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第1巻第1部第17節続きの続き 承前 「楽しい温泉行その1」

四人が馬車に乗り込んだ時、馭者台にいたカイアス・ポレマンドーズは外局の女官(にょうかん)から通行証の説明を受けているところだった。それは極めて複雑な書式で皇太后宮の権威をあからさまに誇示するものでもあったが、実際どれほどの威力を発揮するものなのか、外出経験の乏しいカイアスには今一つピンと来ずその反応の鈍さ加減に担当の女官は相当機嫌を損ねているようだった。もともと奥付きの黒の娘達と皇太后宮の表組織、つまり外局とは互いに反目と侮蔑、やっかみとその裏返しの見下しとが交錯する、極めて不安定な関係性を保っていたのだが、こういった不時の、まして前例にも乏しい非常識な外出などでは特に鋭い、一方的な嫌悪感が発生し勝ちなのであった。但し、ゼノワ・ワルトランディス直属という絶対的な優越性の前では全ての抵抗は虚しいものとならざるを得ない。そのことがさらに、深夜に叩き起こされた若い女官の神経を逆撫でしているのは間違いないのだった。

「では、もう一度、皇太后陛下のご直筆命令書を見せてください、」

「またですか、もう三度目ですけど、」

「規則ですから」

カイアスはキャビンとの通話管にさも大儀そうに口を近づけた。

「またです、テュスラ様、見せてくださいって言ってます、」

「通行証はもらったの?」

「はい、」

「そう、じゃ、出して、」

「えと、いいんですか?」

「いいのよ、はい、出発進行!」

不安そうなカイアスがブレーキレバーを戻そうと左腕に力を込めた瞬間、

「ちょっと待って、」

ドアを開きテュスラ・オッシナが顔を出した。

「ねえ、あなた、名前と所属は?」

若い女官は真っ赤になっていた。両手を胸前で揉みしだき震えながら、周章(あわ)てたように、ほとんど意味もなく振り返る。後ろにはテルテア門の正門衛が護衛所の兵士らとともに佇んでいたが全くの無表情だった。彼らは先程テュスラに挨拶し、命令書も確認しているのでもはや我関せずの立場を堅持しているのである。

「マ、マリーア・スダン、外局四等書記官、外交第二分署補佐です、」

「あら、まだ若いのに優秀なのね、いくつ?」

「え?」

「あなたの年齢、」

女官はそばかすの浮いた若々しい頬に紅葉のような鮮やかな血潮の(ハンテン)を散らしていたのだが、次の瞬間、真っ青になった。テュスラの目の光の中に、なにか青白い、この世のものとも思えない妖しい閃光が走るのを見たような気がしたらしい。外局の紺の制服に包まれたほっそりした体が再びひどく震えだす。東の正門、テルテアの硬い敷石の上で、若い娘の、かなりに履き草臥れた哀れな革靴が微かに後退(あとじさ)る。細かい砂利と堅牢極まる敷石が、その靴底の下で(こす)れ合う。

それは、ほとんど耳障りでなく、なにかの魔術につかう貴重な丸薬を調合する丈の低い石臼のあるかなきかの呟きのような、しかしどこか秘密めいた暗号を己が意志に反して洩らしてしまうような、ある種の階調には程遠い、微かであるのに主張()の強い、だが妙に記憶に残るような、へんちくりんにざわざわと、歯軋るような音がしたのである。

「いくつなの?」

黒衣の侍女は若い女官のひ弱そうな足首に目をとめながらもう一度聞き直す。

「じゅ、十八です、」

「入局したてじゃない、」

「あ、はい、」

「出身は?」

「は?」

「生まれはどこって聞いてるの、」

「サース街区一番」

「ガルデンジーブスのお膝元ね、」

「え? ええええ? はい、」

「ご両親は元気なの?」

「は、はい、」

「そう、それはよかった、」

黒衣の侍女は、その厳つい体型と猛禽のような表情からは思いもよらないほど愛嬌のある優しげな微笑を浮かべて頷いた。そして手元の紙挟みから命令書を抜き出すとマリーア・スダンの目の前にゆっくりとかざしてやるのだった。

