第1巻第2部第2節その04 「森の中 続き の続き 一休み それから メノンの谷間 ウェスタとグリモー 磐座
*
「いいわよ、どーせ、あんたたちは・・・」
アトゥーラは言いかけてやめた。
「ねえ、アトゥーラ、」
「なに?」
再び膝上で手を組み直し上品なポーズを取り繕う風な小娘だったが会話はここからごく自然に無音状態へと移行した。いちいち発声するのが面倒くさくなったイヨルカのせいであろうか。
ー あんたさっきギドンのゲイルギッシュのこと言ってたわよね、ー
ー うん、そうね、ー
ー それから、ギドンの足の裏も見えたって、ー
ー そうよ ー
ー でも、あのときは誰のことも知らなかったわけよね、ー
ー あったりまえじゃん、でも、名前付きでちゃんと思い出せる(同定デキル)
って言うか一続きのお話みたくはっきりクッキリするようになったのがいつだったかなんて今さらわかんないわよ、ー
ー まあ、そうよね、アタシが気になるのはギドンの足の裏、てか、あのブーツの底が見えたってことなんだけど、ー
ー うんうん、ー
ー それって視点低すぎない? て言うかそもそも不可能じゃない?ー
ー まあねえ、だから言ったじゃない、思い出すたびに視線、てか視点の変更? 変換? があるって、ー
ー ふぅーーーん、じゃ、やっぱりその記憶?にはいちいち誰かが介入してるってこと? ー
ー わかんないわ、アタシはアンタが怪しいって思ってたけど、その口振りじゃ違うみたいね、ー
ー アタシにそんな介入できる力あるわけないでしょ、ー
ー そかしら? ー
ー そうよ、ー
ー でも、視線が低いっつってもアタシ地べたに転がってたんだからアリソウではある・・・ か・・・ ー
ー にしてもブーツの底はねえ、それにその蛭のちっちゃいのって、やっぱり妖怪よね、ー
ー ま、そなのかな、あの金色の目玉はとってもよく覚えてるけど、物凄く凶悪で貪欲そうだったわ、一瞬カワイイって思ったんだけどすぐに怖くなったくらい、ー
ー それがアンタの血を取りこんだ第一号だったかも・・・ ー※
<※この誘導は明らかに虚偽だがアトゥーラは気付いていない、勿論このときまだ手首は切られていない この直後のことではあるが・・・>
ー 葉っぱの裏にいたのよ、変じゃない? ー
ー 取りこんだ後ならどうってことないわね、ー
ー !!! って、それ、いいかげんちゃんと説明してよ、
アタシの血? 今のアタシの血、なんか違うの? ー
微かに、硬さの違う木材の擦れ合う音が、やや耳障りな感じにギチギチと鳴り、アトゥーラはゆっくりと立ち上がった(不思議なことに完全に足が地に着いていた)。
すぐ目の前、足下に広がる巨大な毛玉の小山の中では、より小さな4つの毛玉がそれぞれ思い思いにモゾモゾ動き中にはヒドク人くさいアクビをするヤツもいたが薄目を開けて見上げる素振りを見せたのはバスポラだけである。
人形師は暴悪なまでにフサフサな尻尾の陰に隠れてほとんど見えなくなっている・・・(器用である)
そのラグンの、物憂いけども世界をひと呑みにもできそうな、長大極まるアクビが追撃のように続き同時に懐かしくもムセルような、重く甘い口臭・・・〔ケモノノオウノニオイ〕が立ち昇る。
小娘は無意識の裡に深呼吸しながらいささかダルそうに首と肩を回し、そうして辺りの様子を注意深く窺った。
ここらは既に緩やかな峠道の頂きに近くブナの林は清々しく明るく、ただ樹冠の重なり具合に妙な偏りがあり、今ここアトゥーラの周囲には5、6本、いや、正確に7本の、黄金の列柱、光の柱が突き立っていた。ほとんど垂直であり、まさに真昼の荘厳に相応しいものなのである。
