第1巻第2部第2節その17 「ミチユキ」
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ザクザクザクと荒い砂礫の道をゆく。
ほとんど、いや、かすかな勾配しかなく、
これが重力の中心、大地の根源からの上昇であることを示す
ほんの僅かの印さえない。
にもかかわらず、足取りは重い。
あたかも、新しい、未知の諸力、なにか途方もなくひねくれた
不可知の力線がすべての足首にからみつくようなのだ。
これではどちらが引かれ者なのか、まるで逆ではなかろうか、
と、バラバラの足首どもがそれぞれ支える、
それぞれの頭が、それぞれに考えているようだ。
しかし、何事にも例外はある。
ただ一人、ひどく軽やかに、楽しげに、さらにはリズミカルにさえ、
歌うように足を運ぶ男がある。
男は荒縄を肩にかけ右腕一本で箱車を引いている。
左手には先端に螺旋を描く銀色の杖、
さらにその上には雲雀が一羽、
言わずと知れた老巡礼、
自称無限遍歴修行僧(ジショウ・ムゲン・ヘンレキ・シュウ・ギョウ・ソウ)、
アゥーレーン・グロウフォード殿である。
縄は急角度で箱車に繋がり時折前輪を空転させるほどの力の入りよう、
中の小娘はその都度あおのけに、のけぞる形となりいつも気になる空の様子がコマ切れではあるが目に入るのはかなり嬉しいらしい。
すべては常識外れの男の長身がなせるワザなのだが、なかば意図してなのか、偶然なのか、それはわからない。(いやいや、縄が短すぎるのだから腰の高さで引けばよいだけの話ではある)
箱には普段使っていた藁布団が敷かれ背中には中身の正体不明な革袋のクッション?が3つ4つ
ぞんざいに放り込まれて背もたれの替わりともなっている。
素直に伸ばされた素足の先、時々弾むように打ち合っている白い親指の先には、まだ1メルデンほどの空間があり、さらにその先、黒い前板壁に沿うように例の木箱が鎮座している。が、蓋はなく、中身もない。
ガタガタと震えながら真の主を探しているのかといえばそうでもない。
とすればこれは歓喜の身震いの類なのだろうか、
そうとも言える、
なぜならば、肝心の内容物、保管対象たる真の主はちゃっかりと
アトゥーラの腹の上、臍の下あたりに抱かれていたからである。
数時間前と同じように包帯の左手に支えられ、柔らかい下腹に押し付けられているからである。
そして今、アトゥーラの目にはその首が銀色に輝いて見えている。
口元はやはり皮肉な曲線を描き今にもその短い牙を剥き出しそうだが
なぜか小娘の右手がそっと押さえている。血も泥も一切見えず生まれたてのような美しさである。切り口には丁寧に油紙がまかれている。
「ねえ、バスポラ、これって二度目よねえ」
狼の首は満足そうに目を閉じ澄ましている。娘はかまわず続ける。
「もうそろそろ目ぇあけてもいいのよ」
やはり無言。
「いるんでしょ、なんとか言いなさいよ、で、あっちでふんぞってるのは、そうねえ、アタシの感じでは、そう、ペームダーでしょ」
片目の小娘はちょっと顔を顰めながら先導する杖の尖端を見上げた。
雲雀は約45度の角度で空を見上げながら、その実、地上の(すなわちメメズどもの)動きは何一つ見逃さない、あの二重視界の平常態勢なのである。いつのまにか引き綱は
腰帯真後ろに結ばれごく平静に、のどかな牽引状態へと落ち着いている。
ドナドナはそうやって腰の力だけで車を引き、空いた右手で顎髭をしごきながら辺りの風景をなにか物珍しげに見渡す風。
そう、ゆったりのどやかに、北の尾根に向かう春の野の小道は
見渡す限りの地上の青い星、無限のネモフィラどもがきらめく
なにやら魔法めいてゆらめき、ゆるやかに波打つ
緑の絨毯を貫いてゆくのである。※1
*
「なあ、俺おもうんだがよお、あいつは絶対あたまがおかしいよな、」
アサトス・バオグレームが呟いた。
「おれにいわすとだな、あの巡礼もあたまがどうかしているな、」
隣で足を引き摺っているローハードも頷く。
その後ろでは従士デ・グリームが
この男だけが完全武装ではなく略式だが正装の平服、
腰には小刀を一本さしているだけなのだが、
二人の肩越しにアトゥーラの小さな後ろ頭を
時に左右を見回し
空を見上げ
うつむいてはブンブンかぶりをふっている
そんな後ろ姿に見入っている。
「あ、あれは、ぞ、そ、そだな、女王様みたく落ち着いてるな、」
「どうせさっきみたくちびってるはずさ、」
「いよいよってまではわからんぞ、」
デ・グリームは首を傾げる。
「ぞ、ぞがな、そ、そは見えんぞ、」
「しかしなんだってこんな足が重いんだ、へッグズの泥沼かよ、」
「脳みそが御花畑になりそうだぜ、」
*
柔らかな風がときおり頬をなぜる。
ミツバチの羽音が通奏低音に
どこからか
きれぎれに
ツツドリの声。
そして何故か聞き慣れたテンニンウグイスの
網目模様に乱れた声が
野面を渡り、ひろがり、すぼまっては
またチリヂリとなる。
あらゆる声が寿いでいる。
なにを?
