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最期の栞  作者: 武倉悠樹
19/26

:19 影に足をとられて

 翌日、朝一番の朝礼で開架フロアの責任者である竹田から前島悟の辞職が正式に告げられた。

 その事実を知っているものは少なかったようで、ざわめきが起きた。なにしろ急なことであった。周囲の反応とは裏腹に静かに俯くだけの者もいた。事情を知る、宮野や霧島だった。

 一番衝撃が大きかったのは当然詩織だった。

「……やめた?」

 前日は、霧島からただの休みだと聞かされていた。直接会って、あの作品のプログラムを渡したときも、そんなことは一言も言っていなかった。

 当然の事態に混乱を抑えきれない詩織をよそに、周囲は自然と落ち着きを取り戻していった。学生バイトがなにかひと悶着を起こして、ばっくれた。良くも悪くも、悟との交流の無い多くの職員たちはそう捉えたようだ。

 やがて朝礼は解散となった。

 各人が三々五々、開館に向け持ち場に散っていく中、詩織は朝礼が終わったことにも気づかず、そこに立ち尽くしていた。ようやく我に返ったのは、霧島に背中を叩かれてからだった。

「青山さん、開館まであと十五分ですよ」

「は、はいっ」

 そう叱咤する霧島に、詩織は悟の事を話題にする事もできず持ち場へと足を踏み出した。

 そんなやりとりを少し離れたところで見ていた人間がいた。

 宮野だった。

 その後、霧島に業務に専念する様言われ、詩織は開館前の準備に追われていた。今日も今日とて午後には体験会も開かれる。

 手と足を動かしながら業務に就いていた詩織の心中はしかし、朝礼で告げられた事実で埋め尽くされていた。

 前島悟が退職をした。

「昨日何も言って無かったのに」

 昨日、休んだとは聞いていた。それはわかる。あれだけのことをしたのだ、出て来づらいと言う思いもあるだろう。

 ただ、休みながらも図書館には顔を出していた。詩織はてっきり、霧島や竹田に謝りに来て、落ち着いたらまた出てくるものだとばかり考えていた。

 天井のスピーカーから、グリーグの「朝」を短くジングル化した物が流れた。開館一分前を告げる、館内放送だった。

 詩織はあわてて、霧島に頼まれ閉架から引っ張り出してきた資料を持って、児童ブースへと向かった。部署ごとに「今日も一日よろしくおねがいします」などと言った号令がかかるのを聞きながら、なぜ、みんな何事もなかったかの様に一日が回りだしているのか。詩織はその感覚に付いて行けずに居た。

 そんな詩織をよそに光ヶ丘市立中央図書館は日常を取り戻していた。

 開館後も、業務に身の入らぬ詩織の様子は変わる事は無かった。

 そんな詩織の様子を見かねた霧島は、詩織をバックヤードに呼び出した。

「青山さん? こないだの事もあったし、前島くんの事が気になるのはわかります。ただ、利用者の方はそんな事情は鑑みてくれません。もし、気もそぞろで業務に身が入らないようなら、今日は上がってください」

 詩織は、霧島からの注意のもっともさと、それがわかっていながら悟の退職の事を割り切れない自らの心情との間で、言葉を紡げずに居た。

 沈鬱な表情を浮かべ、俯くばかりの詩織に、霧島は思ったより根が深いと悟った。

「あの日、青山さんは、ロッカーへと戻っていった前島くんを追っていったわね? あの後詳しく話を聞けませんでしたが、何かあったのですか?」

 そう問われ、詩織は初めて顔を上げて霧島の顔を見た。しかし、沈黙は続く。

「何も言えないのなら、これ以上は何も聞きません。仕事に取り組めるなら、少し休んでフロアに出てください。出来ないなら、今日は帰りなさい」

 それだけ告げ、霧島は踵を返した。この時、霧島は自覚なきままに、余裕を失っていた。

 物理的な忙しさに加え、宮野から明かされた話。正直身に余る話を聞かされた物だと感じていたからだ。悟の境遇に、確かに大人が手を差し伸べなければならないとは思うが、自分は一図書館職員だ。カウンセラーでもなければ、教職者でもない。

 加えて、業務にもゆとりはない。今日も午後には体験会がある。悟も詩織も居ないのであればいっそう事前に入念に準備をするなり、さもなければ午後の仕事を午前中にこなし、人手を生み出さねばならない。

 仕事の管理までは出来るが、人の管理にまで気を回せる状況ではなかった。

「あの……」

 その場を後にしようとしていた、霧島の背中を詩織の微かな言葉が叩いた。

「私、あの日、前島くんと……喧嘩、みたいな感じになったんです」

「そうだったんですか」

「だって、だって、前島君はあの時、あの体験会とか、霧島さんが頑張って子ども達に一生懸命読書に親しんでもらおうって頑張ってるのを、全部台無しにして。

 小説を、読むのなんか下らないって、私も、霧島さんも、子ども達も、お父さんお母さんだって皆居て、『RR』を楽しいって言ってくれた娘とかも居て、なのに、あんな全部を否定するような……」

 そこまで一息に吐き出し、詩織は顔を上げると霧島に詰め寄った。

「ロッカールームで、なんであんなことしたんだって聞いたら。前島くんは、小説なんか読む奴の気が知れないって、霧島さんも、宮野さんも、他にも、皆さん本が大好きで、私、ここに勤めるようになってから本の貸し借りとかもさせてもらってそれですごく楽しくて。それなのに、彼は、その貸し借りの本を指さしながら、こんなもの反吐が出るって」

 詩織の興奮は止まない。霧島も口を挟むことはしなかった。詩織の言いたいがままにまかせる。

「だから、前島くんに、意味ならあるって、絶対感動して救われるような物語があるって、それで、昨日渡したんです」

「渡した?」

「はい。『RR』のプログラムを。前島くんがあらゆる小説が、物語が下らないって言い切ったから。そんなことないんだって」

「そう……だったんですか」

「でも、今朝やめたって、聞いて……何がなんだか、わからなくて、あの……すいません。仕事に身が入ってないのは、わかってるんですが」 

「青山さん。事情はわかりました。先ほどのは撤回します。今日は一度帰ったほうがいいわ」

 その霧島の言葉に、再び詩織は沈黙に陥った。自らの心境をコントロール出来ない事に不甲斐なさを感じているのかもしれなかった。

 しかし、しばしの逡巡後、小さく頷いた。

「……ご迷惑をお掛けします」

「いえ、しっかり休んで、気持ちを切り替えてください。それじゃ、私はフロアに出ます」

 相も変わらない事務的な口調でそう告げ霧島はフロアへと戻っていった。

「はい……お疲れ様でした」

 詩織は頭を下げ、霧島を見送った。

 霧島の姿が廊下の角へと消えた時。身につけている主人に気付かれること無く、館内の環境設定を反映してサイレントモードになっていた詩織の腕の端末が微かな光を明滅させていた。

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