小娘はサンダルを脱ぎ捨てるとそのまま身軽にホルキスの上に立ち上がりさっと両手を伸ばした。そして背伸びをした。
銀の手がスラリと伸び架空の頂点を指して輝く。
その動作には少女らしい、屈託のない、ただ春の精気に呼応する若々しい力の、野生のXXXの奔騰らしきものも垣間見えたが
それ以上に遥かな古代よりの樹齢を誇る老大木のみが見せるだろう、
ほとんど犯し難い威厳と気品、絶対に折れ曲がることのない意志力の完璧な具象化とも看做し得る、
動物的であると同時に真に植物的な、一種異様な命の力の綯い合わせ、
その有り得べからざる、非在の象徴が、突如突兀と屹立するかのような、
だが、あえかに、儚げな心細ささえも、仄かに、アイマイに透いてみえる、矛盾に満ちた身のこなしよう・・・とも言えるのである。
(この時、このアトゥーラの風姿の影に逆螺旋めいた光の倒立円錐、ほとんど超古代に僅かに幻視されえたのみと言う、真の(究極の)魔法陣、その遥かな投影を見たものがいるらしい・・・ しかしこれは誤認であろう)・・・ この二重性の淵源について考察せよ
[このあたり、アトゥーラの背丈が3割増し以上であった可能性がある、とは某観測者の言]
小娘は眼下に蟠る巨大なラグンの、円形劇場めく広がり〔モフモフモフモフのモッフゥ〕を、かすかに、いとおしげに見下ろしていたが一瞬の間を置き、まったく何の躊躇もなくその真中に飛び降りた。
(ただし、ナニホドかの目測はあった模様・・・)
*
ー ギャフ! ー
ー ム 無茶はいかんぞ、アトゥーラ、ー
ー それ、言われるの何度目? ー
ー 何度目もクソもあるか、おまえはもうちっとオシトヤカにだな、ー
ー マッピラだわ! ー
ー それはそうとその尖った膝をおれの鼻っ先からどけてくれ、息もできん、ー
アトゥーラはバスポラの鼻横にめり込んでいた自分の剥き出しの左膝をちょっと慌てたふうに引っ込めた。スカートを巻き締めるようにして下半身を隠す。さすがに行儀が悪過ぎたのである。
ー そ、そんなことより、アンタら、ズルイじゃない、自分らだけこんな!
キモチいい! モフモフん中で、ヌクヌクと、お昼寝なんていいご身分ね、ー
ギャウ ギャウ ギャウ ギャウ そして ギュオウ
唸りながら仔狼どもが小娘の体に絡みついてくる。
ー こら、そんなに舐め回さないで! ビチョビチョになっちゃうじゃない! ー
ー おまえの体温ならスグ乾く! ー
ー 問題ない!!! ー
ー 馬鹿なこと言ってないで、あっ、ダメ! そんなとこ噛むな!
あ、あほーーーー! ー
じゃれ合っている5人の上から巨大なモフモフの塊、偉大なるラグンの尻尾が降ってくる。何度も何度も叩きつけるように降ってくるのだが見ようによっては化け猫の尻尾の動きのようでもある。
妙になめらかな、変幻自在の動きであるが猫ほど器用ではない、大ざっぱである、
だがまたそこがいいのである。
5人ともこっぴどく叩かれて喜んでいたが
しまいにその動きをつかまえようと競争を始めると次第に収拾がつかなくなってくるのであった。
こうしていよいよ変態じみてくる前にドナドナが横滑りに介入してきた。
ー こらこらこらこら、ひとがせっかくいい気持ちの抱き枕をだなぁ、
横取りするのはケシカラン、や、やめーーーい、
これ! ラグンも そんな オオウ 調子に ウットゥ 乗るんじゃない、
あっ! こらっ! ワシのシャッポをどうする気だ!
や、や、やめんか、ここら一体焼け野原になるぞ、こ、こ、ー
ー だいたいそんなもんかむったまま居眠りしようっていうアンタが悪いんでしょ! ー
ー そ、そういう問題じゃあ、あ、あ、これっ!
