表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/78

第1巻第1部第4節 「下降回廊を行く二人」


トゥレマルクの内部回廊自体に、ある無限定の、無気味な性格が備わっている事は、これは実際に歩いてみたことのある者でなければわからないことである。それが単なる建築学的な技巧─錯覚錯視の誘導─による半ば強制的な再構成によってのみ成り立っているのではないことはほとんど確実ではあるけども、その一種独特な無目的性、時には全く子供じみて無意味な遊戯性の、残酷なまでの発現が、異様な冷ややかさに満ちたここの佇まいにさえある隠微な破調を与え、しばしば引き起こされる悪性の眩暈は、人が必ず踏みしめねばならないたった一歩のその歩み、その靴底と床石との和合の諧音をさえ無慈悲に奪いかねないのである。これは、硬直し柔軟さを失った精神には耐え難い苦痛であり、あまりにも屡々発狂を招く。この広大な離宮に対して絶対的に寡少である侍女たちの数、訪れる者の稀少、さらに少数である住人たちの〔彼等は後にゆっくりと紹介できるだろう〕いささか常軌を逸した性格など、すべてをゼノワ一人への責めに帰することはできない。謎はこの離宮自体の設計者※、あるいは発注者、あるいはその背後の物自体にも存在する。


<※これの基本設計が、かのドナドナによることは、殆ど知られていないといってよい>


ところでこの言いようのない気色の悪さに好んで身を任せ、その眩暈を進んで楽しんでさえいたのは誰あろうこのヨナルク一人であり、肝心のゼノワといえば、ほとんど無感動、無感覚の状態にあった。なるほど、蜘蛛は己れの展開した粘つく網の上で渋滞することなく動き回り、その致命的な罠に間違っても足を取られたりはしないのだが・・・

下降回廊は大嵐の前触れの長大なうねりのように、あるかなきかに、微かに捩れ始め、ヨナルクは暫し壁に手をつき呼吸を整えねばならなかった。元来ここの照明はどこから来るともわからず、ほどよく薄暗くてここちよく、月下の大渦巻きの下の海底のように半透明に軟らかい奇妙に変幻する緑色を帯びているのである。しかしこの夜、そちこちの窪みに突然現われる、明らかに人間臭い割り木松明の油染みた黄色い輝きが、なぜかひどくけたたましい、場違いな大音声を発しているように思われた。おまけにひどくふすぼったいので、とうとうやりきれなくなり、先行するテュスラに命じ見つけ次第叩き消してしまうことにする。あの黒衣の侍女は、今は月の女神の名を冠する巨大な夜蛾の姿となり、その厚ぼったい翼は、ばさりばさりと、眼前10スパンの空間を物憂げに打ち叩き、青緑色の煌めく鱗粉を撒き散らしながらごく緩やかに優雅な軌道を描きつつ先導して行く。

男は既に日月箱を背負い、旅装も完全に整えていたけれども、どこかふんぎりのつかない、なにやらフワフワした足取りなのであった。どこかに重大な忘れ物でもあるような妙な気持ちの悪さなのであった。それはこのいまいましい、まがりくねりひねくれきった回廊のせいではなかった。それはいつものことなのであり、男はそれを常々愉しんでさえいたのだからツマリそういう問題ではないのである。前を行くテュスラは依然として半ば楽しげに、あくまでもエレガントに滑空して行く。

「 なんだか今夜はいつまでたっても下に着きそうにない・・・ 」

男はひどく投遣りな調子で、しかし満更でもなさそうに呟いた。

「 前にもまして今回のはやっかいだが、そう、時間も、方角も、おまけに天候まで、ふむ、やつらに一杯喰わせるには条件が悪すぎるな。」

「 さっき、ダリマンが偵察してきましたけど、やっぱり西が一番いいようですわ。」

「 ガルデンジーブスか。あんまりぞっとしないな。」

「 贅沢はいえませんね、御主人様、月齢からいって北のおねー様方は絶好調ですからあたし一人ではちょっと骨ですわ。」

「 ダリマンか、ウシアと組めば問題はなかろ?」

「 ぃやです。今度はあたしの番なんですから、全部あたしがやるんです。」

「 まぁいいさ、おまえの好きにすれば。それはそうと、イヨルカにはもう知らせてあるのかい?」

「 知らせるもなにもあいつらときたらもう油断もすきもありゃしない、とっくに感付いているんです、あの馬鹿みたいな雷が鳴った時にはもう、うじゃうじゃ集って討論会を開いてたんですから。」

「 うじゃうじゃって、おまえ、一体なんのことだい?」

「 ロデロン中の虫どもです。あーやだ、なんであいつ、あんなのとばかり付き合うんだろう、あの蟋蟀だけならまだしも、蝿や百足や蚯蚓どもまで・・・、まぁーったく泥臭いったらありゃしない、おまけにあいつらの会話ときたら!」

