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9 帝国の逆襲

 タルン近郊に来襲したエード騎士団の突撃艦隊を壊滅させ、彼らの殴り込み作戦を失敗に終わらせたセルロン政府軍は、自分たちの戦果を広く国民にアピールすることにした。

 多くのセルロン市民は久しぶりの大勝利に酔いしれた。

 セルロンを覆っていた厭戦気分は一気に吹き飛んだ。

 その結果、活発だった反戦運動は軒並み中止に追い込まれた。

 首相官邸を囲んでいた反戦デモ隊はどこかに消えてしまい、代わって政府軍主導の「ニイタカ山をとっととやっつけろキャンペーン」のデモ隊が官邸前広場を占拠した。

「ナルナ中尉、このキャンペーンはどういう目的で動いているのかね。昔は大衆運動などなかったから、我輩にはいまいちよくわからんのだ」

「さっきショートから聞いたところによりますと、どうもニイタカ山のエード騎士団をやっつけてしまって、セルロンに平和を取り戻すとか、そういうのが目標みたいですね」

「なるほど、趣向を変えた平和運動というわけか。合点がいった。それで話を聞かせてくれたショートの奴はもうどこかに行ってしまったのか?」

「行ってしまったというか、電話で聞きました」

「そうか……まあ仕方あるまい。あの者は忙しいからな」

「大将殿はショートに用事でもあったのですか?」

「そうではない。たまには昼飯でも作ってやって、あの者の忠心を買っておく必要があるだろう。我輩たちがこうやってテレビを見ながらのんびりできるのも、ショートがニイタカ山の民政局長をやってくれているからだ。セルロンとの戦争に注力する以上、そうせざるを得なかったこともあるが、何より楽でいいじゃないか。その対価が手料理なら、それこそ価値ある買い物だとは思わないか、ナルナ中尉」

「費用対効果は悪くないと思います」

 そうだった。ショートのコストパフォーマンスは決して悪くなかった。

 たかだか不定期の手料理を報酬にいただくぐらいで、対価としていくつもの事業を成功させてくれているのだ。ショートの大将殿、いやハーフィ・ベリチッカに対する思慕の心は間違いなく本物だろう。

 ちなみに大将殿はショートに騎士団員としての給与を支払っていない。理由は知らない。しかしそれでもショートは大将殿のために身を粉にして働いていた。

 あまり気は合わないが、ショートのそういう誠実なところは素直に尊敬できた。

 極めて有能な人物で、容姿も決して悪くないはずなのに、大将殿のようなこの世に2人といないような稀有な女性と出会ってしまったことが、彼の人生を大きく狂わせてしまったのだろう。

 かつてショートはノーカトを射殺することで大将殿の心を手に入れようとした。現在の彼の奴隷のような待遇は、人殺しの罪に対する神様からの天罰なのかもしれない。

「しかしまあ、このハーフィ・ベリチッカのように、気もないのに思わせぶりな行動をとり、かつ告白の返事すらしない女となると、若い頃の我輩ならすでに我慢ならずに銃殺していただろうな」

「私もきっとそうしてますよ」

「ふふふ。それはないな。中尉に我輩が撃てるとは思えない」

 大将殿はソファの膨らみに身を委ねながら、楽しそうに笑っていた。

――天罰か。

 帝国復興の旗印の下でたくさんの人命を奪ってきた私たちは、いったいどんな天罰を受けることになるのだろう。


 ニイタカ山をとっととやっつけろキャンペーンはセルロン市民の反戦感情を急速に和らげていった。

 国内世論の転向に伴い、それまで反戦的だった報道機関は一転して戦争報道を繰り返すようになった。彼らの書く記事の中には信憑性の薄いものもあった。しかしそれでも問題は無かったのだろう。セルロン国民が求める記事を書くのが新聞社の仕事だ。どれだけ薄っぺらい記事でも国民は喜んでくれるのだ。新聞を買ってくれたのだ。

