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「お早う御座います、アダム様」
「おはよう、ミュリエル」
三年生になっても、ミュリエルはアダムエンドに向けて手を抜かない。
アダムと接する時間をきちんと作り、ゲーム上のイベントがあれば消化してきた。
「アダム様、今週末に、王都で感謝祭があるそうですね」
「ああ。民たちが豊作を神に感謝するための祭りらしいな」
「よろしければ、私たちも行ってみませんか?」
ゲームでは三年生になると、どの攻略対象のエンドになるかが分岐するイベントはほとんどなくなり、特定の攻略対象の好感度をあげるイベントが占める。
二つか三つほど、大きく好感度を落としてしまう選択肢も用意されているが、回避は難しくない。
基本的には出来レース。
また、特定の攻略対象とのイベントが増えることで、攻略対象の本音がより見えてきてくる場面でもある。
ミュリエルが誘っているのは、アダムが実は庶民の料理が好きだと判明するイベントだ。
二年生までの間も、アダムと主人公が庶民の食べ物を口にするシーンは会ったが、アダムが庶民の食べ物が好きだと口にしたのは三年生の感謝祭イベントが初めてだった。
王族としてのイメージと乖離し、嫌われることを覚悟で言ったアダムは、なにも気にしない主人公にさらに惹かれるのだ。
「ミュリエル、君がこういう祭りに興味があるとは知らなかったよ。あまり、庶民的なことをしていない印象だったから」
「ふふふ、庶民的も貴族的もありませんよ。すべて、誰かの努力によって作られた、素晴らしいものです」
「そうか……。いや、そうだな」
授業を終えたミュリエルは、いつも通り闘技場へと向かう。
服を着替え、準備運動がてら、掌の上に金属魔法で金属の塊を作る。
「調子は、悪くなさそうですね」
そして、闘技場にて兵と対峙する。
「今日も、よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします、ミュリエル様。では、始めましょう。まずは剣から」
真剣を握った兵が、まっすぐミュリエルの方へと走ってくる。
ミュリエルは兵の足元から金属の柱を次々と生やし、動きを止めようとするが、兵は左右へと跳んで柱を躱す。
走る速度が落ちることはない。
(まだ、止めらんねえか……。私が魔法を作る速度より、むこうの反射神経の方が上ってことか)
次にミュリエルは、自身と兵の間に高い壁を作り出した。
壁によって、兵の姿が隠れて見えなくなる。
壁の左からくるか、右からくるか、ミュリエルは視線で左右を確認する。
が、視界の中にさっきまで存在しなかった影を確認し、とっさに上を見る。
兵が、壁を上り終え、飛び降りてくるところだった。
(ツルッツルの壁作ったはずだぞ!? どうやって上ったんだよ!!)
ミュリエルは自身を金属の膜で包み、兵の剣を受け止めた。
キイン、と衝突音が鳴り響くと同時に、金属の膜を変形させて、小さな柱を生やして兵の腹部へ撃ち込む。
「ぐぅ……!?」
兵の鎧がべコリと凹み、兵の体は後ろへと吹き飛んだ。
吹き飛んだ兵は空中でくるくると回転し、空中で態勢を立て直し、着地と同時に再びミュリエルへ突っ込んだ。
キイン。
キイン。
兵からの斬撃は、すべてミュリエルの金属の膜に阻まれる。
「……今!」
疲労によって僅かに兵の体勢が崩れたタイミングで、ミュリエルは大きく腕を振る。
腕の周りを覆う金属の膜が膨張し、ミュリエルの腕を何倍にも太く大きくする。
兵は咄嗟に防御のため剣を構えるが、衝撃の大きさに、そのまま後方へと飛ばされ、ひっくり返った。
「ふう」
ミュリエルは一息つき、闘技場内を見渡していると、訓練を終えただろうヘレナと目が合う。
「お疲れ様です、ヘレナさん。今日はもう終わりですか?」
「はい、今日はここまでにしようと思います。ミュリエル様は、まだ続けるのですか?」
「ええ。もう少しだけ」
ひっくり返された兵が起き上がり、武器を交換する。
剣にも、槍にも、弓にも、もちろん拳にも、あらゆる武器に対応するためのミュリエルの特別コース。
ミュリエルと兵は、再び対峙する。
(足りねえ……。ああ、こんなんじゃ全然足りねえ……)
ミュリエルの心は、やる気に満ちていた。
自身が訓練する理由を――ヘレナの姿を見たから。
ゲームでのアダムエンドで、ミュリエルはアダムとジェリーの二人と対峙する。
アダムの魔法は炎魔法。
ジェリーの魔法は神聖魔法、『人間の潜在能力を開花させる』魔法。
ジェリーという足手まといを守りながら、潜在能力を開花させたアダムに、ミュリエルは負けたのだ。
では万が一、現代でそれが再現されたらどうなるか。
ミュリエルの所業が明るみになり、アダムエンドに似た展開へ進んだらどうなるか。
潜在能力を開花させていないアダム、そして『言葉を人間の思考にねじ込む』魔法を使う文武両道のヘレナ。
ミュリエルは、この二人を相手どらなければならない。
いや、潜在能力を開花させていないアダムならばまだいい。
ゲームや漫画にありがちな主人公補正で、アダムが能力を開花させる可能性も充分にある。
ゲームに出現しないイレギュラーな最強キャラであるヘレナと、潜在能力を開花させたアダムのタッグ。
ミュリエルは、万に一つも勝ち目はないと考えていた。
だから、ミュリエルは自身を鍛える。
このまま何事もなく卒業し、アダムと結婚できれば最善だが、万が一の場合にも、暴力によって破滅を回避できるように。
(ヘレナめ……)
闘技場を後にするヘレナの後姿を目で追う。
(頼むから、余計な真似はしてくれるなよ……?)
ミュリエルは恐れていた。
ヘレナの一挙一動を。
騎士団に入るのは何のためだ。
エオーリオ盗賊団を追うのは何のためだ。
収監所に通うのは何のためだ。
もちろん表向きは、リーバリ村の事件の復讐に帰結する。
しかしミュリエルは、『ヘレナが、ミュリエルが黒幕である疑いを払拭しておらず、証拠を集めている』という想像を捨てきることができなかった。
ここがゲームの世界であり、ミュリエルが悪役令嬢である以上、世界はミュリエルに都合悪く進むのだから。