第1巻第1部第31節 「夜警騎馬隊 その威力 バランクレー(化け物市場) マルホーン商会」
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型通りに老巧と新鋭二人一組の巡邏分隊が質の悪い御者を一人とっちめようという図であったが、これまた型通りに品の悪い、しかも覆面をはずそうともしない御者台の男はまったく悪びれた様子も無く、のらりくらりと尋問をはぐらかしている。型通りでなかったのは、明らかに年配で冷静沈着であるべき上官の方が全く平静でなく、事務的機械的に事を運ぼうという本来あるべき意図すらなく、かなりあからさまな敵意を剥き出しにしており、まだ極若い、恐らくは駆け出しの見習いでもあろうかという非常な美男の警士の方が何かと仲裁的な、事を穏便に済ませようという配慮を示していることだった。確かに上官の怒りに近い感情にも理由がなくはなく、というのもガイの言葉遣いには、表面上は非の打ち所のない鄭重極まる言い回しにもかかわらず、その裏面にはどこか尊大な人を見下しきった不遜な調子が極微かにではあるが張り付いていたからである。
「 しかしだな、少尉、これをこのまま見過ごすわけにはいかんぞ。身分証もない、通行証もない、貸切の辻馬車だというが、営業許可証もない、ないない尽しではないか、近くの詰所まで連行し、調書を取るのが筋ではないか。」
「 ですが、ケデル少佐、」
若い少尉は髭のないきれいな顎をゆっくりとさすりながら穏やかに反論するのである。
「 名目上にせよ、法の執行には明白な犯罪嫌疑、重大かつ喫緊の犯行予測または明瞭な物証が必要ですし・・・ 」
「 この男が自分の身元を証明できん限り立件は可能だし、さっきの妨害走行行為だけでも逮捕理由には充分なはずだが。」
「 しかし、結果的には実害がなく、被害届けもなく、告発も存在しないのですから、なあ、君、好い加減名前だけでも申告し事を穏便に運ぼうという気持すらないのかね。」
黒覆面の御者はいささか苛立たしげに鞭を振り話にならんという仕草をする。
「 ええい、面倒だ、西京第一騎馬夜警隊の権限において貴様を逮捕連行し、後の乗客の方には暫しのご同行を願い、」
「 ですから、もう何度もご説明申し上げたはずじゃがなぁ、そんなことをすればお困りになるのはあんた方お二人だけでは済まなくなるのですじゃ。後のお客はお立場上身分を御明かしになることはできないのですじゃ、ここはすんなりとお目こぼしを願うのが真っ当な筋道ってもんでげす、」
「 ガイの奴、わざと役人を怒らせようとしてるみたいだ、ほら、やっぱり、年嵩の髯付きの方が蝦みたいに真っ赤になった、やれやれ、」
「 ねぇ、バシュラ、私はちっともかまわないのよ、グロムハインの家名のことなら少しも気にする必要なんてないんだから。」
「 それがそう簡単には行かないのがこういった役人どもの持ち前なんですよ、たとえ正式に名乗ったところで信じてもらえないのが落ちなんです、彼らが信用するのは公印のある透かし入りの証明書、これ一点張りなんですから。それにこういった状況でひけらかすにはグロムハイン家の身分はあまりに高すぎてほとんど滑稽なんです、まず信用されないでしょう。」
「 あなたの名前ならどうかしら。(信じないでしょうけど、とっても有名なのよ、)」
「 問題外ですね、それに僕は公式の行事には出たこともないし、まあ、親父ならお茶会に時々顔出ししてるから通用するかもしれない。」
「 ムザラ様の顔を知らない人なんてあり得ないわ。」
「 ですから、夜間通行証一枚持たない我々は彼らにとってほとんど無なんですよ、」
「 どうすればいいのかしら? ガイはなんだかわざと喧嘩を売っているような口の利き方をしてるみたいだし、あのお役人は随分と頑固そうだし、」
