四
けれど幸せな時間も長くは続かなかった。
アルヴァンス一世が専属騎士を早急に見つけるようにと命じてきたのだ。
「姫様……」
「陛下は意地がお悪いのだわ! わたしがこんなに思い悩んでいるのをご存じで急かすのだから」
「陛下にもお考えがあるのですわ」
「わたしの考えはどうでもいいの?」
リランはむすっとした顔で、唇の端を曲げた。
だれも傷つかないようにと慎重に選んでいるというのに。
(専属騎士が決まったら、多くの殿方が涙を流すことになるわ)
そうなったら大変だ。
アルヴァンス一世だって平静ではいられないだろう。
政の中枢を担う若者たちは、残念ながらリランの専属騎士となることは叶わない。
いつも熱い視線を投げかけてくる彼らが、リランの傍に在ることを許された存在を知ったら白目を向いて倒れるだろう。
「で、ですが、陛下は姫様の身を案じて……」
「しつこいわ。宮殿に忍び込める者などいるものですか」
どんな手練れでも、王立騎士団が護る宮殿にそう簡単に侵入できるとは思えない。
最強と名高い王立騎士団がいる限り、宮殿内は安全だ。
なのになぜ、アルヴァンス一世は焦っているのだろう。
「それに、民を護るのは警備隊の管轄よ。陛下が口出しなさるのは、警備隊を信用していないせいかしら」
「ひ、姫様! なんということを……!」
侍女の顔から血の気が引いた。
ついていけないとばかりに、侍女はゆるく首を振った。
まるでリランが暴言を吐いたかのような雰囲気に、リランは不服そうに唇を尖らせた。
神聖なるラーヌ河で変わり果てた娘の遺体が発見されたのは確かに大事件だ。
ラーヌ河は、この地の創世主、ラヌアラージュ神が流した涙によって創られた。それゆえに、神官たちが聖なる河として崇め、初代国王と不可侵の条約を結んだのだ。国王でさえ許可がなければ立ち入ることは許されない河に身を投げたとなれば、国を揺るがす大珍事だ。
神官たちは、娘の亡骸を手厚く埋葬するどころか、神への冒涜だと叫んで焼き払ってしまったらしい。
今も穢れを浄化するため、寝ずに祈りを捧げているという。
娘の死の原因はまだ解明されていないものの、神官は大げさに騒ぎ立てている。そのせいでアルヴァンス一世も過敏になっているのかもしれない。
だからといって娘の死とリランになんの関係があるのだろう。
ラーヌ河は神官が管理しているとはいえ、だれでも入り込める。この世に絶望し、娘が勝手にラーヌ河に飛び込んだとしても不思議ではない。
仮に事件だったとしても、それを解決するのは警備隊の仕事。
いくら神官にせっつかれているとはいえ、アルヴァンス一世が頭を悩ませる必要はないはず。
「わたしだって、時間がないのはわかっているわ。でも陛下はわたしのことを想っておっしゃったんじゃないもの……」
事件を憂えたアルヴァンス一世が、リランも同じ目に遭わないだろうかと心配して専属騎士を早期につけるように言ったと侍女は思っているらしい。
だが、リランはそれを鵜呑みにはできなかった。
(アル兄様がわたしの心配なんてなさるはずないわ)
彼が心を砕くのはもう一人の妹だけだ。
もしかしたら、専属騎士を与えることで、煩わしさから解放されたいのだろうか。
そう考えると、胸の奥がじくりと痛んだ。
リランは、あふれ出す負の感情を押し殺すように、きゅっと唇を引き結んだ。
「ドゥオラン提督が帰っていらしたの!?」
優雅にお茶を飲んでいたリランは、その知らせを聞いて思わず立ち上がった。
突然すぎて気が動転してしまい、それを隠すように頬を両手で押さえた。
ここしばらくの間、なんの音沙汰もなかったというのに……!