「はい、ちゃんと見た? 照合の登録番号覚えてる? そう、じゃあ、わたしたちは行くから、こんな深夜にご苦労様、レェースカー女史によろしくね、」

合図を待っていたカイアスは間髪を容れず馬車を出した。やや傾いた月影が白々しく見送っている。

若い女官は呆然と立ち竦んだままである。


<補注1 外局;ここでは、皇太后宮を直轄する独立行政機関、いわば宮内庁にあたる組織を指し、内局の対語としての一般的な意味を持たない特殊名詞とみなすべきところ。

ゼノワの離宮及び皇太后宮内での特殊慣用呼称である。一般的には通用していない。

補注2  女官;最初にルビで示したように、ここでは、ニョウカン と読む。ただし、同音異義語のアレを連想させようという意図はない、とSB氏は明言している。

補注3  レェースカー女史;ドォムル・レェースカー:皇太后宮外局・書記官房長官

補注4  白々しく;ある種の掛けことばになっている>







番外


外交第二分署へ戻ろうとしたマリーア・スダンは途中三階の守衛室の前で突然呼び止められた。顔見知りの夜勤番が手招きしている。

「スダン補佐官殿、ちょっと中へ、」

疲れ切っていた小娘は何を考えるでもなくフラフラと、手招く方向へと足を向ける。デオーラ・マルフィアが、守衛の制服をいつものようにだらしなく着崩さず、一分のスキもなく着こなし(なんとボタンが全部上までとまりネクタイは固く結ばれている!)、しかも帯剣装備まで完璧であることに頭の隅で奇妙(ヘン)だなとは感じつつもデオーラのちょっと困ったような、しかし憐れみと好奇心がごたまぜになった複雑に困惑した表情にも何の反応もできないまま待機室へ踏み込んでしまう。

そして目の前のありえない状況に凍りつくこととなった。

「スダン書記官、深夜勤務ご苦労、」

分署長のレエマン・ホスラーの声が響く。

「まず、状況報告だがその前に、ほれ、なにをボサっとしておる、」

ホスラー分署長の後ろでは、こちらへ背を向けて長身の女性が一人資料戸棚のファイルの背文字を読んでいる。小娘は、その後髪の髪型にははっきりと見覚えがあった。背筋に冷たい衝撃が走る。

「レ、レェースカー長官」

「悪いわね、長官室遠いしね、ま、ついでの用事もあったし呼び付けるのもなんだから、降りてきちゃったのよ、(別に大した用事でもないんだしね)」

皇太后宮外局書記官房長官ドォムル・レェースカーその人である。

長身の女は口元に仄かな微笑を浮かべてはいたが目は笑っていない。まだ三十代前半、異例の出世と噂されている辣腕の行政官、その数々の逸話はいずれ紹介できるとしてもほとんど信じ難いとも揶揄されているような、そんな怪物じみた上司なのである。

「裏の休憩室借りるわよ、」

長官は事も無げに言い返事も待たずに奥のドアを開ける。無言のまま分署長と小娘は続く。デオーラが間髪を入れず施錠する。

マリーアは背後の施錠音にもビクッとしたがそれ以上に長官のイヤに親しげな、くだけた調子に空恐ろしい気配を感じ少しも落ち着くことが出来ない。普段は不審者の取り調べや尋問にも使われる殺風景な小部屋であり何の装飾も、気の利いたカーテン1枚すらもない、心を萎えさせる風景(タタズマイ)なのである。

奥の椅子に座り足を組んだ長官は黙ったまま二人にも座るように合図する。しかしホスラー分署長は座らずマリーア一人を強引に座らせた。そうして真横から怯える小娘の様子を見守る風なのである。

