簒奪者の戦い②
「出不精の引き篭もりが! 何が目的だダイモン!」
「久しぶりに月の光を浴びに来ただけだよ。僕らには散歩する権利すらないのかい?」
ダイモンと呼ばれた異形は不敵な笑みを浮かべながら、下半身から無数に生えた触手をベルハイムに向けて伸ばす。
「やっぱ犯罪者つーのは嘘しかはかないらしい! 犯罪者なら権利なんていらないよな!」
ベルハイムは槍のように先端が尖った触手をいなしつつ、ダイモンとの距離を詰めようとする。しかし、処理しきれない数の触手が全方位から襲いかかり、漏れなく吹き飛ばされる。
流剛鋼の鎧のお陰で傷を負うことは無かったが、地面に叩きつけられた衝撃で肺が潰れそうになる。
(くそ、焦りすぎだ……)
上手く受け身を取れたため骨折は無かったものの、動けなくなればそれこそやつの思うつぼだ。相手は伝説を生きる怪物。能力の全容がはっきり分かっていないからと言って勝負を急ぎすぎている。もっと冷静に、確実に勝利に向けて駒を動かすべきだ。そんな考えを巡らせながら立ち上がろうとしたところに、容赦なく触手の攻撃がベルハイムに襲いかかる。
「くそっ! 舐めんな!」
身体に纏う流剛鋼を下腹部から一部切り出し、それを剣状に変形させる。その剣を握り締めると触手に向けて思い切り振り上げる。触手は切断され、ボトリと地面に落ちた。
(こうなったら……)
ベルハイムは鎧から流剛鋼を分離させて衛星のように複数浮かべた後に、再びダイモンに向かって走り出す。今度は襲いかかる触手を、手に持った剣と刃状に変形させた衛星で一本一本確実に切り落としながら歩を進める。
「へぇ、なるほどねぇ」
一連の流れを見てダイモンは少し感心したような表情を見せる。
液体を操るとは言え、鎧に変形した流剛鋼を身体の動きに合わせて操っているわけではない。誰も針の穴に糸を通そうとしながらダンスを踊るなんて芸当ができないように、液体の緻密な操作を行いながら戦うなど不可能だからだ。
ではどうしているのかというと、流剛鋼を任意の形に変更した後は、一度その形に固定することにより鎧は鎧として、剣は剣として生成され、魔術により複雑な操作をせずとも扱える武器になるというタネだ。浮遊する鉄の板や衛星などは、単純な動作を予めインプットしておけばフルオートで動く。
あらゆる場面に柔軟にかつ迅速に対応できるように数年かけて編み出した戦法だ。通用しない相手など今まで数えるほどしか対峙してこなかった。ただ、数百年を生きる怪物ならこの程度お見通しということらしい。
「限られた魔術回路でうまくやりくりするなら最も合理的な手段だ。ただ、そのやり方にはデメリットがある」
ダイモンは傍らの屍人たちを触手で掴むと次々とベルハイムに向けてそれを投擲する。
「一つは君自身の限界。いくら魔術のアシストで鎧や剣を軽量化してるとはいえ身体能力が上がっているわけじゃないだろ?」
飛んでくる屍人をできる限り衛星で撃ち落とすが、全て迎撃出来るわけではない。衛星の刃の防衛陣をすり抜けてきた屍人はベルハイム自身で対応しなければならない。その上、数秒で再生する触手の猛攻にも対処しなければならないので一瞬たりとも油断できない状況だ。
「くっ、正々堂々! 一対一で! 戦えっつっても! 無駄なんだろうな!」
ベルハイムは触手と屍人を切り裂きながら声を荒げる。そんな様子をダイモンは憐れむように眺めている。
「君は強い。研鑽すればまだまだ強くなれる。だが、今回ばかりは相性が悪かったね」
ベルハイムはその言葉を聞いて激昂はしなかったものの、苛つきで意識が散漫になる。その隙が命取りだった。
「ほら、また足元がお留守」
ベルハイムはまた一匹屍人を斬り伏せた後、右足を踏み出し前進しようとしたが、何かに右足首を掴まれたような感覚を覚える。反射的に右足を見ると、地面から生えた触手が足首に巻き付いていた。
「しまっ……!」
気付いた時にはベルハイムの脇腹を触手が貫いていた。後悔する間もない、刹那に近い一瞬の間の中での出来事だった。
