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第1巻第1部第29節 「門亭前にて 力線 バカン・クレプシ」

「 遅い! お二方! 遅すぎます!」

虫売りチュリスの怒気を含んだ声が二人を打った。続いてもう少し落ち着いた声が、

「 姉上!お月様と競争するのならもうすこしましな靴を履いてくるべきでしたね! 」

そこは乾門門亭の車寄せであり、軒下のカンテラと敷地の両端のふたつの火台のお蔭でかなり明るくなっていた。車が二台、三方からの光を受けて鈍く輝いている。一台は紋章も付いていない何の変哲もない箱型の黒塗りのクーペ・ダシュマン(4人乗りである)であり、残りは二輪のラルシャンである。馬も繋がれ準備万端整っているが何とはなし、気だるげな雰囲気でもある。リューニスはチュリスの機転にほっとしたように微笑み二三の指示を与えたが着替えの用意までできているのを知ると心底びっくりしたようだった。二人はすぐに門亭内に入り、やがて門主夫人宛の手紙を預かったチュリスは全く小憎らしいほど落ち着き払った様子でラルシャンを駆り風のように出て行ってしまう。残された二人は座席の上に放り出されていた旧市街全図を広げてみて道を確かめ、次にコインを投げてどちらが御者になるかを決めた。

「 チュリスの奴、こんなうすらとぼけた馬車をどこから引っ張り出してきたんだか。」

ガイ・グロムハインはいささか不満そうにキャビンの扉を叩いてみる。しかし思ったほどひどい代物ではなく造りはしっかりしていて材質もかなり上等である。

「 なんで紋章なしにするんだ? ましてやガルデンジーブスんとこまでゆくんなら、ふん、まるでけじめってものがないじゃないか。」

「 鳴り物入りで大臣家の威光をひけらかすってわけにもゆくまい? 」

バシュラは二頭の馬の間に立ちどちらの首筋もやさしく叩いてやる。何時も持ち歩いている赤い角砂糖(ドゥク・シリハラン)をやり、馬具の調子を点検しながらちらりと乳兄弟の端正な横顔を見やった。

「 俺は大体この五星公ってのが気に食わん、おっとすまん、君の親父殿もそうだった、しかし、フェズ家※は代々王家に仕えてその幾千年かを知らずってわけだからなぁ、明白と言えば明白な出自ではあるわけだ、我が家系と双璧をなす古さってことさ、だがあいつらは違う、とにかく、全くわけがわからん存在だ、あの門番ども! 」


<※しかし、フェズ家が血統としての純粋さを保ってきたわけではない。先のムザラの発言にもあったように、ある特定の能力を継承するためのシステムとして機能するという意味での家系の維持が全てに優先されてきたのであった>