「で、何の話だかわかるわよね、」

書記官房長官は切り出した。

「テュスラ・オッシナの届出書は見たわ、」

分署長が黙ったまま手にしていた紙挟みを渡す。女長官は無言でその5、6枚ほどの書類を眺めた。ひじょうに胡散臭(キモチワル)そうなのである。

「あなた、これ、どう、なにも感じなかった?」

「え?」

「陛下の命令書のこと」

横から分署長が冷ややかに口を挟む。

「え、あ、はい、特には、なにも、皇太后陛下の、そしてクヴィッチェス団長のサインも特に問題なく、あの、」

「なに?」

「あの、なにか私に落ち度があったんでしょうか、」

「全然、ないわよ、」

長官は保証した。しかし相変わらず目の光には一点の容赦も無さそうな酷薄な雰囲気が漂っている。

しかし一体なにをそんなに厳しく詮議する必要があるのだろうか。

「でもこれが異例中の異例、特殊な状況だってことは解ってるわよね、」

「この10年のケースブックでも2件しかありませんでした、」

「そう、深夜の外出に限ってもそう、それに同伴者もある、」

「はい、」

「この同伴者もちょっとヤッカイだけど、それはまた別として、

そおぉーーーね、私の聞きたいのは、そお、」

長官はわざとらしく口ごもった。

「あっ!」

スダン嬢は椅子の上で不体裁に飛び上がった。

「なに、どうしたの、」

分署長が心配そうに娘の肩先を抑える。長官の表情は変わらない。

「で、伝言が、そ、そのテュスラ様から長官宛に、」

「そう、じゃ、聞いたまま、完全に復唱して、」

「あ、あの、いいんですか、その、なにかフ、フケイな」

「いいから、言ってみて、」

「は、はい、それは、こうでした、テュスラ様がおっしゃったのは、

レェースカー女史によろしくね、ってことでした、」

「まあ、」

分署長がため息をついた。

「レェースカー女史によろしく、かあぁ、」

長官もほとんど機械的に繰り返し同じくため息をついた。


スダン嬢は本当に訳が判らず椅子の上で相変わらず震えていたが長官と分署長はそれにかまわず額を寄せてなにやらヒソヒソ話し込んでいた。それは30秒ほども続いたがやがて顔をあげた長官がやや改まった風に声を掛けた。

「さてっと、もお、ほとんどいいんだけど、さあ、あなた、ちょっと正直な感想っていうか、感じたままを言ってほしいんだけど、そう、

あれ、っていうか、あのテュスラ・オッシナね、あれの様子に何か変わったところはなかった?」

「変わったところですか、」

「そう、どんなささいなことでもいいわ、気づいたことを教えて頂戴、」

長官の表情にも、もうほとんど険しさはなくなっていたが、実はここからが本番、というような、ほのかな、隠された真剣味は残っているようだった。

「なんでもいいのよ、気づいたことを長官に申し上げなさい、」

分署長も促す。

「気づいたこと・・・ 」

哀れなスダン嬢はしかし生真面目に考え込んだ。そして自分の言葉にどんな影響力があるのかを全く想定することができない上に決定的な経験不足も手伝いほぼ心に浮かんだままを口にしてしまうのだった。

