Re:第二章
――私は何をしているのだろう?
アイツが怯えた顔をして私を見ていた。
友達になろう……確かそんなことを言っていたはずだ……。
私の答えは勿論……あれ? 何か違う言葉が出ている……?
それに私の持っているものは何? 椅子……?
――ああ、そうか。
アイツに裏切られたんだ……。
……でも、どうして椅子なんか持って……まさか……。
やめて……抑えて……そんなことしたって……。
「ハッ……」
目を覚ますと私は保健室のベッドの上にいた。
あれは夢だったのだろうか……いや、それは無いだろう。
確かにあれは現実のものであったはず……しかし記憶が途中で切れてしまっているようだ。
何故あの後の記憶がなく、気付いたらここで眠っていたのだろうか……。
私は混乱しながらもベッドから起き上がろうとする。
すると突然カーテンが開き、保健室の先生が顔を覗かせた。
「あら、お目覚め?」
「……はい」
私の反応を確認するや否や先生は笑顔になり
「なら良かった……急に生徒が倒れたって聞いた時は驚いたわ」
――そうか、私はあの後倒れて保健室に運ばれたのか……。
そう聞くとあの後の記憶が無いことも納得できる……。
しかし、納得すると同時にある疑問が浮かんできた。
――どうして私が倒れてしまったのか、そして結局私はあの後……。
「殺してしまったの……?」
つい怖くなって小声でだが呟いてしまった。
その言葉を聞いてか否か先生が真剣な顔で
「どうしたの? 何か嫌なことでもあった?」
嫌なこと……そんなものはここ最近の生活ほぼ全てなのだが。
私はここで相談すれば少しは楽になるか……と思ったが、根本的な解決にはならないと思い直し、一応倒れた後の事を訊こうと思った。
「あの……私が倒れた後……どうなったんですか?」
私の問いかけに先生は
「そうね……直後は知らないけれど、皆凄く心配してるみたいだったわよ?」
どうせまたクラスぐるみの演技だろう。
相変わらず、たちの悪いクラスメイト達だ。
取り敢えずその後の状況は何となく分かった……が、アイツはどうなった?
「それで……私以外に誰か倒れたりしてませんでしたか?」
取り敢えず遠まわしに訊いてみた。すると先生は不思議そうな顔で
「え? あなたが急に倒れたっていうだけなのにどうして?」
どうやら、あの後椅子を振りかざそうとして倒れたようだ。
私は自分に罪は無かった事を確信し、ようやく息をついた。
「ああ、そうだ」
安堵して間もなく先生が思い出したかの様に
「あなたが倒れたって伝えに来てくれた子ね、今にも倒れそうな位必死になって来てくれたわよ?」
そう先生は笑いながら言っていたが、私にはそんなに必死になってくれる人の心当たりは無い。
どうせ演技だろうと思ったが、一応誰か訊いてみよう。
「誰が伝えに来たんですか?」
すると先生は少し悪戯っぽい顔をし
「こんなに必死になってくれたんだから心当たりがあるんでしょ? 何でも友達なんですってねぇ……転校してすぐ友達が出来てよかったわね」
友達……か、ますます誰だか分からなくなってしまった。
「確か……白詰さんだったかしら?」
その名前を聞いた途端、私は旋律を覚えた。
偶然であると思いたいが、アイツの名前も……白詰だったのだ。
私が必死で動揺を隠す中、先生はおもむろに名簿を取り出し
「そうね……確か下が……ああ、四葉さんだったわね……あなたのクラスの」
「そうですか……」
顔には出さなかったが、私は訳が分からなくなってしまった。
アイツは危うく私に殺されそうになった様なものだ。それなのにどうして……。
そんな私をよそに先生は
「普段はおとなしい感じの子みたいなんだけど……あの時はホントに血相変えて、泣きながら助けてあげて!って言うもんだから、よっぽどの事が起きちゃったのかと思ったけど……軽い貧血か何かみたいね?」
――今、何と言った?
おとなしい感じ……?
泣きながら……?
確かに黙っていればおとなしい感じの見た目にはなるかもしれないが……。
それは私は抱いていたイメージとはおおよそ真逆のものだった……。
「それって……本当なんですか?」
訊き返すしかなかった……それがあまりにも現実味に薄れ、聞いた限り演技にしては迫力が有り過ぎたからだ……。
戸惑う私に先生はまたも不思議そうな顔で
「え? 貴方を運んだ後、落ち着いて本人と色々話したんだけど、大人しくてとっても可愛らしい性格してたわよ? あ、私のイメージ通り成績の方も優秀な優等生らしいわね」
これは私が夢を見ていたのか……とさえ思えてくる。
果たしてあの時が演技だったのか、それとも先生の言う普段が演技なのか……。
話し終えると先生は私の肩に手を置き
「まあ、とにかく大事なくてよかったわ……落ち着いたら戻りなさい」
お言葉に甘えて、少し思考を整理してから戻るとしよう。
その日、驚くほど何事も無かった……。
誰も話しかけてこそ来ないが、本当にアレが夢だったかのように……。
贅沢を言わなければ別にこれでいい……筈だが、何か足りない気がする。
友達がいなくて寂しいとかではない……この感覚は何だろうか?
