十九
「陛下、失礼いたします」
入ってきたのは、リラン付きの侍女二人であった。
執務中だったアルヴァンス一世は手を止めると、顔を上げた。
「何用か」
「突然、申し訳ございません。こちらの娘は、半年前よりリラン姫様の侍女となりました。名をダーニャと申します」
「それで?」
「この者がどうしても直接、陛下に犯した罪を告白したいと申しまして……」
「ほぅ」
アルヴァンス一世が目を細めると、びくりと体を震わせたダーニャは、その場にバッと膝をつくと、額を床にこすりつけた。
「も、申し訳ございません! わた、わたくしが……っ、すべてはわたくしが悪いのです」
わあぁぁぁぁぁっと泣き出した彼女は、切れ切れに語り出した。
リランが心に深い傷を負うことになってしまった元凶は自分にあると。
トルトック子爵に恋心を抱いていたダーニャは、彼がリランに好意を寄せていることを噂で聞きつけ、手助けをしようと思った。自分ならば、リランの日程表が簡単に手に入り、二人を近づけることができたからだ。
もちろん、侍女である自分が、だれかに肩入れするのはいけないとわかっていたが、トルトック子爵に幸せになって欲しかったのだという。
リランが嫌がれば引き離すつもりだったが、リランもダーニャと同じく彼に恋心を抱いた。
子爵と王女という身分を越え、二人が結ばれればと密かに願っていたが、それは最悪な形で崩れ去ってしまった。自分が彼を不用意に近づけたせいでリランを傷つけてしまったのだ。
ふさぎ込むリランの姿に、とんでもないことをしてしまったとようやく気づいたダーニャは、自分の犯した罪を告白することに決めたのだった。
「トルトック子爵は悪くございません。わた、わたくしがすべて悪いのです。……こ、これ以上、姫様にお仕えすることはできません。……っ、暇をいただきたく存じます」
嗚咽を漏らしながらそう告げるダーニャを黙って見つめていたアルヴァンス一世は、ややあって口を開いた。
「――そなた、リランをどう思う?」
「は……?」
思いも寄らない問いかけに、ひっくとしゃくり上げたダーニャは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。が、すぐに伏せた。
「か、変わっております。わたくしはまだ城仕えも一年と経っておりませんが、以前はさる高貴なお方に仕えておりました。その方と姫様を比べますと、姫様はこの国で最も高貴な方らしからぬ振る舞いが多々あり……ぁ」
「よい、続けろ」
言い過ぎたかと口をつぐんだダーニャに向かって、アルヴァンス一世が促した。
それに勇気づけられたのか、涙も止まった彼女は、つらつらと話し始めた。
「けれど、姫様は、わたくしを決して叩きません。どんなに酷い失敗をしても、前向きに捉えて下さって……。お優しい方なんです。少し……いえ、とても言動が変わっていらして、奇姫と馬鹿にされていますが、わたくしは姫様にお仕えできて嬉しかったです」
過去形で語る彼女に、アルヴァンス一世がほんの少し眼差しを和らげた。
「悔いているのならば、挽回すればよい」
「へ、陛下……?」
「よい者を選んだな、ベティー・イアーズ」
アルヴァンス一世が、黙って成り行きを見守っていた年長の侍女に声をかけると、彼女の顔に笑みが浮かぶ。
「お褒めいただき、ありがとうございます」
「リランも幸いであろう。ふっ、これまでは、リランの本質も見抜けぬ愚かな者ばかりであった。なんと歯がゆく思ったものか」
本音を吐露するアルヴァンス一世に、年長の侍女が頷いた。
「さようでございますね」
「ダーニャと申したな」
「は、はい!」
「リランに仕える気があるのであれば、そのまま続けるがよい。そなたの罪は不問とする」
「そんな……」
ダーニャは、目を丸くした。
「ただし、そなたの罪は墓場まで持っていけ。そして、生涯リランに尽くすがよい」
「陛下……ご温情に感謝いたします」
「近く、その件を含め審問会が開かれる。そなたにも証言を求めるであろう」
「! ……はい。覚悟はできております」
一瞬、表情を強ばらせたダーニャは、諦めたような笑みを浮かべると、弱々しく頷いた。そして、年長の侍女に抱きかかえられて去っていった。
再び執務に戻るアルヴァンス一世に、そっと声がかかった。
「処分なさらず、よろしいのですか? あの者は、陛下に虚言を……。トルトック子爵に恋心を抱いたなど、白々しい。私の調べでは、城仕えとなる前から親密な仲にあるようですが」
「たとえ、真実を語らなかったにせよ、自ら告げに来たのは、思うところがあってのことだろう。あの侍女が、もし、リランを陥れるだけだったのなら許しはしないが、リランに対する気持ちに偽りはなかったように思う。……なにより、親しい侍女が消えれば、リランが悲しむ」
アルヴァンス一世が眉を寄せてそう言うと、宰相がふっと笑った。
「意地を張らずに、リラン王女殿下にもっとお優しく接して差し上げればよろしいのに。提督が嘆いておられましたよ」
「アレの話しはするでない」
アルヴァンス一世が不機嫌そうに切り捨てると、堪えきれないとばかりに吹き出した。
「嫉妬なさるくらいなら、我慢をしないで、末の王女殿下と同じように可愛がって差し上げればよろしいのに。日頃、悪態を吐いてばかりだから嫌われるんですよ」
「うるさい」
図星を指され、カッと頬を怒りに赤く染めたアルヴァンス一世は、乱暴に署名した書類を渡した。
「このような兄君をもたれて、リラン王女殿下は本当におかわいそうでいらっしゃる。ぜひ、私がお慰めしたいものですね」
「そなた……っ」
「おおっ、怖い。冗談ですよ。けれど、傷ついた心を癒すには、新しい恋と言いますでしょう」
「リランはどこにもやらぬ。だいたい、あの形でもらい手などいるものか。リランは余とともにこの宮殿で過ごせばよい」
「ははっ、それでは籠の中の鳥ですよ、陛下。閉じこめられてばかりでは息苦しさを感じて、いつしか羽ばたくことも忘れましょう。末の王女殿下には、自由にさせておいでなのに、リラン王女殿下だけを留めておくわけにはいきますまい」
「それは、病弱であったから……」
「今は元気におなりです。庇護されるばかりではございませんよ。それに、貴方方が大切に、真綿にくるんでお育てになっても、本人にその愛情が届いていなければ無意味というもの。だから提督にいつまで経っても負けるのですよ」
容赦ない言葉の数々に、ぐっと返す言葉を呑み込んだアルヴァンス一世は、ゆるりと息を吐き出した。
「そなたの言葉は、ときおり、鋭く余の心臓をえぐる。まったくもって容赦のない男ぞ」
「陛下が私をお選びになったのですよ」
宰相は、にっこりと微笑んだ。