 当時、エード騎士団が保有する巡洋艦はわずかに5隻だったが、セルロンの報道機関は正確な数を認識できておらず、かつて宇宙軍が辛酸を舐めさせられたこともあって、騎士団の戦力はセルロン側に過大評価される傾向にあった。

 当時のセルロンの新聞にはエード騎士団の艦隊戦力の予想配置図が掲載されていた。ニイタカ山に陣取る騎士団がどこに艦隊を置いているのか、新聞社が勝手に予想したものだ。

 私はそれを見て驚いた。

 紙面の上のエード艦隊は5個戦隊の大所帯だった。

 新聞社は解説文の中で「彼らはハーフィを偶像として尊重しており、彼女のいる総本山周辺に戦力を集中させるだろう」と予想していた。

 実際はそうではなかった。フェンスに代わって第1戦隊を任されることになったアルト・ザクセンは守備艦隊をニイタカ山の北方に置いていた。

 これは彼女が大将殿の命令に従った結果だった。私たちは彼女の艦隊がセルロン宇宙軍と戦っている間に、インペリアルに乗ってニイタカ山から離脱するつもりだった。

 アルトは殴り込み作戦で多くの部下を死なせたことに責任を感じていた。

 彼女は大将殿から第1戦隊司令の任を言い渡された際、滂沱の涙を流した。

「この私に反撃の機会を与えてくださったハーフィ様を全身全霊をもってまさに教義のいう西征陸軍のように溌剌かつ勇猛果敢な戦闘によってお守りさせていただきます。逼迫した状況下であの戦いで死んだ者たちへの弔い合戦をさせていただける喜びが私の身体を突き抜けています。こんなに嬉しいことは今までありませんでした」

 常に半歩先を行くような独特の喋り方で一通りの謝辞を述べたアルト・ザクセンは、数名の幕僚たちを引き連れて総長室から掘りドックに向かった。

 その背中は間違いなく死地に赴く武者のものだった。

 彼女たちが出ていってから、大将殿はしばらく考え事をしていた。

 お気に入りの部下を決戦場に送りこんだことを後悔していたのか、はたまた私には思いもよらない全く別のことを考えていたのか。

 どちらも定かではなかったが、大将殿が机の上に広げていた1枚のコピー用紙のことを思い出せば、ある程度の確証が得られるだろう。

「中尉も見てみるといい。これがあの小娘の成績表だ」

「成績表といいますと士官学校の成績ですか」

「あの者は世間的には首席で卒業したことになっている。しかしそれは本当のことではないのだ。あれは私がアルト・ザクセンをエード騎士団の指揮官に据えるためにでっち上げた完全なる嘘だ」

 私は大将殿から渡されたコピー用紙に目をやった。

 そこにはアヒルの行列が並んでいた。5段階の1・3・4・5のどれでもない数字がそこかしこに展示されていた。それぞれにはタイトルが付けられていて、例外的に忠誠心だけが「5」の評価だった。

「本人も自分の成績がそこまで高くないことを自覚していたのだろう。周囲から首席卒業だとチヤホヤされていた中で、あの者は一生懸命に勉強していた。我輩があの者を選んだのは出来が悪かったからだ。得意分野もこれといってない凡人であり、かつエード教に対する忠誠心を持っていた。言うことを聞かせやすいタイプというわけだ。ところがあの者には類まれなる向上心があった。それは全ての分野に発揮されるわけではなく自分の嗜好に見合うものだけに働くものだった。例えば時刻表。大好きなダイヤグラムを常に身近に感じていたいからこそ、ああやっていつも携帯している。そういった好きなものに対する異様なほどの執着心と興味と研究の指向があの者を変えた。それはいったい何だと思うかね、ナルナ中尉」

