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(8)

 電車が来た。古ぼけた、床が木の板で、真ん中に支柱のあるやつだ。映画のセットか、古い町並み保存会にあるような。

 濃いあずき色の車体しか見えないのに、私には中がどんなだか、ちゃんとわかる。シートは鮮やかな青だろう。

 だって、私は高校三年間ずっと、その電車に乗って通学していた。

「今から、お名前を呼びます。呼ばれた方だけ、ご乗車ください。それ以外の方はご乗車にはなれません」

 上ずったアナウンス。馬鹿なこと。そんなこと言ったって、みんながどっと押し寄せればひとたまりもないのに。

 でも、止まった電車の中には整然と人が座っていた。

 こんなにホームは混んでいるのに、電車の中で立っている人は一人もいない。

 そればかりか、あちこちに空席さえある。

「宮村杏子さん」

 呼ばれて、びっくりした。私の名だ。どうして?

 考える間もなく、私は従順な生徒のように、まるでそれが絶対命令のように、歩き始めた。

 あれだけびくともしなかった人混みが、かき分けるまでもなくさあっと引き潮のようにわずかに空いて、私は何の抵抗もなくあずき色の電車のドアをくぐった。

 そして、まるで私のために用意されていたように空いていた席に、腰を下ろしていた。

 すると今度は、磁石で吸いつけられたように座席に座ったまま身動き一つできなくなってしまった。


 汽笛が鳴る。蒸気機関車でもないのに。今時、汽笛が鳴る電車なんてあっただろうか。

 私はあたりを見回してみた。乗客は皆、学生ばかり。

 本を読んでいる人もいる。うつらうつらと眠っている人も、窓の外をぼんやり眺めている人もいる。

 いったい、誰が私の名前を呼んだんだろう。

 あんなにたくさんの人混みがうそのように、電車の中には立っている人さえいない。

空席こそないけれど、詰めればもう一人や二人座れそうなぐらい、座席には余裕があった。


 ドアがガラガラと音を立てて勢いよく閉まった。

 シューッ。ガタン、ガタン、カタン、カタン、カタタ・・・カタタタ・・・・。

 電車は走り出した。少しずつ早く流れ始める車窓の向こうに、私ははっきりとウラジーミルを見た。

 彼も私をまっすぐ見つめて、私に向かって手を振っていた。青い瞳が哀しそうに、別れを告げていた。

 伏見さんもホームにいた。私には全く気づいていないようだった。

 声もかけられないまま、数年ぶりの再会を彼女は知りもしないだろう。

 また会うことができるだろうか。

 次の列車は、いつ来るのだろう。本当に来るのだろうか。

 それに、また来たって、名前を呼んでもらえる人は何人もいない。

 どうして、80人に1人なんだろう。誰が、そんな確率を計算して出したんだろう。



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