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ヘレナが収監所に通い始めて、半年が経った。
「やあ、今日もよろしく!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
収監所の兵たちとはすっかり仲良くなり、今やヘレナを知らない者はいない。
ヘレナは今日もたんたんと仕事をこなしていく。
容疑者の口を開かせ、真実を語らせる。
時間はあっという間にすぎていく。
「今日も助かったよ。お疲れさん」
「はい、お疲れ様です。…………あの」
いつもであれば、仕事を終えたヘレナは帰るのみであるが、今日は違う。
周囲を警戒し、一人の兵と声を潜めて会話する。
「ああ、わかってる。……だが、バレたら本当にまずいんだ。本当に少しだけだからな」
「はい」
ヘレナと兵は、収監所の奥を目指す。
収監所は、いくつかのエリアに分かれている。
平民の容疑者が収監されているエリア。
平民の軽犯罪者が収監されているエリア。
平民の重犯罪者が収監されているエリア。
貴族の軽犯罪者が収監されているエリア。
そして、貴族の重犯罪者が収監されているエリア。
貴族の重犯罪とは、国家転覆をたくらんだり、殺人を犯そうとしたり、税を着服したり、国に対して大きな不利益をもたらすこと。
「お久しぶりです、ダドリー様」
「…………お前か」
牢の中から、ダドリー・ウェルビオは力なく応じる。
囚人用の服を着て、髪はぼさぼさで髭も伸び、かつてのきらびやかな雰囲気はどこにもない。
ヘレナが収監所で働き始めた理由は、もちろん金を稼ぐ意味もあったが、一番はダドリーとの接触である。
ヘレナは一時的に収監所で働く身でしかなく、収監所の中を自在に移動する権限を持っていない。
まして、貴族の収監されたエリアに入ることができるのは、収監所で働く兵の中でも、一握りだ。
エリアの移動には、貴族の収監されたエリアに入る権限を持った兵の協力が不可欠。
ヘレナは収監所に来てからずっと、兵たちと積極的に交流し、収監所の人間関係を把握してきた。
そのうえで、一人の兵に近づいた。
ヘレナの身の上話で同情を誘い、一度でもダドリーと話せないかと交渉した。
最初は渋っていた兵も、ヘレナの粘りに根負けし、少しだけならと承諾した。
「三分だ。それ以上は無理だ」
兵の言葉に、ヘレナは軽く頭を下げ、ダドリーへと向き直る。
時間はない。
「ダドリー様、単刀直入に申し上げます。貴方に、私の神聖魔法を一度使わせてください」
「……俺に? 何を吐かせる気だ?」
「ミュリエル様との一件です」
ミュリエルの名が出た瞬間、ダドリーが目を見開く。
虚ろだった目は一瞬で充血して赤く染まり、ふらふらと牢の鉄格子の前まで移動し、両手で鉄格子を握りしめる。
「そうだ……! あの女のせいで……! 俺は! 俺は!!」
「私は、真実を知りたいのです」
ヘレナは真実を知りたかった。
裁きの場で、ダドリーがミュリエルに教唆されたと言ったことが真実か否か、自分の耳で確認したかった。
ミュリエルを疑っているから、ではない。
ミュリエルを信じているからこそ、信じたいからこそ。
ミュリエルに会うたびに起こる頭痛と悪夢を、拭い去りたかったのだ。
「もしも私に協力していただけるのであれば、もしもあなたが本当に潔白なのであれば、私から貴方の潔白をアダム様へとお伝えします。……もちろん、ことが全て済んだ後になりますが」
「できるのかよ? 貴族に真実を吐かせる魔法なんて使ったと知られりゃあ、お前もタダでは済まねえぞ?」
「……失礼ながら、ダドリー様は元貴族です。貴族たちの暗黙のルールにはあてはまりません」
元貴族、という言葉を聞いた瞬間、ダドリーの表情が憎々しそうにゆがんだ。
現実を改めて言葉にされることで、ダドリーのぐちゃぐちゃに歪んだプライドがさらに歪む。
が、同時に、貴族でなくなったことで自身の身の潔白が証明されよう事実に、皮肉を感じて笑った。
「は……ははは……。はははははははは! つまんねぇ詭弁だな!!」
もちろん、元貴族になったから神聖魔法を使っても構わない、なんてのは詭弁である。
事実、元貴族であるはずのダドリーが収監されているのは、貴族用のエリアだ。
爵位を失えど、貴族の特権がすべて失われたわけではない。
それもまた、暗黙のルール。
しかし、詭弁は状況次第で、正論となる。
勝てば官軍。
勝てば正義。
ミュリエルが開くとして断罪されれば、あるいはヘレナの行動は詭弁の名の元、正当化される。
「いいだろう! 使え! これで、ミュリエルのやつに一泡吹かせられるんなら、痛くもかゆくもねえ!」
「……失礼します」
ヘレナは、大きく深呼吸をする。
これから自分が開く扉から何が出てくるのか、全身が恐怖で震える。
「答えなさい、ダドリー・ウェルビオ。貴方が裁きの場で述べたこと……ミュリエル様に教唆されて犯行に及んだということは事実ですか?」
「事実だ」
ヘレナの頭の中で、何かがバチンとはじけた。
家中の明かりがすべて消え、突然真っ暗な世界に放り込まれた感覚がヘレナを襲った。
「……ありがとうございます、ダドリー様」
ヘレナはダドリーに向かって頭を下げた。
「他に何か聞きたいことはねえのか? 何でも答えるぜ。今だけは無礼講だ」
ダドリーの目に、光が戻る。
「……期待してるぜ。ミュリエルが、ここに来るのをな」
ダドリーは不気味な笑顔で、自分がいる牢内の床を指差した。
ダドリーの言葉に甘え、ヘレナはさらに質問を重ねた。
(ミュリエル様は、私を殺そうとしていた)
結果、ヘレナの頭に、優しく笑顔で接してきたミュリエルの姿が何度も浮かび、何度も消えた。