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最期の栞  作者: 武倉悠樹
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:22 栞が挟まれた頁

 プログラムを開くと、真っ先に表示されたのは「栞」機能だった。作品の途中からプログラムを始めますかとシステムからの問。

 これも悟の指定なのだろうか。

 詩織は「YES」を選択する。その選択にプログラムが駆動した。

 途端、詩織を自分の感覚が広がっていく様な『RR』特有の没入感に包まれた。今、『RR』を体験しているのだという冷静な自分と、どこからともなく心のうちに広がってくる「リーダー」の感情の二つが交じり合って、自分であって、自分でない様な感覚。

 やがて、作品本文が表示される。

 同時に湧き上がる感情は、強い物語への共感と、鬱屈したまりにたまったストレス。黒くうごめく粘性の物体を喉の奥に詰められたような嫌悪感が詩織を襲う。

 体の全体が重くなるような錯覚を覚えながら、しかし、詩織の冷静な方の頭は違和感を感じ取っていた。

「……あれ? これって?」

 詩織の視線の動きに合わせ文章が自動的にスクロールされる。何行か読むことで、今読んでいる場面が作品全体でどのあたりに位置するかが推測出来た。

 そして、同時に今、胸中に広がっている感覚が以前に『RR』で残した自らの感情だと気づく。

「そうだ、ここでユンが家族に胸の内を打ち明けて」

 作品の展開を思い起こしながら、ここから、大きく物語が動き、同時に少しずつ勇気や前向きさが胸の内から沸き上がってくるはずだと記憶を確かめる。

 自らの『RR』プログラムを体験することになるとは思っても居なかった詩織は、今感じている感覚が今ここにいる自分の物なのか、過去の自分の物なのかわからず不思議な感覚に襲われる。

「これが、前島くんの答えってどういうこと?」

 このシーンに何か暗示的なセリフや展開があっただろうか。そんなことを考え作品の前後の展開を思い出そうとした瞬間、詩織は一瞬にして立っていた地面が崩れ落ちたような錯覚に陥る。

 全身の肌が粟立ち、背筋を無数の節足類が這い回っているような感覚。胸の奥、お腹、内臓という内臓すべてに溶かした鉛を流し込んだようなドロドロと重苦しい不快感を覚える。

 それだけではない。頭の芯に剣山でも植え込んだかのような刺す痛み。こみあげてくる嘔吐感にわけもわからずえづきが漏れた。

 呼吸をしようにも、喉の奥で空気が止まってそれ以上入っていかない様な感覚。

「…………っはっっ………ぐ……っ」

 何に対する反応なのかもわからないままに、汗と涙と鼻水があふれて止まらない。

 その間も文章は自動でスクロールされていく。

 慣れ親しんだ読書の経験は、詩織が意識するよりも早く文字の羅列を意味の塊へと変換していく。そして、それを感じ取った『RR』は、文章を先へ先へと進めていく。

 そして、展開が進むごとに『RR』プログラムは記憶された「リーダー」の感覚を半強制的に利用者への脳へとフィードバックしていく。詩織を襲う考えうる限りの不快感と嫌悪感。

 それこそ、前島悟の物語への憎しみの表れに他ならなかった。

「なん、…………こ、れ。こんな、事を、頭の……信じられ………はっっ、っぐぅ」

 怒涛の様に押し寄せてくる感情の暴力に翻弄されながらも、少しずつ、詩織には不快感の正体が見えてきた。

 怒り。妬み。悲しみ。そして諦念。大きく分けてその四種の感情が時に交互に、時に入り混じり、四首の大蛇の如く詩織を締めあげ、押しつぶそうとしてくる。

 内臓がねじれ、痛みを持ち、すべてが圧縮されて握りつぶされてしまうのではないだろうかとまで錯覚するこの感覚は、おそらく主役の女の子への愛憎入り乱れたコンプレックスの発露だ。悲劇への共感から生み出される、理不尽な世界への憤怒と、物語に取り上げられ、その悲劇性ゆえに物語へと昇華され、多くの読者に価値観として膾炙されていくことへの嫉妬。不幸なら不幸なほど物語として高い価値を持つという、ある種の矛盾がはらむ複雑性を正面から受け止めて生まれるネガティブな感情の塊。

――なんのドラマチックな悲劇も起きない、ただただ緩慢な不幸を抱えてる人間はどうすればいい。

 あの時、詩織にまくしたてた言葉はそう言う意味だったのだ。

 全身の寒気。体中を襲うおぞ気の正体は、恐怖だ。

 物語から立ち上る、希望と勇気。それを信じた先に、フィクションにあって現実には無い救いの事を考えられずにはいられない負の想像力。それが全身を覆っている。

 途方もない絶望とただただ諦念の悔恨の果てで受け入れるしかないどうにもならないと言う結果。

 死ぬその一瞬前まで忸怩たる思いを煮詰めた泥の底でもがき続けなければいけない未来がありありと想像できてしまう。

 胸の詰まり。息も満足に出来ない様な圧塞感は怒りと悲しみがない混ぜになったものだ。

 孤独。

『RR』に記録され使用するものに流れ込んでくるのは、純粋な感情だけではない。その時、想起されたイメージや記憶もプログラムに取り込まれる。

 ユンの境遇に共感し、その為に想起された悟の過去の記憶の断片が流れ込んでくる。

 周りとの差異。周囲の好奇の目。そう言った環境の中で自分だけが阻害されていく感覚が強まっていく。なぜ、そんな目に合わなければならないのか。そんな問を突き詰め、様々な書物に触れ、自己探求を研ぎ澄ませば済ますほど、かえって広がっていく周囲との溝。

 どうすれば良いのかわからないままに、もがき、そして自縄自縛に陥っていく過程が、細切れのイメージを伴って詩織の頭を埋める。

 詩織は悟のあふれ出る瀑布の様な感情に押しつぶされそうになりながらも、自分の心と頭で感じ取る。

 この押し寄せる感情の波は、どれもが正当なものであると。

 人が誰しも考える「死んだあとどこに行くのか」や「自らの生きる意味ってなんだろう」と言う根源的で普遍な疑問。老若男女の脳裏に、胸中に、時に去来し、自らの実存の足場を漠とした不安で包むこの魔物。その魔物から“目を逸らす事の出来る人間”は、魔物の事を“ひと時でも忘れる事の出来る人間”は抱かずに居られる感情。それを悟は感じていた。

 ストーリーは進んでいく。悲劇の少女ユンは家族の愛に支えられ立ち上がる。困難に立ち向かう。そして、歩んでいく。読者の手を引きながら、前に、明日に、未来に、希望に。

 しかし、悟は物語が差し伸べるその手をつかむことが出来ない。その事実が、また悟自身を絶望へと追い込む慙愧ざんきとなって苛む。

 物語の勇気が、可能性が、力強さが、あればあるほど、強くくっきりと象られる影。 

 光の届かない。光が存在するからこそ、必ず対となって生まれる闇。その深淵に詩織は気づいてしまった。

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