アトゥーラ! やめんか! ー
しかし、アトゥーラの銀の手は青の帽子の金鎖にちょっと掠っただけだったが金属の溶けるような変な臭いがした。
ー アチチ! こりゃイカン! ー
イヨルカが吠えた。(思わず男言葉に還っているのがご愛嬌である)
ペームダーがその剣呑な物体を銜えたまま一目散に走り出て行く(ツバがクルクルに巻き上がっているのがおもしろい)・・・
やはり物の焦げる臭いがする。青い影が・・・黄金の列柱を縫い取るようにジグザグに・・・
その間に小娘は人形師の腕に捕まっていた。少しの間藻掻いていたがすぐに諦め男の腰の辺りに抱きついている。やはりここもなにか懐かしい匂いがするようである。
*
ー 今の熱かったの? アタシにはわかんなかったけど、ー
ー 熱いなんてもんじゃないぞ、大ヤケドじゃすまんぞ、あんなもんよくかむってるよなぁ、ー
イヨルカは呆れ果てた風に呟く風。
ー 全然わかんなかったわよ、ー
ー そりゃ、咄嗟に遮断したからな、でも、指先はちょっと焦げた、っていうか、溶けちゃったわ、ー
ー だいじょうぶなの? ー
ー どおってことないわ、こんな程度、舐めときゃ治るわよ、ー
ー で、どおだった、アトゥーラ、ちゃんと説明は聞けたのかな、ー
人形師は小娘のちっちゃな頭を撫でくり回しながら何事もなかったように話を元に戻そうとする。
あとの3頭はスカートの上からアトゥーラの太ももをしゃぶっている。もうベトベトである。
ー そ、そうよ、肝心の話が聞けてない! アタシの血がバケモンを呼ぶってこと? アタシ自身がもしかしてバケモン? ー
ー そうじゃないわ、とんでもない、でも、
そう、呼ぶっていうのとはちょっと違うけど、そう、
あんたの血は、そう、すぅ、す? す、好かれるのよ、とくに、
そう、一定限度を超えた、変なヤツに好かれちゃうのね、ー
ー どおいうこと? ー
ー そおだからそお、というしかないわね、ミツバチがゲンゲを、蛇が卵を、ツグミがメメズを好くのと一緒かな、ー
ー ナニソレ食欲の話? 大好物(オカワリ!)とかって次元なの? ー
ー まあ、そう言っちゃうと身も蓋もないけどね、ー
アトゥーラはナゼか素直に左手の中指の先を舐り出した。
ー で、危なすぎるんでアタシが防御(超域阻止)帯域を張ってた、遮蔽陣も兼ねてね、そして第三現象界への流出を防いでた、だからアンタの体はこれまで、完全には一度も世界と触れ合ったことはなかったっていってもいいの、ー※
<※この理屈も変である そしてその真の能力の十分の一も語っていない>
ー そんなのおかしいわ、いっぱいケガしたのに! 血ィだっていっぱい! ー
ー フフフ、それがアタシの腕の神憑り的なところ、ウンニャア、むしろ真の神技って言ってほしいわ、張ってるって言ったって四六時中ってわけじゃないのよ、アンタの感覚に変なクセがついたらマズイからね、痛覚の強度だって特に軽減してたわけじゃないしね、ー
ー じゃ、じゃあ、今は? ー
ー まっさらよ、生のまんま、ほら、わかるでしょ、まわりをみて、ね、ぜんぜんアイツらの気配ないじゃん、ー
ー じゃあ、お化けとか、変なのが、あたしを食べたそうに、ネブリネブリしたそうに来るのはもう無し? ー
ー そ、だからアタシの今までの苦労も終わっちゃったよのねえ、ー
ー つ、つまり? ー
ー そお、さっきのアレ、こいつらの、ねえ、暴飲暴食のお蔭?ってか
まあ、なんつぅーーか、メチャメチャなやり方だったけど、あんたの災難な体を一から作り直すにはアレが一番手っ取り早かったんかしらねえ、ー
銀の左手が人形師の薄い巡礼服、左肩の付け根辺りの窪みをかなり強力に突っついた。
ー そおでしょ、ドナドナ って、あんたまた、なにやってんの ー
男はさっきからずっとアトゥーラを抱き締め〔あるいはむしろ拘束し〕ていたのだが、無駄にひょろ長い足を奇怪な角度で組み替えながら小娘の下半身にまたヤヤコシイ接触を試みているようだった。
しかし今回はバスポラまでもが(ほとんどナメクジのように流体化して)交じわり合い、
