Re:第一章
――少女は歌う。安寧を願って。
――少女は奏でる。黒の狂詩曲を。
――少女は聴き入る。黒の独唱曲を。
――少女は染まる。黒の音楽に。
――私は何をしていたのだろうか。
霞む視界、いつもと変わらぬ空、乾ききった大地、虚ろな記憶……。
少女は目を覚まし、身体を起き上がらせる。
「私は……いつの間に眠っていたの?」
――確かタイプBと戦って……?
――思い出せない。
「やっと目的を見つけたのに……。私は負けてしまったの?」
少女は一度は項垂れるが、懸命に黒の向かったであろう場所を思索しようとする。
しかし、ここには同じような風景が広がるばかりで、到底場所を特定することは出来ないのだ。
「とにかく探すしかない」
少女は飛び立ち、黒を探す。
灰色の空を駆け抜け、乾いた大地を凝視する。
――どれだけ探しただろう……。意味もなく、永劫に無を探しているような気持ちになりかけた時、異変に気づく。
「新しい敵が出てこない?」
それは喜ばしいことではあるが、同時に不安に駆られる……。
焦っていて気付かなかったが、今までであれば、これだけ長い時間過ごしていれば、少なくとも2、3度は出会うはずであった……。だが今は追っている黒の気配すら感じない。
「もう戦いが終ってしまった・・・? そんなはずない……」
本当に戦いが終ったのであれば、何故空は、大地は、世界がこんなに荒廃したままなのだろうか。あの時のような世界に戻るはずだ。ならば、理由は簡単なこと。
「まだ戦いは終わっていない……」
あの黒は何かしらの理由で消えてしまったのだろう。そして、まだ戦いがあるというならば、まだ自分が守ることができる。ということを示していた。今の少女にはその結果が分かっただけで十分だった。何より、大切なものは無事のようだ……。
「私は大丈夫。だから……心配しないで……ね?」
「――□□□」
――□□□? □□□とは何だろう?
分からない……。この単語の意味が解らない。これが自分の守りたかったものなのだろうか?
「分からなくたっていい……。何か意味のある言葉であることさえ分かったなら……私はいつまでだって……戦える」
彼女は永劫の戦いを誓い、空を見据える。
その瞳には一点の曇りもなく、ただ純粋な使命感を背負っているようだった。
ある時、長く続いた不気味な静寂が終りを告げる。
再び黒が来たのだろうか……。
しかし、いつもと何かが違う……。
タイプAでも、タイプBの気配でもない。
それでも、気配だけは感じ取ることができる。
「多分、新しいタイプが来る」
少女は未知の敵との対峙に備え、刃を構える。
突如、前方の空間を割くように――
――タイプAほどの大きさの人型が現れた。
一見すると、タイプAほどの物量もなく、タイプBのような爆発力もなさそうだ。
「でも、出会ったことのないタイプ……。油断はできない」
まずは先手を取り、こちらのペースに引き込もう。
少女は前進し、黒との距離を詰め……斬りかかる。
いとも容易く勝負が決してしまうかに見えた瞬間……。
黒の身体が刃を避けるように変形し、刃を受け流す。
「!」
少女が刃を振りきったほんの一瞬、黒の体の一部が長大な棘に変わり、少女の身体を刺貫こうと襲いかかる。
「くっ!」
一瞬早く少女が刃を盾にし、攻撃を受け止め、反動を利用し距離を取る。
「刃物が効かないなら……」
少女は左腕を構え、銃弾の壁を黒に浴びせにかかる。
――しかし、またも身体に自ら穴を開けられ、回避される。
刃物も効かない。銃撃も効かない。
絶体絶命の状況下で、彼女は考える……。
――この敵は、自分から攻撃しようとしてこない?
――まだ確信には至らない……。
――もしそうだとしたら……?
――はたしてアレは敵なのだろうか……?
――攻撃してきたから、自己防衛のつもりで反撃してきただけではないのだろうか?