「 会話だって!?」

「 何か話してる事は確実なんです、でもどーにもとりとめがなくって、それにどーせろくでもないことなんですから気にすることもないんです。」

「 なんでそんなことがわかるんだい?」

「 だって、ただの虫けらじゃないですか。」

ヨナルクは微笑したが、テュスラはそ知らぬ顔でもう十何本目かの松明を叩き落とした。丁度小さなアルコーヴの前で、これは第一回廊〔正しくは第七回廊である〕終点の目印でもあった。円筒形の台座の上に奇妙な彫像が一体蹲っている。男は立ち止りその姿を見た。古代の半跏思惟像でありボーヂサットゥーバと訳される絶対無性の存在である。但し幾分変形しており元々は三面六臂の異相であったらしい。しかし今はその腕のほとんど全てを失い僅かに一臂を残すのみである。元来アスーラ神族であるその容貌は愁いに満ち高貴であるがその一面も欠け落ちているのが痛ましい。

「 なあ、テュスラ、ここにこんなものがあったなんて知ってたかい?」

巨大な夜蛾は旋回しつつ青白い燐光を振り撒き、一瞬の閃光が老い朽ちた石像に落ちかかった。この時、最も毀損の激しい第三顔に、ある名状し難い表情が浮き出たけれども、もちろんそれは単なる錯覚であるべきであった。蛾はそのまま軽やかに転回を終了し第二下降回廊へと飛び込んで行く。主の問いには必ず答えたはずであるが、何も聞こえず、記録もできていない。回廊は果てしなく続き、極めて巧妙な魔術的変形螺旋を描きつつ降下して行く。第六の、どうやら今回はこれで最終の逆行回廊が終わりに近付いたころ主従は再び立ち止った。またもや超硬質砂岩でできた小壁龕の前である。しかし石像のあるべき台座の上は空虚だった。しかも何やら嫌味な後味の残る空隙としてヨナルクに対していた。テュスラは既に人身に戻り妙な顔つきで己が黒衣の袖口の臭いを嗅いでいる。解放された夜蛾の姿はもう見えない。

「 どうかしたのか? 」

「 いえ、ちょっと焦臭いかしらんって・・・ それより御主人様、ここは一寸妙ですわね。」

「 おまえもそう思うかい。」

「 確か六体目、いえ、五体目かしら、ここの石像はつい今しがた迄ここにあったような気配ですわ。」〔 高次物質波の組替え変換の痕跡? 或いは気配? 不詳である〕

「 誰かが隠したのか、それとも・・・ 」

「 ありえませんわ、ありえませんけど、誰かがちょいとフザケテなんてことは・・・ 」

「 いや、もっとありそうにないな、第一ゼノワがそんなことを許すはずもない。」

「 あら、でもここの住人はみんな随分好き勝手なことばかりしてるじゃないですか、こないだだって三階のバッタ伯爵が羊塔の天辺を吹き飛ばしちゃうし・・・ 」

「 そんなことは初耳だね、物騒な話だな。いや、まてよ、例のあれか・・・ 」

「 それに地下回廊のケズル公爵だってほら、高次物質波の組替え実験だとか言って元素変換キーを叩きまくってましたからね、あれでできる雷ときたら! ほんとにもう頭にきちゃう! あたしたちの神経にはもろに堪えるんですからね、あっ! そうだ、今度相転移の実験をやるから精霊石を80ヘルトオンス〔不詳だが、ある換算表によれば約181.33グラムということになる〕集めてくれろって言ってましたけど誰が集めてなんかやるもんですか。」

「 そりゃ、 無茶苦茶だな。」

ヨナルクはふと口を噤んでテュスラのほんのり上気した頬を見つめた。その異様なほどの精気はいやが上にも高まり、秀でた額の表面には金色の微光が幽かに浮き出ている。

「 二三問題が残っている。先ずは例の雷だが、」

「 あたし、雷は嫌いです。」

「 ほら、この子が生まれた時鳴った奴さ、おまえには聞こえたんだろ?」

「 っていうか、やな衝撃でしたわ、どのみちあたしたちには耳なんてありませんから、えーと、音としてどうだったかなんてお答えできませんわ。」〔これは、嘘であろう〕

「 僕らは桟橋に着いたところだった、ボーレン伯の寄越した大仰な船を追い返してしまわれたゼノワ様は船番のドランケンに葉っぱのような小船を用意させていたが、その間僕らは手持ち無沙汰だった。辺りは静かで岸壁を舐める波の音だけがチップチャップと聞こえていた。見上げると城山の頂きは異様に低い粘りくような鉛の雲に覆われ、まるで蓋でもされているようだった。風もなく、星もなかった。ゼノワ様は一言、嫌な気配がする、と言われたが、さすがにと思われた、」

