第1巻第2部第1節の続きその11 「手術終り 続きその5 大雀蜂ジーナ その4 ハチの因縁 義兄弟につきものの義務 門の前」
*
「先導してやるっ! ワレにまかせよっ! ほれ、さっさと続けっ!!」
目の前を、というか、約3メルデンほども先だが、別れ道が来る度に、
吼えながら、曲芸的八の字飛行を展開しつつ征くのはジーナ・フォゾミナ、
歴戦の大雀蜂である。いや、いまやくねくねと続いているのはただの一本道なのだが
蜂の飛行はキリキリ舞いに近い螺旋状の軌跡を自由気ままに描き勝ち・・・
いな、ほぼ狂乱状態というべきか、
卓越した飛行技術、空間把捉能力、先見的かつ超越的空中戦闘能力のお蔭で数多の障害物との
全面衝突を際どく免れているというべきだった。
小さな谷を下り、道はいよいよヌヒテル(静の森ニュヒテルムドウローン)の森にかかろうとしていた。
さてしかし、この珍妙な小行列の陣容は今ここで詳解(絵解き)し
軽く〔とだが※〕展開しておく必要がある。(丁度しばらく歩きよい平地が続く)
<※この限定的な付けたしは奇妙だが、とえあえず原本のまま訳出しておく>
先ず先触れ、道案内の役どころとして大雀蜂がブムブム飛ぶ。気があるような無いような、
ひどくムラッ気な飛びようで、途中ツルノブドウの葉裏を覗き込み、おもむろに点検し、見つけた青虫の類いは、おやつとして片っ端から頬張ってゆく。※すばしこいヤブキリバッタ、
緑で緑に溶け込んだ見事に隠形中の笹形大蟹蜘蛛とて容赦はない、次から次へと餌食になってゆく。
<※但しそのまま飲み込むわけではない、通常業務であれば肉団子のまま持って帰るのを、ようくしがんで肉汁だけを飲み下す>
「今気付いたんだがな、」
蜂は突然大きく、垂直にトンボ返りを打ち、続くラグンの鼻先でピタリと、一瞬だけ同位飛行、
しかしそのまま素早くふさふさの耳横へと当然のように占位する。
相変わらず引き綱を銜えた狼は暢気そうに時々首を振っているが(その不規則極まる動きを蜂は難なく、踊るように躱している)
その異形の妖しさ、おどろおどろしい外見には全く似つかわしくない剽軽な仕草であって、
それは言ってみれば、夜の村芝居の舞台の上で、人を脅しつけようとすればするほど滑稽さがイヤ増すハリボテ細工のお馬さんが、松明の明かりの揺らめく光と影に偽装されて粗を隠し、精一杯の虚勢を張っている最中に、突然、春日の輝く野っ原へとほっぽり出され、しかもその転位に気づかずにまだ不味ーーいお芝居を続けているという、
甚だ一種情けない風情であったけれども、細かい?ことなんぞ気にもかけない、
実はこれこそが真の王者の風格・・・とでも言って言えないことはない、そんな場違いにも度外れに、薄らとぼけた気配も漂ってはいた。
〔但し、紋様は次第に薄れ・・・ 極端な怪異の様相も薄れてゆく・・・ その大きさも・・・ 徐々に・・・ はて? 〕
「なにかしら?」
「さっきちょいと大物をひっかけたんだが暴れるんでつい針を
使っちまったのよ、」
「それがどーかしたの?」
「どうしたもこーしたもさっきあやつをぶっ刺したとき(二度目だが)」
蜂は不機嫌そうに顎を鳴らし後ろに続くアトゥーラをチラリと見る。
「針先が駄目になっちまったのを忘れてたんだな、」
「それはまあ、そうでしょーね、」
狼も首を回し、ドナドナと並びひょこひょこと歩いている片目の小娘を顧みる。
その足元ではバスポラたちがぴょんぴょん跳ねまわりこけつまろびつしているのである。
