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最期の栞  作者: 武倉悠樹
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:5 ファーストコンタクト

 城崎を見送り、詩織は直ぐ様エプロンを身につける。

「うん、やっぱ更衣スペースなんて要らないよね」

 そう言いながら、後ろ手でエプロンの紐を結び終えた。

 周りを見渡すと、ロッカーが設えられている壁と反対側に、一台の洗面台がある事を見つけた。その上には姿見。

「鏡だ」

 身に着けたエプロンが歪んでいないか確かめよう。そう考えた詩織が、鏡へと一歩を踏み出した刹那。

 ガタッと、詩織の背後で物音が立った。

 すぐさま音の方を向き直る。しばしの沈黙。恐る恐る物音に方に近づく。

 音はロッカーの方から立ったように感じられたが、ロッカーの中からと言う感じでもない。

 ふと、詩織の脳裏に城崎の言葉がよぎった。曰く、着替えるならロッカーの裏で。

 その言葉を頼りに、詩織がロッカーの裏に回り込むと、そこには縦に畳を二畳程の並べたくらいのスペースが、壁との間にもうけられていた。ロッカーと壁の間に突っ張り棒がかまされカーテンで仕切られている。

 それは確かに更衣スペースと呼べるものだった。

「あぁ、裏側ってこういう風になってるんだ」

 何の気なしに、そのカーテンをめくる。

 そして、詩織は目があった。更衣スペースの中にあらかじめ居た人物と。

 今まさにジーンズをおろし、パンツ姿で、あげくこちらに臀部を向けている男がそこに立っていた。

「きゃあぁぁあああ」

 まさか、人が居ると思っていなかった詩織の喉から、思わず悲鳴がこぼれ出た。

 反射的に、カーテンを振り払うように閉め、背を向けてその場にしゃがみ込む。あまりにも突然の出来事過ぎて、思考がまとまらない。

 なんで? パンツ? いつから? だれ?

 様々な疑問が浮かぶが、それに対する答えは詩織の中には存在しない。

 二、三呼吸をし、わかったのは、何もわからないと言うことと、なんにせよ、更衣スペースの仕切りを無断で開くという無礼を働いたという二つの事実。

 少し経ち、瞬間的に沸騰した頭と心臓が落ち着いて来ると自分のしでかしたことが客観的に見えてくる。詩織は、意を決し立ち上がると、カーテンの向こう側へと声をかけた。

「あ、あの?」

 衣擦れの微かな音に続き、返事が返ってきた。

「なに?」

 冷静とも怒っているとも取れる、落ち着いた低い声だった。その静かな響きに、詩織は少し気圧される。

「え、っと。ごめんなさい。中に人が居ると思わなかったんです」

「更衣スペースで、カーテンが閉まっているのに?」

 言われてみれば確かにそうだ。詩織は再度、頭を下げて謝った。

「申し訳ありません。不注意でした」

「まぁ、いいけど」

 その言葉ともに、カーテンが開け放たれた。

 そこに立っていたのは、詩織と同じエプロンを付けた男性だった。というより、男子と言ってもいいかもしれない。

 詩織は改めて、その男子と相対した。

 上背は詩織の父と同じ位に見えた。おそらく、170と少し位。低い声に似合わぬ細身の体には黒いカットソーに、ベージュのチノパン。

 整髪料でツンツンと逆立てるように整えられた短髪とは対照的に、顔立ちは色白で。縁のない四角いメガネは、その声と相まって怜悧な印象を人に与えるかもしれない。

「どいてくれる? 青山さん」

 咄嗟に体をずらし、ロッカーの裏から出る為の道を譲ってから、なんでこの人私の名前を知っているんだろうという疑問が詩織の中で浮かび上がる。

 急いで、後を追うと、男子は手にした着替えをロッカーにしまっていた。荷物には青いリュック。

 さっき駐車場で見かけた人はこの人だったのか、詩織は一人得心に至る。

「あ、あの、私、今日からここでバイトさせていただく、青山って言います」

「うん、知ってる」

「え、っと、すいません。どこかでお会いしましたか? なんで、私の名前をご存知なんでしょうか?」

 ロッカーを閉めながら男子は詩織の方を向き直った。

「城崎さんが何度も呼んでたからね」

 言われてから気づく。城崎に連れられてここに来て、その後、他の人間が部屋に入ってきてはいない。この人は、端から部屋に居たのだ。

「城崎さんが言ってた。新しいバイトの人が来るって。あなたのことかな? あぁ、ちょっとごめんね」

 そう言いながら男子は、詩織の脇から更衣室中央の四角いテーブルに手を伸ばした。テーブル中央にある、ブックエンド二つで仕切られた簡易な書籍置き場に一冊の本を収めてから、脇のB6のノートをめくり始める。

 マイペースな人だ。詩織は目の前の男子をそう捉えていた。この図書館の職員として、自分は一番下っ端であることは間違いないにしても、少しぶっきらぼうすぎやしないか。自らが粗相を働いたという負い目がなければ、少し腹を立ててたかもしれない。

「はい、今日からお世話になります、光峰みつみね高校一年の青山詩織です」

 詩織がそう自己紹介をすると男子は、何事かをメモに書き付けていた手を止めた。途端に振り返り、詩織の顔をまじまじと見つめる。

「光峰?」

「は、はい」

「……」

「……」

 何か気に触ることでも言ってしまっただろうか。そう不安を覚え始めた頃合いで、見つめられていた視線が外れる。

「そう。僕は、前島まえじまさとる。君と同じ学生バイトだ」

「そうだったんですか。改めて、よろしくおねがいます」

「あぁ。それじゃ、僕はもう行くから。君は城崎さんを待つんだろ?」

 そう一言告げると、悟は早々に更衣室を後にしようとした。

 その背中を詩織は呼び止めた。

「あ、あの?」

「何?」

 またも、冷たい声。

「さっきの」

「あぁ、もういいって。大して気にしてないから」

「それじゃないです」

「ん? じゃあ?」

「あの、そこの机の本。置いてましたよね? あれなんですか?」

 二人の視線が部屋の中央の机に注がれる。

「あぁ、あれか。あれは職員同士で貸し借りをしてるんだ。仕事柄色んな本に触れておくのも大事だしね」

 本の貸し借り。

 本好きには堪らないその言葉に俄に詩織のテンションが上った。

「素敵ですね、それ! 前島さんも貸し借りされるんですね?」

 ここには、本が好きな人がたくさん居る。図書館のバイトに応募した時から期待していたことではあったが、実際にその環境を目の当たりにし、喜びが溢れるのを止められなかった。

 そんな詩織の盛り上がりを止めたのは、悟の、またも冷たい言葉だった。

「僕は借りない。ここにあるのは小説ばかりだから。僕は良かれと思って、ここに本を置くだけだ」

「え?」

 意外な言葉に、詩織は悟の方を向き直り、そして驚いた。

 冷静な声色に反して、悟の表情にははっきりとした表情が浮かんでいた。

 しかし、その表情の意味する所を詩織は察することが出来ない。

 悲哀か。憎悪か。嫌悪か。憤怒か。

 ただただ、突如溢れでた目の前の人間の感情に混乱していた。

「僕は、物語が嫌いなんだ」

 絞りだすようにそう言うと、悟は背を向け今度こそ更衣室を後にしてしまった。

 残された詩織は、悟が残した感情の発露の残滓にあてられ、その場を動くことも出来なかった。

 結局、悟が部屋を後にし、城崎が戻るまで、詩織は「物語が嫌い」と言う言葉を反芻し続けた。

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