「わ、わたしが感じたのは、」

二人の上級者はほとんど同時に無言で頷く。

「あの方の言葉には、なにか、ちょっと」

小娘は口ごもった。

「ん、なにかちょっと?」

分署長が繰り返す。

「は、はい、なにか、ちょっと微妙なんですが、敬意、っていうか、丁寧さっていうか、どう言ったらいいんでしょうか、なにか不敬な感じが少し、」

「待って、不敬って、誰に対して?」

「え、ええ、ええっと、誰と言われましても、」

若い補佐官は首を捻る。

「ああ、そうでした、わたしの生まれを尋ねられたんですが、」

「うんうん、」

「ガルデンジーブス様のことを呼び捨てにされてました、」

「ガルデンジーブス公ねえ、」

「そうなんです、西の街で、ガルデンジーブス様を呼び捨てにすることなんて絶対ありえないですし、」

「ま、五星公について考えだしたらキリがないし、フェズ公を除けば全て人外といっていいんだし、」

「長官!」

「いいって、別に、誰も聞いてないんだし、」

「そういう問題では・・・」

「ふふふ、あのテュスラ・オッシナがねえ、あれだって相当、」

「長官!」

「ああ、はいはい、で、ほかには、どう、なにかおかしなことなかった?」

「おかしなこと・・・」

スダン嬢は飽くまで生真面目である。

「ああ、ハイ、そういえば、」

「なになに、」

「馬車をお見送りする時ちょっと、ああ、いえ、その前だったかな、ああ、あの方の目の中で、何か、青い光が、青白い不思議な光り方で、チラチラしてたような、」

「それ、それって、キレイだった?」

「ああ、キレイ? キレイっていうか、なにか青空の無限が、凝ったような、底なしの、空恐ろしい感じ・・・ ビリビリと・・・ ああ、」

「マリーア・スダン、しっかりなさい、」

分署長の声が響く。

「もういいわ、スダン補佐官、下がってよろしい、」

書記官房長官の満足げな声が続いた。それは有無を言わさない強圧的な響きだったが酷薄な感じは少しも無い。娘はヨロヨロと立ち上がる。

椅子を引いてやっていた直属の上司はやや不安げにその腰を支えてやる。

「ちょっと待ちなさい、マリーア・スダン!」

再び官房長官の、しかし今度は極度に冷ややかな声がかかる。

娘は振り返った。

「あなた、今の俸給いくらなの?」

娘は面食らったように一瞬静止したが、数秒後に正確な数字を答えた。

「そう、」

長官の頬に微かな痙攣に似た筋が走る。

「あなた、そんな靴でテュスラの前に出たの、」

「えっ! あ、はい、あの、これは、その」

「言い訳はいいわ、それはダメ、懲罰ものよ、分署長、内規によればどうなるの、」

「9条第5則違反ですね、鞭打ち20、もしくは棒30です、ですが直属の上司又は上級管理官による大幅な裁量が認められています」

「罰金では?」

「罰金なら500モルですね、」

「選びなさい、」

補佐官は顔面蒼白のまま首を静かに振り、蚊の鳴くような声で答える。

「罰金・・・ は、と、とても、は、払えません、鞭打ちで・・・ 」

「そう、じゃあ、それで、では、解散」

娘はうなだれたまま前室へと出た。顔見知りの守衛はすべてを見て取っていた風にいかにもな訳知り顔だったが、それは解錠の手際が少し早すぎたことでも察しることができるのである。ただし同情している素振りは、上司の手前もありあからさまではないとしても娘に伝わるようには表情を調節するだけの余裕はあったのだった。

「懲罰って聞こえたけど一体どうしたの、マリーア、」

「べ、別に、なんでもないんです、わたしが馬鹿なだけで、大したことじゃないんです、」

「ほんとに大丈夫なの? 真っ青よ、」

娘は無言のまま首を振り出て行こうとした。しかし追いついた署長が四角い封筒に入った命令書を手渡した。

「明日、一番で監察官のとこへ出頭なさい、これもってね、」

マリーアは呆然とした表情のまま封筒を受け取った。

「あなた、ほんとに500モルの貯金もないの、鞭打ち20なんて一生消えない傷が残るかもしれないのよ、」

「いいんです、大丈夫です、お気遣い有難うございます、」

紺の制服に身を包んだか細い娘はほとんど壁伝いにヨロヨロと歩き出したが3メルデンも進まぬうちに振り返った。ホスラー分署長とデオーラはまだ見守っている。

「署長、お願いがあるんですが、」

「言いなさい、」

「このことは両親へは・・・」

「もちろん、通達書が行くわよ、」

「ああ、」

娘は廊下に崩折れるように跪いた。

「どうかそれだけはお許しを!」

「私にだってどうしようもないのよ、」

分署長は肩をすくめた。深夜でもあり自分も待機室へ戻りたいのである。それに騒ぎが大きくなれば監督責任の指摘を受ける可能性もあったからこのままマリーア一人の処分で済むのが最も望ましい形なのだった。