「正直、測りかねます」

「組織を動かす喜びだよ。あの者は電車のダイヤにしてもそうだが大きなものを動かすことに特段の好奇心を持っている。そしてそれに応じた知識を貪欲に求めている。あの者の母親によると、アルトはセルロンから大量の書物を買いつけていたらしい。近代戦の知識から歴史、組織論から人心掌握術までありとあらゆる本を読んでいたとのことだ。もっとも知識だけあっても実行に移せるとは限らなかったようだがな。殴り込み作戦の時も急進派の部下を抑えきれなかっただろう。4隻の巡洋艦を犠牲にしたわりには戦果も芳しくなかった。だが次の戦いは違うはずだ。第1戦隊は指揮系統がハッキリしている。生意気な騎士団員はすでに前任のフェンス曹長によって矯正されているだろう。アルトはようやく自由に動かせる手足を得たのだ。最新の知識を持った指揮官であり、失敗を経験した人間であるアルトはきっと大戦果を挙げるだろう。それこそ死に花を咲かせるかのように。我輩はあの者がエンドラ・プックにどう立ち向かうのか楽しみでならないよ。もちろん最後には負けてもらわなくてはならないが、まあプロレスを見るような楽しみといったものだな」

「プロレスですか」

「そうとも。外野から見る凄絶な殺し合いだよ」

 いつになく長々と語る大将殿に、私は既視感を覚えた。

 かつてどこかで見たような、聞いたような、経験したような気がした。

 英語で言うところのデジャブ、その正体を短時間で突き止めた私は、何故だかよくわからなかったが、少しだけ安心してしまった。

「大将殿はアルトに昔の自分を重ねてらっしゃるのですね」

「昔の自分とは何のことだ?」

「私が生まれる前の話をよく聞かせてくださったではありませんか。特に妊娠中は幾度となく聞かせていただきましたよ。中部連邦末期の新暦2年。連邦軍の士官学校を83位で卒業した大将殿は、配属された艦隊で……」

 語れば長くなる話だ。

 こうして思い出すだけでも骨が折れる。

 中部連邦軍の艦隊士官だった大将殿はあまり有能な人間ではなかった。どうにもならないほど口下手で頭の回転も悪かったらしい。

 しかし知識欲だけはアルトと同じく貪欲だった。

 やがて連邦が崩壊して帝国が誕生すると、連邦末期の争乱で士官不足に陥っていた帝国軍は大将殿を大抜擢した。小さな駆逐艦を任された大将殿はそこからメキメキと頭角を現し、45歳の若さで1個艦隊を任されるほどになった。その後も最前線で戦い続け、65歳になったあたりで帝国軍本部に転出。軍政官の最上位である国防長官として働いていたところで帝国の崩壊を迎えた。

 あの時、一介の中尉だった私は、帝国の国防長官に命を救われたのだ。

 奇跡的な巡り合わせだったと言ってもいいだろう。

「なるほど。確かに昔の我輩と重ねてしまう部分はあるかもしれないな」

「申し訳ございません大将殿。出過ぎたことを口にしました」

「構わんさ。道理であの者に感情移入してしまうはずだ。長年の疑問が解決したよ。ありがとう中尉。あとで回鍋肉でも作ってやろう」

「差し支えなければ杏仁豆腐が良いです」

「寒天がないから回鍋肉で勘弁してくれないか。豚肉ならある」

 大将殿は修道服の袖をめくり、後で幹部食堂に来るよう言い残して、総長室から出ていった。

 総本山の喫茶店でチョイスマリーと昼食を食べたばかりだった私は、大将殿が作る濃厚な中華料理を想像して自身の満腹具合を再確認した。

 

 当時のニイタカ山は一部の食料品が不足していた。

 原因はセルロン軍による東西ニイタカ両州に対する兵糧攻めだった。

 政府軍の首領であるモーリード参謀総長は、セルロンからニイタカ山に輸出される食料品を抑えることでエード騎士団から継戦能力を奪おうと考えていたようだ。

 彼はまず、第3軍と第16軍から抽出した任務部隊・約9万人の大兵力を用いて、大将殿が支配していた東西ニイタカ両州を包囲した。

 これによりニイタカ山に通じる全ての道路は、セルロン軍に封鎖された。

 主要な幹線道路には政府軍の検問所が設置された。

 セルロン軍の検問所には歩兵部隊と自走対艦砲が配備されていて、エード騎士団の攻撃に備えていた。

 この一連の作戦をセルロン軍の報道官は冬眠作戦と呼んだ。

 モーリード参謀総長はニイタカ山に流れ込む食料品を抑えることでエード騎士団を飢餓状態に追い込もうとしたようだが、少なくとも早期講和のための交渉材料として兵糧攻めを選択したことは確実だと思われるが、残念ながら状況は彼の思った通りには動かなかった。

