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第1巻第2部第1節の続きその3 「ウェスタの決意 思い出 野盗 アトゥーラ飛ぶ」

「 それで、実際問題どうすりゃいいのか、わしにはさっぱりわからんが、」

娘の長広舌にうんざりしたエイブ・サラザンは空になった煙草の箱を投げ出すように突然自身の家長としての権威をも放り出し狡賢い小僧っ子みたく計算ずくの投遣りな態度に打って出た。

「 ま、おまえがいいと思うようにやればいいさ、もちろん、大殿様をちゃんと納得させられるだけの手順は踏んでもらわにゃならんがな、」

娘は短く笑ったが、承認とも非難ともつかない曖昧な嘲笑であり、ほとんど凶悪なまでに歪み吊り上った瞼の下の目の光には微笑の欠片も浮かんではいない。

「 そう、あの子がたとえどんなに大事な預かり物だったとしても・・・、 よ、」

ウェスタの声は薬湯の調合手順の暗誦のように正確で揺れがなく、アズラ・メリーノーーンの石像の、風の託宣のように冷酷だった。エイブ・サラザンは何時も簡単に掛け外しのできる薄ら笑いが凍りつき少しも意のままにならないことに気付いた。

「 本気なんだな、」

「 ええ、」

「 わかった、」

亭主は頷くと看板娘のしなやかな腰を抱き寄せ身を屈めて額にキスをした。娘は父親の異状に長く強靭な腕を一瞬で外し、くるりと一回転すると、スカートの裾をつまみあげ優雅な会釈を返した。

「 じゃあ、お昼からはだいぶ忙しくなるわね、」

ウェスタは表情をがらりと変えた。

「 泥炭はまだ足りないし、薬草摘みも残ってる、今度はあたしもついてゆくことにするわ、その方があの子も助かるんだし、」

「 おいおい、こっちの手伝いだってあるんだぞ、グエンドーたちもまもなく着くはずなんだがな、」

「 問題ないわ、」

ウェスタ・サラザンは柔らかい春の光に溶け込むような微笑を浮かべて反論する。

「 あたしを誰だと思ってるの、稲妻のサラザンとヴェランの白き狼の娘なのよ、それにグエンドーなんか半日位お預けを食わしてやるぐらいが丁度いいんだから、」

亭主は肩をすくめ胴着のポケットから魔法のように新しいエプロンを取り出すと腰に巻きつけた。娘は厨房へ戻る父親を見送るともう一度臍石の上に登り南と東の方角の匂いを嗅いだ。北の円丘の連なりへは少しも目を向けなかったのである。

ウェスタの不安はしかし・・・



緩やかな傾斜の尾根道は次第に幅が狭まってきた。左手下方のお化けの森はもう遥かに遠ざかり青黒い一枚の絨毯のようだ。ところどころに白っぽい浅黄色の靄のように見えるのは荒々しく新芽を吹き出した蝙蝠ブナの樹冠らしい。いや、実際に、白く、泡立ったような妙に生々しい雲のようなものが浮かび上がっては消えてゆくのも見える、が、時々その中では、ほんの一瞬、微小な稲妻が走り、狂い廻っているようだ。アトゥーラは自分の目がことさらに超自然の、否、反自然の現象を拾い出し、拡大し、引き寄せさえすることに好い加減慣れてはいたけれども今はただ、そんな自分の力?の全てが厭わしかった。否、それは善き能力などではなくただの枷、重荷、まるで預かり知らぬところで定められた苛酷な劫罰に等しいものだった。アトゥーラは遥か下界でちらついている稲妻が、ややもすれば、隙を窺い、こちらにむかって細い強靭な光の触手を伸ばそうとしているのを見た。虫唾が走り、吐き気がする。空っぽの胃はしかし何も出さない。一瞬、自分の、何もない、空無の左手が、何か縋りつくような動作で光の触手に向い震えながら伸びてゆくように感じ、心底ぞっとする。頭を無理に振り上げ、頂上の方を仰ぎ見る。まだ遥か彼方だ。ここからは急傾斜の登りになる。