「 門主様の通行証さえあれば何も問題はなかったはずなんですが、これはうっかりしてましたね。ここの夜警隊は西町奉行の直轄ですが、今のところ門主様の大門警備隊には頭が上がらないはずですから。あと一つ手が残ってますが・・・ 」
「 何なの?」
「 所謂袖の下という奴です。」
「 まあ、」
「 しかし、これは相手によりけりですからねぇ、下手をすると薮蛇になる恐れもある。」
「 あの随分と若い警士の方が何だか物分りのよさそうな顔立ちをしているみたい、あっ! でもいけない、私、うっかりしてたみたい、」
「 何です、」
リューニスはすこしくきまりが悪そうに肩を竦めた。
「 持合わせがほとんどないの、その、袖の下って、こんな小銭じゃ足りないんでしょうね、」
おずおずと差し出す掌を見るとドマーン金貨が三枚ばかり光っているのである。
「 ねぇ、リューニス、そんな大金を渡してしまったら反って疑われてしまいますよ、しまってください、僕にいい考えのがあります。」
バシュラは合図をして悪態をつきかけているガイを制し、若い警士、ドスル少尉を窓辺に呼んだ。
「 ねぇ、君、ちょっと聞いてくれ。」
美男の少尉は、実は少尉補だったが、明らかに好奇心を隠し切れない様子でしかし随分と落ち着き払って近付いてきた。後続の馬車連を手際よく捌きながら非常に気持のよい敬礼を返すのである。
「 御者の言い訳に不審な点があるとすれば、それは全く私の命令の所為なのだから許してやってほしい、今は訳あって身分を明かせないが、ほんの少し時間をいただければ十分に納得のゆく証しを立てる事ができる、君の上官殿には、そう、明日改めて西町奉行のストレスク公から、直接書状がゆくだろうと伝えてほしい。」
少尉は深く腰を屈め、しかし全く卑屈でなく慎重に馬車の中を覗き込んだ。バシュラの若さと侍従武官の制服にはいささか驚いたようだったが、奥のリューニスへは(ヴェールの陰で顔を見ることはできなかった)極めて鄭重な敬礼を捧げた。
「 で、どちらまで同道いたせばよろしいでしょうか? 」
委細承知の澄ました顔付きで聞き返すのがいかにも如才がない。
「 すぐそこだ、エルマー大廟だ、今は大祭期でね、参篭中の友人を訪ねてゆくところなのだ。」
ドスル少尉補は、再び鄭重な敬礼を返し上官の説得へと戻った。バシュラの挙げた名には幾分か効果があったらしく少佐殿も渋々納得したようである。約五分後、二人の意見は一致し、夜警隊少佐は去った。若い少尉は先導を申し出た。退屈のあまり鞭を空打ちして遊んでいた御者はいささか勿体ぶった様子で馬車を出したけれどもすぐに夜警騎馬隊士の威力に気付いた。さきほどまで、まるでこちらの行く手に絡み付くように割り込んできてはわざとらしく急ブレーキをかけたりしていた小商人の荷車や乗合馬車、お仕着せの従僕をへばりつかせごてごてに飾り立てた箱型高級車などが影も形も無くなり、今はもう回り道をする必要もなくなったのでそのまますんなりとバランクレー街本通りへと入ってしまう。
「 あの警士、なかなかの曲者のようですよ。」
少し放心したように街を眺めていたリューニスはまるで聞いてはいなかったのだがすぐに気を取り直した。化け物市場と渾名されるバランクレーの夜の光の洪水は娘の額に奇怪な色彩の影を踊らせる。
「 よくは見えなかったんだけど、恐ろしいくらい綺麗な顔立ちの男の子だったわ。」
「 ああ、随分若かったが、美男子だった、しかし、相当な切れ者、曲者のようでもある・・・、」
「 どんなところ? 」
「 あの若さであまりにも抜け目がなさすぎる・・・、」
リューニスは苦笑し大袈裟に眉をひそめて見せた。
「 それに明らかに身分を偽っている、見習士官を装ってはいるが本来はかなり高位の貴族の出らしく思われる。」
「 まあ。」
「 それに今気付きましたが、奴の馬の脇に少し前から先駆けの小者が一人付いて走っている、これもかなり優秀な奴だ。」
「 影供つきの夜警隊員さん? 」
「 まあ、そういうことになる・・・、」