 エード騎士団はクワッド連邦から輸入される大量の食料品により、食糧危機を回避することに成功していた。エード教の民政担当であるショート・チゴが過去に開拓していた輸入ルートが見事に威力を発揮する形となった。

 セルロン軍は東西ニイタカ両州とクワッド領の境界地域にも兵力を置いていたが、ショートが作った輸入ルートは大要塞を作る際ついでに掘削された秘密の地下道だったため、何も知らないセルロン軍はこれを捕捉することができなかった。

 ドストル難民たちが食べ物に困っていないことはセルロンのテレビでも盛んに報道されていた。

 一方で寒天や山芋など一部の食料品は市場から姿を消していた。大将殿が私の大好物である杏仁豆腐を作ることができなかったのも素材の寒天が不足していたからだ。ニイタカ山の支配者である大将殿でも、寒天のようなクワッドで生産していないものはなかなか入手できないようだった。

 ニイタカ山に食料品の備蓄庫を求めることはリモコンに冷蔵庫の代わりをしろと命令するようなものなので、もちろんそんなものは存在しなかった。

 兵糧攻めに失敗したセルロン軍は包囲部隊に配備されていた自走対艦砲でニイタカ山の市街地を砲撃してくるようになった。彼らの用いた榴弾によっていくつかの街路が破壊されたが、北方にいたアルト艦隊が砲弾の発射地点にピンポイントでシーヴィンセントを撃ちこむようになると、このような無差別砲撃はたちまち行われなくなった。

 セルロンの地上部隊はセルロン宇宙軍にアルト艦隊の排除を求めた。

『エード騎士団から艦隊戦力を奪ってしまえば、守護者を失ったニイタカ山は丸裸同然となり、砲撃やミサイル攻撃にも抵抗できず、ただただ蹂躙されるだけの土地と成り果てるだろう』

 これはセルロン政府軍のイトーチカ参謀次長がセルロンの有力紙『ありがとう湖南新聞』に寄稿したコラムの一文である。

 私たちにとってイトーチカの予想する未来は非常に都合の良いものだった。

 言うまでもなく私たちが願っていたのはニイタカ山の破壊的破滅だった。

 故に私たちはアルトの第1戦隊が壊滅する日を待ちわびた。

 しかしセルロン宇宙軍はなかなか現れなかった。

 ニイタカ山に近づこうとするセルロン軍の部隊を狙い撃ちしていたエード騎士団の艦隊は、セルロン軍にとっては邪魔者でしかないはずだった。

 ところが艦隊戦を行うべき宇宙軍はその仕事を放棄していた。

 理由は簡単だった。

 エンドラ・プックがニイタカ山侵攻作戦に難色を示していたのだ。

 いくら艦隊戦の神様とはいえ、所詮は一部隊の司令長官に過ぎないプックが事実上の上役である参謀本部に逆らうなど、軍隊組織の常識では有り得ないことだった。

 時代がどれほど移り変わろうとも、軍隊は上意下達型の組織だ。

 上官の命令は絶対なのだ。

 しかし、プックは言うことを聞いてくれない。

 プックの部下を切り崩そうにも、宇宙軍の戦隊司令たちはみんなプックの薫陶を受けた連中なので、なかなか上手くいかない。

 あと一歩が打ち出せない。

 歯痒い戦況だった。

 ニイタカ山のドストル難民たちはアルト艦隊の挙げた大戦果に喜んでいたが、セルロン軍の無差別砲撃によって市街地はいくらか破壊されてしまっており、また難民から多数の死傷者が出ていた。

