二十一
「わたしは……」
その夜、リランはぼんやりと窓を眺めていた。
漆黒の闇夜に、満月が美しく輝く。
『月の精のように愛らしかった』
セルナントはそう言ってくれたが、リランは特徴のない髪の色があまり好きではなかった。太陽神の寵愛を受けたような黄金をしていたら、少しは自信を持てたというのに。
(兄様は、わたしを妹とおっしゃった)
これまでの意地悪さもなりを潜め、今日の彼はティナを溺愛する兄そのものだった。
それが嬉しくて、けれど、信じられない気持ちもあった。
怖いのだ。
裏切られるのが。
トルトック子爵に受けた傷は、一生癒えることはないだろう。
初恋が、こんなにも苦く終わるなんて……。
(それもこれも、わたしが醜いから……)
化粧だけでは、隠すことはできなかったのだ。
だが、セルナントは、そんな自分でも好いてくれた。
妹として愛してくれた。
でも、それは本当?
トルトック子爵のときのように、なにか裏があるんではないだろうか。
血を分けた兄のことも信じられない自分が嫌で、情けなくて、胸が張り裂けそうだった。
相反する思いがせめぎ合い、考えがちっともまとまらなかった。
「どうしたらいいの……」
こんな不安定な状態で、披露目などまず無理だろう。
人前に立つことを想像しただけで呼吸が苦しくなる。
自分の立場は重々承知しているが、このまま出ても失態を犯すに決まっている。
そうリランが憂えながら視線を下げると、窓の隙間になにかが挟まっていることに気づいた。
月明かりに反射してきらりと光るそれを手に取る。
「これは……」
見事な押し花だった。
透かしの入った金の薄い板に、生き生きとした花がはめ込まれていた。その周りを小さな宝石の欠片が彩る。
意匠を凝らした仕上がりに、リランも目を見張った。
押し花というより、一級の芸術品だ。
(まさか、ユーシック……?)
心当たりなんて彼しかいない。
慌ててバルコニーへ出たが、人影は見えなかった。
いつの間に来たのだろう。
リランはそっと押し花を胸に抱きしめた。
どうしよう。
胸が温かい。
先ほどまで悩んでいた気持ちがすぅっと消えていくかのようだった。
(信じて、いいのかしら……)
なぜ押し花があるのかわからない。
慰めてくれたのだろうか?
あの場ではあんなに冷たかったのに。
冷たい視線を思い出すと今でも胸が痛む。
が、リランを嫌っている人が押し花をくれるだろうか。
(まだ、わたしを少しでも想ってくれているの?)
そう考えるだけで、胸がざわめいた。
どうしようもなく嬉しくて、切なくて、泣きたくなった。
トルトック子爵の計略だったとはいえ、まんまとだまされ、ユーシックを手放したのは自分。
好かれているなんて考えること自体、虫が良すぎる。
「馬鹿だわ……本当に」
大馬鹿者だ。
人を見る目がないのだ。
本当に自分のことを考えてくれたのがだれだったのか、いまさら気づいたのに。
ユーシックはあんなにも自分のことを考えて行動してくれていた。
いや、彼だけではない。
兄や侍女たちも、リランのことを考えてくれていた。
それに気づかなかったのだ。
かわいければ好かれると逃げていた。醜さを隠せたことに満足して、周囲の反応などおかまいなしだった。
「わたし……」
辛いからと引きこもったままでは、逃げているままだ。
きっと周囲の人間は甘やかして、リランの気持ちを尊重してくれるだろう。
(アル兄様も……きっと、)
トルトック子爵のことがなければ、リランは一生わからなかっただろう。
長兄のわかりにくい愛情表現に。
この宮殿は平和すぎたのだ。
(失ってはじめて、人は大切なものを知ることができるのね)
そして、絶望してはじめて、自分がいかに恵まれていたか知ることができるのだ。
差し伸べてくれるあたたかさも、
心ない声の数々も――。
リランは、決意を秘めた目で、身を翻した。




