表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最期の栞  作者: 武倉悠樹
4/26

:4 憧れた場所の裏側

 名前を思い出せないおばさん職員に案内され、詩織は開館前の図書館に足を踏み入れた。

 開館前だからか電源の入っていない自動ドアを二枚くぐると、詩織を待っていたのは図書館特有の紙の匂いだった。自宅の書斎で慣れ親しんだ、しかしそれよりも何段も深く鋭く柔らかく、時を越えた知識と物語の積層した香り。

 ダンボールがうず高く積まれ、薄暗い職員用の廊下にもその香りは漂ってきていた。

 書籍の流通量において、紙のものが電子媒体に追い抜かされて久しいが、図書館にはまだまだ紙の本が健在だった。むしろ、その流通量から価格の高騰した紙の書籍に、気軽に触れることの出来る図書館は、本好きにはより一層価値のある場となっている。無類の読書好きである詩織も当然その例外ではない。

 結果として、全体的に減りつつある紙の本は、需要のある場に集まる事となり、かつて無いほど図書館行政には文化的、財政的傾注が成されるという逆転現象が生まれつつあった。

 案内されるがままに廊下を進むと、小柄な背中が立ち止まる。

「さぁ、青山さん。ここが職員の休憩室兼ロッカールームよ」

 開かれた扉をのぞき込むと、まず視界に入ったのは入り口脇にまたも積まれたダンボール。

「あぁ、ごめんね、中々バックヤードのスペースが取れなくて。荷物がこんな所まで。やぁねぇ」

 おばさんはそう言いつつも、詩織の第一印象は、広い、だった。

 二十畳ほどのスペースの真ん中に大きな正方形のテーブルとそれらの周りに備えられた椅子。左側から正面の壁を沿うようにしてL字に十数台のスチールのロッカーが居並んでいた。右側には事務机が並び、開いたスペースには形も不揃いな細身の書棚が幾つもつめ込まれ、色とりどりのファイルが差し込まれていた。

「失礼します」

 そう言いながら、詩織は恐る恐る足を踏み入れる。ロッカーに貼られたメモや写真の数々。机の上に広げられたノートや誰かの私物であろうポーチやカップ、ティーポット。自分の知らない誰かの息遣いが強く感じられる空間が、慣れ親しんだ図書館の裏側に広がっていたからだ。

 慣れない空間をぐるりと見渡す詩織に、緊張の気配を読んだ案内の女性職員は、しばし、様子を伺うがままに任せていたが、直に口を開いた。

「青山さんのロッカーはそれよ」

「あっ、はいっ!」

 示されたロッカーは、壁に居並ぶ数基の中の一つ。

「出勤したら、ロッカーのモニターで出勤確認(フィックスドアイディ)を忘れずに。あ、もちろん帰りの退勤確認(リリースアイディ)もね。コレ忘れちゃうと、タダ働きになるわよ。もう事前に青山さんのIDは登録してあるから」

「わかりました」

 すかさず、詩織は左の手首に付けたウェアラブルの通信センサーをロッカー中央のモニターにかざす。鞄の中で端末が振動するのがわかった。

 手首の端部から軽快な電子音が響くのと、ロッカーのモニターが緑に光るのは同時だった。

「これで、大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫よ。そしたら、荷物をおいてもらって、着替えね」

 そう言うと、おばさん職員は詩織の出で立ちを見つめなおす。

 その態度に詩織は俄に緊張を覚える。

 髪は纏めて縛り、シュシュも柄のない落ち着いた物を選んだ。トップスは胸にワンポイントだけロゴが入ってるものの、ほぼ無地の、淡い青のポロシャツ。ロールアップのチノに紺のキャンバスシューズ。

 事前に送られてきた手引にあった、『派手すぎず動きやすい格好』を自分なりに整えてきたつもりだ。

 詩織の緊張をよそに、おばさん職員はすぐに笑みを浮かべて顔を上げる。

「うん、問題ないわね。荷持はその鞄だけ?」

「あ、はい」

 詩織はトートバッグを肩から外し掲げてみせた。

「じゃあ、ロッカーに締まって頂戴。貴重品はなるべく身につけてもらうようにしてるのだけど、難しければ、ロッカーの施錠は忘れずにね。あとは、ロッカーの中のエプロン着けて貰えばOKよ」

「わかりました」

 ひと通り、服装についての説明を受けているところで、天井から電子音がなった。一秒ほど軽やかなフレーズの後にアナウンスが流れた。

「城崎さん。城崎さん。館内に居られましたら、B1閉架書架までお越しください」

 事務的なそのアナウンスはしかし、詩織に取っては天啓にも等しい物だった。

 城崎さん。そうだ、城崎さんだ。

 名前とともに、バイト面接時の光景が詩織の脳内に広がった。

 どうやって、今一度名前を聞いたものか。先程から頭を悩ませていた問題が突如に解決し、詩織は密かに胸を撫で下ろした。

「あら、困ったわね」

 城崎は、律儀にも天井のスピーカーを見つめながらひとりごちる。

「大丈夫ですよ。私、ここで着替えて待ってます」

「そう?」

「えぇ、お呼びなんですよね、行ってきてください」

「ごめんなさいね、じゃあ着替えててくれる。更衣スペースはロッカーの裏にあるから」

 そう言うと、一転、またもやあの元気な足取りで更衣室を出て行った。

「元気な人だなぁ」

 その背中を見送りながら、詩織はそう呟いた。

「にしても、エプロン付けるだけなのに、更衣スペースって」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