 事務所の近くにあった商店街も大半が破壊されていた。

 事務所自体も爆風の影響で窓ガラスが割れてしまっていた。

 これから戦闘が激しくなるにつれて使えなくなるであろう事務所、ニイタカ山に来てからの私たちの思い出が詰まった事務所について、大将殿は私たちの秘密を守るために爆破すべきだと考えていた。

 事務所には様々な機密書類が保管されていた。帝国時代から引きついた遺産がごろごろと置かれていた。私たちにとっては普通のものでも他の人からしてみれば珍しいものと見られるかもしれない。意識していないだけで重大な証拠品と成り得るものがあるかもしれない。

 だったら爆破してしまえば良いじゃない。

 大将殿の理屈はもっともだった。

 しかし私はどうしても納得できなかった。

 理屈ではわかっていてもそれに応じることができなかった。

「強情はいかんぞ。強情は身を滅ぼす」

「しかし……」

「我輩だって少しは我慢しているんだ。中尉も我慢してくれ」

「いや、ですが……」

「中尉、少しは考えてみたまえ。我輩たちの計画ではニイタカ山は火の海になる予定なのだ。その時、事務所はどうなっている?」

 私はハッとした。

 そういえばそういう計画だった。

 感情ばかりが先走って、私は何も考えていなかった。

 私はしばらく何も言えなくなった。

 そんな私を大将殿は手馴れた手つきで抱き寄せた。

 突然のことに私はますます何も言えなくなる。

「中尉が復讐計画に乗り気でないことは知っていた。それでも文句を言わず健気に忠節を貫いてきてくれたことに、我輩は感謝しているよ。中尉が中尉でいてくれたからこそ、我輩は折れずにここまで来ることができた」

 包み込む両手の力がグッと強くなる。

 お互いの黒の修道服が混ざり合う。

 金色の毛先が鼻腔をくすぐる大要塞の夕刻、

「今までありがとう中尉。でもって、あと少しだけ、お願い」

 突然漏れてきた、ハーフィ・ベリチッカの甘い声。

 私は、何もかもを振り払って、泣き出したくなった。


 9月23日は毎年やってくる。

 だから個々の9月23日を区別するためには年号が必要となる。

 例えば、新暦10年。私が生まれた年だ。

 現代の中部地方には2つの暦がある。

 かつての暦である西暦を使っているのは北部地方ぐらいのもので、私たちの暮らしている中部や西部、それに月面では主に新暦が使用されている。

 そんな新暦と並んで現在でも使用されているのが帝国暦だ。

 かつての中部連邦が定めた新暦をシーマ皇帝は嫌がった。

 皇帝は時間さえ支配できる。

 商人出身でいわば成りあがり者だったシーマ皇帝は、自らの支配権を広く示すために新暦に代わる新しい暦を作った。

 それが帝国暦だった。

 私たちのような帝国出身者は基本的に帝国暦で物を考えてしまう。

 これは好き嫌いの問題ではなく慣れ親しみの問題だ。

 私の生年月日は帝国暦2年9月23日だったはずなのだ。

 しかしセルロン政府はシーマ皇帝から時間を取り戻すために暦を元に戻してしまった。人々もそれに倣って新暦を使うようになった。

 現在。新暦112年9月23日。

 セルロン宇宙軍の主力部隊はタルンを進発した。

 目的地は言わずもがな、ニイタカ山のエード教総本山。

 5個戦隊・総勢200隻からなる巨大艦隊を率いるのは百戦錬磨のエンドラ・プック元帥ではなく部下のトラク・トラギン中将だった。

 プックの命令拒否に業を煮やしたセルロン参謀本部は、プックが以前行ったクワッドに対する条約違反を持ち出して、彼を軍法会議に出頭させた。これによりプックは裁判が終わるまで拘置所から出られなくなった。