そこで少女はある決定的な差異に気づく……。
――空が灰色のままであるということに。
「これは……どういうこと?」
いつもならば黒という異物が入り込んでくると、世界が異常を知らせるかの様に空が変色するはずであった。
つまり、世界はこの黒に対して異物だとは思っていないという結論に至る。
「なんだ……。中には敵じゃないのもいたのね」
少女は少し安堵したように戦闘態勢を解く。
それならば、あの黒は何者なのだろうと思った瞬間――
――あら、何を躊躇っているのかしら?
――声が聞こえた……。
同時に、空から黒を目掛けた青白い光線が襲いかかる。
黒は銃弾を受けた時のように身体に穴を開け、攻撃を受け流す……。
しかし、通過する際に熱で蒸発し、穴経が二回りほど拡張されている。
続けて数発の光線が同時に黒を襲い……黒は完全に蒸発した。
「え……?」
少女は眼前の光景に戸惑うことしかできず、その場に硬直してしまう。
その少女の目の前に優雅に降り立ったのは……。
――白銀の少女を鏡に映したかのような……黒い少女だった。
その容貌は白銀の少女とはまさに正反対
左腕に黒光りする刃を持ち、先程までは白銀の少女のものとは似ても似つかぬ兵器を有していたが、地上に降り立ったと同時に、全く同じ機銃に右腕の兵器を変形させた。
そして肌こそは白いものの、髪、瞳、服装、翼までもが黒で塗り固められていた。
『ふん……やっぱり見てられないわ』
黒の少女は呆れたような面持ちで白銀の少女を見遣る。
「……あなたは?」
白銀の少女は闖入者の襲来に不信感を抱きながらも、彼女の正体を探る。
黒の少女は笑いながら白銀の少女に近づき、
『私? そうね、強いて言うなら……』
黒の少女はどこか楽しそうに白銀の少女に顔を近づけ、囁くように言った。
『あなたの片割れよ』
あれが自分の片割れとはどういうことだろうか?
白銀の少女は驚きと疑問が混じったような感覚になり、片割れへの警戒を強める。
『あらあら、そんなに警戒しなくてもいいのよ?』
黒の少女は片割れの背後にゆっくりと歩いていき、
『今回は……いいことを教えに来ただけよ』
「……いいこと?」
黒の少女の態度がようやく真剣になったことを察し、白銀の少女はようやく片割れの話に耳を傾ける。
黒の少女は再び片割れの正面に立ち―――
『あなたはもう戦わなくてもいいの』
――と、今までの決意を無にする様なことを言い放った。
「どういうこと? まさか……あなたが戦うとか言うつもり?」
白銀の少女は少なくとも自分に益のある存在ではないではないと判断し、再び警戒心を高ぶらせる。
黒の少女は再び楽しそうな笑みを浮かべ、
『ご名答。これからは全て私がするわ』
と、片割れの存在意義を否定するかのように告げた。
――冗談じゃない。よりにもよってこんなヤツに任せられない。
白銀の少女は決意を胸に真剣な面持ちで片割れを見遣り、数歩後退する。
対し、黒の少女は余裕の笑みを浮かべ、
『フフッ……。どうやら嫌われてしまったみたいね?』
ならば仕方ないとばかりに、同じ距離ほど後退した。
――瞬間、鋭い金属音と共に火花が飛び散り、黒と白銀の線が交差する。
刺突。回避。横薙ぎ。防御。斬り払い。切り上げ……。
鍔迫り合いになり、ようやく両者の動きが止まる。
『ふん……伊達に戦ってきた訳じゃないようね?』
「勿論よ……。私には目的があるもの」
言い終わると同時に両者刃を弾き、距離を取る。
『でも、あなたには足りないものが多すぎるわ』
黒の少女はあくまで余裕の表情を浮かべ、片割れを見遣る。
「そうね……。でも、あなたに言われる筋合いはないわ」
白銀の少女は片割れが未だ本気を出していないと察し、こちらも精一杯の余裕の笑みを浮かべ、対抗する。
その様子に黒の少女は少し意外だといったような表情を浮かべ、
『へぇ……てっきり怒り出すものかと思ったけれど……当てが外れたかしら?』
事実白銀の少女は片割れに対し、少なからず苛立ちを覚えていた。
だが、何もあからさまな挑発に乗る必要はない。
「それなら、あなたの言う足りないものを教えてくれないかしら?」
『あらあら? さっきの私に言われる筋合いはないとか言ったのは何だったのかしら?』
質問を質問で返され白銀の少女の表情が僅かに歪む。
『でも、折角だから教えてあげましょう……』
黒の少女は軽く背伸びをしながら白銀の少女の横に立った。
「どうしたの? 気を抜いてないで早く教えて」
白銀の少女は敢えて相手の神経を逆撫でするような態度を取り、相手が怒り出すまいかと待つ。
しかし、黒の少女はむしろ楽しそうな笑い声を上げ
『そんなに焦らなくても、すぐに教えてあげるわよ』
なかなかボロを出さない……。やはり、心理戦では不利なのだろうか?