「立ちなさい、マリーア、みっともないことはやめなさい、」

「ああ、でも両親がこんなこと知ったら死んでしまいます、わたしの」

「何を騒いでいるの、」

ドォムル・レェースカー女史の冷ややかな声が響いた。


「立ちなさい、マリーア・スダン四等書記官、」

官房長官の声には圧倒的な威圧感があった。

マリーアは膝の震えるのを必死に抑えながら辛うじて立ち上がる。左手を壁についていたが長官の鋼鉄のような視線を感じ直立不動の体勢を保持しようと試みる。震えが止まらない。しかしなんとか文官の礼式を取った。

「よろしい、それで、」

レェースカーは氷のような声で続ける。

「これは一体なんの騒ぎ?」

ホスラー分署長が説明した。デオーラは護衛官の礼式を取り長官の斜め後ろに控える姿勢を取っている。

「なるほど、」

説明の間に娘は再び廊下に跪いてしまう(それは恭順の徹底、再表明というよりはただ力尽きただけに見える)。

高位行政官の威光そのままに簡素だが威厳に満ちた最高級の礼服を纏い

長身の女は哀れな四等官を見下ろしている。しかしその表情には一片の情けの色も見えない。

「わかった、ではこうしよう、そこの護衛官、えーーと、」

「デオーラ・マルフィア四等護衛官です、」

「マルフィア護衛官は今すぐこの子を5階の監察室まで連行しなさい、私もすぐ後から行く、」

「了解!」

「それからホスラー分署長、あなたは連合刑務室へ行き、当直の刑務官と拷問官、それと担当医官を同じく連れて来るように、」

「長官、それはあまりに」

「口出し無用よ、」

言外の意味を悟らせるように、やや脅迫的な声音で目配せをする。署長は、当たり前だがすぐにその仄めかしに気付いた。そして素早く姿を消した。冷たい廊下にそれぞれの足音が、なにかを訴えるように、物悲しく響くのだったがそれもすぐに消えた。こうして深夜の静寂が、その本来の存在感を取り戻すのである。


後日談(ホソク)として数行付け加え得るは以下の通り。

長官立会の下(全くの異例に属する)、規定の処罰が即時(・・)実行されたが(これも極めて異例)

大幅に情状酌量され、規定の半分以下の鞭打ちで終わったこと。

当該被処罰人は執行の間中気丈に耐えていたが直後に失神したこと。

その後本人の身柄を長官自身が引き取り保護したが収監場所が不明であること。

これ以後マリーア・スダンは自室に戻っていない。

異例ずくめの略式措置であり親族への通達無し、公式記録無し、

一件に関わる緘口令の厳命、

極僅かの命令書類、措置記録は官房長官秘となり通常の閲覧不能となったこと等等

以上である。

約6週間、正確には41日半の後、マリーア・スダンは原職に復帰しているが

痛々しく痩せ幽鬼のようだった、と同僚の一人は証言している。


<この番外節は、増補される予定があるが、挿入場所は変更の可能性がある>




外局の手配した馬車はかなり豪華だったが、皇太后宮とゼノワの勢威を思えばまだケチのつけられそうな微妙な代物でもあったのである。しかしキャビン内の四人に限ればそういった俗世間向きの序列や、官位・位階の複雑極まる弁別、それに起因するアホらしい嫉妬、羨望などの無限の応酬に興味を抱くような、アタマのカラッポな連中が喜んでかかっている病気に縁のあるものは一人もいなかったのである。