それどころか全て〔ムゲンにも等しいという〕の、仔狼どもが入れ替わり立ち替わり
その奇妙奇天烈な連環的擬似○○○○に加わっているようだった(いつの間にかペームダーも戻っている)。
小娘は自分の、銀の左手と素の右手を交互にねぶりながら恍惚としているようでもあり何も感じていないようでもあるのがやや不可解。※
[このあと数行、省略の可能性あり・・・]
<※ もちろん、婉曲または韜晦と取るべきだが、ここは観測者である例のコオロギ自身には理解不能の消息であった可能性も残されているというべきだろうか、いや、そんなことはありえない・・・ とも思われる>
*
ー 結局、よくわかんなかった ー
アトゥーラは不服そうだった。
ー なんかテキトーに誤魔化されたよな気もする ー
が、一行は再びダラダラ坂を下り続け、小暗いクルミやハンノキ、シイやミズナラの林を抜けて行く(どの木もよく繁りかつ驚くほど巨木が多い)。
か細い谷川をひとつ渡り(ここに架かっている赤い五本組の丸木橋は去年大水のあと架け直されたものでアトゥーラも手伝わされたのだった)、やや登りにかかるとあちこちに転がる岩塊や、倒木の残骸、陥没した路肩がかなりに難儀であった。鉄砲水崩れの、いやにまん丸い大岩なんぞを一瞬で噛み砕いたり、尻尾の一振りで弾き飛ばしたりできるラグンが先頭でなければ三倍以上の時間がかかったに違いないのである。
で、もう一つ峠とも言えぬゆるやかな丘を越えると急に明るく視界がひらけ低く広がる成長途中の大森林の端に出た。
が、ずっと北側、彼方に、こちら側との境をなすように
巨大なモーヘリンツガの大木が5、6本、小さな尖塔のような森を作って突出しておりさながら緑青に覆われた古風な城塞の如くあたりを睥睨しているのだった。
「あそこの木だけなんか変!」
「まあ闊葉樹ではないからな」
「じゃなくて、立ち方がヘン、」
「なにが」
「なんか、エラソー、」
ジーナがふらふらと舞い降りてきた。
供養を差し出す童女のような、敬虔な手付きで左手を伸ばす。
輝く中指の先に、指南車の女神のようにとまる。
「あの真ん中、一番高いやつがユーサリパンの主城の木だ、ほら、南向きのこっち側、そう幹のずっと上の方、ちょっと判りにくいけど門が見える」
「ちっちゃな穴なのね、」
「ミツバチたちの城はみんなあんなもんよ、でも、中は広大よ、」
「ああ、じゃあ、あそこに、あなたの、あの、あの美人ミツバチさんがいるのね、」
「そうね」
太い触角がしょぼたれている。
「さっきからなんかソワソワ変な飛び方してたのはそのせい?」
「この森は気流が変だから飛びにくいのよ、」
「会いに行きたいんでしょ、」
「ま、近づいた途端蒸し団子の餌食かな、」
「ふふふ」
「なに?」
「あなたがそんな弱気なの、おかしくって、」
「言っとくけど、今のアタシに弱気とかナントカは全然カンケーないわよ、」
黄金のオオスズメバチは銀の手の先っぽでクルリと向きを変えた。
「ユーサリパンの主城のひとつやふたつ、どうってこと」
中略(原稿1枚行方不明)
「さあさあ、お二方、メノンの谷に入ったぞ、ちょっと登ってみよう、
冥王楠を探すんじゃ、一、二、三と並んどる、すぐわかるはずじゃがの、」
ドナドナが青緑色のマントーを翻す。ラグンと息子たちがひどく自信有りげな足取りで沢の右岸を進み始めるが、なにせ絶対的に鼻の方を優先する彼らであってみれば気になる臭跡を全て、そう、
いちいち確認しながらノンノーンダラダラっと登り行くのである、
ほとんど平らかにゆるやかに広がる河谷、
湿地帯でもあり、左岸のよりなだらかな段丘との間を
造作も無く行ったり来たりで見た目にもかなり騒がしくせわしない、
時々水芭蕉らしき群落やオヌマバイカモの満開な細流なんぞを蹴散らし蹴散らし至極軽快に行くのだがマッタクの水遊びにしか見えない。
「ほらほらもう見えてきた、あれが一本目じゃ、」
段丘を縁取るハンノキやオニグルミの巨木の、小暗い障壁から遥かに抜きん出て、それ自体一つの世界に等しい魁偉な冥王楠が聳えている。