アルヴァンス一世のせいで落ち込んでいた気持ちが、ぱぁっと晴れていくようだった。
(ドゥオラン殿が宮殿にいるなんて、こんなに嬉しいことはないわ)
「はい。今朝方、こちらにお着きになりました」
「まあ! ずいぶん前じゃないの」
どうしてもっと早くに教えてくれなかったのと年若い侍女を詰った。
「は、はぁ、申し訳ございません」
気の抜けた返事を返す年若い侍女。
彼女はきっとリランとドゥオラン提督の関係を知らないのだろう。しょうがない。まだリラン付きとなってから一年も経っていないのだ。
つき合いの長いもう一人の侍女ならば事情を知っているはずだが、あいにくと所用で席を外していた。
胸を高鳴らせたリランは、こうしてはいられないと身を翻した。
恋しい人に会う乙女のように頬を染め、目を輝かせながら衣装を選ぶ。
(きっとドゥオラン殿は、昔よりも美しくなった姿を見て驚くわ)
そのときを想像して、くすりと笑う。
化粧をし直し、襞のたくさんついたドレスに身を包んだリランは、くるりと回った。
「ダーニャ、おかしなところはない?」
「は……え、ま、まあ。姫様は、奇姫でいらっしゃいますから」
要領を得ない年若い侍女ダーニャに、リランは眦をつり上がらせた。
「わたしが完璧なのは知っているわ。わたしが訊きたいのは、いつもよりも輝いて見えるかどうかよ。この薄紅色のドレスは、わたしのかわいさを引き立ててくれるけれど、今日の髪型と合っているかしら。薔薇を髪飾りのように挿したら素敵なのでしょうけど、手近にないのが残念だわ」
リランは悩ましげにため息を吐いた。
毎朝、侍女たちがリランのために、庭園の花を摘んできてくれる。その中から髪飾りに相応しい花を選ぶのだ。
おかげで室内は花で溢れていた。
乾燥させた花が額縁や壁に飾られているだけでなく、いたるところに並べられた花瓶には鮮やかな花々が生けられていた。
むせ返るような花の匂いに包まれてリランは生活をしていた。
(薔薇を持ってこさせようかしら……でも、そうしている間にドゥオラン殿がまた行ってしまわれたら……)
そう考えるととてつもない不安がリランを襲った。
しかたなく薔薇を諦めたリランは、もう一度、自分の姿を鏡台で確認した。
塔のようにそそり立つ髪型は、七色に染めたおかげで思議な色合いを見せていた。それ自身が煌びやかなためか、薔薇がなくてもいいような気がした。最後にレースを髪に巻いたリランは、満足そうに頷いた。
美の女神アローティアだって嫉妬してしまいそうな美しさだ。
深く色づいた唇と頬が愛らしく、灰青色の瞳もいつも以上に輝いているようだった。
いつも以上に完璧に身なりを整えたリランは、彼がいるという蒼の間に急いで向かった。
「どいてちょうだい」
「は? い、いや、しかし……」
ぎょっとした顔でリランを二度見した兵士たちは口ごもった。
強い態度にでられないのはリランが一応姫君だからだろう。
「開けなさいったら。命令よ」
リランは呆れたように言った。
彼らはリランのあまりの美しさに呆けているのだろう。
いつものこととはいえ、人の心を惑わせてしまう美貌が今ばかりは恨めしかった。
困ったように互いの顔を見た兵士たちは、苦く笑うと、仕方ないとばかりに肩を落としてリランを通した。
軽やかに中へ踏み込んだリランは、目映い蒼の洪水に思わず目を細めた。蒼の間に相応しく、一面を『蒼』で覆われた室内は、重要な会議の場としても使用されていた。
一瞬、深海に迷い込んでしまったような錯覚に陥る。
軽く首を振ったリランは、目当ての人物を見つけると青い絨毯の上を駆けた。
「ドゥオラン殿――――……っ」
ちょうどアルヴァンス一世と謁見の最中であったようだ。
高座にいるアルヴァンス一世の下で恭しく膝を突き、楽しげに会話をしていた。
「おお、これはリラン姫様」
リランの声に振り向いた提督は立ち上がると破顔して、抱きついてきたリランを受け止めた。
もう何年も会っていないというのに、彼にはすぐリランのことがわかったようだ。
そんなささいなことが嬉しくて、リランは提督の胸に照れた顔を隠すように埋めた。
「なぜお帰りになることを事前に教えて下さらなかったです」
拗ねたように言ったリランは、顔をそっと上げた。
「ははっ、驚かせようと思ったのです」
茶目っ気たっぷりに片目をつむる提督は、御年六十を迎えても若々しく、男の色香があった。さぞ若き頃は美男子だっただろうと想像できる整った顔立ちだ。
じっと彼の顔を見つめたリランは、眼帯で覆われたもう片方の目を見て、痛ましげに顔を歪めた。
三年前に海域で起きた隣国との争いによって負傷したとは聞いていたが、まさか眼を傷つけていたなんて。