「ねえ、テュスラ、あんたそれ、直接ゼノワにもらったの?」

「いいえ、団長に頼んだのよ、」

「名目はどうしたの?」

「薬湯療治よ、」

「そんなんでよく通るわねぇ、」

ダインバーントは呆れた風に首を振る。すこし暑そうに例の扇を使っているのである。

「まあ、いろいろあるのよ、って、それよりあーた、なにその格好・・・ 」

斜め向かいで足を組み成り上がりの殿様然とふんぞりかえっているのは、上下純白のチュニックとズボン、黄金(おうごん)鎖帯(チェインベルト)に、ご丁寧にもこれまた黄金(こがね)作りの華奢な短剣(レイピア)を差した男装の麗人という風情(オモムキ)もなかなかに場違いな、麗しの薔薇の姫なのである。

「いいでしょこれ、もっと褒めて!」

「アホらし」

「ねえ、トリスタン、これ、いいよねぇ、」

「も、もちろんです、ダイン様!」

テュスラの左脇にメイドの正装のまま、やはり目を真ん丸にしたまま激しく頷いているのは猫娘であり、斜め後ろに飛び過ぎて行く夜景に見入っているふりをしながら横目でメイドをチラチラ盗み見ているのがカランソットなのだった。

「これはねえ、動きやすくていいのよ、スカートもいいんだけど、ほら、ね、立ち回りのたんびに、ネエ、ビリビリって破いちゃうのはねぇ(どこの誰とは言わんけどねえ)」

「立ち回りってあなた、何言ってるの、」

「だってあーた、何が起こっても不思議じゃない、ル、シャルク~ゥ~のぉ~~

夜ぉ~るぅ~~っていうステキな小唄があるじゃない、」

「馬鹿馬鹿しい」

「でね、こんなカワイコチャン二人連れなんだし、ま、あんたが帯剣してても意味があるような無いような、せめてあたし達二人だけでも、ほれほれちゃんと武装してますよーーって、」

「バッカじゃないの? せめて、ほら、そこのリョーグロッドなみのを連れてるんならともかく、そんなオモチャじゃねぇ、」

「これっ名剣なのよ、地竜の宝物庫から出たのよ、」

「ま、いいけど、」

黒衣の侍女はアクビを噛み殺した。馬車はほとんど音も立てず、至極なめらかに走り続けている。車輪にはユーフラステヴィシア産の高価なゴムが巻かれてい、御忍び御用専用車仕様なのである。

「静かな夜ねえ、さっきのガチャガチャが嘘みたい、」

薔薇の長姉も夜景の流れに目を凝らすふりをするのだったがあまりに変化がないのですぐに飽きてしまったようだった。もちろん、こんな深夜は基本的に外出禁止なのであり、各街区の検問所では、相当上級の通行証がない限り通過は不可能なのである。しかし、カイアスの掲げる特別通行証の威力は凄まじくどこの門衛も平身低頭でこの馬車を見送るのだった。後席を確かめることなど、正に思いもよらぬ不敬行為であると言わんばかりなのである。

「あっ! そうだ、思い出したわ、ねぇ、カラン、」

むっつりと黙りこんでいた妹姫は、いかにも(うるさ)そうに薄目を開けた。鞭を振るうカイアスの、薄い胸の吐息が聞こえているかのようだ。

「なに、ねえさん、」

「賭けはあたしの勝ちよ!」

「ん、なんだっけ?」

「もうっ! 覚えてないの?! ひどいわねっ! ガルデンジーヴス突破のことじゃない!」

「ああ、そうだった、突破だった、な」

「ねぇ、テュスラ、言ったげて、言ったげて、ほら、さっきわかったって言ってたじゃない、」

キャビンの天井を見上げていた黒衣の侍女は何か別な気懸に集中している風だったがすぐに正面の薔薇の三女を見つめかえした。

「そう、結局、わが主、イヨルカ、例のアカンボ、それから、もちろん、テュスラもだけど、

無事、至極平穏に門塞を通過したようね、わが主はガルデンジーヴスと会見したようだし、」

「なにか密約でも?」

「そこまではわかんないわね、」

「ふぅーーーん、まあいいさ、姉上の勝ちってことで、」

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