その高い空へ、突然、雲雀が舞い上がり歌い始める。
そうしてもう一羽、掛け合いながら、実際は闘る気満々で、二重螺旋を描き、ツノ突き合わせつつ、だが踊るように、一見優雅な対面舞踊のように、ゆっくり、ジリジリと、上ってゆく。(これは高原喉赤ではなく、普通の河原雲雀である)
木は、満開の鮮やかな新緑でほのかに薄い赤味がかかっている。
アトゥーラは首をかしげた。
「こんな木、あったかな、みたことない、とってもきれいだけど、」
「さあさあ、次ゆくぞ、これはまだ一本目、」
*
壁際のベンチにサドルバッグと剣を置き、帳場から後ろ向きに降りてくるウェスタをじっと見上げているグリモーだったが、その視線は腰道具をすべらかに掛けた尻の曲線と交互に目を射る白い引き締まった足首に釘付けになっている。そのままテーブルまわりの支度を始めた藪睨みの娘の表情からは機嫌が好いのか悪いのかサッパリつかめない曖昧な雰囲気しか漂っていず、あまり話し掛けられたくはなさそうな、意固地に剣呑な感じだけはたっぷりであった。しかしこれはいつものことなのである。
しかし男の方にも少しも遠慮ナドという美徳のカケラも、気遣いの躊躇いナドという礼儀作法の切れ端さえ端から存在しないのであって、その冷笑的な口元と無精髭の目立つ尖った顎先には相手を馬鹿にし切った尊大な気配だけが色濃いのだった。
「それはそうとな、」
男は爪にヤスリをかけながら何気なさそうに呟いた。
ウェスタは無言で雑巾がけを続けているが聴いていることは確かである。
「さっき狼を見かけたぞ、かなり若いやつだ、」
娘は無言のままである。
「この季節にあの大きさのチビ助は珍しいだろ、」
「それで、仕留めたの?」
「まあな、」
「どこで? ってなんで持ってこなかったの、」
「生臭いのは真っ平だぜ、で、おまえの妹に皮だけ剥いで持って帰ってこいっつっといた、」
「あの馬鹿、」
ウェスタは舌打ちする。
「いったいどこでの話なの、」
「静かの森の入り口、大岩の前さ、」
「あの馬鹿」
二度目だがさらに険悪な口調。
「まだそんなとこ」
「泥ん板を取りにいかせてんだろ、例の棺桶を引っ張ってたぞ、」
男は指先を吹いた。
「ありゃあ、いつ見ても気持ち悪いな、」
ウェスタの尻の動きを目で追いながら口を窄めるのだが何か気持ち悪い思い出し笑いを反芻し愉しんでいる気配のようだ。
ウェスタは向き直った。
「何が気持ち悪いって?」
「何、何だと?」
「何を指して気持ち悪いって言ってんのかってきいてんの」
「なんだなんだテメェの方こそナニ気色ばんでやがる」
「フン、どおでもいいわ、それよりアタシの気持ち悪い妹に狼がどおしたって?」
「んん?」
男は一瞬眉をひそめたが無意識を装う動作で打刀の方を引き寄せた。
「こいつで叩っ斬っといたんだがついでにアレの方も」
グリモーが白銀の鞘を、擦り上げるようなイヤラシイ動きで撫でさする。
「性根を叩き直しといてやった」
「へえ、どんなふうに? ってそれよりナニやらかしたの?」
「まず口のききかたがなっとらん、」
「ふーーーん、それから?」
「ま、誰の仕込みかは置いといてだ、」
「ほうぅーーん」
男は柄頭を立てて握り締めゆっくり左右に揺らしながら娘の凶悪な視線を無視する。
「アレが言うには狼の母子に付き纏われずっとつけられてたんだと」
「ふーーん」
「で最後に襲ってきたんだが、ありえんことに雄の子ども一頭だけでだ」
「フン、それで?」
「あり得んことだ、こっちは完全武装の騎兵だぞ、しかもアレにではなく俺に向かって一直線に飛び掛かってきた」
「なかなか根性のあるヤツじゃない」
男は爪ヤスリをケースに仕舞いながらやはり無視する。
「ま、それはいい、」
男はわざとらしくアクビを噛み殺した。
「だが、あたりにも、それからここまでの道のりも全て検分してきたが狼のオの字の気配もなかったな」
ウェスタは雑巾を放り出すと腕を組み小馬鹿にするような目つきで顎をしゃくった。まだ発展途上だが既に相当に豊かな乳房が盛り上がる。