「ところがだ、針は新品同様になってたんだな、」
「ふんふん、」
「しかもだ、」
蜂は凶悪そのものの羽音に僅かな、しかし強力極まるヒネリを加える。
(これは羽根の強度も上がっているゾ、ということらしい)
「相手の装甲を貫通する感触に違和感があった」
「どゆこと?」
「切れ味が三倍ぐらいになってたな、」
「なるほど」
「そんでもって体の切れ自体も凄いことになっとる、」
「へぇーーー」
「俺一人でユーサリパンの主城と分王国の三つくらいは落とせそうだ、」
「それは凄い」
「貴様!俺のこと馬鹿にしとるだろ!」
狼はブンブンと頭を振る。
「まっ、さっ、かっ!!!」
「いーや、馬鹿にしとる、俺にはわかっとるんだ、
けどまあそんなことはどーでもいい、俺は今かなり機嫌がいいんだ、」
「ま、そーでしょうね、」
「フン、」
蜂はその場で複雑な八の字飛行を2回ほど繰返したが、
何処がどうとははっきりとは言えないのだが、
その1セカントのブレもない明晰極まる軌道構築の鮮やかさにも拘らず、
何か微妙にキチガイ染みた、空恐ろしい感じが透けて見えたのである。
「俺は酔っぱらっちゃいないぞ!」
「なんも言ってないでしょ、」
「いんや、そう顔に書いてある、」
「何が言いたいの?」
「俺は酔っぱらっちゃいない、」
「はいはい、」
「はい、は一回でいい、」
「はーーい、」
「くそーーー 」
蜂は滑らかに降下しまた狼の鼻先ギリギリにつけたが、すぐに弾けるように舞い上がる。
煌めく滴をつけた針先が震えるように見え隠れするのが、いかにも不穏(と言うよりも、むしろエロイ)である。
「俺は、」
ジーナ・フォゾミナはほとんど蹌踉めくように軌道を乱した。
「今!すぐに! ドゥーナに会いたい、会って話がしたい、それだけなんだ、
奴のそばに、あの声だけを、それだけなのになぜだ! なぜ奴は拒む?!」
「ドゥーナって、あれ? さっきの?」
「ドゥーナ カンシスタ ポラヤーマーナナァ 」
「ああ、例のあの子ね、」
「奴のお蔭で我が軍は三度大敗してる、」
「不倶戴天の仇って訳ね、」
「我が女王陛下は奴を生け捕り、五体満足のまま連行せよ、とお命じだ、」
「でも、あんたにはできない、」
「そうだ、俺には、そんなことは・・・
奴が、あの可愛い体が、生きたまま、拷問され、
八つ裂きにされるところなんぞ、ああ、くそーーー 」
「で、特命単独行動中のあんたが、なんでこんなとこで引っ掛かってるのかって話なのね、おまけに、当の彼女は、人の気も知らずに男遊びに夢中って訳?」
「そんなことはどうでもいい・・・ 」
しかし、言葉とは裏腹に蜂の飛行は乱れている。
「奴が、誰を、どう好きになろうと、そんなことは・・・ どうでも・・・ 」
「でも、グレオファーンとは許せないってこと?」
「そんなことはゆっとらん、」
「でも、会いに行くんでしょ、」
「穏便な話にはなるはずだ、」
「へえ、どうだか、」
「話のわからんヤツではない、」
「いやに買ってるのね、」
「ヤツの知力は・・・ ホンモノだ、
ドゥーナが、ヤツの話っぷりに夢中になってるのは、
そんなことはとっくにわかってたことだ、
アレは、昔っからそういう奴なんだ、」
大雀蜂の口調には、辛辣さと憎悪と、
何か危うく、仄暗い、奇怪な愛情めくものが綯い交ぜとなり、
複雑極まる混沌の響きが色濃く漂っていたのだが、
最後には苦々しい、絶望的な色調が、だんだらだんに優勢となってゆくのである。
狼は否定も肯定もせず、ただ緩やかに、ごく低い、しかしほんの少し優しげな唸り声を上げただけだった。
