04
「この御恩、生涯忘れることは御座いません。貴方と、貴方の家族を、永劫守らせてください」
若き日のヨハネは誓った。
スロバリン家当主、バラッシ・スロバリンに対して、永遠の従属を。
以降、ヨハネは使用人としてスロバリン家に仕え、ミュリエルが生まれてからは専属執事の地位を与えられた。
「こんなお願い、父様にもできない……。ヨハネ、お前だけが頼りなんだ……!」
ミュリエルの願いを前に、ヨハネの口は動かない。
言葉が出る代わりに、体中から汗が噴き出て、左胸ポケットのハンカチで額を拭う。
拭っても拭っても、汗は止まらない。
ミュリエルの死。
それが事実であれば、ヨハネには人生をかけて回避する選択肢しかなかった。
バラッシに、誓ったのだから。
エドナ王国において、誓いは重い意味を持つ。
誓いを破った場合の処遇は、法で定められてこそいないが、世間の目が代わりに裁く。
誓いを破る嘘吐き。
信用に値しない人間。
いつでも裏切る愚者。
あらゆるレッテルが貼られ、まともな職に就けなくなる。
職がなくなれば収入が途絶え、生きるために盗賊やならず者へと転落し、兵に捕まり投獄される者も少なくない。
そして民衆は、牢獄に向かって叫ぶ。
ほらやっぱり、誓いを破るやつは、悪事に手を染める愚者だったと。
数世代にわたって、一族ごと後ろ指をさされるのだ。
なにより、誓いを破ったという自責の念が、永劫呪いのように纏わりつくことになるだろう。
誓いは絶対。
破ることは許されない。
だが、そのうえでなお、ヨハネは即答をしかねていた。
何故なら今回、誓いを守ることは、リーバリ村の少女を殺すこと、即ちヨハネが罪人となることと同義だったからだ。
如何に公爵家のためとはいえ、殺す相手が平民だとはいえ、殺人は罪。
もしもヨハネが罪人となれば、投獄あるいは死罪が確定し、スロバリン家に仕えることはできなくなる。
誓いを、守ることはできなくなる。
ミュリエルの提示した願いは、いずれにせよヨハネの身を破滅へ導く二択だったのだ。
コチコチと、時計の音だけが部屋に響く。
何も発せずに固まるヨハネを、ミュリエルはしばらくの間、楽しそうに眺めていた。
コチ。
コチ。
コチ。
時計の音が部屋に響く。
突然、ミュリエルが後ろに跳んで、ヨハネから離れた。
ミュリエルはそのままベッドへと戻り、再び足を組んで座った。
「わかる、わかるぜヨハネ。お前が今、何を考えているのか」
「……っ」
「私を守ったら即破滅、守らなくてもいずれ破滅。どのみち誓いは守れないってとこだろう」
ミュリエルは、自身の提示した二択が、ヨハネの身を破滅へ導く二択であることなど知っていた。
知っていたからこそ、きちんと用意もしていた。
破滅フラグをへし折る、三つ目の選択肢を。
「だが安心しろ。私が生きて、お前も破滅せずに済む、ウルトラCの方法がある」
「そ、それは……」
本来なら両手を上げて喜ぶほど甘美な囁きではあったが、今のミュリエルの前では、どんな毒が出てくるかわからない。
ヨハネはごくりと息を飲み、ミュリエルの言葉を待った。
「バレなきゃいんだよ」
「…………はい?」
「消しちまおう。一人消しただけだと足がつくから、村ごと全部。リーバリ村は小せえ村だ。村人全員殺すのも難しくねえだろう」
「……ミュリ」
「罪ってのは、バレて初めて罪になるもんだ。目撃者がいなきゃ、誰も罪に問われることはねえ」
「……ミュリエル様」
「あんな辺境の地だ。ごたごたに気づいた王国の兵が駆けつけるのも、相当な時間がかかるはず。その間にとんずらしちまえば」
「ミュリエル様!!」
ミュリエルの口から出る悪意に耐え切れなくなったヨハネは、思わず叫ぶ。
主人が口を開いている最中に、叫び、言葉を遮るなど、使用人としては愚行。
それでも、叫ばざるを得なかった。
言葉を遮られたミュリエルは、不機嫌そうにヨハネを睨みつける。
「なんだよ、最高の提案じゃねえか」
「そ……それのどこが……」
「あ? 私の命は守られて、お前の誓いも守られる。代償は、たかだか数百人の平民の命。お買い得すぎてお釣りが来るだろう」
「す、数百人の……命ですよ……」
「平民の命だ」
貴族の命と平民の命。
同じ、一つの命。
しかし、時代によっては明確に区別される、命。
「なあヨハネ、こんなこと、いくらでもあったんだよ」
「…………」
「時の権力者が不都合な真実を消すために、疫病に見せかけて村一つ地図から消したり、戦争を仕掛けて他国を滅ぼしたり、歴史上いくらでもあった」
ミュリエルの言葉は事実である。
平民の中ではまことしやかに。
貴族の中では暗黙の了解として。
歴史上、何度も起きてきた大量虐殺という事実。
平民出身で、現在は公爵家の中にいるヨハネもまた、うっすらと知る事実。
ただし、今までと違うのは、時の権力者が王国にとって不都合な真実を消すための行動ではなく、公爵家の齢八歳の女の子が自分の命を守るための行動であるということ。
「大丈夫、大丈夫だヨハネ。バレやしない」
王国の歴史上、私欲のために人を消した貴族は、裁かれてきた。
もっとも、所業がバレた貴族に限定されるが。
「誰も、あんな小さな村が襲われるなんて思ってねえ。襲われたと分かっても、調査なんてろくに行われるわけがねえ。誰の利益にもなんねえ」
バレなければ罪ではない。
貴族なら誰もが知っている常識。
リーベル村はエドナ王国において、農業的にも産業的にもまったく重要ではない村。
ただただ、辺境に存在するだけの村。
ジェリー・ブルーという才能を生み出す以外、ゲーム上で役割が与えられていない村。
所業がバレる可能性が、小さい村。
「一緒に、幸福な人生を歩もうぜ? ヨハネ」
言葉はいつしかすり替わった。
ミュリエルが破滅フラグを回避する行動から、ミュリエルとヨハネが幸福な人生を歩むための行動へと。