三
「困ったわ……」
庭園へ続く回廊を歩いていたリランは、悩ましげにため息を吐いた。
外はリランを祝福するかのように晴れ渡っているというのに、気分は沈むばかり。
そんなリランを励ますかのように、穏やかな風が、吹き抜けの回廊を通り抜けていく。
ふと足を止め、真っ白な柱に手を置いた。
そこからは噴水が見えた。天使を象った彫刻から、優雅な孤を描いて水が落ちていた。
水面には色とりどりの花びらが浮かんでいる。
光に反射してきらきらと光り、それは幻想的な美しさだった。
けれど、いつもなら心弾む光景も、今ばかりはなんの慰めにもならない。
いっこうに、専属騎士候補が見つからないのだ。
リランの美貌ならば、いくらでも集まってきてもよいはずだが、その美しさがかえって仇になってしまうらしい。
『奇ひ……いえ、リラン王女の専属騎士など身に余る光栄です。けれど、私はまだまだ未熟者。王女殿下をお守りするには技量が足りません。王女殿下のお心遣いは大変ありがたいのですが、慎んで辞退させていただきます』
リランが選んだ騎士たちは、一様に口元を引きつらせ、そうのたまった。
やはり、実際のリランを眼前にあおぎ、気後れしてしまったのだろう。
(そうよね、わたしの横に並ぶには、それなりの容姿と腕が必要だもの)
ああ、けれど、どんなに騎士の容姿が優れていようと、自分の前ではかすんでしまうのだ。
かわいそうなことに。
(少しは妥協しないといけないのかしら)
なにしろ、時間はあまり残されていないのだ。一日、一日はあっという間に過ぎていく。まごまごしていたら、すぐに成人の儀を迎えてしまうだろう。
(見つけられなかったら、またセル兄様に笑われるわ)
この間もセルナントに馬鹿にされたばかりだ。
リランがなぜ修練場へと赴いたのか察したらしいセルナントは、お前に、専属騎士はつかないでしょ、と一笑に付した。
思い出すだけでもムカムカする。
兄ならば心配してくれるのが普通ではないだろうか。
そんな風に考えていると、名前を呼ばれた。
「専属騎士は見つかったの?」
まるで無理だろと言わんばかりの意地悪そうな声。
リランが振り向くと、そこには今し方思い浮かべていたセルナントが立っていた。
いつの間にいたのだろう。ちっとも気づかなかった。
王立騎士団の一員であるセルナントは、気配を殺すのがうまい。
第二王位継承者として、またオルヴァント公として地位も名誉も手に入れているセルナントは、なにを血迷ったのか、十五歳のときにアルヴァンス一世の許可無く王立騎士団入団の試験を受けた。
騎士たちの憧れであり、最高峰との呼び名が高い王立騎士団に入団できるのはわずかな者だけだ。狭き門ゆえに、毎年数万人もの人が試験に落ちていった。最後まで残れるのはほんの一握り。
そしてセルナントは実力でそのわずかな枠を勝ち取った。
もちろん影ではあることないこと囁かれていたようだが、セルナントの腕前は団長自身が保証していた。コネで入れるほど王立騎士団は甘くないのだ。
もっとも、どこかとらえどころのない兄セルナントは、努力のどの字も感じさせない。リランは彼が真剣に稽古をしているところなど見たこともなかった。いつもふらふら遊び回っている印象しかない。
今だって練習の最中だろうに、こんなところにいるのがいい証拠だ。
「リラン? 聞こえてる? 耳までおかしくなったのかな」
どこか馬鹿にしたように、くすりと笑うセルナント。
一言余計である。
白亜の回廊に、王立騎士団の証である緋色のマントが艶やかに浮かび上がる。
父親似の長兄とは違い、絶世の美姫と謳われた王太后の血を受け継いだ次兄は、男でありながら美人という表現がしっくりときた。決して女っぽくはないのだが、すらりとした手足とやや長めの髪が、そこはかとない色香を含んでいた。
匂い立つようなというのは彼のためにある言葉なのかもしれない。
今も、光の中に佇む姿は、一枚の絵画のような麗しさだった。
けれどリランは、そんな兄よりも自分のほうが美しいと信じて疑わなかった。
「兄様には関係ありませんわ。さっさと、稽古にお戻りくださいませ」
ぷいっとそっぽを向いたリラン。
まだ彼のことを許していないのだ。
「ま、相手がいなかったら、ボクが専属騎士になってもいいけど?」
「絶対嫌です!」
リランは即答した。
兄が専属騎士になった日には、毎日が灰色となるだろう。考えるだけでも恐ろしい。
「酷いな。せっかくこのボクがなってあげようというのに。王立騎士団を専属騎士になんてなかなかできないんだよ? こんなめったにない機会を逃すなんて、ほんとお馬鹿さんなんだから」
「自分の専属騎士くらい自分で見つけますわ」
「まったく、頑固なんだから。だれに似たのやら。……なんのためにボクが」
「? なにかおっしゃって?」
後半が聞こえず、小首を傾げながら問い返したリランに、面白くなさそうな顔をしていたセルナントは、別にと返した。
いきなり不機嫌になった兄に、リランは戸惑った。
顔が整っているだけに、眉を寄せているだけでも凄みが増す。
なにか気に障ることでも言っただろうか?