「俺は・・・ 難しい話はわからん、だがアレにとっては、
エセ学者どもの、カビ臭い、驚異に満ちた寓話に富む、賢しげな、
き、きょ、 きょ、驚異に満ちた・・・
みぃ、満ちた? ・・・ グミ? ・・・ はるか遠い異国の話が、
哲学的、いや、クソゲンガクテキ会話の魅力の方が・・・
えーいくそっ! よほど心地好く・・・ そうして 楽しいんだろう・・・
俺は、鎧を磨き、剣を研ぐしか能の無い、およそ面白味の無いヤツなんだ、」
「それは・・・ まあ・・・ うん、 あっ! あ、足の数でも、勝ち目はないわよねえ、」
「毒針の数でもだ、」
「ん? ああ、 そうか、二対一だもんね、」
「俺は別にヤツと渡り、り、 ヤリ合おうとは思っちゃあいねえ、」
「フムフム」
「ま、ヤリあったところで負ける気はせんが、」
「そなの?」
「当たり前だ! 俺を誰だとおもってる!」
「ミツバチに恋してる変態スズメバチ?」
・・・
[やや剣呑な間あり、だが、記号化しにくいのでコレデ代用スル、との無粋な注が挿入されているのである、数瞬の沈黙の後、]
「奴は、」
と蜂は無気味なほど平静に続ける。
「ドゥーナは・・・ 俺の命そのものだった・・・ 」
「だった?」
「そう、そうなのだ、奴を守るためなら俺は命をかける、それは変わらん、」
「変わらん?」
「だがあのアホウが現れた、」
「アホウって?」
「あれだ、あれっ!」
ジーナは文字通り顎をしゃくってみせた。
狼は無言で尻尾を振り、何か合図のように妖しの風を起こす。
真昼の、まだ明るく開けた森の縁の小道だと言うのに目にも著く青白い炎が、
星のように爆ぜ、飛び散って行く。
「いまいましいが、あいつも守ってやらねばならん!」
「へえ、なんでよ、」
「やつは俺の針を受けた、それが第一、」
「第一ね・・・」
「第二に、ラグン、一緒にあんたの盃を受けた、」
「証人としてでしょ、」
「だが、絆ができた、」
「うーーん、ま、そうかもね、」
狼は鼻面一杯にシワを寄せて唸り、輝く無敵の歯列を誇示するようだ。が、何気に満足げでもあるのは意味深長とも取れそうである。(要するに普通の狼ではない)
「なんであいつはあんなに死にたがる、」
大雀蜂は器用な後ろ向き飛行のまま、狼の頭越しに小娘を睨みつけている。
「ただでさえ厄介ごとだらけなその上に余計な仕事を増やしおってあんの馬鹿女めが!」
「あの子は賢いわよ、とんれもないのよ!」
(ここ、ちょっと呂律が怪しい)
「そうは見えんな、だがほうっておくわけにはいかん、直衛隊が必要だ、」
「ペムやバスポラがいるわよ、」
「頭上が手薄い」
「そうかしら」
「くそっ!体が二つ欲しいところだ、復命無しがこのまま続けば半自動的に別動隊も動き出すことになる、」
「なかなか厳しいわね、」
「どうせ第一遊撃団の特務隊か猟兵大隊のゴロツキどもあたりが出張って来るだけのこと、
不意討ちを食らわし殲滅するのは簡単だがキリがないのも確かなのだ、」
「あんたたちのシステムって永久機関みたく無気味なとこあるもんね、」
「フン、まあいい、そんなことよりだ、
あれだ、あれ、上級女官※の癖に真っ昼間っからフラフラ飛び回りおって
悪目立ちなことこの上ない、
その上あの非常識な可愛いさ、惚れ惚れする美しさなのだ、
前に一度極悪のムシヒキアブ※に捕まりかけてたのを危うく助けたことがあるが
そ奴の残骸の上でフラフラに飛びながら、澄ました顔で何てほざきおったと思う?
