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第1巻第2部第1節の続きその4 「ドナドナ そしてイヨルカ・・・  虚空・・・ 舞踏・・・  」

草緑色のマントー、青い尖がり帽子に黄金の鎖を巻きつけた長身の男がじっと行く手を見上げていた。裏街道からも外れ、道なき道を、馬にも乗らず供も連れず、ただ一人で、

ただ・・・ちょっと近所の酒屋へ、切らしてしまった地酒を一瓶買いに出てきたついでの散歩とでもいう風情で、杖さえ持たず、手にしているのは細首の白磁の酒徳利ひとつのみという有様である。

「 おやおや、とめるいとまも有らばこそ、か、」

男は目の前にそそり立つダヌンの大絶壁の頂上から赤い焔の塊が飛び出すのを見た。その塊がおよそ奇妙な放物線、まるで虚空に描き出される奇怪な対数螺旋のように舞いながら、ゆっくりと、不規則に、あるいは屈曲しながら、何か躊躇いがちに舞い落ちてゆくのを見守っていた。

「 やれやれ、かなり遠いが行くしかない、おい、おまえたち、」

男は振り返り、ずっとついて来ていた狼の親子に話しかける。

「 もういいよ、森へもどって遊んできな、あの子なら大丈夫、ちゃんと落ちたさ、いや、飛んだというべきか、」

青灰色の巨大な雌狼ラグンと三頭の子ども達が、ちょっと不服そうな面持ちで下顎を突き出して唸ったがすぐに尻尾を振りその姿を消す。男はハイドリーベルを歌いながら歩き出す。


ー 無茶をするね、アトゥーラ、ー

ー だれ?ー

ー わたしだよ、わたし、ー

ー わたしじゃ、わからない、あなたは誰? ー

ー わたしはわたしさ、あなたじゃない、ー

ー わたしはもうわたしじゃない、ー

ー じゃあ、ちょうどいい、いっしょにいこう、ー

ー どこへ? ー

・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・・

ー 道は一本しかないんだ、それをゆくしかない、ー

ー わたしにはいつも一本道しかないの?ー

ー まあ、そうだ、ー

ー そんなのいや、ー

ー 仕方ないさ、後戻りも踏外しも、もうありえない、ー


ゲイルギッシュの鍔鳴りが次第に激しくなる、この鞘の中で、剣の本体が暴れることなど初めてなのだ、ギドン・オルケンは柄に手をかけ、それがまるで馴染みのない、見知らぬ若い女の細首でもあるような、熱く柔らかな ― 肉のような ― 感触に全く驚いてしまう、しかし剣は飽くまでも暴れぬこうとする、狼伯爵ギドン・オルケンは持てる力の全てを絞り出し、出し尽くさねばならない、さもなければ剣は虚空へと跳躍し、永遠にその姿を消してしまうだろう。


ー ところでさ、やはりお互い名乗りが無いとちょと不便だからね、名前をあてっこしてみようか? ー

ー わかるわけないわ、ー

ー ずっとそばにいたんだ、ちょっと冷たいね、ー

ー でも、あなたの顔は知ってるわ、炎の息がわたしを撫でた・・・ ー

ー そしてあんたはあたしの毛を毟った・・・ ー

ー そしてあたしはお腹一杯になった・・・ ー

ー おぼえててくれてうれしいわ、ー

ー おかあさん? ー

ー ふふん、じゃあ、アトゥーラ、あんたの底無しの記憶の底から、あたしの名前を掘り出してごらん、ー

ー シャリービョルバム? ー

ー はずれ、おこるよ、ー

ー ロデロンの、ー

ー そう、ー

ー イヨルカ? ー

ー 大当たり、やっぱり凄いわ、でも、イヨルカだけでいいわよ、ー

ー 変な名前だわ、ー

ー おこるよ、ー


存在する全ての風の轟音が耳元で鳴っている、

あまりに八釜しいので目が覚める、そういう気分?でもあるらしい、

身体が、棒遊びの子供に投げ上げられた棒っ切れのようにくるくると、

虚空を回転しながら舞っているのが、

風どもが・・・

ワァグダンガラス〔爆弾烏とも訳しうる〕どもの気紛れな遊びのように吹き上げ吹き散らし、

しかし絶対の重力には敢えて逆らわずあくまでも優雅に滑らかにこのみすぼらしい身体を運んでゆく、そんな感じ・・・

こんな時片目であるのはつらいのだ、とアトゥーラは思っている、

回転が必要以上に酷い眩暈を起こすのだ、そしてこの目は何を見ているのだろうか?

自分で自分の目が信じられるだろうか?

大地は優雅な曲線を見せてゆったりと広がりほんのりと薄緑色に、ほけやかに、好ましく、

一口で食べてしまえる卵のお菓子のように宙に浮いている、

細い帯のように延びた暗黒が遥か彼方の月を巻き取ろうとしている、

そして目の前には、懐かしい巨大な驢馬の首が、

シニカルに歪んだ醜い唇が無限の愛情をこめて何ごとかを囁いている、

さらにアトゥーラの身体が半回転する、スルト、この四つの回転体が相関位置を変えずにゆっくりと転回しその動きの波動が宇宙全体をも・・・どよもし轟かせるのはあまりに既定の事実なのでそもそも手の下しようがない、

暗い大地の表面では何か蠢くものがある、夜になっているのだ、

炎の帯が地を走り割目を作る、しかし何の嘆きの声も聞こえてはこない、

そこだよ、そこ、と驢馬は言う、

どこ、どこに、と娘は答える、

だが、足場になるようなものは何もない、

そう、そこを踏めば大地がひっくり返るのだ、君の舞踏が全てを踏みつける、

踏み砕いてしまえ、とそう命じる、

どこ、どこに、と娘は答え泣きそうになる、

決して、決して泣くな、と女はいう、

その涙こそ、その涙滴ひとしずくの中にこそ、すべての命が、

たったひとつの運命が・・・ 

踏め、踏め、と驢馬が言う、

闇の虚空の狭間から、スルリと、一匹の、骨の魚がやってくる、

わたしの骨を鍵にすればよい、魚は言う、

さあ、ダンスの時間だ、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス、

さあ、鍵はここにある、これを踏めばよい、

虚空の娘がそっと足をのばす、その右足の親指が、

泥まみれ血まみれの割れた爪先が、骨の鍵に触れようとする・・・

あたし、ダンスなんか知らないのに、

と、娘は呟いた、その時、破城槌の衝撃が ・・・ ・・・ ・・・


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