もう二度と慈愛に満ちた両目を見ることができないんだと思うとなんだか悲しくなった。
と、そのとき。
「――リラン、はしたないぞ。一体そなたは今まで、どういう教育を受けてきたのだ」
氷のように冷たい声が、真っ直ぐリランに突き刺さった。
「……っ」
無作法を咎める兄の声に、リランも我に返った。
挨拶もなしにいきなり入室し、アルヴァンス一世の邪魔をしたのだ。
怒られても仕方のないことだったが、怒鳴られることよりも、いつもと違う冷ややかな態度のほうが一番恐ろしかった。
ちらりと顔を上げると、無表情のアルヴァンス一世と視線があった。
思わず息を呑む。
びくりと体を震わせたリランをどう思ってか、片眉を上げたアルヴァンス一世は、すっと目を細めた。
そこには、提督と楽しげに語らっていた面影はない。
「ご、ごめんなさい……」
素直に非を認め謝るリランに対し、アルヴァンス一世は厳しい態度を崩さなかった。
礼儀にはうるさいアルヴァンス一世だったが、今日は虫の居所が悪いのかいつもよりも執拗だ。
「そのふさげた色を戻せと命じたはずだが?」
「!」
「これ以上、恥をかかせるな。人前に出すこともはばかれるというのに、そなたはなんと呑気な。いくらドゥオラン提督とは気が置けない仲とはいえ、最低限の礼儀くらい身につけたらどうだ。その格好も目に余るぞ。衣装係はなにをしておる」
「まあまあ、陛下。よろしいではないですか」
重たい空気が流れる中、果敢にも提督が割って入った。
兄妹喧嘩というには不穏な雰囲気であったが、固まる周囲とは違って、提督はまったく動じていなかった。
公衆の面前で詰られ、気落ちしているリランを案じてか、アルヴァンス一世を柔らかく諭した。
「陛下、外見がいくら変わろうと姫様であることに違いございませんよ。なあに、少し変わっていても、姫様らしくてよろしいではありませんか。言葉で縛りすぎては、返って逆効果ですぞ」
「ドゥオラン殿……」
強ばっていたリランの顔に、ホッとしたような安堵の笑みが浮かぶ。
(やっぱり、わたしの味方でいてくれた)
それがどんなに嬉しいか。きっと提督は理解できないだろう。
先代の王の時代から王家に仕えてきた提督。
アルヴァンス一世とは幼少のみぎりから接してきたせいか、臆せず、対等に意見を言える数少ない重鎮の一人である。
「陛下、そろそろ退室してもよろしいですかな。姫様と積もるお話しがありますゆえ」
「……っ、勝手にしろ」
顔を輝かせるリランを苦々しく一瞥したアルヴァンス一世は、許可を与えた。
「では、参りますか」
「は、はい!」
リランの頬紅で色づいた頬がますます濃くなる。
喜びを全身で表すリランを好ましげに見つめた提督は、腕に抱きついてくるリランを伴って部屋を後にした。
いつもは自信に満ちあふれたリランも敬愛する提督の前では、借りてきた猫のように大人しくなってしまう。
「手紙では推し量れないこともありましょう。お元気そうでなにより」
「! わ、わたしもドゥオラン殿のご無事な姿を見られて嬉しく思います」
リランは、はにかんだ。
「我が国の海域の平穏を守るためとはいえ、密猟者や海賊を相手にする提督のことを考えると、胸が痛みました。適材適所とはいえ、父様……いえ、先代の国王がお命じにならなければ、わたしは提督と本当の家族のように暮らせていたのにと、今でもときおり悔しく思います」
「はは、存外の喜びです。離れている間に姫様は口が上手くなりましたな」
「まぁ! 世辞でも冗談でもありませんわ。わたしは本当に……っ」
「わかっております。今は亡き先代のご命令だったとはいえ、私にとっても、忘れられないひとときだったのは事実。船の上から星空を眺めながら、同じく見ているであろう姫様のことを想像し、その頬は涙に濡れていないかと心配したものです」
リランは不服そうにちょっと唇を尖らせた。
彼の中ではずっと泣き虫リランのままだったらしい。
確かに、一人で寝るのは怖いと彼の寝台に潜り込んだこともあったし、ささいなことで泣いていたかもしれない。
あの頃のリランは情緒不安定だったのだ。
幼い頃は、病弱な母に似て、病気がちだったリラン。
宮殿内の空気が悪いこともあり、療養するために地方に所有していた屋敷へと移ったのだ。そこでの教育係兼世話係だったのが、目の前にいる提督であった。
五人の子供がいる提督は、子供相手の世話も慣れているようだった。
時に厳しく、時に深い愛でリランの成長の手助けをしてくれた。
「……ドゥオラン殿が本当の父様だったらよかったのに」
リランの切なげな呟きは、幸か不幸か提督には聞こえなかったようだ。