もういいからほっといてっ!(あんたバカなの?) だぞ!」
「苦労してるのね、」
「で、あの死にたがりの小娘だ、」
蜂はもう一度変態的な宙返りを打った。
「俺の回りはあんな変な女しかおらんのか?!」
「惚れちゃったんなら仕方ないわね、」
狼は一大真理の宣告風に混ぜ返す。
「とにかく、今度という今度はあの馬鹿ミツバチには城に籠ってもらう、」
「そりゃ難しいんじゃない?」
「くそーーー」
大雀蜂は文字通り吼え立てていた。
<※正確には、女王ユーサリパンの最側近サークル「ドゥーレンアサイラム」全12席中の第8席、
非常に高位の女官なのである。当然採蜜等(外勤)或は建築等(内勤)の義務はない>
<※正確には、オオオニシオヤアブの近縁種、非常に狂暴>
*
「あ、あの、ド、ドナドナさん、あ、いえ、ごめんなさい、ドナドナ、様?」
「ただのドナドナでいいぞ、」
「あの蜂さん、えと、ジーナさん、なんであんな無茶苦茶な飛びかたしてるの?」
「なんぞ悩みでもあるのやもしれんな、」
「そうかしら、なんか酔っ払ってるだけみたい、あっ凄い!竜巻みたい!」
「ちょっと飲ませ過ぎたかな?」
「でもそれであんな飛びかたできるなんてかえって凄いかも、っていうかさっきよりずっと大きくなってるような、あたしの目がおかしいのかな、変なの、ラグンさん、だいぶん縮んじゃったみたい、あれ、距離感が変、変かな? もしかして、あたしも酔っぱらってる?」
「それはないな!」
「ありえんな!」
「グエッ!!」
「あっ! ゴメン!」
脇腹に爪先をぶちこまれたバスポラが鞠のようにまるまって吹っ飛んで行く。しかし舌を垂らし嬉しそうに回転して行く姿はどこか変態っぽい。(と、同時にワザとらしい)
「でも足の間を行ったり来たりするアンタが悪いのよ、」
「お前の足癖の悪さは実証済だかんな、俺の体術の方が、グエッ!」
「またーーー 歩きにくいから止めてよ!」
「くそーーー 今の絶対ワザとだろ!」
「アトゥーラ、ちょっと目を見せてみな、」
二人は立ち止まった。男はかがみこみ赤い荒々しい前髪をかき揚げてやる。
左目のあるべき場所には小さな肉瘤が出来ている。薄紅く微かな螺旋模様を描きつつ新しい肉が盛り上って来ているのである。
「完全に潜ったな、異様に早い、こりゃ開眼(開通)がすぐ始まるかもしれん、
アトゥーラ、痛いのはどうだ?」
「痛くないけどさっきプチって刺されたとこがちょと痒い、」
小娘は髪をサッと下ろして隠そうとする。足下に三頭が集まっている。
「おいアトゥーラ、俺達にも見せろ、」
「ついでに嘗めさせろ!」
「いやよ、なんでそんなこと!」
「なんでもくそもあるか、俺達は義兄弟だろーが!」
「だっ、かっ、らっ! その義兄弟って何よ、義兄弟だったらなにしてもいいっての?」
三頭は一列に並んで座り三頭とも全く同じ角度で首をかしげ、まったく同じ表情で心底呆れた風な、いかにも情けなさそうな目付きでアトゥーラを見上げる。
「おまえなあ、いまごろ何言っとるん?」
「ちょっとそこ座れ!」
