第1巻第1部第33節の続きその2 「大ストーブ 保存食軍団 先客」
目の前、正面の壁際では、大人四人が楽に足を伸ばせるほどの巨大なストーブが、景気よく燃え熾っていた。今しも藪睨みの亭主が、いかにも満足げな身振りで中に入り込み、炉心真上に懸かった特大のスープ鍋を脇の保温用鉤手へと移しにかかっている。わざとらしくちょいとずらされた蓋の隙間からはえもいわれぬ濃厚な香りが漂ってくるのである。男は思わず胃の辺りの皮に手をやったが、それはもう三日以上も背中の皮に張り付けたまま、痩せ我慢を決め込んでいたものらしい。二、三歩よろめきかけたけれども足元の土間に撒かれた切藁とよく干し上げられた香草の香りにも気付いたのだった。改めて見回すと、 ― 随分と広い、建物の外観からは一寸想像できないほどのだだっ広い食堂兼作業場兼雑魚寝場らしかったけども ― 壁際にはぐるりとやや幅広のベンチが設えられ所々には藁布団やクッションが積み上げられている。ほとんど継ぎ目も見えないぐらい、ぴっちりと閉ざされた窓と窓の間にはびっしりと大蒜の束が吊るされてい、他にも何やら正体もわからない奇妙な根菜類が綺麗に整列させられ梯子のように縛り上げられて所狭しとぶら下っているのである。つまり甘酸っぱく日向くさい、土くさい香りがそこら中に漂っているのであった。
巨大なマントルピースの上はそれ自体優に一部屋分はありそうな上出来のバルコニー風構築物でその前半分は頗る見晴らしのよい亭主専用の帳場兼休憩所でありベッドを兼ねた長椅子、小さな机、持ち運びもできそうな可愛らしい整理箪笥等等が鎮座している。箪笥の上では青味がかった灰色の頗る目付きの悪い老猫が丸くなっているが、たとえ二十日鼠の一個中隊が目の前の帳場格子の上を走り抜けたとしても梃子でも動きそうにない。そしてその後半分 ― 壁の一部には奇妙な潜り戸が切ってあるらしいけども下からはよくは見えない ―からは部屋全体を取り巻くようにほぼ中二階の高さに手摺付きの通路が廻っていた。お陰でここの天井の高さはひどく中途半端に高くなりすぎているが、かといってちゃんとした二階がありそうな構造ではないのである。この一種のキャットウォークの上にはしかし実に様々な雑然たる物体がごたごたと並べられており、とてもではないが人間が寝転んだり寛いだりできる状況ではないのであった、が、部屋の奥の隅に近いただ一箇所だけは少し幅広くなっていてひどく場違いな感じがなくもないが、禁断の三角地帯という趣であり、ピンク色の可愛らしいクッションやら綺麗なカヴァーのついた本物の羊毛の布団、くしゃくしゃに丸められ、縺れこんがらがった衣類の塊なんぞが、まるで一つの生き物の抜け殻のように纏まって見えるのである。そこ以外の場所はもう完全に雑貨商の戸棚の中という感じであり、場所が場所だけにこれはもう頭上が危険なのではないかと思わずにはおれないほどのガラクタ類のオン・パレードなのであった。
まず目に付くのはかなり大きな素焼きの壺どもが約一個連隊、そのほとんどが中身の正体不明だが、なかには消えかけの荒々しい達筆で、塩!だとか、胡椒!、菜種油などと直接に書いてある。剥きだしのガラス瓶の類も約三個連隊、色とりどりのピクルス、乾燥野菜、豆類、乾した茸類、蝋で密栓された蜂蜜または蜂蜜漬けの野菜や香辛料、優に三百種類はありそうな薬草の類、蝗や雀蜂、井守の漬けた物、焼いた物、その他色々の醗酵物、ブリキや琺瑯の缶に入った正体不明の液体類、水気のものはこれ位としてもそれに倍する乾物の類がこれまた数多。油紙で包まれた角砂糖と思しき一団、明らかに密輸品らしき煙草や薬品類の怪しい立方体、薬包紙に包まれた自家製らしき弾薬?類、鼠に齧られ毛羽立ったままの布地のカートンケースがごろごろ、その他どう見ても地下の貯蔵庫か薄暗い納戸の中へでも仕舞い込んで置くべき物品の数々が鎮座行列をなしている。まずもってあまり品のよくない意図も二三見え隠れはするけれども総じて友好的な雰囲気を演出し腹ぺこの旅人の目を眩ませる役には立ちそうな書割ではある。
修道僧はしかしさすがに目を回したりはせず品よく己が座席を決め、荷物を降ろしてとにかく尻を落着けた。部屋の中央に近い馬鹿でかい円卓のひとつであり恐ろしく味わい深いその色艶が無数の切り傷やささくれとともにここの本来の客筋の荒っぽさを語っているようである。男は卓に両肘をつき、おもむろに隠しからかなりくたびれた鹿革製の巨大な巾着を取り出した。そうしてごく無造作に中身をぶちまけるとやおら銭の勘定を始めた。
すると、帳場の上の猫が銀色の薄目を開けて見下ろし始める。ストーブから出てきた亭主は壁際の梯子を昇りながらちらりと客の手元を見た。種々雑多な小銭の山であるが中に二三白銀に輝くかなり大型のコインも見える。
「 なあ、ご亭主、やはり先に前払いしておこう、どうも重たくっていかん。」
亭主は影のような素早さでもう真後ろに立っていた。遠慮深げに腰を引いてはいるが既に右手は客の小銭の山を撫で回している。
「 これは、珍しいのがある・・・ 」
長いよく動く指があっという間に一枚のコインをつまみ出した。
「 ほう、ドルカニ公の十二年の記念コインだ、貴公ら、よく見ろ、ラストーク山で銀が出たときつくったやつだぞ。」
食堂の反対側、壁際の長椅子の上にうずくまっていた人影が三つむくむくと起き上がりこちらを見据える。
「 ほら、ドルカニ公の肖像がある、素晴らしい出来だ、まだピカピカしてるぞ。」
一人、いや二人が完全に起き上がり背伸びをした。欠伸をし、気持良さげに、続け様に屁をひった。そうしておもむろに食堂を横切り卓を挟んで客と亭主の真向かいに陣取った。二人とも背が高くいやに尊大な顔付きである。ひどく泥臭い仲買人風の服装だがいかにも旅慣れた着こなしであり、何かこう妙に狎れきった仕草の一々に相手を呑んでかかる、晩飯前の蛇のような気配が漂っていた。