「もう一つのデメリットは、流剛鋼を攻撃に割くと装甲が薄くなって防御力が下がること。あ、これも君自身の限界か。戦闘技術のね」
ベルハイムの身体は触手によりそのまま宙に持ち上げられ、村がある方向に投げ飛ばされる。投げ飛ばされた先には家屋があり、ベルハイムの身体が叩きつけられるとけたたましい音を立てて倒壊する。
「あ…… が……」
しばらくした後、ベルハイムは飛びそうになる意識をなんとか繋ぎ止めながら上体を起こそうとする。しかし、腹に力を入れると傷口から激痛が走り、動くこともままならない。
「ああ…… クソ……」
とりあえず傷口に流剛鋼を集中させて、止血を図る。焼け石に水かもしれないが、何もしないよりはマシだ。
「行かないと……」
周囲から悲鳴が聞こえる。今こうして倒れている間にも、無辜の人々の命が屍人共の毒牙によって侵されている。早く立ち上がり殺さなければ。一刻も早く悪意の権化たる存在をこの世から消さなければ。そんな思いが先行するばかりで身体は追従しない。
「こちらミオン。状況の報告をお願いします」
唐突に耳元から淡白な声が聞こえる。宙に浮く小さな“穴”から聞こえてくる声であった。ベルハイムは喫驚するでもなく少し苛つきながらその声に応える。
「こちらベルハイム。ちょっとばかし予想はしてたが『暴掠』がいた。目的は不明」
少し考え込んでいたのだろう。少々の沈黙の後、再び声が聞こえてくる。
「負傷はしていますか。負傷しているなら撤退してください」
「……ああ!?」
ベルハイムは青筋を立てながら声を荒げる。
「ふざけんな! このまま尻尾巻いて逃げ帰れっていうのか! 俺はまだ戦えるぞ!」
穴の向こうからはっきりとため息が聞こえてくる。
「負傷しているんですね。いつも言っているはずです。あなたの意志は優先されません。最悪の事態は魔術の亡失です。撤退してください」
ベルハイムはギリリと奥歯を噛み締める。生き残って帰還したところで待っているのは、村人を助けられなかったという罪悪感と仲間からの冷たい目だ。おめおめと帰るくらいなら死んだほうがマシだ。
「近くに村がある。村人が襲われてる。それも見過ごせと?」
死ぬことに恐怖心はない。小さい頃から何度も死地は乗り越えてきた。死ぬことよりもっと恐いのは、何も為さずに直人として老いていくことだ。
「これは命令です。私の指示はジェネシスゼロの指示と捉えてください。従わなければ軍務違反になります」
“穴”から感情など欠片も読み取れない声が流れてくる。
「あなたの代わりは幾らでもいる。しかし、その力は数千、いや数万人の命を代価にしても釣り合わない。それくらい分かっていますよね?」
ヒーローになりたいわけでもない。富や権力を手に入れてちやほやされたいわけでもない。
この世に偏在する悪意を、平穏に生きたい人々が気づかないまま死ねる。そんな世界を創る。それが自分の生まれた意味だ。そう思い込んで生きてきた。
「分かってるよ!」
ベルハイムは無理やり絞り出した声で“穴”に応えると、剣を杖代わりに立ち上がろうとする。
「分かってるさ。俺は弱え。けどよ! 弱者は抗う権利すらないのかよ! お前らがどれだけ崇高な理念や野望を持ってるかは知らねぇが、俺だって夢の途中にいる!」
足に力を入れようとする度に傷口に阻害される。あまりの激痛に思わず膝をつく。
「決めたんだ。もう逃げないって。誓ったんだ。あいつに。ここでまた逃げたら、今度こそ戻れなくなる。それは死んだも同然だ!」
夢を追うには生きなければならない。生きるためには死ねない。なら、答えは一つだ。ベルハイムは獣のような呻吟と血を口から吐き出しながら立ち上がる。
「……あなた、一体何を! やめなさい! 違反行……」
耳元の煩わしい“穴”を掌で覆い握り潰すと、ベルハイムはよろけながら歩き始める。意識が研ぎ澄まされたことで訪れる静謐な世界は、自分一人しかいないのではないかと錯覚するほど穏やかだった。
「死ぬくらいなら賭けるぜ。いや、死んでも賭けないといけねぇ」