「再教育が必要だな!」
ちょうど道端に手頃な大きさの火山弾がころがっていた、色はこれまたちょうどよく赤褐色である。アトゥーラはそこに腰をおろした。ちょっと疲れてきたので休みたいなと思っていたところだったのである。ドナドナが合図を送ったのでラグンたちも停止したようだ。ジーナもやっと羽根を休める気になったのか、箱車の上にとまっている。太い触角を震わせ頻りに酒臭い?板の匂いを嗅いでいる。
ラグンは手綱を放し大きく背伸びをする。何か遠い臭いを嗅いでいるようだ。
*
「義兄弟とは何か?」
壮重に始めるペームダー。
「なーに、まったく簡単なことだ、」
三頭が声を揃える。
「それはお互いを自分よりも大事に思うことだ!!!」
「具体的には、そう、相手の命の危機には必ず駆けつけ自分の命を投げ出しても救うってことだ、」
「だが、俺達に命の危機なんてありえねえ、」
「そう、だからお前はとってもお得な立場にあるわけだ!」
「なにそれ、わけわかんない、」
「そういう契約なのだ、わけなんぞどうでもいいことだ、要するにお前はこの世では無敵だってことだな、」
「そう、ほとんど不死身だってことだな、」
「そんなの、迷惑だわ!」
「そんなわけでお前はとってもお得している!」
「だが、俺達とて多少はなんかお得が欲しいわけだ、」
「まさか」
「そう、そのまさかっ、だっ!」
アトゥーラはスカートの上から膝を抱え込むようにして縮こまる。そして真っ赤になった。
「この、この世で最高、最大のお得に対してまったく些少なお返し、ささやかな、ごく自然なお礼の気持ちだな、ほんのささやかな、お気持ち・・・ そんだけのもんだ、」
「ほんとうならちょこっとかじらせてほしいところだが、そーもいかん、」
「ちっ! イヨルカの奴め!」
「で、たまには嘗めさせろ、ってことだな、」
「いや、たま、ではあかんだろ、」
「そーだな、たまっ、ではタマらんな、」
「つまりだ、お前は俺達が喉乾いた時には、オ○ッコを飲ませてくれたらいいんだ、」
「で、俺達が遊びたいときには前みたく遊んでくれんとな、」
「そ、それって話が逆じゃない? あんたたちだけが得してるようにしか、」
「なんだとおーーー」
「おまえ、ほんと頭悪いな、」
「あたしは、不死身にしてくれだなんて頼んだ覚えないもん!」
「ま、不死身に関しては俺達の出番はあんまりないかもしれんがな、」
「イヨルカのねーちゃんが踏ん張っとるもんな、」
「しかしあれは時々寝込むくせがあるぞ、」
「ま、俺らは保険みたいなもんかな、臨機応変だしな、」
「ねえ、この契約って無効にできないの? 解約は?」
「おまえなあ、それってなあ、あの太陽にここに落ちてこい、って言ってるのと同じだぞ、」
「ちょっと後ずさりして、昼飯前に時間を戻してくれっていうのと同じ、」
「バカにつける薬はないな、」
「ドナドナ、これ、あたし、納得できない、この子らいつもこんななの?」
アトゥーラは助けを求めるように人形師を見上げた。相変わらず顔は紅く、全身に時々細かい震えが来ているようだ。
