プロローグ
ここは檻。天も地もなく、ただ闇が続くだけ。
無限の闇。どこを見ても、どこまでも見ても、見果てぬ闇がそこにあるだけ。いや、どこを見る必要なんて、最初からない。ここには闇しかないと、そんなことはわかりきっているのだから。
周囲に存在する、無数の気配。いや、それは無限、と呼んだほうがいいだろう。それを数えたところで、意味なんてない。それは、溢れるほどに満ちているということ。
そんな、異物と異物が混じり合った闇の中で、これは存在している。
ただ、存在するだけ。姿も形も、いまはない。そも、この場所に留まっている間は、観測すら必要ないのだから。
それでも、自分が何者なのか、ということは知っている。
それはまさしく、獣の本能に近い。
漆黒の躯。鋼のような皮膚。剣を打ちおろされたくらいでは、この身には傷一つつかない。打ちつけた刃のほうが折れるくらいだ。
鋭利な爪。色は、返り血を混ぜたような朱。あるいは、紅蓮の炎に形を与えたような、そんな不吉。
真紅の瞳。獰猛な、それは爬虫類に似ている。爪とよく似ている、血を連想させる恐怖の象徴。
そんな、人とはかけ離れた異形の姿。
漆黒の躯にはお似合いの巨大な翼さえもあるから、誰もこれが人だなんて、思いもしないだろう。
――そう。
決して人にはなれない、この命――。
この身が何のために存在しているかなんて、問う必要もない。これは、意味をもったうえで存在しているのだから。与えられた定義に、疑問を挟むなんて、そんな馬鹿げたことを誰もしない。
この躯が為すのは、ただ破壊。そのための強固な躯、鋭利な爪、口腔からは灼熱の炎が放たれる。
人の肉を裂き、人の血を浴びる。腕は紅く染まり、爪には血肉が食い込む。肉の灼ける異臭が、この身には沁みついている。
永遠に人であることを失ったこの魂。心も躯も、唯一の黒。漆黒に繋がれたこの魂は、やはり漆黒。
そして一度解き放たれれば、この身は朱に染まる。
世界を、朱に染める――――。
意思ではない。それは、最初から決まっていること。本能なんて言葉で片付けられるような、そんな単純な定義。
命じられては人を殺し。命じられては人を喰う。
人に恐れられて。人に使われる。
この躯は、破壊のためにある。この心は、ただ命令を受け入れる。
ただ従い。ゆえに、そこに意思はない。人の望むままに。己が存在に刻まれたままに。人を殺し。人に恐れられて。――――決して人にはなれない。
漆黒の躯。鋼の翼。朱い爪。真紅の瞳。
その見てくれは、ただの怪物。誰もが恐怖し、誰も接しようとなどは思うまい。――だから、この身は決して、人にはなれない。
ここは無限の檻。永遠に続く、無明の闇。ただ、気配だけが満ちている。そのどれもが、この魂と同じ。刻まれたモノは、ただ破壊と殺戮。
ただ、破壊することだけを求めて。ただ、人を殺すことだけを欲して。ゆえに、人にはなれない。
檻の中で、ただ解放の刻を待つ。ただ、命令を待つ。人を破壊するのが、殺すことが、生き甲斐であり、全て。
――もう。
この身は。
決して、人には戻れない――――。