小者らしき人影は若い少尉補から付かず離れず巧妙に走り続け、隠密追尾技術の粋を発揮しているがバシュラにとっては提灯を掲げ鳴り物入りで随行しているも同じことである。
「 でも私達とっても急いでる身には、」
リューニスは暢気に続けた。
「 なんだか幸運な出会いだったんじゃないかしら。」
「 確かに、夜のバランクレー街をこう快適にすっ飛ばすなんて事はそうそうできるもんじゃないですけどね。」
しかし、夜の快走は突然終わりを告げ、馬車は急制動の悲鳴を上げて停止した。十馬身ほど先行していたドスル警士は慌てて馬首を反した。
「 おおい、バシュラ、大事なことを忘れてた! 」
「 お、おう、お手柔らかに頼むぜガイ、首の骨を折るところだったぞ。」
「 俺たち、スヌーン殿に頼み事にゆくのに手ぶらじゃどうにもならん! 」
「 おいおい、今ごろそんなことを・・・ 」
「 幸い思い出したところがよかった、ほれ、すぐそこのテネブラ・マルホーンの店にゃよく珍しいもんが出るんだ、お前いって何か適当に買ってきてくれ、姉上でもいいが、いや、お前の方がいいな、この辺りはかなり物騒でもある。おおっと、すまない、臨時の護衛隊長さん、我が主が急な買い物を思い出されたのでね、悪いがほんの少しだけお待ちくだされ。」
若い警士は早速護衛を申し出たがバシュラは鄭重に断りそれよりもエルマー大廟への先駆けを頼むことにする。
「 そう、エルマー大廟の支配人ベリハイマー殿に、そう、これを渡してもらえれば、そうだ、いや、何も問題はないはずだ、ふむ、できるだけ急いで貰いたい、但し、我々がこんなところで引っ掛かっている事は勿論内緒だよ、」
リューニスはいつも持ち歩いている小さな紙挟みから一枚空色の紙を抜き用件を手早く書きとめると封をしてバシュラに渡した。男は自分の腰飾りから魚形の玉佩を一つ取り、二重封印を作ってさらにハンカチでくるくると包んでしまう。ドスル少尉は些か不審げにそれを受取ったが何も言わずすぐに出発した。二人はそぞろ歩きの暇人たちのかなりな注目を浴びながら馬車を降りた。
「 やっぱり考え直しませんか、どうも人気が悪すぎる感じですね、」
「 だってこんな機会って滅多にないでしょ、わたしだってたまには冒険したいっていうか、それにあなたについて行く方がここに残っているよりも絶対に安全だと思うわ、」
「 ガイがちゃんとついていますよ、」
「 あてになるもんですか、ほら! 」
姉娘は腰に手を当てすこうしそっくり返って御者台を見上げた。なるほど、既にして頼りになる伊達男は通りすがりの若い女の三人組を捉まえ何やら可笑しげに話込んでいる。鞭の先端が娘の一人の胴着の脇腹を突っついて艶めかしい悲鳴を上げさせ他の二人は笑い転げているのである。
「 やれやれだな、じゃあ、行きましょう、実際あなたが付いてきてくれた方が僕も助かる訳だし、全くスヌーン殿に手土産だなんて全くもって五里霧中・・・ 」
リューニス・グロムハインはくすくす笑いながら先に立ちいかにも品定めには自信があるという妙に力の篭った面持ちで店先に並べられた安物の絹織物や端布の山や巨大な染め糸の糸巻きなんぞをためつすがめつする。バシュラは姉娘の仕草のおっとりと優雅な様や場違いに簡素でほとんど清楚極まりない着こなしに周りの視線が集中するのを感じてひどく落着かない。
「 リューニス、ほら、そっちじゃありませんよ、ガイが言ってたのはこっちの店です。」
二人はテネブラ・マルホーンなる銀の表札を掲げた、殆んど通常の民家とも見紛う狭い二間幅のここらの店構えとしてはかなり異例に属する商店の前に出た。木造の三階建てでひどく奇抜な色彩に塗り分けてある。つまり一階部分は黄土色、二階は青緑、三階は朱色である。そしてこの正面ファサードには東方宗教風の様々な魔術的意匠が全くもって目立たない、否、いささかもってまわった遠慮深さで無数にちりばめてあった。屋上の両端には蛇がのたくるように捻じ曲がった旗竿が二本立ち、その先端にはそれぞれ群青色と灰白色の三角旗がおりからの穏やかな西風にはためいている。辺りに林立する色ガラスをかけた共用カンテラ燈が邪魔をするので正確な色彩は見極め難いし、夜空を背にした三角旗の色など誰にも識別できはしない。故にここではバシュラ・フェズの視覚を借りて話を進めるわけである。