「まあ、こいつらは昔っからコンナだな、許してやってくれ、」
「馬鹿な子ほど可愛いいんだけどね、」
突然耳元で大きな声が轟き小娘は文字通り飛びあがった。ラグンがすぐ傍まで来ていたのである。狼は今は手綱を銜えていない。しかし、ヤクザな箱車は従順な子犬よろしくゴトゴト随いてきたようで直ぐ後ろに控えている。
「この子勝手に動いてる、」
アトゥーラはしかし、あまり驚いた風でなく、なぜか半ば諦めたような、いなむしろ十分に呆れた面持ちでこの古い付き合いの木製の相棒を眺めた。人形師が蓋をずらし中からアトゥーラのサンダルを取り出した。
「ほれ、もうそろそろこれ履いときな、」
「あたしの? どこで?」
「おまえがダヌンを駆け上がっとった時脱げたやつだな、」
「もうちょっとで静かの森だぞ、あそこは足元が悪い、怪我してもつまらんだろ、」
「イヨルカもささいな怪我まで面倒みてくれんぞ、」
「あたし、素足の方が好きなんだけど、」
「いいから、も一回座れ、きれいにしとこう、」
小娘はドナドナには素直に従った。例の青い手巾が活躍する。泥々だった足指はすぐにきれいになった。
「えらい爪がのびたな、」
「もう猛禽といっていいな、」
「これで背中掻いて欲しいな、」
「いやよ、」
「おい、アトゥーラ、なんでそんなモジモジしてる?」
「どっか痒いのか、俺達でよけりゃ掻いてやるぞ、」
「顔が赤いぞ、」
「スカートもうボロボロだな!」
「あーーー もう、もう! わかったわよ、そんな露骨に嬉しそうにしないで!」
小娘はやや慌てたふうに立ち上がりキョロキョロする。すぐ後ろに大きなツルノブドウの茂みがあった。その中へ小走りに入って行く。三頭がピョンピョンと続く。ジーナもその暗がりへと飛び込んで行く。
*
行列は再開したが、順番が変わっている。先頭はアトゥーラで申し訳のように手綱を引いているがほとんど力を使っていないように見える。続いてヤクザな(半自動式?準自律型?)箱車、その後ろに何故か巡礼者のマント姿のドナドナ(緑の巡礼杖を曳いている)、そしてラグン、バスポラたち、殿がジーナである。
さて、ラグンは今やごく普通の狼の姿に戻っている。ただ、背丈はまだ倍近い。青い炎は見えない。子狼どもは一回り大きく毛並みもさらに立派に輝かしくなっている。その表情には、なにか偉大な勲しを打ち立てた後の勇者のような、と言うか、むしろ一片の後ろめたさも存在しない、シテヤッタリ感がみなぎっているのが大層おもしろい。ジーナの装甲にも磨きがかかり、しかも強力な羽音は最小限に絞り切られてほぼ静寂の域に達している。
「なあ、ジーナの姉ちゃんよ、」
さっきからトワイムが話しかけているが蜂は返事をしない。しかし、もうオヤツ探しはせず、えらく行儀よく、端正な飛びようである。
「なあ、ジーナちゃんよお、」
「うっさいわねえ、聞こえてるわよ、」
「おれたちも、つまりは義兄弟ってことになるわなあ、」
「あんた、頭腐ってるんじゃない? 大丈夫?」
「俺の頭の心配は・・・・・・ つまり、要するにだ、俺がするんで十分だぞ!
