愚者の居場所③
「これは違う。これは…… ハリドクダミか」
夕日が沈みかけ、闇が支配を始める頃。アルカは火の神力石が放つぼんやりとした光を頼りに、料理に使えそうな山菜や香草を集めていた。
かれこれ三年も山に引きこもり、使えそうな野草を摘んで料理の開発をしたり旅の行商人に売りつけていたのだ。食べられる野草、炒めるとうまい野草、食べられるが腹を下す野草、食べたら全身の穴という穴から汁が吹き出し死にそうになる野草の区別はつく。
「こんなもんか」
持ってきた籠の三分の二程が埋まったため、水辺に移動する。そのまま籠に入っていた野草を取り出し土を水で洗い流す。流石に冬本番ではないが水が冷たい。
(あかぎれになる……)
手先に意識を集中させると冷たさを感じる。何か別のことを考えよう。そうも思ったが今日一日の出来事がフラッシュバックしてきたため、諦めて気合で耐えることにした。
「はぁ……」
ため息が自然に漏れる。遠くからミブカラスの鳴声が聞こえる。
母親であるエクレアがああなったのは約三年半前だ。もともと不治の病に侵されているのは聞かされていたが、病状が急激に悪化した。それと同時にまるで悪魔でも乗り移ったのかのように性格が変わった。
ある日突然、家に居るだけで暴言を吐かれ頬うちを食らった。当時十一歳だったアルカにはどうしていいか分からず外に逃げることしかできなかった。
母親はこの村ではない他所から来た自分たちの素性や過去を一切他人に明かすことはなかった。唯一村長が税徴で家に訪れ世間話をする程度で、隣人や村の人々との接触は最低限だった。
世話になる親戚も居ない親子二人暮らし。素性も分からない訳あり親子と親しくしようとする者などいるはずもない。アルカと母のエクレアの二人ぼっち。
だが、当時は全く気にしていなかった。母さえいてくれればいいと思っていたからだ。母は料理が上手いし、似顔絵やチャームを拵えプレゼントすると泣きながら抱きしめてくれる。今の生活以上に幸せはない。そう考えていた。
その為、行く宛もなく彷徨う。やがて、夜も更け腹の虫が喚き出した頃、耐えきれず家へ戻る。しかし鍵が掛かっていて中に入ることは出来なかった。何度叩いても開くことのないドア。何度呼んでも出てこない母。
人生で初めて味わった絶望。その味は嫌いだったクロピーマンより苦く、水飴と間違って舐めて泣いたトロルカラシより辛く、胃がひっくり返りそうな味だった。
その後はよく覚えていない。泣き疲れて、歩き疲れて、意識がなくなって。気づけば村長が住む家のソファーで無造作に寝かされていた。母親との別居生活が始まりの日だ。
「よし」
全ての野草を洗い終わり布に包んだ後、籠に戻すと伸びをしながら立ち上がる。
(明日は何作ろ)
半年は母と合うことはなかった。しばらく村長の家に居候して帰ることはなかった。だがある日、母が血を吐いて倒れているという近隣の住人から通報があり村長と共に恐る恐る顔を見せる。半年ぶりに見た母の顔は、別人と見違える程老けていた。
その時に実感した。人は愛する者だろうとそうでなかろうと、いづれ死ぬということを。
「明日は食べてくれるといいけどなぁ……」
その日から母の家に毎日慰問を兼ねて訪問した。どれだけ雨が降っていても、どれだけ物を投げられようと、どれだけ心身共に擦り減っても、通い続けた。
村長の家にあった薬草や山菜、きのこの本を読み漁り、役に立ちそうな野草を探して山に籠もった。
野草を売り、少しずつお金を貯め色々なものを買った。果物。卵。肉。調理器具。家庭菜園の本。野菜や花の種。園芸用のシャベル。果ては村長からタダ同然で買った空き家。全ては母の為に。
人生の全てを費やした。時間。金。努力。気力。集中力。
村長は見るに見兼ねて、王都の孤児院や神術が使えなくても入れる寮制の学校を勧めてきた。しかし、その提案は一晩と考える間もなく断った。
今更辛いなどとは思わない。今更救われたいとも思わない。だが、一番欲しいものは今も昔も変わらない。
「さてと……」
東の方では一番星が早々に顔を覗かせている。もうすぐ完全に日が落ちる。早々に家に帰らなければ。冷え切った手を擦りながら地面の籠を持ち上げようとした。
その時だった。
「うわっ!」
地面が大きく揺れる。爆音が遠くで轟く。アルカは何事かと思わず身を低くする。
数秒の間、まんじりともせず様子を伺っていたがその間も小さな振動と震える空気を感じていた。
「な、何?」
恐る恐る立ち上がり辺りを見渡す。相変わらず夕闇が空を支配していたが、南の方を見ると異様な光景が目に飛び込んできた。
「えっ!?」
燃えた木々や家屋が宙を舞っていた。しばらく眺めているとそれらは自重により落下する。地響きが起こるたび空に有り得ない物体が飛び、落ちてゆく。
理解が追いつかず、少しの間棒立ちで動くことができなかった。しかし、それらが発生浮いて落ちて行く先を察したと同時に、身体が動いた。
「あっちって…… 村の方向だ!」