三十二
「まあ、皆様、掌を返したように」
リランに仕えて長い侍女は、お盆の上に溢れるくらい載った手紙を不審そうに見つめた。
リランが薄氷の姫君だと知れ渡ってから、ひっきりなしに招待状が届くのだ。
しかし、正体を明かしたリランはまだ、だれの誘いも受けていなかった。
「しょうがないわ。美しさは罪だもの。ああ、わたしはきっと国をも滅ぼしてしまう傾国の美女なのだわ」
やや芝居がかった仕草で嘆くも、以前とは違って、侍女は同意を示した。
「姫様でしたら、どんな男でも放っておかないでしょうね」
リランはほんの少しだけ瞳を翳らせた。
この場に、ダーニャの姿はなかった。
トルトック子爵に意識を失わされた彼女は、数時間後に目を覚ましたという。
彼に殺されるところだったダーニャは、ようやくトルトック子爵の不利となる証言をする決意をしたらしい。ダーニャは、数々の悪行を全部知っていたのだ。
リランと同じくトルトック子爵に淡い想いを抱いていたダーニャは、愛想を尽かされるのが嫌で彼の命令に従っていたという。だが、今回の件で、自分がいらない存在だと知り、証人として貴族裁判に出廷し、白日の下にすべてをさらけ出す覚悟を決めた。
ダーニャは、以前働いていた貴族の屋敷で、暴力を振るわれていた。それを助けてくれたのがトルトック子爵だったのだ。以来、ダーニャは彼に傾倒し、勧められるまま城仕えとなった。
そう、ダーニャは、リランだけでなく貴族の裏の情報を彼に横流ししていたのだ。
けれどリランと接するうちに迷いが生じ、傷つけられた姿を見て、罪悪感を抱いたという。
リランを危険にさらしたダーニャは、仕える資格はないと告げて、辞職した。
自身も罪を償ったあとは、田舎に戻って両親と静かに暮らすのだという。
そのいつになく晴れやかで眩しい顔には決意があり、リランもなにも言えなかった。
きっと彼女は、たくましく生きることだろう。
短い間だったとはいえ、自分を世話してくれた侍女が去るのはとても寂しいことだが、リランは彼女が決めた道を応援したかった。
深く腰掛けていたリランは、隣に立つユーシックを見上げた。
「ユーシック、あなたはどう思う? わたしは大陸一かわいい?」
「貴女は、どのようなお姿でも変わらず、お美しいですよ」
にっこりと微笑みながら言われたリランは、少しだけ頬を赤らめた。
専属騎士の座をついに手に入れたユーシックは、それこそ執事のようにリランに仕えていた。離れていた分、思いが募っていたのか、それはもう侍女よりもかいがいしく世話を焼く。
仕事をとらないで下さいと、侍女に叱られるほどだ。
「どんな姿でも? 過度な化粧をしていたわたしでもそう褒めてくれるの?」
「もちろんです。私にとって美しさは、表面上だけではありません」
「内面ということ?」
リランは、こてんと愛らしく小首を傾げた。
「清らかな心をお持ちの方は、それが身の内からあふれ出るものですよ。我が姫も、内側から輝いていらっしゃる。手を血に染めた私には、その純粋な光がとても眩しく、だからこそ焦がれるのでしょう」
「おかしなことを言うのね」
くすくすと笑うリランは、陽の光を浴びて、本当に輝いているようだった。
きらきらとした粒子が柔らかく輪郭を縁取り、銀の髪が透けて、今にも消えてしまいそうな儚さがあった。
「――私は昔、女の子の恰好をさせられていたんですよ」
ユーシックは、秘密を打ち明けるように言った。
「まあ」
驚くリランに、ユーシックは昔を懐かしむように目を細めた。
「今の顔からは想像もできないでしょうが、幼い頃は顔立ちが中性的で、しょっちゅう少女に間違えられていました。母は、娘が欲しかったようで、私に女物の服を着せては楽しんでいたんですよ。そのせいで、兄たちにもずいぶんとからかわれ、部屋にこもりがちになる私を見かねた父が、ある場所に招待してくれました」
「ある場所……?」
「そこには、とても美しい姫君が住んでいたんですよ。体の弱い姫君は、あまり外に出ることができず、寝台の上で一日の大半を過ごしていました」
ドゥオラン提督は、友達もいない姫君を案じて、ユーシックを連れてきたのだ。
姫君は、女装させられたユーシックを見ても笑うことはなかった。
二人は日が経つにつれ、旧知の仲となった。
けれどある日、姫君がとても悲しそうな顔をしていることに気づいたのだ。
姫君は、家の中ではなく、外で遊びたかったのだ。
だが、無理をすればすぐに寝込んでしまうことを知っていた彼女は、わがままを言えずに、ただ窓の外を羨ましげに見つめることしかできなかったのだ。
そんな姫君をユーシックは慰めようと、朝露に濡れた白百合を一輪差し出した。
喜んだ姫君は、一日中それを眺めていた。
「私の贈り物で姫君が喜んで下さって、私はとても嬉しかったのです。けれど、手折られた花は、永遠に美しさを保つことはできません。花が枯れ、悲しむ姫君を二度と見ていたくなかった私は、枯れてもなお美しさを保つ方法を教えました」