そんなことより、ねーちゃんよ、」
「なによ、」
「あんたベッピンさんだよな、」
「バッカじゃないの?」
「俺達は嬉しいんだ、まあ、今日は特別な日だな、いっぺんに女の兄弟が二人も増えたんだからな、しかもとびきりのベッピンさんだ、」
「あんたら、最低ね、」
「アトゥーラ、あれ、ベッピンさんと言えるかね、」
「まだ小便臭い小娘だしな、まあ、化ける可能性はある、」
「その○○が肝心だろ、さっきは凄かったな(勢いといい、量といい)、」
「相当我慢してたんだな、」
「ふふん、メーヴ女王顔負けだぜ!」
「やっぱり直接飲むと全然違うな、すごい効き目だな、」
「痺れたぜ」
「あいつ、あんだけ嫌がってたくせに、いざとなると大胆だったな、」
「あれはまあ、人間的に言うとヤケクソっていうヤツだな、」
「でも美味かった、」
「美味過ぎたな、」
「終わったな、」
「終わってるな」
「あんたらねえ、言ってて恥ずかしくないの?」
「恥? なんだそれ?」
「そういうあんただって直接あの泉から飲んでたじゃねえか、しかもゴクゴクゴクってえ、あれは俺達より長かったぞ、」
「そだな、ずういぶん長く、アソコにとまってたもんな、」
「アトゥーラ真っ赤になってたな、」
「あれは、ちょっと可愛いかった、」
「言っときますけど、あたしはあんたらみたいな変態と兄弟になった覚えはないからね、」
「俺達を変態呼ばわりするこの人はすごい常識人みたいだな、」
「あたしって、どーこの誰よ、さっきまで俺って言ってたよーな気がするが、」
「どこにそんな正常なお人がころがってるのかな、」
「ふぉっふふふ、自慢じゃないが俺はこの人がなんか別の種族の女の人とヨロシクやってるのを見たことがあるぞ、」
「そのゴッツイ顎をちょいともて余してたな、ご苦労なことだ、」
「あんたらねえ、いっぺん死んだ方がいいわね、あたしが刺し殺してあげようか、」
「無理無理無理無理、そんな貧弱な剣じゃあねえ、
かあいそうなミツバチちゃんなら貫けても、俺達にはムリだな、」
「試してみる?」
「やめとこうかな、」
突然三頭は黙りこんだ。そして同時に先頭を窺った。
*
アトゥーラはお尻のあたりが何かムズムズするのを気にしながら、けれども後ろのドナドナが幽かに鼻唄しているハイドリーベルに聞き惚れながらゆったりと歩いていた。
木の箱車が何故か従順な仔犬のような気配で付いて来ているのが、
もう少し後ろ、最後尾ではバスポラたちが、
なにか自分にとってとっても恥ずかしいことを話題にしているようなのをおぼろ気に聞き取りながら、
それでも幾分かは、まだ前生の酒宴?の名残があるかのように陶然と歩んでいたのである。
森の縁に沿いゆったりとカーヴしていた道は巨大な大岩に打ち当たり直角に折れ曲がって行く。そしてすぐ目の前に二本の大木、バイス・リリオデンドロンがお互いを庇い合うように交差し新緑の大門を形作っているのを見上げる。そうしてそれが静かの森、ニュヒテルムドウローンの入り口なのだった。
小娘は立ち止まった。緑の大門はいつもと変わらず、仄暗い、幻獣と悪霊に満ちた隧道への誘いとしてその大口を開けて待ち設けているかのようだ。しかしアトゥーラの足を竦ませたのは全く別の気配、あまりにも明快すぎる、ある意味、最も聞き慣れた物音が響いてきたからである。そしてその実体は、あまりにも素早く、唐突に目の前に具現化し血肉と化したのだった。
*
「よお、アトゥーラ、奇遇だな!」
いかにも身軽な軽装鎧の上に黒いハーフコートを纏い二本の長大な剣を佩いた男が馬上から声を掛ける。隠しようのないあからさまな嘲笑の気配、針を刺すような嫌悪の声色がアトゥーラを撃った。小娘は縮み上がり手綱も取り落としてしまう。仄かに薔薇色だった顔色は一瞬で蒼白となっていた。
「こらこら、お前の大事なお道具を落っことすんじゃねえ、拾えよ、」
