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第1巻第1部第33節の続きその3 「前払い 乾杯 鈴付きのアンクレット」

「 どれ、よく見せろ、エイブ。」

「 なるほど、混じりけ無しだな、純正だぞ、これは珍しいな。」

「 極印も打ってない、つまりソムド人どもも一度も拝んでないわけだ。」

「 正真正銘、処女ってわけさ。」

「 いつまででも撫でさすってやりたいもんさ。」

「 なあ、ご亭主、宿賃は全部でいくらだったかな? 」

粘りつくような三つの視線には全く頓着せず、ゆるゆると小銭を仕分けていた初老の修道僧は、しかしほんの少し呆れたような、非難とも抗議とも取れなくはない曖昧な微笑を浮かべながら口を開いた。そうして嫌に赤黒くて長い舌を出し唇を舐めたがすこうし多すぎる唾が溢れたのか胡麻塩の無精髭が冷たく光るのはいささか薄気味悪いものである。

「 二十シルと八十だったが、なあ、お坊さん、その荷物はまた随分と馬鹿でかいからなあ、荷駄としてロバと一緒にしとくんなら半シルでいいんだが部屋かここに持ち込むんなら一シルもらわんと。」

「 つまり、二十一シル三十だな。」

「 さすがお坊さんは計算が速い。」

亭主は妙な褒め方をし、修道僧はきれいに積み上げた小銭の山から正確に要求された金額をつまみあげ支払いを済ませた。

「 気をつけた方がいいぜ、ああやって、そろりそろりと釣り上がってゆくからなぁ。」

「 ご忠告は有難いが、別にかまわんよ、財布なんぞ軽いにこしたことはないし、金ってやつはホレ天下の回り物じゃからなぁ、それに大体わしら修行僧は金っけのもんは元来もたん主義じゃしな。」

「 しかしお布施の揚がりにしちゃあ、大したもんじゃないかね。」

「 俺たちでもさっきのグンナル銀貨なぞ滅多に拝めやしねぇからなぁ。」

「 わしはもともと乞食行の修行者※(すぎょうじゃ)じゃからの、そっちの実入りでは勿論たいしたことはないが、ほれ、時々あるんじゃ、大金持ちの旦那衆から祈祷を頼まれたりの、それに大掛かりな修法をやることもある。それともうひとつ、もうちょっと気の利いた俗っぽい出し物もあるからの。」


<※素行者とも;単一の修練徳目を課された最下級修士、アルボナ方言。奇妙である>


旅僧は口元を拭い、咽喉仏のたるんだ皮膚を震わせた。

「 エイブ! 旅の坊さんに一杯つけてあげてくれ、そう、一番手のあれさ、俺とグエンドーにも一杯だ。」

魔法のような素早さで卓の上に銅製の酒盃が三つ現われた。亭主は腹の上に編み藁にくるまれた馬鹿でかい酒瓶を抱えている。

「 いや、いかんいかん、そんな上等の火酒はいかん、お察しの通り咽喉はからからじゃがの、水でいいんじゃ、水で。ご亭主、すまんがでっかい水差しになみなみと一杯、それに素焼きのちょっぴり小さめのコップをひとつお願いしたい、ここに出た三つは、そう、先客のお前さんがたへわしからのおごりにしよう。それに、」

皺だらけ染みだらけの萎びた顔全体に妙に悪戯っぽい微笑が広がった。

「 生臭の、唱導坊主のなれの果てとはいえ、わしとて一応修道僧の端くれじゃからの、酒と名のつくもんは一滴たりとも体に入れるわけにはいかんのじゃ。」

突っ立っていた三人は一瞬間虚を衝かれたように顔を見合わせたがすぐに笑い出し、二人は厚かましさを通り越した図太さでさっさと席についてしまう。亭主は酒を注ぎ、水差しも運んできたがその表情にはわざとらしい気懸かりの影が浮かんでいてグエンドーと呼ばれた男の袖を二度三度しつこく引っ張り出した。

「 うるさいぞ、エイブ。」

「 しかし、バガンの旦那、あちらの旦那もお呼びしないと・・・ 」

「 奴は頭が重いのさ、ほっときゃいい、それより乾杯だ、なあ、えーと、」

「 わしの名はカーノイ、ご覧の通りフラグメンタル托鉢修道団の末席をけがしておるが、」

「 カーノイ? また妙な名前だな、そっち方面でもあんまり聞き慣れんが、まあいいか、俺の名はグエンドー・バガガンス、商人だ、何を商うかっていうと、そりゃあ、この世にあるありとあらゆるものが飯の種ってわけでね、俺たちのメガネにかなうとあれば何でも来いってことだな。」