自分は生きているというのは分かる、しかし何かが空回りしている様な……取り去ろうにも気体を掴もうとしている様な……だが着実にその気体が何か少しづつ不快感を与えている様なのだ。
痛みは無い。だがその他の物も無い。
その後のアイツは私と目が合うたびにバツが悪そうに逸らすだけだった。
まあ、あれだけの事になったのだから当然と言えば当然だ。
これを見ていると案外先生の言っていたイメージは当てはまるかもしれない、と思いつつ私は不思議な感覚に包まれながらも……そのままその週を過ごした。
週明け、アイツが珍しく体調不良で欠席した。
最初は風邪か何かだろうと思っていたが、それから一週間も連続で休んでいるのだ。
以外とこじらせているのか……と思いつつ週末を迎えた。
久々に思える休みが明け、気怠い気持ちで週初めの教室に入ると……何か一ヵ所に人だかりが出来ていた。
あれは何だろうか……と確認しに行こうとするとチャイムが鳴り、担任がホームルームを始めてしまった。
私は後で何だったか見てみるか……と思いつつ正面を向いた。
すると担任が悲しそうな顔で
「皆知っているかもしれないが、昨晩……」
「白詰が亡くなった」
――え……?
亡くなった……?
まさかあの人だかりは……。
私はアイツの席の方を見ると……花が置かれていた。
「なんでも自宅で体中に刃物を刺して自殺したらしい」
もしかしてあの時ので恐怖を覚えて……
あの後目が合うたびに追い詰められていって、最後には……。
私は急に吐き気を催すほどの罪悪感に苛まれた。
「直筆の遺書らしきものが置かれていたが、警察によると用紙いっぱいに同じ謝罪の言葉が書かれていただけらしい」
その話を聞くと、私の脳裏にアイツが謝り続けながら自分に刃物を刺している光景が浮かんだ。
最初の印象のままなら……先生の言葉を聞かなければ、せいせいしたと思っていただろうか?
だが、今はあの先生の言葉が胸に突き刺さった。
「白詰は真面目で人当たりも良く、信頼も厚かった……痛ましい事だが皆アイツの分まで精一杯生きろよ」
そう言って先生は軽い連絡の後、教室から出た。
罪悪感と戸惑いに頭を埋め尽くされながら過ごしていると……気付けば放課後になっていた。
私は取り敢えず私は悪くないのだ、と自分に言い聞かせて帰る準備をした。
そしていざ鞄を持って帰ろうとすると
「待って……砂野芽さん」
とクラスの一人が私を呼び止めた。
この人は……確か私の事を悪く言ったりしなかった稀有な存在だ。
実際は現状を見て何もしなかっただけの人だが。
「何?」
私はどうせ話しても意味がないと思いつつも返事をした。
すると彼女は少し俯きながら
「あなたに……本当の事を伝えたいの」
本当の事……何の話だろうか?