白銀の少女は逆に自分が苛立ってきている事に気づき、心理戦を断念する。
それならば、あとは隙を見て攻勢に移るしかないだろう……。
そう思い、タイミングを見図ろうとしたが……
『そうね……まず一つ目は、武器が足りないことね』
――しまった! これは罠か!
そう思った瞬間、黒の少女の携えた機銃が瞬時に杭の様な形状に変形し……白銀の少女の腹部に吸い込まれる。
「ッ!」
寸前で刃を盾にし、何とか衝撃を和らげるが……それでも立っていられないほどの衝撃が身体を襲う。
『あら……。中々に反応速度がいいわね』
「……どういうこと?」
白銀の少女はふらつきながらも懸命に立ち上がり、片割れに問いかける。
『フフッ……。それはこちらのセリフじゃないかしら?』
黒の少女は顔こそ笑っているものの、その目は冷酷な色を灯していた。
『あなた……その程度で私を出し抜けると思って?』
――どうやら全てばれていたようだ。
それにこの様子だと、もはや手加減はして来ないだろう。
「そうね、心理戦ではあなたの方が上手だったみたい」
白銀の少女は次の行動に備え、刃を構えなおす。
対し、黒の少女は片割れに侮蔑の視線を向け、
『心理戦では? ハハッ……笑わせないで頂戴』
黒の少女は片割れにゆっくりと近づき、ありのままの事実を告げた。
『何度も言うようだけど、あなたには足りないものが多すぎるの。一つは武器……今の様な貧弱なものだけで戦っていけると思っていたのかしら? さっきの敵の時も……あなたが私を出し抜こうとした時もそうだったでしょう?』
片割れの言うことは正論だ……。故に自分の無力さが突き付けられ、自分の存在意義を否定されたような気分になる。
『二つ目は戦う意思が足りないことね。あなた、どんな形であれ自分に危害を加えてきたものですら、相手から攻撃してこなければ倒そうとしないなんて……明らかに戦う意思が足りていない証拠ね』
黒の少女は休むことなく片割れを追いつめる。
「でも空の色が……変わらなかったから……」
『空? ああ、それがどうしたの?』
否定されてもなお、白銀の少女は必死に弁解を試みる。
「空の色が変わらなかったってことは……少なくともアレは敵じゃないはず」
その事実だけは変わらない。これで何とか分かってくれるだろうか?
白銀の少女は片割れの反応を窺う……が、
『ふん……空の色が変わらなかったから敵じゃない? あなたは本当に何も知らないのね』
突き返されたのはまたも非情な否定の言葉。
「……違うの? アレは世界が異物でないと判断した訳じゃなかったの?」
白銀の少女はあくまで自分の意見を保護するように片割れに問いかける。
黒の少女は溜息をつき、無知な片割れに向けて語る。
『確かに、アレは世界が異物だと判断してはいなかったわ。でも、アレは紛れもなく敵よ。何故なら……』
『アレは私が作った、今のあなたでは絶対に倒せない敵だからよ』
どういうことだろう? 私の倒せない敵を作った……?