道の右側はまだ緩やかな傾斜の幅広い谷間で柔らかな春日を浴び、萌え出たばかりの新緑の輝きがひどく目に優しい。薄いビロードの緑の絨毯がゆるやかに、海のように、うねり、滑らかに延び広がり、無限の一日を、ここで、ゆっくりと寝転がって過ごすようにと、ほとんど抗しがたい甘い言葉を投げかけてくるようだ。所々に純白や薄紅色の微小残丘が慎まし気に頭を擡げ、神々の放牧する羊や乳牛ちちうしたちが長閑のどかに草を食んでいるようにも見える。アトゥーラはよろめきながら右手を伸ばしその暖かな光を掴もうとする。ひやりとした風が掌を打ち、のどかな風景は一枚の絵のようにひらりと遠ざかる。尾根道は両側の深淵に向かってゆっくりと崩壊し始めていて砕け散った砂礫の間にひょろひょろと生える地縛り草の蔓が性悪の罠のように娘の足に引っかかろうとする。終にアトゥーラは両手を突き、〔但し左手は実際には使えない〕ほとんど四つん這いとなって登り始める。息が苦しいのは高度がかなり高くなったせいだけではない、虚しい、絶望的な思考だけが、か細い胸を締め付ける。氷のような風が道の両側から吹き上げる。焔と見紛う赤髪が激しく燃え上がるように逆立つ。実際、遥か下界から眺めると一つの焔が、何か、取り乱したような炬火が、ゆっくりと大円丘のふちを、虚空のへりを、じりじりと、かたつむりのようにじれったい動きで登ってゆくのが見えたのである。

ー あたしはどこへ行こうとしてるんだろう? ー

口の中はもうカラカラだった。

ー そうだ、あたしは、もう、充分、生きた、そのはずだ、ー

その赤髪の真上、天空の頂上で十字型の雲が交差し太陽を隠そうとする。

ー 姉様は、あたしを殺す、

サラザンがあたしを殺す、いや、サラザンはあたしのことなんかなんともおもっちゃいない、

姉様があたしを憎んでいる、ー

苦い雑草が口に入る、吐き出そうとしても唾も出ない。

ー 姉様に殺される・・・、殺されるのはどんなこと? あたしはよく知っている、いろんな殺され方を見てきた・・・、殺される方はたいてい悲しんでいた、嫌がって泣いていた、暴れて嫌がってたのもたくさん、でも、そう悲しくもないかも、じゃあ、大殿様のあの大剣ゲイルギッシュなら、あの目も眩むような抜き撃ちなら、人間の頭があんなに軽々と宙を飛ぶなんて、あの切口の凄いこと、もっと凄いのも見た、大きな驢馬の頭が宙を舞っていた、優しい大きな眸があたしを見ていた、あの眸には確かにあたしが映っていた、大きなドロノキが回りを取り囲んでいた、あれは十二本だったかも、あれ、十三本だったっけ、 ー

僅かな平地があり一寸一休みできる。でも、すぐ、出発。・・・・・・何をそんなに急ぐことがあるのだろう?

ー 殺されるのは嫌じゃない、嫌? 嫌じゃない、でも、痛いのは嫌だな、ゲイルギッシュなら痛くないかも、でも、姉さんならどういうふうにあたしを殺すだろう、鳥を絞めるみたいに? 包丁で? あの鉄杓子で頭をガツンと? でも、どれも痛そうだ、でも、でも、逆はどうだろう、あたしが、姉様を殺す?? ー

一瞬、心臓が何倍にも膨れ上がる。アトゥーラは虚空の縁にへばりついたまま凍りついたように静止。全身の毛根が逆立っている。

ー あたしが・・・、姉様を、 こ、ろ、す、・・・・・・?! ー

小娘は恋敵と向き合った雌猫のように弓形に反り返り硬直していた。一体、どこからそんな逆転の発想が出てきたのだろう、

ー ありえないわ、あんまりありえないんでおかしくって、涙がでちゃう、ー

しかし、涙など一滴も零れはしなかった。

ー あたしが、あの、姉様を、殺す? あの姉様を? ー

そこは再び小さな岩棚になっていてアトゥーラは半ば硬直した体をぎこちなくひっくり返し少し休憩することができた。たった一つの目は、冷たい大地から、さらに寒冷な虚空へと容赦なく曝される。十字型に交差した雲の中心で太陽はその輝きを失い、白っぽく、気後れのした弱々しい光を投げているだけだ。薄い胴着を通して鋭い稜角を持つ小石が、三つと、三つと、一つ、合わせて七つ、背中に突き刺さってきた。背中に穴があきそうだ、しかし、アトゥーラは動かず、それどころか、両膝を引き寄せ抱え込み団子虫のように丸くなろうとする。第一の三角系も、第二の三角系も、うまく背骨を外してくれていた、残る一つだけが最後の劫罰のように第七?脊椎骨に突き刺さる。