えいえんを?
ミツバチが一匹、
アトゥーラの鼻先にぶつかりそうになり
あわてていびつな輪をえがく。
自身の目眩そのままに
中途半端な宙返りを打ちつつ
よろよろ離脱してゆく(いっとき太陽を見失ったのか)
そしてアトゥーラの右目には涙が浮かんでいた。
ー なぜ泣く? ー
ドナドナの声が響く
引き綱を伝い、ホルキスを伝い、届くのだろうか
ー 泣いてない ー
ー そのシズクはなんだ? ー
ー わかんない あの青い花を見てると自然に出た ー
ー ほう、ではもらうぞ ー
頬から目元をそっと撫ぜてゆく指がある
細く 長い よく知ってる指だ
しかし右目は乾かない
ー あの花も一日だけ咲いて終わるのね ー
ー そう、だが無限に続く いのちとはそういうものだ ー
ー いのちは無限なの? ー
ー 無限 ではない ー
ー じゃ、じゃあ、光と風は? ー
ー 光も風も無限ではない ー
ー じゃあ なにが無限なの? ー
ー 無限なんぞ存在せん ー
ー ねえ ドナドナ あなたは無限でしょ ー
ー そうじゃのう ー
ー ちゃんと答えて! ー
ー 無限じゃな ー
ー うそっぽい ー
ー 聞いといてなんじゃ、ふむ そう、
ワシは無限じゃ ー
ー そっかあ ま いいか ー
ー おいおい、おまえら、いいのか、もうすぐ着くんだぞ
とくにアトゥーラ、おまえ、心の準備はできてるのか? ー
ポッ ポッ ポウ とツツドリが鳴く
ー こころの準備ってなによ、つうか、あんた、いいかげん目ぇあけなさいよ ー
ー やだね、おれは死んでるんだ、首だけなんだ、お目々パチクリではマズイだろが ー
ー なにテイサイしてんのよ だれも見てないわよ ー
ー いいや、これでいい
それに目ぇつぶってるほうがおまえのなかがよくわかる ー
ー な、なかってなによ ー
ー えきたいとそれにちかいもののすべての動きだな、ただ心の臓の響きがでかすぎてなかなかむずかしい、まさに爆音だな、だからここはじっくりききとるにはちょうどいい場所なんだ、せんさいなながれもなんとかききとれる ー
口元の曲線がにんまりと歪む
ー ちょっとまって、あんたまさかまた ー
ー さあさあ、せまってきたぞ、いよいよだぞ、さっきおれがいったように じっくりとあじわってみろ、ことばで想像してるだけとはわけがちがうぞ ー
ー あ、あたしだってさっき首だけになったもん ー
ー あれは結果首一つが残っただけのこと、いきなり刀で切り飛ばされるのとは全然訳が違う ー
ー い、いたかったの? ー
ー いたいさ、だがこれ以上はいえん ー
ー ケチ! ー
ー おまえがえらんだ運命だ
だが、どうした、こわくなったか? ー
ー そ、そりゃあこわいわ、でも ー
ー でもなんだ? ー
ー でももうどっちでもいいの ー
アトゥーラは右手を離し箱車の縁をつかむ。
すこし揺れたのである。
小道は右にカーヴしてゆく。
先頭のギドン、すぐ後ろにウェスタ、
そしてエイブをはじめ副官たちが続く。
総勢20名にも満たないささやかな葬列、いな、行列である。※2
*
「そんなことを言っとるのか、注文の多い奴だな、」
ギドンはちらりと振り返り隊列の最後尾の一団を確かめる。
もっとも目立っているのはやはりこの世の物とも思えぬ長身の老巡礼、
時折その非常識に長い手足を振り回し何か歌っているようにも見える。
足取りは実に軽く今にも踊りだしそうだ。長い裳裾の割れ目から
白く長く美しい足がチラリと覗くのはほとんど場違い、
いな、あり得ないほど冒瀆的な、むしろ背徳的な印象をまき散らす。
銀色に光を反射している杖はしょっちゅう手から離れるのに
あさっての方向へ飛んで行きもせず忠実に主のそばを離れない。
不可思議な光景というべきだった。(例のトリのことは敢えて無視しておこう)
後ろに続く黒い箱車にはこれから斬首されようという哀れな小娘が
ちんまりと行儀よく座っている。
燃えるような赤髪が風に靡き普段は隠れて見えない左目(の跡地)をも光にさらす。
渦を巻く瘡蓋の周りには奇怪な放射光条が浮き出ているのだがそれはこの距離ではわからない。
深緑の右目には時折微かだが鋭く光るものがある。
大熊をも凌駕する巨大な体格の男、狼伯爵ギドン・オルケン、
魔剣ゲイルギッシュの主は空を仰いだ。
「日が傾く、よほど前には片が付く、」
