太白、湖中に月を掴むか
詩仙・李白。
酒と詩に生きた天才に、ただただ敬服するのみです。
夜の闇が水面を染める。
暗き湖面に一筋の光。
それは月光。
青山に囲まれたこの湖を静寂が満たす。
時折、吹き抜ける風が木々を揺らす。
ユラユラと揺れる水面。
湖面を揺らすのは一艘の小舟。
その小舟には一人の老翁と一本の竹筒。
「あぁ…」
老翁の吐息。
それはこの湖への感嘆か、それとも乱世への嘆きか。
白髪白髭の老翁はひっそりと水面を漂う。
どこか富貴を思わせる顔を草臥れさせ、老翁は竹筒を手に取る。
月光に弾かれる闇。
風によって奏でられる緑木の音。
深く、そして蒼い。
「我、詩は千丈、歌は百篇詠う者なれど…」
竹筒から盃に酒を注ぎ、一杯また一杯と盃を呷る。
「我が生…、幸は非ず」
老翁が盃を運ぶ手を止め、水面に浮かぶ月に眼を移す。
湖面に映る月は何も与えず何も奪わず其処にただヒッソリとある。
「天子に召され廷にいくども、奸臣に疎まれ野に下る」
老翁の独白は続く。
一陣の風が老翁の髭を巻き上げて去って行く。
「乱世起こり、逃げ惑い、我、山中に潜む」
何を急くのか?
老翁は盃を湖に投げると、竹筒に口を添える。
「人、我を嗤う。 あぁ、愚かしき…」
筒中の酒も無くなったようだ。
老翁はそっと手を膝に添える。
「酒と月」
竹筒を湖に放り投げ、ユラリと櫂を動かす。
小舟はゆっくりと湖面に浮かぶ月へとその身を近づける。
「我が親友にて、我が愛すべきモノ」
月まではそうかからなかった。
手を止め、月を望む。
「あぁ…」
再び吐息。
静寂と、木音の繰り返し。
短く、長く、高く、低く。
「あぁ…」
老翁が嬉しそうに微笑む。
ただ、瞳に浮かぶ表情は、悲しみ。
「月よ…」
老翁が手を伸ばす。
「月よ…」
身を乗り出し、触れようともがく。
水面の月はユラユラと。
「月…」
老翁は舟上から身を投げた。
ドブリと言う音が一つ。
そして静寂。
静かに…。
そして、静かに…。
何事も無かったように月は其処に佇む。
時が止まったような、静けさを感じられたら。
作者として、光栄です。