ー 血が出てるかもしれない、こんなに汚して、その上血まで、ああ、姉様は、昔は血のついたものは絶対洗ってくれないんだった、腐った体に、ち、み、ど、ろ、の着物、とってもお似合いだわ、さあ、アトゥーラ、姉様に逆らおうとした罰がこれ? まだ足りないの?自分が、たとえ不意打ちにせよ、どんな卑怯な手を使うにせよ、あの姉様に勝てると思うなんて、ああ、思い出した、あの夜、二人で留守番してた夜、三人、いーえ四人の野盗の襲撃のあった夜、震えて暖炉の中へ逃げ込もうとしてたあたしを野盗の一人が引きずり出し絞め殺しかけてた(でも不思議に全然苦しくなかった)、暖炉の上からゆっくり降りてきた姉様を丸腰だと思った野盗たちは剣も抜かずに飛び掛っていったけどすぐに後悔してたわ、一人は一瞬で脳天を砕かれてたし、後二人はさすがに長剣で対抗したけどもあの鉄杓子の恐ろしい動きには全然ついてこれない、まるで糸の縺れた操り人形のようにギクシャクしながら姉様のダンスに付き合わされ順番に行儀よく剣を持つ手を砕かれ、肘を砕かれ、あばらを折られ、目玉が飛び出し、脳みそが飛び散って行った、ああ、あとの掃除が大変だった、残った一人は、さあ、どうなったのかしらん、姉様は何も教えてくれなかったけど、あたしを助けるためだったとはとても思えない、あたしを縊り殺そうとしてた奴は仲間の惨状に気付いていたのに少しも慌てていなかった、それどころかちょっと不機嫌そうな姉様がゆっくり近付いてくるのを見ると片手を離してあたしの脳天をめまいがするほど殴りつけてこいつは妙にしぶといガキだと言い背中にしょった細身の長剣を引き抜きながらもう一度あたしを殴りつけたあたしは真っ白な光が飛び散ってそのまま気が遠くなりかけたけれどその前に男の長剣がゆるゆると、ひどくゆるゆると鞘走るのが、その刀身の刃紋がひどく美しいのが、ひどく美しいけれども何か不吉な、不吉だけれども大水沼蛇様の背中の文様のように生臭くなまめかしくひどく美しいのに見惚れていた、それは珍しい型の片刃刀でこいつはここいらでは滅多にお目にかかれないとは剣の収集家たるギドン・オルケンの口癖だし、後であたしによく見せてくれた時、それが最高級のギモレット鋼でこんな野盗風情が持ち歩くような代物ではないと講釈してくれたけどもあたしはただその刃紋のひどく美しいのに見惚れてただけだった〔この講釈には明らかにイヨルカの口癖が混じっている、因みに、この剣は後にアトゥーラの愛刀の一つとなる、この剣の正体については、今のところ不明としておくしかない、 また、刃紋の認識からもわかるようにここでこの野盗の抜刀速度が異常に遅かったわけでは勿論ない・・・

キューレスさん・・・或いはメルモスのコピー? だが、コピーの製作者という謎が残る〕

あの刀は今は一体誰が持っているんだろう、あたしがもう一度見たいのは、あの刀と(あのなまめかしい刃紋)、ギドンのゲイルギッシュの舞、姉様のあの宝石と・・・

ああ、駄目だ、駄目だ、あたしの前にあるのは暗い穴ばかり、光なんてどこにもない・・・ ー

突然全身の感覚に眩い白熱した光が点火され燃え上がる。

虚空の真中に宙吊りになっていた白い太陽がそのまま落ちかかってきたようだ。

アトゥーラは跳ね起きると兎のように駆け上り出した。片手片肘両足を使い時には顎や額までも地面に擦りつけながら急な傾斜を駆け上ってゆく。既に大気は薄く殆んど呼吸もできない、

心臓は張り裂けそうになっている。全身が熱い。そして不意に道が消えてなくなりアトゥーラの身体は最後の土と短い青草を蹴って飛ぶ。


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