「 人間にしてはってことですわよね。」

テュスラは澄ましてまぜかえした。

「 雷はその時に鳴ったのだ、もちろん、何も聞こえず、なにも見えなかった。人間的には、って意味だがね、もちろん。」

「 でも、あのお方は時々とってもお利口で勘がよくてあら、せ、らら、れますからね、ご主人様のお芝居だってどこまで通じているのやら。」

「 あの方を騙し続けるなんてことは、ほんの一瞬ならともかく、長い間というのは誰にもできない相談だな、それよりテュスラ、あんまり妙な言葉遣いはやめた方がいいぞ。全くもって似合っておらんし、」

侍女は返事もせず、いかにも胡散臭げに台座に近寄り腰をかがめて先ずその匂いを嗅いだ。次にその正当な主が不在なのをいいことに蛙のようにぴょんと跳び乗り一瞬静止、次の瞬間立ち上がろうと試みた。が、ただでさえ長身の体が壁龕に収まるはずもなく鈍い音とともにしたたか頭をぶつけてしまう。化粧漆喰と建材の一部が粉砕され雪のように女の頭頂部に降りかかる。

「 おいおい、城を壊しちゃいかん。」〔この衝撃は、上方では地震として扱われたらしい〕

テュスラは膨れっ面のまま台座の上で両手両足を突き木莵のように体を揺すっている。長いスカートを邪魔臭げにたくし上げているので膝小僧まで丸見えになっているが気にもとめていない。

「 こら、行儀が悪いぞ。」

「 あたしの頭の方は心配してくださらない!」

「 いや、それはちょっと問題が別だからな。」

「 何が別なんです? あぁーあ、もぉー、物凄く痛かったのに! 」

かまって貰えないのでわざとらしく頭をさすりながら渋々台座から降りた。こごめていた身をぴんと伸ばしスカートの裾をちょいちょいと直した。二三度腰を捻り、頻りに後ろを気にしている。

「 なんだ、またどうかしたのか? 」

「 いえ、なんか、蜘蛛の糸みたいなのが纏わりついてるような気がするんですけど・・・ 」

「 ここには蜘蛛なんておらんぞ、それよりも、さっき気付いたんだがここよりも大分上の方にまでコオロギが来て鳴いていたのはどういうわけだろう、おまえでも見逃すなんてことがあるんだな。」

「 あっ! あれはですね、ご主人様、」

テュスラは突然、顔を赧らめた。但し、老獪を極めた女狐が戦術上慎重に計算された微笑を己が顔面に貼り付けた、という風では全然なかった。

「 仕様のない奴なんです、風来坊ですわ。」

「 一体どこの誰なんだい? 」

ヨナルクは何故か可笑しくなって尋ねた。

「 シャリー・ビョルバムです。」

「 何だって? 」

「 シャリー・ビョルバム、でも、多分偽名ですわ。」

「 おまえが一目置くところを見ると相当な古強者なんだろうな。」

「 でも、所詮はバッタの仲間ですから。」

テュスラは澄まして答える。

「 一度会ってみたいな。」

「 多分無理です。」

「 なんでだい? 」

「 あたしにだって滅多につかまらないんですから。それにすごく恥ずかしがり屋で、おまけに隠れんぼの名手ですわ。」

「 で、そいつは、ここのイヨルカとも仲がいいんだな。」

「 あたし、そんなこと言いましたっけ? 」

「 そういう風に聞こえたぞ。」

テュスラは自分で自分の鼻の頭を抓み、むつかしげに眉根を寄せた。目が真剣なのはソムド人の両替商が銀の量目を秤にかける時とほぼ同じく、指先でちょろまかし、腹の底では裏表をひっくり返しという風に一見すると虚ろで呆けたようなとろんとした目付きではあるけども、それこそかえって全く油断がならないのである。黒衣の侍女は腕を胸前に組み直し肩を聳やかせてみせた。しかしこれは勝ち目のない相手に立向かう雌蟷螂の虚勢というものである。

「 とにかく、あいつらときたら、」

わざとらしくとぼけた言い回しで回避運動にとりかかる。

「 やたらと跳ね回るんですから落着いて話なんかできやしないんです。」

「 そりゃまぁ、そうだろうな。」

「 ご主人様には絶対我慢できない人種ですわ。」

「 しかし、イヨルカの奴はそのシャーリー何とかって奴を気に入ってるんだろ。」

「 シャーリーじゃなくて、シャリーですわ、ご主人様。」

「 どっちにしても、あの気難し屋と張り合えるんなら大したもんだと思うがね。」

自分で言うのもなんですが、ホント読みずらいですね。でも原文が超堅苦しいので仕方なくなんです。

で、前書き的にシャリーが言うには、この後、文体?スタイル???はコロコロ変わるそうです。

なんでも入る耳を間違えたりすることなどしょっちゅうだったらしいので・・・

んな訳で、どうかめげずにお付き合いいただけましたら幸いです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