リランが居心地悪そうにしていると、それに気づいたセルナントが小さくため息を吐いた。気を取り直すように髪をかき上げると、リランの額を指の背で軽くこづいた。
「奇姫の専属騎士なんて、だれが進んでなりたいと思うの」
「まぁ、セル兄様はご存じないの? わたしの専属騎士にと望む者は多くいてよ。けれど、わたしの美貌に臆してなかなか積極的になれないでいるのよ。麗しい王女の専属騎士なんて、みんなの羨望の的よ」
「なんというか呆れるほど前向きな考え方だね。ほんと、困った妹姫だ。そろそろ正気になって欲しいけど」
「なぜセル兄様はそんなに意地悪を言うの?」
「お前が救いようがないほどのお馬鹿さんだからだよ。……まあ、当分の間、見つからないのならいいよ。ふふっ、頑張りな。専属騎士なんてお前には一生無理だと思うけど」
くすくすと笑いながら去っていくセルナントの背に向かって、リランは思い切り舌を出してやった。
「ひ、姫様!」
品のないと咎める侍女を無視したリランは、この先のことを考えて憂鬱になった。
専属騎士と契約できなかった姫君は一人もいない。
自分の手足となる専属騎士は、有能なほうが姫君の価値もあがり、嫁ぐさいの財産ともなる。それゆえに、慎重に選ばなければならない。
(あの方が、わたしの専属騎士ならよかったのに……)
リランの色づいた頬が、さらに鮮やかさを増す。
リランの命を救ってくれたのは、若きトルトック子爵であった。あの日は、ちょうど妹のために専属騎士を捜していたのだという。知らずに不可侵の地に迷い込んでしまったようだ。おかげでリランの命が救われたのだから幸いだろう。
(これをきっと、僥倖と呼ぶのだわ)
運命なのだ。
出会うべくして出会ってしまった。
彼が専属騎士となったら、リランの毎日は薔薇色だろう。
ああ、けれど。
愛しい王子様をこき使うなんてできやしない。
傍にいるのさえも気恥ずかしくて、胸の高鳴りを抑えるのに必死なのに。
「リラン姫……?」
「ぁ……」
優しげな声に視線をやったリランは、目を見開いた。
庭園を散策していたのだろうか。
噴水の横に、トルトック子爵が友人と一緒に立っていた。
彼は友人に何事かを告げると、にこやかな笑みを口元にたたえて近寄ってきた。
流行である羽根飾りのついたつばの大きい帽子を斜めに被ったトルトック子爵は、見目麗しかった。身につけている装飾品の一つ一つにもこだわっているようで、一見、バラバラな色合いに見えても、全体的にはすっきりとまとまっていた。
リランは、ほぅっと見惚れた。
優雅な物腰は、貴族らしい品にあふれている。
まるで神話に登場するカルーシェのようだった。その美しさから愛の女神と勝利の女神の寵愛を受けるほどだった。そして女神たちは、彼に自分だけが愛されたいと望むあまり、嫉妬にかられて争ったといわれている。そのせいで人間界は荒れ果て、自分のせいだと絶望したカルーシェは、崖から飛び降りて争いを止めさせたのだった。
それを聞いたとき、美しいものは皆で愛でるものだとリランは考えていたが、自分だけのものにしたい気持ちも今ならわかる気がした。
トルトック子爵はリランの前で立ち止まると、蜂蜜のように甘い双眸を柔らかく細めた。
「遠目からも姫君の姿はすぐにわかりましたよ。差し込む陽の光を浴びて、あなたはまるで虹をまとっているようでしたからね」
そう言って、そっとリランの手を取ると恭しく甲に唇を落とす。
驚いて、とっさに手を引っ込めようとしたリランの手を彼はきつく握りしめた。
(痛っ)
あまりの強さに一瞬顔をしかめるも、トルトック子爵は気づかなかったらしい。
「今日もとても輝いていますね。素敵な髪型だ」
「そんな……」
リランは照れたように視線を落とした。
鉢植えはこの間失敗してしまったから、今日は頭のてっぺんを平たくして、外側の編み込んだ部分に無数の花を挿してみたのだ。
「今日は友人と専属騎士を捜しに来たのです。リラン姫もですか?」
「は、はい」
こくんと頷いた。
ああ、こんなことならばもっとおしゃれをしてくるのだった。
彼に比べてドレスは地味ではないだろうか。
化粧は落ちていないだろうか。
小さな事でも気になってしまう。
いつだって彼には完璧な自分を見て欲しいのだ。
「そうですか。それはよかった。よければ、ご一緒に……」
「ご歓談のところ申し訳ございません。王女殿下は、そろそろ勉学のお時間ですので」
トルトック子爵の台詞を気難しい顔をした侍女が途中で遮った。
「まあ、ベティー。トルトック子爵は、わたしの命の恩人よ。ないがしろにしてはダメよ」
「それだけですか?」
侍女の目がきらりと光る。
長いつき合いの彼女には、彼にどんな感情を抱いているかなんてお見通しだったのだろう。
王女であるリランに余計な虫がついてはいけないとばかりに、厳しい顔になった侍女は、リランの言葉を無視した。
「さ、お部屋へ戻りますよ」
一緒に回りたいわと訴えるリランの腕を、いつになく強い態度で引っ張っていく。
リランが後ろ髪引かれる思いで振り返ると、トルトック子爵は優しく微笑んでいた。
侍女の無礼な態度も許してくれたのだろう。
「また、お会いしましょう」
「! はいっ」
リランは笑顔になった。
(また……! またと言ってくださったわ。またお会いできるのね)
リランは夢見心地でその場を後にした。