「フン、それで?」
「ウェスタ、てめえの教育がなっとらんからだとしか言えんな、
とにかくだ、あの片目はどうしようもない嘘つきの、腐れスベタだ、」
「フン、それで?」
「戻り次第もう一捻り、いや、二捻り、いやいや、三重以上には締め上げてやらんとな、」
「ま、好きにすればいいわ、」
突然興味を失ったように体勢を変え暖炉の点検を始める。火掻棒をザリザリいわしながらフト思い出したように、しかし相当に含みのある声色でボソリと呟いた。
「賭けてもいいけど、」
再び腰を伸ばし小馬鹿にするように振り返る。
「その狼の毛皮、手に入らないわよ、」
「なんでだ、新しい手袋に丁度いいんだがな、」
「足跡も何も見つかんなかったんでしょ、」
「ああ、毛筋一本もな、」
「じゃ、ただの幻だったんじゃない?」
「それはありえんな、確かに首を切り飛ばしてやったんだからな、あの手応えに間違いはない、血の池も出来てたしな、うむ、ただちょっと多過ぎたような気はするが、」
「刀の方はどう、ちょっと見せてよ、」
「そういえば・・・」
男は鯉口を切りスラリと引き抜いてまず自分で見た。そして首を振り逆手に持ち替えて柄の方からウェスタに手渡した。
娘は手慣れた風に受け取り手首を返しざっと眺め渡したが首を傾げるまでもなくすぐに返した。
「幼獣とはいえ首を落としたんだ、でも何の痕跡もないわね、」
娘は腰に手を当ていささか尊大な姿勢で、しかし微かに慰めるような声調を含ませる。
「あんたの抜刀術の凄いのは知ってるし、腕の冴えで血糊もつかないっていうのもわかるけどこれは・・・ 全然違うわ、」
「なにかの幻術なのか?」
「わかんないわ、」
娘はわざとらしくやや口惜しげに口を尖らせる。男は娘のあるかなきかに媚びた物言いには覚えず頬の筋を緩めかけたがすぐに気を取り直した。
「あれは、つまり、魔女の類なのか、その卵とか、幼生とか、そんなものか?」
「人間よ、」
ウェスタは断言した。
「でも、ただの人間じゃあないわ、」
「どっちなんだ」
「わかるわけないでしょ、」
娘の左の眉だけが凶悪に釣り上がる。
「でもなんかおかしいのは確か、イヤーな感じなのね、」
「じれってえな、おめえ、なんか隠してるだろ、」
「馬鹿言わないで、隠すも何もひどい目にあってるのはアタシたちの方なんだから、大殿様からの預かりもんでなきゃとっくに殺ってるわよ(あんな厄病神!)、」
「そういやあ、ギドンは妙にあれを気にかけてるな、
(普段は放ったらかしのくせにな)」
「ねえ、グリモー、ものは相談なんだけど、」
「おう」
「ちょっと実験してみたいんだけど、」
「なんだ、」
「ちょうどいいのよ、もうすぐ大殿様来るでしょ、」
「予定ではな、」
「で、あれが帰ってきたら、そう、多分、十中八九、いえ確実に狼の毛皮なんて持ってない、」
「うーーむ」
「で、それにかこつけてね、大殿の前であれを痛めつけてほしいの、」
「おいおい、おまえの大事な妹なんだろ、」
男はワザトラシクたしなめる風。
「大事な妹だからこそよ、なんかに憑かれてんだとしたら大問題じゃない、」
「おうおう、」
「で、絞れるとこまで絞ってみてよ、」
「ほう、」
バイメダリオン副隊長グリモー・アナスはいささか悲しげに頬を引き歪める。
「残酷だが・・・ 仕方ないな、アレ自身の為でもある、なにか邪悪なものに憑かれてるんだとしたら助けてやらんとな、」
「そういうこと、でも、殺しちゃったらダメよ、殺す寸前まではいいけどね、たちの悪い憑物だとしたら相当しぶといでしょうし、あんたの得意の拷問技だって通用しないってことも考えに入れてね、」
「まあ、手加減はするさ、ほどほどにな、しかし、思わぬ事故ってのもありうるからなあ、」
「そん時はそん時ね、でも、姉としては、」
ウェスタは胸に手を当て大仰に悲しげな仕草を見せる。
「悲しみの極みなんだし、あんたとは一年くらい口をきかないわ、」
「なんだそりゃあ、もう確定みたいな口っぷりだな」
「神のみぞ知るって、便利な言葉あるじゃない、
