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最期の栞  作者: 武倉悠樹
8/26

:8 わだかまりの種

 図書館を駆けまわるという、行く前には想像もしなかった初日を終え、詩織は、一人帰りが遅い父の夕餉の場に席を並べていた。

「でね、その子が男子トイレに逃げ込んじゃって」

「はっはっは、そりゃ大変だった」

 娘の話を肴にと言う訳でもなく、手元のグラスには麦茶だ。普段晩酌をする習慣は功一には無い。

「でも、少し期待はずれだったんじゃないの? 本に触れたりって仕事はなかったんでしょう?」

 給仕を終え、ダイニングテーブルの脇のソファーで一息ついていた美樹も、テレビのボリュームを少し絞りながら、娘の話に乗ってきた。

「うーん、まぁ、言われてみればそうかなぁ」テーブルに突っ伏しながら、少し考えこむ様に唸る詩織。「あ、でもね! じゃーん! これ!」

「なによ、どうしたのその本?」

「更衣室っていうかね、休憩室みたいな所があるんだけど、そこで職員の人たちで本の貸し借りしてるんだ、交換ノートとかってつけて」

「ノート? 紙の? パブリックタグとかじゃなくて?」

 美樹が呆れたような声を上げた。

 対照的に笑いが漏れたのは功一だ。

「はっはっはっはっは。交換ノートとは、さすがに図書館の人たちは好きだねぇ。僕が子供の頃の図書委員がそんな感じだったよ。

 それで何を借りてきたんだい?」

「えっとね、エンジン・サマーっていう、海外の人の本」

「ほぅ、ジョン・クロウリーか」

「お父さん、知ってるの!?」

「あぁ、詩織より読んだのは遅かったかな。洋書を読みだしたのは大学の頃だったから、多分それくらいだと思う」

「へぇー」

「夏に向いてるね。図書館で、物語に囲まれて働くという機会に、あの作品を読むのはとっても良い体験かもしれない」

 作品の内容を思い出しながら、自身の若い日々を想起したのかもしれない。功一は、少し落ち着いたトーンで諭すように語る。 

「物語、か」

 しかし、父親の語りは、詩織の心にさざなみを起こした。

――「僕は、物語が嫌いなんだ」

 全ての物語を拒絶するかのような冷たい声。私にではなく、あの場でもなく、なにか遠い所へ強い気持ちを示すように零れた声。それが詩織の中に木霊していた。

「お父さん?」

「ん?」

 何かに思いを馳せるように一瞬影を見せた娘の様子に気がつきながらも、功一はあえてそこを問い質さなかった。娘からの切り出しに、何事も無かったように態度を開く。

「本、嫌いな人と会ったことある?」

「なんだ、藪から棒に?」

 少し砕けた様子で応える功一に、詩織も慌てて自らの言葉を濁した。

「いや、あの、ははは。別に、深い意味はないんだけどね、なんか、ほら、なんとなくっていうか?」

「そうだなぁ、嫌いって人は居ないかなぁ。どちらかと言えば、苦手って感じかな。何の興味もないって人も居るね。

 虚構フィクションなんて読んで何になるんだって、ビジネス書ばっかり読んでる人も居る。

 人それぞれさ」

「そっか。それもそうだね」

 考えてみれば確かにお父さんの言うとおりだ、と詩織も思い直す。

 学校でも、なにが面白くてそんないつも本を読んでんだと茶化してくる男子も居るし、仲は良いがどれだけ薦めても本を読んでくれない友だちもいる。

 個人端末ケータイに電子書籍のアプリが入ってない人だって、そんなに珍しいことではない。

 もっと身近に、お母さんだって本を読まない。

 たまに、ドラマかなんかにはまったりして、その原作を私やお父さんが持っていたりすると、興味を持つこともあるけど、最後まで読み切っているのを見たことは無い。

 ただ、前島悟はこうも言った。

――「ここにあるのは小説ばかりだから」

 彼は、きっと本を読まない訳ではないのだ。事実、何か本を持って来ても居た。本が嫌いな人が図書館で働いたりはしない。他に、楽なバイトも、稼げるバイトも幾らだってあるだろう。

 何か、訳があるに違いない。

 詩織は、肝心の借りてきた本を開くのも忘れ、そんな事に思いを巡らせていた。

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