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最期の栞  作者: 武倉悠樹
16/26

:16 影の形

 一般利用時間を過ぎ、いくらか照明の落とされた館内を本を抱えた霧島が歩いていた。

 閉館後の作業だ。児童書は判型も大きく、紙の質もこだわってるものが多い為、重い。

 しかし、それ以上に重たい案件を抱えていた。

 日中の案件だ。

 あの後、悟は手伝いに戻る事は無かった。変わりと言ってはなんだが悟の上司である竹田が霧島の下へと顔を出し「事情があるらしく前島は帰宅した」「手伝いが必要なら開架フロアから手を回す」旨を伝えられた。対し霧島は「今日は入りも少ないので大丈夫です」と答えた。事実、体験会を回すのには問題はなかった。

「それにしても……。どうしたものかしら」

 手近な机に一旦本を下ろすと、深々とため息が漏れる。

「青山さんもなんだか興奮してきて帰ってきて、詳しい事を聞けなかったし」

 その時、途方に暮れている霧島の背後の近づく影があった。

「霧島くん、今、少し時間いいかな」

「はい?」

 そう言いながら霧島の振り返った先。そこには、後ろ手に手を組んだ宮野の姿があった。

「宮野さん?」

 普段あまり接点のない年配職員に突如声を掛けられ、霧島は慌てて姿勢を正した。

「あぁ、構わないよ。そんなに構えないでくれ」

 そう言って、目尻に深い皺を浮かべる。

「それよりも、少し時間いいかな?」

「あ、いや、えっと」

 霧島は自然と机に積んだ本に目をやってしまった。閉館後の残務に、なにより昼間の件がある。これ以上何か案件を抱えるのは厳しいなと言う思いが先走り、態度に出てしまった。

「忙しい所申し訳ない。だが、どうしても話しておきたいことがあるんだ。前島くんの事でね」

「前島くんの……こと、ですか」

「いいかな」

「わかりました」

「ここじゃなんだ、少し場所を移そう」

 その後、宮野が先導をする形で二人が向かったのは四階の休憩室だった。

 ここは閉館後に行われるような業務もない。照明はより絞られ、光源は常夜灯か、窓から指す駐車場に備えられた街灯の光だけだった。

 窓からは光だけでなく、夕方から雨脚の強まった雨のガラスを叩く音も聞こえている。

 薄暗い中で、宮野と霧島は並んでベンチに腰掛けた。

「前島くんはいわゆる不登校って奴でね」

 そう、宮野は切り出した。

 あれだけの事を言ってのけるのだ、なにか相当の事情があったんだろうと霧島も覚悟していたものの、いつもはおっとりと笑顔を浮かべている宮野の沈痛の表情にこれから先の話に明るい話は無いのだろうと推してしれた。

「県の教育委員会や公立の校外顧問なんかに古い友人が居てね。優秀な学生だが、周りと合わず学校に来れない子が居ると相談を受けたんだ。

 それで、少し話し合ってね。ウチで預かることになった。就業体験を通しボランティアをすることで課外授業扱いで単位を取らせようと言うんだね。

 彼はとても聡明な子どもだったと聞いている。もちろん、今も年の割にとても落ち着いて居るし、博学だが、それは小さい頃からだったらしい。

 それに彼は人に抜きん出た感受性があった。言われてから思い出したんだが、市内の小学校とウチが連携している夏休みの読書感想文コンクール。低学年の頃はあれの入選常連だったらしい。言われてみれば彼の名前を何度か目にしたことがある様に思う。7、8年ほど前か」

「前島くんが、ですか!?」

 霧島は素直に驚いた。昼間の彼の啖呵。あれは小説を憎んでの発言だった。

「そんなに驚くことかね?」

「いえ、実は……」

 なぜ驚いたのか。霧島は、昼間のあらましを宮野に告げた。

「なるほど……、それほどまでに彼は思いつめていたのか」

 宮野は事の一部始終を聞くと、思わせぶりなことを言いながら自らの思考を確認するように呟く。

「何か、ご存知なんですか?」

「子どもの社会は残酷だ。出る杭は打たれる。賢すぎた彼はあまり良くない仕打ちを周囲から受けたらしい」

「いじめ、ですか」

「そうなるのかな。殴ったり積極的に危害を加えるという事はなかったらしいけどね。

 知識に、論理、そして感性。そのどれもにおいて前島くんは抜きん出ていた。子ども達も、自分達には見えない世界を見ている彼が怖かったのかもしれないね。

 ある事をきっかけに読書感想文を書く事も無くなった。ウチに記録があるのは四年生の時までだ。

 十歳前後。難しい時期だね。体の成長とともに、心も色々試行錯誤を繰り返し成長を遂げようという時期だ。優れている事や、素直である事。そう言った大人たちが子どもに押し付けがちな美徳を嫌ったり訝ったりする時期でもある。

 どうやら、彼が書いた素晴らしい感想文は、そう言った子供心の格好の的だったらしい。かなり、揶揄、と言う表現も固いか。いわゆる”イジられた”らしい。

 賢いと言っても、十歳の子どもだ。その辛さたるや、中々大人からは計り知れない物がある。

 そうして、彼は完全に心を閉ざし、そして物語からも遠ざかっていった」

「そう、だったんですか」

「その後、中学に上がっても状況は改善しなかった。勉強は独学で続け、特にコンピューター関係に強い興味を示したらしいけどね。

 やがて、高校に上がる時期になった。中学の教員や親御さんもそれまでの人間関係から少し離れた所に新たな人間関係を持たせるチャンスだと考えたらしい。いっそ、大検を受けさせることも、と学校側は考えたらしいが、親御さんはそれを望まなかったらしい。

 それには私も賛成だ。

 だが、結果として孤独な時間が育んだ彼の闇はそう簡単に晴れることは無く、高校にもやがて足を運ばなくなり、今に至るというわけだ」

 宮野が話し終え、二人の間には沈黙の時間が流れた。

 やはてポツリと霧島が声を漏らす。

「そんな彼に、私はなんてことを」

「いや、それは違う。霧島くんは何も知らなかったんだ。責は無い。余計な気を遣わせまいと竹田くんや君にも何も伝えなかった、私の誤りだ。

 彼のことを頼まれておきながら、彼の心中を充分に慮ってやることが出来なかった私が全て悪い。

 あまり気に病まないで欲しいと伝えたかったんだ。本当にすまない」

 そう告げると、宮野は立ち上がり深々と霧島に頭を下げた。

「そんな、やめてください、宮野さん」

 慌てて、霧島も立ち上がる。

「私は、優秀な若者を覆う闇を払う光を与えてやれなかった」

 その宮野の呟きを、霧島は受け止め、拾うことが出来なかった。

 懺悔にも似たその呟きは、受け止める者の無いままに薄暗い廊下に落ちた。

 沈黙の中を、ただ、雨音だけが止むこと無く流れる。

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