「本当の事?」
それから暫く俯いていたが、彼女は私の方を真っ直ぐ見て
「白詰さんはね……ホントはあんなに悪い子じゃないの」
悪い子じゃない……そんな様な事は何度も聞いた。
取り敢えずアイツは本当に信頼は厚かったようだ。
「本当にそうなら悪いけれど、あんな事する?」
私は敢えて突き放すように言った。
すると彼女はまた俯いて
「ごめんなさい……でも、それには理由があったの……」
「理由?」
正直言って私はただのとばっちりもいい所なのだ。
どんな理由が有ろうと私には無関係の筈だ。
「白詰さんね、双子のお姉ちゃんがいるの……」
「それが?」
私が不機嫌そうな反応をする中、彼女は相変わらず気弱そうに
「明るくてスポーツ万能なのが姉の三葉ちゃん……やさしくて勉強熱心なのが……砂野芽さんの知ってる妹の四葉ちゃん」
急に呼び方が変わったが、そんなことはいい……皆してアイツが真逆の性格だと言う。
本当にそういう性格だったのか……だとすると、どうしてこんなに変わってしまったのだろうか。
私は黙って彼女の話を聞くことにした。
「私ね、ずっと一人だったの……誰かに話しかけたりするの苦手で……。でもある日、四葉ちゃんが私の読んでた本を見て面白そうだねって言ってくれたの」
そう彼女は段々笑顔を浮かべ、嬉しそうに話した。
「それから何度も何度も私の事を気にかけてくれて……三葉ちゃんとも仲良くなれた」
この話を聞く限り、アイツは本当にいい人だったようだ……。
しかし彼女は急に悲しそうな顔をして
「でもね、ある日三葉ちゃんが事件に巻き込まれたの」
事件……まさか……。
「そう、砂野芽さんのお父さんが起こした事件……」
確かあの事件は私の友達が亡くなり……重傷者が2人……そうか。
「あの時は私と三葉ちゃんと四葉ちゃんでお買い物に行ってたの」
「いつも通り三人でお話して、笑って……そんな時だった」
彼女は泣きそうな顔になりながら
「いきなり知らない人がナイフを持って四葉ちゃんを刺そうとして……それを三葉ちゃんが庇ったの……。それで……背骨を刺されて……将来スポーツで生きていこうって言ってたのに、もう動けない体になっちゃったの」
私は……何と利己的なのだろうか。
あの事件の惨状を私は知っていた……被害者が私の友人だけではない事も知っていた筈なのに……どうして自分だけがなどと勘違いをしていたのか……。
私は徐々に彼女の話に興味と自分の愚かさを感じてきた。
「それから四葉ちゃんは毎日毎日犯人が……砂野芽さんのお父さんが憎いって……同じ思いをさせてやるんだって言ってた」
なるほど、それで私を傷つける事でお父さんに同じ思いをさせようと考えたのか。
そう思うとアイツが私にしてきた事も仕方がないと思えてきた……。
「だから砂野芽さんがここに来るって知った時、四葉ちゃんが皆に演技でいいから陰口を言って欲しいって頼んだの」
他の人のは演技だったのか……どおりで急に何も言わなくなった訳だ。
「最初は皆、戸惑ったわ……だって砂野芽さんは何も悪くないんだもん」
それが分かってくれていただけ救われた。
やはり表面上では真実は分からないものだ。
「でも、どうしてもって泣きながら頼み込むものだから……最後は皆、協力することにしたの……でも、私はやっぱり砂野芽さんをそんな風に言えなかった」
取り敢えず、あれは演技であって本気で苛めようとは思っていなかった事は分かった……しかし、一つだけ疑問が残った。
「じゃあ最後の、あい……白詰さんがやった友達になろうっていうのは、やっぱり復讐の為の事だったの?」
あの時は頭に血が上ってよく周りを見ていなかったが、普段ならそれに便乗して皆が嗤い出したりしていたのだ。
しかし、他の人は何も反応することなく……いや、むしろ戸惑っているようにさえ思える。
すると彼女が急に私の方を真っ直ぐ見て
「それは違うの! ホントは……ホントはやっぱり悪い事だって四葉ちゃん……砂野芽さんに謝ろうとして……」
彼女の目に徐々に涙が浮かび、遂には泣き出してしまった。
彼女は泣きながら必死に
「ごめんね……ごめんね……本当に謝ろうとしてたの……お願い……許してあげて……」
あの事件で変わってしまったのは私だけではない。
やさしく、真面目だったであろう白詰でさえも復讐の為に人を傷つける様になった。
そして……あと一人の被害者は……その関係者はどのように思っているだろうか。
私はやるせない気持ちになり、拳を握りしめ……逃げるように教室を出た。
「待って……お願い……砂野芽さ……」
彼女の悲痛な言葉が胸を締め付けた……。
私が……私が白詰の本当の気持ちを察していれば……。
私のせいだ……自分の闇にばかり気を取られていたからこんな事に……。
今まで全て父のせいにしていただけに、今回の事は相当ショックだった。
自分に関わった人が死んでしまったのだ……。
それも自分が……人を許せなかったせいで。
理由を知ろうともしなかった……人が何を考えようと自分には関係ないと逃げていた。
本当に私を傷つけているのは…………。
――いや、私は悪くない。
元はと言えば父のせいだ……アイツだって関係ない私を苛めた挙句に勝手に死んだだけ。
私が何をしたっていうの?
危く言い包められる所だった。
そういえばあの時に分かっていたじゃないか。
私を守れるのは私だけ。
自分を守るのなんて簡単なことだって……。
私を傷つける原因を作るものなんて全部……
殺せばいいんだって。
そう……もう粗大ゴミは一つ勝手に処分されてるんだ……後は。
さっき教室で見つけたあれが残ってる……。
でもあのゴミ……よくしゃべるんだよね……。
さて、どう処分してやろうかな……。
この時から私は……おかしくなってしまったのだろうか?
いいや、その前――。
違う、もっと前からだ。
私の姿を映してくれるものなど……もう何も無かった。