「 で、俺はドロスコ・デナムハインだ、こいつとはいつもつるんで商売してる、まあ腐れ縁ってわけだ。ついでにいやあ、あっちで酔いつぶれたままの牛みたいな奴はコポル・ブランジート、あいつは正真正銘の山師でね、しょっちゅうじめじめした谷間を嗅ぎ回ってはお宝の鉱脈を探してる、けども見つかったためしがないんで、今じゃやっぱりご立派な辺境商人の端くれなのさ。」

「 では、乾杯しよう、真っ当な商売の、真っ当な稼ぎに! 」

「 それから、山の神さまと、辺境一の旅人宿・銀の山猫と、えい、おまけだ、そこの看板娘ウェスタ・サラザンに! 」

三人が杯と水のコップを空にしたと同時に左手奥のドアが開き当の小娘が姿を現した。明らかに自分の名を耳にしたはずだが顔色ひとつ変えず強情そうに頭を振りながら、

「 エイブ、少し風が出てきた、御供の火はもう三つ目にかかってる。」

「 それじゃ、あといっとき様子を見てからお供えは取り込んじまうんだな。馬部屋の具合はどうだ? 」

「 それがちょっと不思議なんだ、コポルの旦那がたの駄馬どもはさっきまで随分そわそわおどおどしてたんだが急に大人しくなっちまって、ほら、狼様の声もだいぶと近くなってるのにもう怖いもんなんてねーやって顔付きなのがおかしくってさ。」

「 ほぉ、そいつは妙だぞ、もしかしてお坊さんのロバのせいかな? 」

「 そうかもしれんな、何せわしらの乗るロバは、聖別されとるからの。不思議なことではないかもしれんの。」

「 でも、坊さん、あんた坊さんのくせにあんまりやさしいほうじゃないな、ざっと見ただけでも十箇所以上怪我してるし、ひょろひょろで碌に喰ってないみたいだし、じっと見てるとあんまり不細工なんで泣けてくるぜ。」

「 ウェスタ! 口の利き方に気をつけろよ、それともまたこいつでぶちのめされたいのか? 」

亭主は片手に火掻き棒、もう片方の手には巨大な杓子を持ち、己が幼い娘の小さな頭をカチ割るにはどっちの得物が最適か思案する風である。

「 オトトイきやがれってんだ、糞親父! 」

と、娘の返事。

「 おいおい、教育がなっとらんぞ、エイブ、やっぱりかみさんを無くしたのは痛かったなぁ。」

「 そうさ、しかし、俺が思うにあのかみさんはお前には過ぎた宝物だったんだ、」

「 おい、あれの話はよしてくれ。」

「 それにここは寂しすぎるぜ、いくらなんでも女の子を育てるには無理があらぁな、一番近い人里まででも14日(いや、140日だったかな?) もかかるんじゃな、いっそのこと修道院にでも放り込んじまうか、さもなきゃ、大殿様のところへお預けしてもうちっと女らしく仕込んでもらうかだな。」

「 しかし、そうなりゃエイブだってついて行かなきゃなるまい、ここを閉めちまうとなると、さあ、困るのは、」

「 誰もいねぇな、俺たちだって道を変えりゃすむことだし、冬猟師どもだって黒の森側の川沿いの方がずっと条件がいいことはわかってるはずだからな。まったく! 誰も困りゃしねぇんだよ。」

亭主はしかし馴染みの客の駄弁には全然耳を貸さず、心持眉を顰めたまま熱心に鍋の様子に見入っている。娘は娘で父親の腰にぶらさがった鉄の杓子を横目に、さっさと梯子段を登り、一番奥の自分の寝場所に潜り込むと何やらごそごそやっていたがすぐにおりてきた。見ると左の足首に小さな鈴のついた銀のアンクレットをつけている。鈴は幽かに、ガラスのような繊細な音で鳴ったが何故か人の耳を惹きつける強い力が篭っているようでもあった。 

「 おいで、お嬢ちゃん、ちょっとその鈴を見せておくれ。」

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