「! それって、」
リランが目を丸くした。ようやく、姫君がだれかわかったのだ。
彼が教えてくれたのなら、リランが押し花を作っていることを知っているのも納得できる。
「なぜ、黙っていたの? わたし、ドゥオラン殿から教わったとばかり……」
「貴女に思い出して欲しかったのです。私のことを」
「ごめん、なさい。わたし、あなたのことちっとも覚えてなくて……」
「覚えていないのも無理ありません。私の容姿もずいぶんと変わりましたし」
苦笑したユーシックは、それにと続けた。
「貴女はあの後、高熱を出して何日も生死をさまよっておいででしたから……。貴女が私のことを覚えていらっしゃらないのは、父から聞いて知っておりました。けれど、たとえ私のことを覚えていなくとも、私が貴女と会ったときに抱いた気持ちに変わりはありませんでした」
「気持ち……?」
「女みたいな自分の顔が嫌で、卑屈になっていた私に、貴女は、微笑み一つで簡単に癒してくれたのです。あるがままを受けて入れて下さったことが、どんなに嬉しかったか……。だからこそ、失いたくないと思ったのです。貴女は、私にとっての光。光が消えれば、私も生きてはいけません」
「!」
「私は、そのときから貴女の横に並ぶに相応しい者になろうと心に決めました」
そしてユーシックは、密かに誓いを立てていたのだ。
リランの守護者として堂々と名乗ることができるまで会わないと。
そのために嫌だった兄たちを頼り、血の滲むような稽古を積んだ。
今のユーシックがあるのは、リランのおかげだった。
彼女がいなければ、彼女と出会わなければ、闇に閉ざされたつまらない人生を送っていただろう。
「貴女のお側で支えることのできる専属騎士。それこそが私の目標だったのです。……ようやくその願いが叶った。私以上に幸せな専属騎士はいないでしょうね。貴女はあの頃からちっとも変わっていらっしゃらない。小さな命にも心を配る優しさも、花を愛するところも、なにもかも。腐敗した宮中にあっても、その真っ直ぐで眩しい輝きはあせることはなかった」
積み重なってきた想いが、双眸の強さになるのだろう。
リランを射抜く、熱い眼差しは、決して冷めることはない。
「貴女は私の唯一無二の主。私が命を賭してお守りする方」
進み出たユーシックは、ゆっくりと膝を折り、リランの靴に口づけを落とした。
「永遠の忠誠を貴女に。この身果てるまで、付き従います」
「……っ、わ、わたしはダメな主人よ? かわいいだけしか取り柄がないし。刺繍も踊りも苦手で、思い込んだらそれしか見えなくて、きっと……ううん、絶対、迷惑をかけると思う。呆れることもあると思うわ。だってわたし、自分勝手なの。ロディアス様の件でね、わかったのよ。わたしがどれだけ愚かだったのか」
リランはきゅっと辛そうに眉を寄せた。
ユーシックは変わらないと言ってくれたが、自分はそんなに良い人間ではなかった。
きっとユーシックに相応しいのは、ティナのような真っ白な心を持った者なのだろう。
だって提督と一緒に暮らしていた頃のリランは、いつだって愛情に飢えていた。嫌われたと思い込んで、自分に自信がなかったのはリランのほうなのだから。
リランは、けれど、と続けた。
「あなたを離したくないと思うの。もしかしたらわたしにはもったいないのかもしれない。あなたは有能で、アル兄様から信頼されているし、仕える人がわたしじゃなかったら大成するでしょうね。でも、嫌だわ。わたしに仕えないなんて嫌なの。ようやく気づいたの。こんなに想ってくれるあなただから、専属騎士にしたいんだって」
「身に余る光栄です。私を選んで下さった。それだけでよいのです」
「馬鹿ね、馬鹿な人……。でも、もっと馬鹿なのはわたし。あなたの才能を過小評価していて、専属騎士には相応しくないと思っていたのに。いつの間にかあなたはわたしの心に入り込んできた。ロディアス様に酷い仕打ちを受けたときより、あなたの冷たい視線のほうが辛かったのよ。この世にたった一人、取り残されたような気分になったわ」
「あのとき、どんなに貴女に手を差し伸べたかったか……。あの場にいた者たちを二度と日の出を見られないようにしてやりたいと思いました」
さらりと物騒な言葉を紡ぐユーシックに、リランはぱちくりと瞬いた。
「まあ! ダメよ、ユーシック。大らかな気持ちで受け止めないと。心を傷つけられてもいつかは癒えるものよ。それが美の女神に寵愛を受けた者の運命。彼らはわたしに嫉妬していたんだもの。権力も、美貌も、すべてを兼ね備えたわたしが妬まれないほうが不思議ね。万人に愛されるように精進しないと」
うんうんっと真面目な顔で頷くリランを見て、ユーシックは目元を和らげた。
「……やはり、私の主人が貴女でよかった」