「 我らが全能の主、ゼノワ・ワルトランディス様が時々こぼされているだろ、このルシャルクにはわたしの意のままにならぬものが三つもある、ってね。」

「 五星公とヨナルクと、そして・・・ 」

「 賽の目だ!」

二人は声を揃え、一人は苦笑いし一人は唾を吐いた。

「 ボレナの流れのこともおっしゃったことがある。」

「 それじゃ、四つになっちまう。」

「 五星公とあの腐れ道士を一つにまとめちまえばいいだろ。」

「 おいおい、十把ひとからげかよ、そいつはあまりうまくないな。」

「 どうしてだ? 人間離れのした奇っ怪さの点ではいい勝負だろ。」

バシュラは話にならんという表情で肩を竦め、馬どもから離れて車体と足回りの点検へと向かった。チュリスの手配りに抜かりのあるはずもなかったが何とはなし手持ち無沙汰だったのである。乾いた荒い砂地をざくざくと踏み、馬車の周りを一巡りする。御者台両脇のカンテラには既に火が入り黄色い弱々しい光を投げていた。しかしこの焔も、真鍮製の枠とガラスの板で守られているにもかかわらず不自然に身をくねらせほとんど明滅せんばかりだった。バシュラ・フェズは馬車から五六歩離れ振り返ってみた。カンテラの光は暈をかぶったように潤み、ぼやけて見えるがかえって輝きを増したように見える。奇妙な遠近感の消失ともいうべきだった。単なる霧の効果ではもっと一方的な変化であるはずである。痺れるような虫どもの合唱があたりに満ちていた。若い武官は訝りながら背後の東の空を見上げた。月が、青白く膨れた満月が密やかに中空にかかっていた。その真下には巨大な城山が、遥か古代に打ち倒された巨人の死体のように、否、ほとんど全宇宙のように静かに息づき横たわっている。バシュラは、月と、王宮と、自分自身とが一直線をなしていることにある異様な悩ましい感覚を覚えていた。そして、この仮定された無気味な力線の原点がどこにあるにせよ、ある未知の一点が今まだ不可知であり、そこにすべての鍵が潜んでいることをも知った※。男は振り返り、御者台で鞭をしならせて暇を潰している乳兄弟、宮廷一の伊達男を見上げた。


<※しかし、この仮定は、全く不正確であった。バシュラ・フェズは、未だ成熟してはいない>


「 おーい、ガイよ、何か見えるかい? 」

「 見えるとも、やっとお出ましの姉上と、おや、あれはさっき会った子だな、でも見覚えがないな、」

門亭の扉が開き、訪問着に着替えたリューニスと侍女が現われた。ガイは御者台を揺すって飛び降り、バシュラと相並ぶ形で二人を出迎えた。姉娘は化粧も直し、髪型も変えていたがひどく不安げな表情だった。ダークグリーンの訪問着は簡素だが素晴らしい仕立てで全くよく似合っていた。リューニスは二人を見較べると少し呆れた風に首を振った。

「 二人ともやっぱり手ぶらなのね、ガイ、ローングラムは一体どこにころがっているの、また全然知らない女の子のところなの? それにバシュラ、あなたは仮にも侍従武官なのにいつも帯剣していないのね。」

「 ねぇ、姉上、バシュラが帯剣する必要なんて全然ありませんよ、それどころかそんなことになれば僕だって、いえ、全宮廷挙げて十三マイルぐらい避難する覚悟が要りますからね。まあ、今すぐ五星会闘式でもおっぱじまるのなら話は別ですけどね、それより、後ろに控えている子は誰なんです、さっき見かけましたが完全に無視されてしまった、全く、躾がよすぎるのも考えものですよ。」

リューニスは一瞬間、バシュラ・フェズの目線を追ってすこし青ざめたがすぐ自分の後ろで真っ赤になっている新参の小間使いを紹介した。

「 バカン・クレプシよ、二週間、いえ、三週間前からここにいるのよ、知らないのはあなただけなんだから。」

「おや、たまにはチュリスのお小言にも耳を貸すべきなんだな、さあ、クレプシ家のお嬢さん、そんなに硬くならなくてもいいよ、頼むから早く僕の顔くらい覚えておくれ。」

哀れなバカン嬢はひどく内気な性格らしくしどろもどろになって非礼を詫び、恐ろしく切羽詰った様子で次の用事の為の言い訳を始めた。その間すこしも目を上げずガイはおろかバシュラの方へも挨拶ができないのはいささか度が過ぎている。リューニスはすぐに助け舟を出した。

「 ここはもういいから、さっき渡した手紙をアドラムに届けてね、それから料理長にチュリスとわたしの食事は今夜は用意しなくてもいいからって伝えて頂戴。」

小間使いは姿を消しリューニスは車に乗り込んだ※。


<※侍女を連れずに外出することはリューニスには珍しいことではないが、大抵はテュリス、又は、ナグリスが供に(護衛として)ついていたはずである、勿論、訪問先により侍女の帯同は必須である、今回はしかし、バカン嬢を留め置いたのには二三特殊なワケがありそうではある>


若い武官は何を思ったのか例のカンテラを取り外して門亭の壁に掛け、替わりに松明を二本、窓の横、馭者台脇の架台に取り付けた。

「 そいつはいい、しけたお灯明よりずっと我がグロムハイン家にふさわしい感じがするな! 」

ガイは上機嫌で鞭を鳴らし馬車を出した。乾門脇に控え見送っている黒い影はひどく小さいのでどうやらチュリスのナグリスらしい。

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