「 ここほんとに開いているのかしら? 誰もいないみたい、あら、このカタツムリは本物かしら? 」
玄関扉の脇に黒光りのする飾り柱がありその表面を三匹の小さなカタツムリが優雅に滑り降りて来る。丁度二人の目の高さで三匹は顔を見合わせ何事か語り合いお互い合槌を打ち合っているようだ。三匹は優しく微笑みあっている。お互いの背中の殻を、虹色に輝くそれを褒めあっているらしい。
「 とても精巧な彫刻ですよ、よくできている、じっと見つめれば見つめるほどなんだか本当に生きて動いているように見えてくるから不思議だ、たった今柱から浮き出て来たように見える、」
「 見て、見て! ここに蜘蛛がいるわ、これは? 」
「 蝿取り蜘蛛の一種ですね、さらに精巧にできている、髭の一本一本まで、恐ろしいくらい真に迫っている、おや、何か狙っているのかな、」
「 バシュラ、ほら、見て、見て、ここにコオロギがいるわ、これを狙っているのかしら?あらっ、」
黒光りのする大きな頭を持ったコオロギが一匹素早く跳ねた。生きていたのである。
「 あー、びっくりした! 」
リューニスはドレスの裾も気にせずすとんと座り込んでしまい虫が跳び込んだ小さな花壇を熱心に覗き込んでいる。
「 もういないわ、すばしっこいのね、どこに潜りこんだのかしら、まあ、砂漠野茨だわ、こんなところに、あれ、ここにもカタツムリが、立派な渦巻き殻ねえ、」
「 それは本物です、でも中身はない、もう死んでるんです、」
「 貰って帰ってもいいかしら、」
「 勿論、駄目ですよ、それはそうと誰もいないのかな、無愛想な店だ、」
「 一体、何を商っているお店なのかしら、さっぱりわからないわねぇ、ガイは何だかよく知っているような口ぶりだったけれども・・・ 」
しかし、こちらがノックをしたわけでも声を掛けたわけでもなかったのに、玄関扉が音もなく実に遠慮深くそっと開き、その極僅かな隙間の極高い位置に白い仮面のようなものがぼんやりと見えた。
「 何かおさがしものでも・・・・・・おありで・・ございますか、」
「 そのとおり、」
返事と同時にドアがすぅっと閉まりかけたのでバシュラはさっと左手を隙間に差し込んだ。非常に薄い材質の軽いドア板だったが周囲の部材には純銀の板金がひどく手の込んだ仕様で張り付けてありその縁は刃物のようになっていたから普通の素手なら挟まれた瞬間に指の二三本は転がり落ちていたところである。青い長手袋はしかし、痛い、と一声慎ましいか細い声を挙げはしたがもちろん傷一つつかなかった。
「 失礼いたしました、」
若い男の声だったが、特に心配している風でもない。ドアの隙間は先程よりは幾分開いたのでバシュラは切り札を出すことにする。
「 ガイ・グロムハイン殿は知っているな、」
「 存じております、」
「 その頼まれごとなのだ、いろいろ見せてもらいたい、」
「 して、貴方様は? 」
「 友人のバシュラ・フェズだ、」
短い沈黙、ややあって短い溜息もひとつ、同時にドアーはゆっくりと内側に開き二人は玄関ホールの薄暗がりの中へと招じ入れられた。
健全な描写が続いております!よって怒濤?の更新なのです!
でも実際は、かなり私的にお気に入りのエピソードなのでだいぶん前に
こっそり訳しためていたというのがホントのところ・・・
バレバレです!
でも、ヒロインほったらかしというのも、また問題ありそうな、
そうなんです、かあいそーなお姫様は、まだまだまだまだ放置Pのまんま・・・
ウルウルです・・・