しかし硬直した体は動けず、ワナワナと震えるばかりである。だが辛うじて腰を捻り後ろの気配を確かめようとする。ドナドナもラグンも、バスポラたちの姿も、影も形もない。
アトゥーラは、ほっとしたことに、まったくの一人だったのである。半歩無意識に後ずさる。
箱車がなぜかカタリと鳴る。
「どうした、相変わらず、まともな口もきけんのか、」
右手の長い鞭が無造作に突き出され喉の下の窪みを軽く押す。
「グゥ、グリモー様」
「気安く呼ぶんじゃねえ、」
鞭がさらに深く突き込まれ息が止まる。咳き込み身をよじって避けようとする動きを鞭の先が完全に押し止め次の瞬間空気を切り裂く音がする。鞭はアトゥーラの右の首筋を撃ちそのか細い体を地に打ち倒す。
「相も変わらず汚ねえ格好だな、ふん、それに変な臭いがするな、ああ、臭え、臭え、」
馬上の男、グリモー・アナス、ギドン麾下バイメダリオン副隊長は大袈裟に鼻をつまむ格好をし、なぜか落ち着かない馬をなだめながら辺りを見回した。高さ30メルデンはあろうかという垂直の一枚大岩、シルバ・シルバを見上げ、さらに晴れ上がった青空に太陽の位置を確かめる。
「おおっと、もう行かねばな、大殿を待たせるわけにはいかんしな、」
男は箱車の回りを一周し地面に怪しい痕跡のないことを確認する。
「これから泥拾いに行くんだろ、送っていってやりたいがそうもいかん、俺はそっちから回ってきたんだしな、ほれ、はやく拾えよ、」
アトゥーラはよろよろと立ち上がった。手綱を探す。その端をグリモーの馬が踏みつけている。
膝をつき、引っ張ろうとするがびくともしない。
「なにをやってる、早く拾え、」
「う、馬を、馬の足が、」
再び鞭が鳴り、アトゥーラは回転しながら箱車に打ち付けられる。
「まぁーーたく、トロ臭い奴だ、早くしろ、」
なぜか怯えた馬がたたらを踏む。這いつくばりようやく綱をつかんだアトゥーラが立ち上がろうと再び膝を突く。鞭が、容赦なく左右から、アトゥーラの肩を撃ち据える。
「これの馬具に血をつけやがったら殺すぞ、」
鼻血が出ていたのである。頭がクラクラするようだ。中腰のまま硬直している体を鞭の連撃が固定している形である。グリモーは馬を御しながらの自分の鞭捌きにいささか酔っているようだった。それでも懸命に立ち上がろうとするアトゥーラを嘲りながら最後にトドメの一撃を加えようとする。と、その時、男は馬の怯える原因に気付いた。
小さい狼が一頭、アトゥーラの後ろから非常な速度で回りこもうとしていたのである。
「ほほう、これは珍しいな、今時、いな、まだ若い、子供だが、はて、どっちが標的なのかな、」
男は馬を宥める呪文を呟きながら改めて鞭を振り上げる。それはアトゥーラの側頭部を撃ち抜く狙いだったが空中で狼の牙に撃ち落とされる。
「ま、そういうことだわな、」
若い狼は、剣呑な唸り声とともに着地し身構える。アトゥーラは棒立ちのまま、何か声を出そうとしているがさっぱり声にはならないようである。
男は既に抜き打ち用の1本に軽く右手をかけていたが全くの余裕の構えだった。
「その汚え棺桶車、狼の刺し身も積んで帰るとするか?」
「だ、だめ、バスポラ、逃げて、」叫ぼうとするが喉がかすれ、奇妙な草笛のような音だけが響くのと若い狼の鋭い跳躍は同時だった。
また、やらかしてしまいました。あまつさえ、月一更新もできなかったくせに、
まーーた、この尻切れトンボのテイタラク。
でも、言い訳はよしましょーーー。○○○は度胸です。目一杯開き直り・・・
俺達の戦いはーーー、と叫んでみたい・・・
とまあ、冗談?ですが、実際、お話の方は、この節の最初の山場にかかり
大変難儀しております。シャリーさん、出し惜しみが過ぎるのでは?・・・
と、愚痴りたくなることもしばしば・・・
いえいえ、他人のせいにするのはヨクナイです。ひとえに、
私めの力不足、おつむりの弱すぎるせいなのです。
どうかどうかお見限りなきよう、伏してお願い申し上げます。




