相棒は幽霊
作中の仕掛けは現実で実行してはいけません。
「大瀧さんはご存じですか? この学校には、幽霊が出るんだそうですよ」
「将来研究者になるっつってる奴が、んな話に興味持つなよ」
「好き嫌いなくさまざまなことに興味を持つ習慣を身につけると、人生経験を潤沢なものにすることができるんですよ」
ユーレイ、なぁ。いや、フツーに見えてるんだけど。このお化け(注:あだ名。髪も身体も透けるように色素が薄いのだ)、どこからか仕入れたネタを、わざわざ三つ離れた俺のクラスまで来ては、豆しばよろしくに話してくる。
適当に聞き流し、視線だけ横に移すと机に腰掛けてる癖毛女は、不思議そうに首を傾げた。返事も相槌もほとんど打っていないのに、勝手に喋り続けるお化けもとい國羽に隣を指さし聞いてみた。
「なぁ、ここになんか見えるか?」
「私の視力に異常がなければ、ほぼ未使用の机と椅子が確認できますね。アナタの隣が不愉快で仕方がない子が使用するはずだった」
「……アイツが学校来ないの、別に俺の所為じゃねぇし」
「ええ、九割は皐月さんが原因ですね」
「学校に出る幽霊っての、あのオトコオンナじゃね?」
「その可能性は低いですよ。十分程前に私と自分以外の靴箱を弄っていたのを見たので」
「止めろよ!」
「何故?」
コイツも大概質が悪い。今度は首ごと横を向けば、誰も居なかった。言いたいことだけ言った國羽は自分のクラスに戻っていった。出しっぱなしだった教科書を仕舞い、次に必要なものを取り出そうと机の中に手を突っ込もうとして、袖をくんと引かれた。隣には、いつの間にか戻ってきていた癖毛が立っていた。
「どうした?」
「危ないわよ」
「そうか」
手を引っ込めて机の中を覗いてみると、彫刻刀がこちらに刃を向けた状態で、なお且つご丁寧に位置がずれないように、他の教科書を土台にガムテープで貼ってあった。突っ込んだら危なかったな。刃に触れないようにガムテープを剥ぐ。仕舞う場所が無く、鞄の中に突っ込んだ。
「ありがとな」
礼を云おうと思ったら、隣には誰も居なかった。
「最近の大瀧さんはひっかかることが減少していますね」
「……まぁな」
「野生の勘ですか?」
「いや、教えてくれる奴がいるんだよ」
「へぇ? 随分奇特な人が残っていたんですね、皐月さんの邪魔をしようなんて思う人が。先月転校した子で最後だと確認していたんですが」
人、じゃねぇしな。気付いたら視界の端に癖毛が入った。なにか用でもあるのかと声をかければ、ただ一言。
「階段を歩く時は気を付けて」
ソイツはくるりと背を向けどこかへ歩いて行ってしまった。不思議に思ったが、なんとなく言われた通り、いつになく慎重に階段を下りようとすると、一段目が妙に光沢を持っているような気がして、しゃがんで見れば何かの液体がぬられているようだった。なんだと言うより先に、國羽が答える。
「ラードですね、要するに豚の油です」
あのクソビッチ! 立ち上がり、一段目を飛ばして歩こうとすれば、階段下に癖毛が指で上を指していた。倣うように見上げれば、赤い眼をぐにゃぐにゃさせた皐月が、火の付いたライターから手を放した瞬間、
「跳びなさい」
オレは迷わず十三段あるらしい階段を飛び降りた。そこに居たはずの癖毛はもう居なくなってて、変わりに上から舌打ちと缶が入ったゴミ袋が降って来た。いつか殺す。それから、皐月がなんか仕掛けるたびに助けられることが多くなった。でも、いつまでも癖毛呼ばわりはさすがに失礼な気がして、名前を聞いた。すると少しだけ驚いたような顔をした後、小さく笑って教えてくれた。
「黒松歌留多」
「時代劇みてぇな名前だな……お前ずっとここにいるのか?」
「気付いたらここにいたわ」
「いつからとか、覚えてないのか?」
「覚えていないくらいね」
同じ制服を着てはいるけど、話のズレからして、かなり前からここに居るんだと勝手に推測する。でも、あまり深いトコまで踏み込みはしない。恩人に、悲しい顔はさせたくない。それだけ、だよな?
「なんでオレを助けてくれるんだ?」
「この学び舎を愛しているのよ。ここに通っている人達も。まあ、別に知り合いや血族がいるというわけではないんだけど。でも、一部の子が平気でこの学校も通っている人達も平気で傷付けるでしょう。私はそれが嫌で嫌で、止めようと叫んだり声をかけているんだけど、私は何も触れないし誰も気付いてくれなくて……大瀧君だけよ、私の声に気付いてくれて、私と話してくれるのは」
「そ、か」
なんで、自分でも歌留多の声が聞けて見えて会話出来るのか、不思議でしょうがない。でも、まぁそれが事実ならそういうもんなんだろう。けど、俺だから助けるという理由じゃないトコがなんか、気に入らねぇ。なんだかなぁ。
「俺が卒業しても歌留多はまだここにいんのか?」
「そうね。他に行く当てもないし」
「俺んとこに来ればいいだろ」
「そういう考えもあるけど……」
「嫌か?」
「そういうわけでは、ないけどね」
こういう類の会話をしたことは何度かある。
放課後、暗くなるまでずっと一緒に他愛の無い世間話をしたり、勉強(歌留多は国語が得意だった)を教えてもらったり、皐月のヤツをどう始末するか相談したり(そん時はあんま乗り気じゃなかったが)その話題を振るたび、歌留多は困ったような顔をして話を逸らすか仕舞いには消えてしまう。だが今日でこの学校に来ることはもうないのだ。だから、そろそろ決着付けるか。
「お前が居てくれるとすっげー助かるんだ」
「でも、私は何も出来ないのよ? 物に触ることも出来ないし」
「誰かが悪だくみしてもすぐ分かるだろ」
「まぁ、彼女も僕が見えないみたいだし、隣に居ても気付かれないでしょうけど」
「それにな、姉貴が留学するから俺、一人で暮らすことになるんだ」
「あらあら」
「家に人いねぇのが別に普通だったけどよ、実際に一人暮らしってのは初めてなんだよな、お前が居てくれると話相手に困らないだろ」
「他の友達とか、彼女とか呼べばいいんじゃない?」
「俺にそんなのいた試しがあるか?」
「……國羽アイリスとかいう子は?」
「アイツは駄目だ。卒業したら実家出て恋人とマンションで暮らすとか言ってたからな」
「ええと……じゃあ、」
「俺だと、嫌か?」
「そんなことはない、けど」
「じゃあこれから宜しくな」
歌留多が言われたら(たぶん)一番困る言葉をピリオドにした。拳を差し出す(バスケとかでよくやってるコツンてやつだ)。少し迷った後――それでも小さく笑いながら、差し出された小さな手は透き通るだけで、握り締めることは出来なかった。
(まぁいいか)
(これからずっと、)
(一緒に居られる)
「なんだ?」
「いやね、貴方にしては随分弱気なこと言うのね」
「……こうでも言わねぇと、無理そうだったからな」
「何が?」
「あー……内緒」