そこで、白銀の少女に別の疑問が生まれる。
「まさか……今まで襲ってきた敵は、あなたが全部作ったものなの?」
もしそうだとしたら、ここで逃がす訳にはいかない。
白銀の少女は鋭い視線を片割れに向ける。
『勘違いしないで。私が作ったのはアレだけ……他は外部からのものよ』
黒の少女は真剣な眼差しを片割れに向け、片割れを見遣る。
どうやら嘘は言っていないようだ。
白銀の少女は続いて別の疑問も問いかける。
「それなら、あなたはどうして倒せないと分かっていて、私をアレと戦わせたの?」
白銀の少女はその時の無力感を思い出し、奥歯を噛締める。
『確かに、今のあなたでは勝てない事は分かっていた。これは、あなたが困難に立ち向かっても決して戦うことを止めないかどうかをテストしていたの』
黒の少女は、片割れがこちらを睨みつけながらも話に耳を貸しているのを確認し、続ける。
『それと同時に、もしかしたらあなたが絶望的状況下に立たされたことで、それを乗越える為の武器を手に入れるかもしれない。そんな期待も込めたテストだったのだけれど……』
黒の少女は深く溜息をつき、今まで以上の侮蔑の視線を向ける。
『見ての通り結果は両方とも散々たるものだったわ。精一杯やってから逃げ出すならともかく、敵を敵として処理することを止めるなんて……。敵の中には相手の行動を常に分析し、隙を突いてくるようなのも居たっておかしくはないはずよ? それなのに、あなたはどこまで無能なのかしら?』
白銀の少女はその事実をただ受け入れるしかなかった。
――正直自分が圧倒的に片割れに劣っていることは分かっていた……。それでも、自分には守りたいものがあるから……。他の誰にだってその権利を譲りたくはないと思っていたから……。
「私だって……必死に頑張ってきたんだもん……」
白銀の少女は俯き、消え入るような声で誰にでもなく呟く……。
その瞳は、いつもの様な冷静な色は消え失せており……。容姿相応の、どこか幼さの残る瞳を薄く濡らしていた。
しかし、そんな哀れな片割れに黒の少女は構うことなく、非情な言葉を紡いでいく。
『泣いたって駄目よ。要は結果が全てなのだから……。事実、あなたは不測の事態を対処することは困難だという結論が出てしまったの。だから大人しく私に任せなさい』
「ヒック……やだ……やだよぉ……」
白銀の少女は必死に感情を堪えていたが、存在意義を奪われることの辛さからか、遂に感情が大粒の雫となって流れ落ちた。
黒の少女は仕方がないとばかりに溜息をつき、あどけない片割れの頭をやさしく撫で、
『そうね、仕方がないからあなたにチャンスをあげるわ』
「……ホント?」
どこか優しげな片割れの言葉に、白銀の少女は顔を上げる。
黒の少女は柔らかな微笑みを浮かべ、片割れに語る。
『……勿論よ。それで内容だけれど、それはあなたが武器を手に入れること。それが、どんな敵でも打ち倒せるほどの力を持ったものならば……。私はあなたを再び見極めに行くわ。そして、あなたにそれ相応の覚悟が見られたならば……私は大人しく消えるわ』
それはどこか儚げな言葉だった……。
黒の少女は片割れの涙を拭い、自らの胸に抱き寄せた。
その姿はまるで、親が子に対して与える様なやさしい愛情を孕んでいるようだった。
『じゃあ、私は行くわ』
「あ……」
黒の少女は立ち上がり、寂しそうな顔をした片割れの頭を撫で、背を向けて歩き出す。
今は泣いている場合じゃない。
白銀の少女は新たな決意を胸に立ち上がる。
「今のままじゃあの人に認められない。でも、自分の考えが間違っているなんて思いたくない。皆敵だなんて思いたくない……」
白銀の少女は片割れとは反対の方向に歩きだす。
「また会えるかどうかは分からない……。もしもまた会えたなら、今度は私が教えてあげよう」
――自分はこんなに強くなったのだと。
そして、あなたの考えは間違っているのだと……。
「私は大丈夫……。あの人に認められるような強い存在になって、守ってあげるから。あなたは一人じゃないんだよ?」
あの人に出会って、ようやく気付いた。
私の守りたいものがどんな物なのかを。
「だから、心配しないで……ね?」
「――□□□」
白銀の少女は空へと語る。当然、返事など返ってくるはずも無いというのに。