーバリ村に襲撃がかけられている日だ。
(早く報告が聞きたい……)
ミュリエルの住むスロバリン家からリーバリ村までは、馬車で一週間ほどかかる。
緊急伝令時に使用される速馬を使えば、四日というところだろう。
夜が明け、兵がリーバリ村の異変に気付き、王城へ連絡が届くのが五日後。
王家から公爵家へと連絡されるのが、当日か、翌日か。
(~~~~~~!!)
ミュリエルは、もんもんとした感情を抱きながら過ごしていた。
布団の中に潜り込んで、全身を震わせる。
一つは歓喜。
破滅する運命から解放される未来への歓喜。
一つは恐怖。
万一にも、主人公が襲撃を免れ、スロバリン家の仕業だと判明し、自分の身が破滅する恐怖。
(早く……早く早く早く早く早く早く)
ミュリエルは、ただ祈った。
そして、襲撃日から一週間後。
ミュリエルが起床し、部屋の外へと出てみると、家の中がざわざわとしていることに気づいた。
(来た……!!)
ミュリエルは辺りを見回し、ヨハネの姿を探すも見当たらない。
普段であれば、ミュリエルの起床に合わせて部屋の前に待機しているはずが、見当たらない。
その事実が、異常事態が起きていることをミュリエルに確信させた。
はやる気持ちを必死に押し込んで、努めて冷静な表情で廊下を歩く。
パタパタと足音がする方へと向かい、廊下を速足で歩く使用人の一人に声をかける。
「ねえ」
「あ、ミュ、ミュリエル様。お早う御座います」
「なんだか家の中が騒がしいのですが、何かあったのですか?」
「いえ……その……」
「? なんですか?」
「村が、盗賊に襲われたようで」
「まあ……」
ミュリエルは、咄嗟に口元を両手で押さえる。
目を閉じて、小刻みに体を震わせる。
にやけ顔を見せない様に、口元を両手で押さえる。
笑いを必死にこらえて、小刻みに体を震わせる。
待ちに待った日が、来たのだから、笑わずにはいられなかった。
が、事情を知らない使用人の目には、ミュリエルの振る舞いは村が襲われたことを悲しむ一人の少女にしか見えない。
使用人は、目に映るミュリエルの気持ちを投影し、悲しそうな表情になった。
ミュリエルは使用人と別れ、一目散に父の元へ向かった。
「お父様!!」
「ミュリエル?」
突然部屋に入ってきたミュリエルに、バラッシは目を丸くして驚いた。
バラッシの部屋にはバラッシの他に、奥方のユリア、執事のヨハネ、そして数人の使用人が立っていた。
「あ、あの……先程使用人の方から、村が襲われたと聞いて」
「ああ、そうだ。私は今から、その件でリーバリへと向かうところだ」
リーバリ村は、スロバリン公爵領の一つだ。
リーバリ村には、若い男性を中心とした青年団が存在し、村の治安を守っていた。
そして、リーバリ村から離れた場所に監視台が立ち、監視台にはスロバリン公爵家の雇った兵が常駐している。
兵が定期的に村を訪れる、あるいは手に負えない事件が起きた場合に青年団が監視台を訪れることになっている。
リーバリ村が襲われた件については、既に監視台の最高責任者である兵長が調査を開始している。
小さな事件であれば、バラッシは兵長から届く情報を自宅で待つのみである。
が、村一つを消滅させられたとなれば話は変わる。
村とは、領にとっての収入源、財産だ。
村一つ消滅させる行為は、公爵家の力を落とす行為であり、宣戦布告ともとれてしまう。
そのためバラッシは公爵領の最高責任者として、領地に仇名すものを許さぬという姿勢を示すこともかねて、直接にリーバリ村へ向かうことを決めた。
片道一週間の旅を前に、バラッシは使用人に多くの指示を飛ばし、準備を急ぐ。
ミュリエルの口は、自然に動いていた。
「私も一緒にに行かせてください!」
部屋にいる全員の動きが止まる。
数人、何を言っているんだと言わんばかりの視線をミュリエルにぶつける。
「いけません! まだ周囲に、盗賊団がいるかもしれない危険な場所なんですよ!」
ユリアが、真っ先に声を荒げた。
母として、ミュリエルの行動を止めるのは、とても自然なことだろう。
「大丈夫です、お母様。お父様も一緒ですし、我がスロバリン家の優秀な兵たちが護衛してくださるのでしょう?」
ミュリエルは、窓の方をちらりと見る。
窓の外からは、出発の準備をしている兵たちのザワザワとした声が入り込んでくる。
「そうですが、決して安全な旅とは……」
「お願いします、お母様! 将来、領を継ぐ者として、私は行かなければならないと思っているのです! 我が領の一大事を前に、家に籠ってなどいられません!」
「うぅ……」
部屋の中の使用人たちは、ミュリエルの領への想いに、未来の領主としての振る舞いに、感銘を受けていた。
つい先日まで、ただの我がまま娘だったのが、こうも変わるのかと驚いた。
ユリアもまた同様の想いで、ミュリエルを現地へ行かせることはミュリエル自身の成長にもつながると考えた。
一方で、親心という感情が、ミュリエルの身の安全を考えて引き留めようともしていた。
結果、ユリアは視線をバラッシへと向ける。
バラッシは、しばし苦虫を嚙み潰したような表情をしていたが――。
「……わかった。急いで、準備するように」
「ありがとうございます! お父様!」
ミュリエル自身の、成長をとった。
「ヨハネ、準備するから手伝って! 後、ラウネも呼んでくれる?」
嬉しそうに部屋を出ていくミュリエルの後姿を見ながら、リーバリ村の背景を知るヨハネの心は曇っていた。