一
「き、きゃあぁぁぁぁぁぁ……――っ」
悲鳴をあげた侍女の手から銀の盆が滑り落ちた。
ガンッ――ガチャン……ッ
鈍い音を立てて、繊細な絵が描かれた茶器が、砕け散った。
けれど部屋の主は、それを咎めるでもなく、
「どう? 大陸一かわいいわたしにぴったりでしょ?」
花が綻ぶような笑みを浮かべたブローデン国の第二王女――リランは、その場でくるりと回ってみせた。
差し込む陽の光を浴びて、七色に変わった髪がきらきらと輝く。
赤、青、紫、金、銀、緑、茶と賑やかなことこの上ない。
元の色が何色であったか忘れてしまうほど強烈な色の髪に、侍女が仰天するのも無理なかった。
「まあ! そんなに喜ぶなんて……ふふん、やっぱり、わたしがかわいすぎるのがいけないのね」
得意げに胸を張ったリランは、唯一いじれなかった灰青色の双眸をきらめかした。
その身を包むのは、鮮やかに染め上げた緋色のドレスに蝶のような羽をつけたものだった。仮装舞踏会でもないのに、優雅に羽を広げながら満足げに微笑んだ。
「秀作でしょ? これだけの染め粉を集めるのに苦労したのよ……って、あら。どこへ行ったのかしら? わたしの話はこれからだというのに」
動揺を隠せないまま、ぎこちない手つきで床の汚れを片付けていた侍女は、いつの間にか姿を消していた。
きっと、あまりのかわいさに卒倒しそうになったのね、と決めつけたリランは、鏡を覗き込むと満足そうに頷いた。
思い描いていた以上の出来映えだった。
化粧台の上に置いてある筆を手に取ると、髪の色に負けるものかと頬や唇、瞼に鮮やかな色を引いた。
瞼は、紫水晶のような色に。頬と唇は、熟した木の実の赤を。
それだけで、かわいい顔が、さらに魅力的になった気がする。
透き通るような白い肌と印象的なその色の対比が見事な出来映えだ。
いつもながらかわいらしい自分に、つかの間見惚れていると、外が騒がしくなった。
「リラン、いったいなにをしでか――、」
「あら、国王陛下。ご機嫌麗しく」
にこやかに振り向いたリランの顔を見た瞬間、ブローデン国国王アルヴァンス一世は頬を引きつらせ、固まった。
謁見の予定でもあるのか、正装姿の国王は、それこそ威風堂々としていて圧倒されるような存在感を放っているが、リランの前ではそれも霞むようだった。
アルヴァンス一世の知性きらめく端正な顔が、驚愕に染まる。
「陛下?」
リランが訝しげに小首を傾げると、彼はハッとしたような顔となり、見る間に血を頭に上らせた。
「な、な…、なんだ! その奇天烈な頭はっ。しかも、なんて酷い顔だ……っ」
「失礼ね。かわいいとおっしゃって」
むっと薔薇色の唇を尖らせたリランは、アルヴァンス一世の言葉が気に入らず、どこか不服そうだ。
「ああっ、まったく……。馬鹿だ、馬鹿だと思っていたが、これほどまでに愚かとは……。嘆かわしい。また奇
姫が笑いものに……」
がっくりと項垂れるアルヴァンス一世に、居並んだ侍従や侍女の目も同情的だった。
理解していないのは、リランだけだ。
奇抜な格好を好む変わり者のリランを宮廷人は、嘲って奇姫と呼んでいた。それを当の本人は「奇麗」の「奇」をとって「奇姫」と呼ばれていると勘違いしている。
(みんな、照れているのね。あまりに似合いすぎているから。かわいすぎるのも罪ね)
リランは悩ましげにため息を吐いた。
他の人より優れた容姿をしているというのは、時として周囲に敵を作ってしまうものだ。
「まったく、よいか、リラン。ティナに悪影響は与えてはならぬぞ。あの子はそなたと違い、心根も清らかで優しく、まさしく天界から舞い降りた天使のような子だ。あの子が、そなたのような気味の悪い格好をしだしたらと考えるだけで、気を失いそうだ」
そう嘆くアルヴァンス一世に、リランは不機嫌な顔を隠そうともしなかった。
「なによ。ティナ、ティナって! 兄様も姉様も口を開けばティナのことばかり。わたしのほうが何十倍も何百倍もかわいいのに。末っ子だから無条件で愛されるのは理不尽ですわ」
幼いからという理由で愛されるなら、リランにはとうてい手に入らない。
十五を迎えたリランは、そろそろ社交界デビューしてもいい年頃だ。
しかし、大人の階段を着実に昇り始めているリランとは違い、妹姫はまだ十歳。上の兄たちや姉とは年が離れていることもあり、それはもう目に入れても痛くないほど溺愛、盲愛しているのだ。
リランの嫉妬丸出しの台詞にも、兄であるアルヴァンス一世は眉一つ動かさなかった。聞き飽きたとばかりに、その唇から漏れるのは重いため息ばかり。
「しょうがあるまい。実際、そなたよりティナのほうが可愛いのだから」
「~~~……っ!」
リランは悔しそうに地団駄を踏んだ。
もし今の台詞をほかの者が言ったなら、照れてるだけね、と解釈するところだが、相手は兄。
本気でそう思っていそうだ。
(わたしは、大陸一かわいいのに!)
なのに、年下のティナに負けるなんて。
けれど、それも仕方のないことなのかもしれない。
だれしも、無垢な幼子には無条件で愛情を注ぎたくなるものだ。
リランだって、なにもティナを嫌っているわけではない。自分の次くらいにはかわいいと思っているのだ。
「そなたも時機、王族としての務めを果たすこととなろう。いつまでも、甘い幻想に浸っていないで、勉学に励め。このままでは、恥ずかしすぎて公の場に出すこともできやしない。いや、その前に、専属騎士を迎えるのが先決か。まこと困ったことよ。奇姫の専属騎士になりたいなどと、だれが志願するものか」
「おかわいそうな兄様……。王というのは、それほどまでに辛いのね。精神をお病みになるなんて……。でも、大丈夫。わたしのかわいい笑顔があれば、兄様の疲れも吹き飛びますわ」
「……余の話を聞いていたか?」
「もちろんですわ。わたしの美貌のせいで、専属騎士になりたい者が殺到して場が混乱してしまうというお話しですわね」
リランはにっこりと微笑んだ。
「ああ、ダメだ。そなたの顔を見ていると気分が萎える……」
顔を右手で覆い、がっくりと肩を落としたアルヴァンス一世は、もう何も言うまいとばかりに部屋を出て行った。
残されたリランは、心底不思議そうに小首を傾げた。
「おかしな兄様。わたしのとびきりの笑顔は、この国に平穏をもたらすというのに」