アタシの気分は、今はソレ、」
毛皮交易宿レエェスギャンドールーの看板娘は、なにやら呪術めく手付きで手刀を立て、さっと空間を横薙ぎにする。そして忙しい、忙しいとブツブツ呟きながら馬部屋を見てくると言い残し姿を消した。
男はしばらく刀の鞘で自分の肩をトントンやっていたがフト暗い表情となり娘の消えた戸口のあたりに視線を彷徨わせる。ただし口元には愉悦の微笑が、仄かに邪悪めく薄ら笑いが浮かんでいる。
*
「さあ、着いた、これぞ三本目、ここの森の王様じゃな、」
ドナドナが振り返る。
アトゥーラは首が痛くなるほど見上げているがその全貌を視界に収めることができない。複雑に分岐した巨大な幹が静かに、ほとんど全世界を支え持ち上げているかのように屹立している。
そしてその奥、北側の暗がりの中に巨大な石塊が、正直方体の磐座が鎮座していた。蔦に覆われ苔むしてはいるが明らかに人工建造物である。所々に垣間見えるその表面はしかし磨き抜かれた鏡面のように艷やかに輝いている。冥王楠の落とす緑の薄闇の中でも紛れようもなく仄かな、内的な発光現象として、ほとんど呼吸しているかのように息づいているのである。
岩の南正面、アトゥーラたちと向き合って巨大な縦の溝が彫られている。それは岩のほぼ中央部まで貫通していて謂わば巨木の虚〔ウロ、ホラ、又はウツボ、とも点ずるか〕とも言うべきであり、生い茂る蔦や頂上部に茂る木々のお蔭でほぼ洞窟のような趣を呈していた。一行は静かに、やや気圧されたように進んで行く。そうして
後書き
お題、 ええーーー 題しましてぇーーー
「エ○に走りつつあるシャリーどん、大丈夫?」
前回の後書きを読み返してて気付きましたが
なんかエ○いことばっかり書きたそうにしてる気配がヒシヒシヒシ・・・
というわけか、なんか、どおだか、
やっぱり今回も
✕だの○だの不穏かつ後暗い伏字がございますが
想定しうるその伏せられた字?を(マア、なんともコレミヨガシなんですが)
キャツめの暗示などを参考に推定し、仮に、
そう、仮にですよ、挙げてみますと
XXX・・・ リビド
○○○○・・・ 交接過程、セックス、セイコウ=性交
などと、ゆーことになりそうで・・・
すっかりエ○の方へ走りつつあるシャリーどん、大丈夫なんでしょうか?
ってゆーーか、ちっちゃな女のコ相手にナニやってんのコイツら!!
いやいやいや、これは単なる推定です、確定ではありません、
犯罪ですから、
いえ、犯罪幇助はイケマセン、から
いや、ちょっと待て、ねこどん、
ね、ねこどん?
そう、ねこどん、あんたじゃ、
世は立春、我が世の春じゃ、世は春の営みに向かいマッシグラなのじゃ、
なべて世の中、いんにゃ、ここはも少し限定して、命あるもの、とすべきじゃが、すべてこれ、生殖を中心として回っておる。
これは否定できまい?
あたし、経験不足なんで、そっち方面はイマイチ、サッパリ、いえ、
あの、そんなことはぁーーーーー、
あっ!
閑話休題!
難しい話は置いといて、お話がようやっと進んできました。
やっと例の謎の愛人?とこまで、やっとこさああ、
やってまいりました。
その正体は、次回、遂に明らかに!
またまた、尻切れトンボのテイタラクですが
どうかお許しを・・・
リアルは・・・ ほんとキツイのです、
どうかどうかお見捨てなきよう、
伏してお願い申し上げます。
20240215記
追記
長すぎのルビがうまく入りませんので読みにくくてスミマセン。
のちほど、訂正する予定ですが例によって未定です。
追記2
ムリムリなルビを取っぱらい、も少しスナオに?書き直しました。
また、若干加筆訂正もいたしました。
20240222
追記3
第1巻第1部第17節続きの続き 承前 「楽しい温泉行その1」
この節の中間部に、スダン嬢の過酷な運命の始まり、その発端を
ほんの少し追加挿入いたしました。お暇な方は覗いてやってくださいませ。
この子の行く末も、訳者としても大変気になるのですが・・・
20240228




