愚者の居場所②
「いい加減にして! あんたが作った料理なんて要らないって何度も言ってるでしょ!」
部屋の中にヒステリックな怒声がこだまする。その怒声の主はベッドから弱々しく上体を上げる女性だった。
女は決して強くない喉で大声を出したせいか、大きく咳き込む。
少女は少し震えた声で、その女に語りかける。
「……ねえ、お医者さんから言われてるでしょ。ちゃんと食べないと病気良くならないよ。栄養ちゃんと考えて作ったの。本見て美味しく作ったの。だから……」
「誰が作ってくれって頼んだの!?」
枯れ気味の声で少女に怒鳴りつける。少女は持っていた籠の持ち手をギュッと握りしめる。
「アルカ、あんたも分かってるでしょ。もうこの病気は治らないって。あんたがやってることは無意味なことなの。もう私に構わないで」
アルカと呼ばれた少女は息をつまらせながら言い返す。
「でも、ほっとくわけにはいかないよ。ね、お願い。スープだけでもお腹に入れて」
「だから、要らないって言ってるでしょ! 余計なお世……」
声を荒らげたため、途中でまた大きく咳き込む。その拍子に掛け布団のシーツの上に血がまだらに飛び散った。
「お母さん!」
アルカは思わずベッドに駆け寄り背中を擦ろうとする。だが、アルカが母と呼ぶその女はその手を振り払った。
「触らないで!」
払い除けた衝撃でアルカが持っていた籠が手から離れる。そしてかごに入っていた料理が不快な音を立てながら床にぶち撒けられた。
「あ……」
床に広がるスープの染み。ぐちゃぐちゃになったキッシュ。土くれのように床にへばり付くパイ。気まずい沈黙の間、無惨な姿になった料理たちを眺めることしか出来なかった。
「出てってよ……」
女は震えた声で言い放つ。アルカは籠を拾い上げると、息を押し殺しながら玄関に向かう。
「ごめんね」
一言そう言うと、アルカは足早に部屋から退出した。そしてそのままその足でどこへ行くわけでもなく歩を進める。とにかく、先程までいた場所から距離を取る。そうしないと、説明できない何かが爆発してどうにかなってしまいそうだったからだ。
「ふー! ふー!」
アルカの目の端から涙が滲み出る。何の涙かは分からないが俯きながら歩いていると自然と湧き上がってくるのだった。
「見て、あの子また来てる」
「やーねあんな見窄らしい格好で。親は何してるのかしら」
「ネグレクトってやつ? 学校にも行かせてないって」
周りからヒソヒソと声が聞こえてくる。アルカは聞こえないふりをしながら、ずっと地面を見ながら歩いていると、行く路を遮る影があった。涙を拭いながら顔をあげると眉間に皺を寄せた、難しい顔をした老人が立っていた。
「また母さんのところに行ってきたのか」
怒っている様子ではないようだが、言葉の端々にどこか呆れを感じさせるような語り口だった。アルカは咄嗟に笑顔を取り繕う。
「こんにちは村長さん。今日はおいしいスープができたから届けに来たの」
「そうか、母さんは元気だったか?」
「はい、とっても。食は細いみたいだけど……」
村長は言い淀むアルカを尻目に何も入ってない空の籠に目を落とす。何かを言いかけたが、一つため息をつくと腕を組む。
「それならよかった。そういや…… 北の池の辺に香草のドトリハーブがたくさん生えとったぞ」
「ホントですか? ちょうど切れてて困ってたんです。取りに行ってみます」
アルカは一礼すると早歩きで北の池がある方角へ向かう。村長はその姿を見送りながらアルカの母親の住む家へと向かう。
「全く、健気な子だ。家族の縁てのはそう簡単には切れないか…… まあ、そうだろうな」
しばらく歩を進めるとやけに整った庭が見えてきた。プランターに植えられた白い花は手入れが行き届いており、葉に瑞々しく付いた水滴が夕日を反射させていた。
「何を考えとるんだか」
村長はそうぼやきながら、庭を通り抜けドアをノックする。
「エクレアいるか? 入るぞ」
ドアを開けると、女の啜り泣く声が聞こえてきた。村長は薄暗い部屋を進みその声の主の元へと歩み寄る。そこには肩を震わせながらむせび泣くアルカの母親がいた。
そして床にはアルカが作ったであろう料理が原型など分からないくらいに散乱していた。
「……なあ、教えてくれエクレア。なぜあの子の側に居てやらない。なぜあの子を遠ざけようとする。お前さんは一体……」
村長は顔を顰めて尋ねる。しかし、エクレアと呼ばれたその女が応えることは無かった。
涙を零しながら、一心不乱に床に散らばった料理とも呼べない残骸を手づかみで食べていたのだ。
「ごめんね…… こんなお母さんで、ごめんね……」
西日が差し込む窓辺には、下手くそな絵が飾られていた。