斜め後ろに付き従う銀猫亭の看板娘、というのは仮の姿、
実体はオルケン辺境伯領ヴェラン高原特務小隊副長、
とはいっても配下には片目片手の小娘(もうすぐ消滅の予定)と老猫1頭、
番犬が数頭のみ、というのが実態である(馬と牛は勘定に入れない)、
その藪睨みのウェスタ・サラザンが、後ろ手を組み 俯いて
自分のつま先ばかりを見つめながら歩いている。
そして小石を一つ蹴飛ばしながらふと顔を上げ目の前の壁のような背中を見上げる。
「えっ!? なにか言った?」
ギドンは微かに笑いながら、しかし何故か長大な溜息をついた。
「夕陽が見たいとか、金の葉っぱがどうとか、ぬかしておったとな、
おまえが言ったんだぞ、」
「あああ、そうね、そうだった、」
ウェスタは首を振り、そうして唾を吐いた。
「とことん馬鹿だわ、」
「どうした、なにを悩んでる、」
「別に、何も、」
「いや、悩んでおるな、父親のエイブはごまかせても
ワシの目は騙されんぞ、」
【原注】
※1 正確にはこれはネモフィラではない、実はオオイヌノフグリに近い別種の花なのである。花の直径もはるかに小さい。およそ10セカントほど。
しかし、シャリー・ビョルバムはこの名を使うことを頑として拒否し、読者に誤った印象を与えることをも厭わない。非常に問題であるが、この場を借りて謝罪し、正しい情報を注記しておくことは責務であると考える。
【参考】
オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢、学名:Veronica persica)は、オオバコ科クワガタソウ属の越年草。別名「星の瞳」ともよばれるらしい
※2 普通この展開では、行列→葬列 と言い換えるのが自然
だがSB氏は断固としてこの配列に固執するのであった
【後書き】
今月はここまでといたします。
ギリギリです。
遂に我が職場も年末進行が始まってしまいました。
リアルもギリギリです。
なんとか月一更新に踏みとどまれるよう
頑張りたいと思っています。
嵐(ゲキトオ?)の前の静けさと言うのでしょうか、
今はまだおだやかなギョウレツが続いております。
もう少しだけ続きます。
どうか今しばらくお待ちいただければ幸いです。
・・・
「あねさま、あねさま」
「・ ・ ・ ・ ・ ・・」
「つ、つかれました」
「こらこら」
「なんすか」
「句読点なしは、ほれ、アレやろ、アノ時的シチュの
暗黙的了解事項ちゅーか、表徴? やろ、なんでここでつかう」
「そりは、それ、ほれ、そおいふ気分ですけん」
「こら、よるな」
「ショーシンのイモトをギュッとしてくださらん?」
「ナニがショーシンやねん」
「そ、そりはホレ、あれですやん、やっとこギリちょんの更新にはすべり込みましたけど
ね、ほら、予定の半分しかでけてへんと、どのツラ下げてドヤ顔ができよおかといふ」
「できたとしてもドヤ顔は要らんやろ」
「や、です、あたしだってタマにはドヤ顔したひ!」
「安いな」
「どおせヤスモンどす、んでも、さあ、一円のヤスモンにも五分の金欠」
「なんじゃソレ」
「だいてください」
「コラコラ」
「あねさまかってはなから句読点なしですやん」
「そやったかな」
「証拠は歴然、あああ、いいにほひ」
「アマエタやな、いくつやねん」
「トシはカンケーないから ほら」
「こ、こ こら あ」
「あねさまかって」
「なによ」
「ちょっとその気になってはるやん」
「なってへんわ」
「疲れてはるんはわかってます、ウチでもソトでも働きどおし
一瞬の気ぃも抜かれへん、もうボロボロですやん、
あたしの前だけくらいちょっとでもホッとしてほしですやん」
「ああーーー わかった、わかった、さあ、あしたも早いねん
もう寝やな」
「そ でした 寝やなあきまへん
もお 寝ませふ そおしませふ と いふ ことで で」
「あーー もう ちょっとだけやで」
「あい」
「エライ素直すぎてコワイな」
「電気消します」
「ああ おお」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
パチン
・ ・ ・ ・ ・・・
あっ
日付入れとくの忘れてた
20250929
いえもう30でした
あらためて
20250930