 トラギンは出撃できなくなった上司の代理を務めていたのだ。

 これらの機密情報は大将殿がセルロンに送り込んだスパイ、通称間者と呼ばれる人物によってもたらされた。

 間者からの報告はいつものように短波通信で入ってきた。あらかじめ取り決めた暗号表を元に情報を伝達する、古式ゆかしいやり方だった。

 さて、ひとまずセルロン側の司令官の紹介は終わった。

 次はそれに立ち向かうエード騎士団側の司令官について紹介しよう。

 アルト・ザクセン。

 エード騎士修道会を首席で卒業したことになっている「才媛」であり、聖騎士の階級を持つ数少ない騎士団員の1人である。

 大将殿が特別に目をかけている騎士団員で、私たちがニイタカ山からの脱出に使う予定のS型巡洋艦・インペリアルを除いた全ての軍艦の指揮を任されていた。

 もっとも全ての軍艦といったところで当時のエード騎士団に残っていたのは4隻のC型巡洋艦だけであり、トラギンの200隻の大艦隊を相手にするにはあまりにも数が少なすぎた。

 北からやってくるセルロン宇宙軍と南の地を守るエード騎士団。

 彼我の差は単純計算で50倍。

 200対4。

 そんな圧倒的な戦力差に気が緩んでいたのだろう。

 相手方・トラギン中将はニイタカ山にちょっとした映像データを送り込んできた。

「高度5000メートルのエード艦隊に告げる。我々はセルロン宇宙軍。僕は臨時司令長官を務めているトラギンだ。これからお前たちに6時間の猶予を与える。6時間以内に一発のミサイルも放つことなくこの空域から離れてくれたら、我々は君たちを攻撃しない。諸君らの勇気ある行動に期待する」

 映像データはニイタカ山の北方を守っていたアルト艦隊でも受信できたようだった。

 トラギンの挑発にアルトが返答した。

「高度3000メートルのセルロン艦隊に告げる。我々はエード騎士団。私は戦隊司令のアルトだ。我々は神々の総体意志に守られた、現代の西征陸軍である。返事についてだが、私のやっている戦いは中部地方に王道楽土を築くためのものだ。さらにはセルロン軍を操っている旧帝国軍の残党を一掃することで、ドストル難民に未来をもたらすことを願っている。故に我々は引かない。神々のご加護がある限り、我々に負けはないのだ!」

 アルトはそんな内容のテキストデータをセルロン艦隊に送り込んだ。

 トラギンに対抗して映像を使うつもりが何度撮り直しても上手く言えなかったらしく、仕方なく得意の文章にしたとのことだった。

 試合前のマイクパフォーマンスを滞りなく終わらせた両者は、さっそくミサイルの撃ち合いを開始した。

 先制攻撃を仕掛けてきたのはセルロン軍だった。

 前衛の2個戦隊がニイタカ山に向けて突進、アルト艦隊に大量のシーヴィンセントを浴びせながら左右に分かれてニイタカ山を目指した。

 対するエード騎士団はガードボットを惜しみなくつぎ込んでミサイルを迎撃した。ガードボットとは体当たりでミサイルを防ぐタイプの無人ロボット兵器だ。火星のクワッド連邦共和国が開発した最新鋭の迎撃兵器である。

 普段は艦内の荷物運びなどに活用されているが、いざという時には巡洋艦を守る盾となる。私たちが現役だった頃には無かった兵器なので、初めて実物を見た時には思わず心をときめかせてしまった。

 数に限りのあるガードボットを序盤から大量投入したアルトは、今度はそれらをセルロン艦隊に向けて移動させた。

 機動迎撃用の高速移動推進器が取り付けられていたガードボットは言うまでもなく空を飛ぶことができた。それもある程度の距離を移動することができた。理由は簡単だ。ミサイルを受ける前に自爆して、周囲のミサイルも同時に破壊してしまうのがガードボットの仕事だからだ。

 だから自爆するために燃料がたくさん積んである。アルトはそれを利用して、ガードボットをミサイルの代わりに仕立てたのだ。

「やってしまえ、お前たち」

 アルトは攻撃を浴びせてきた前衛艦隊にガードボットを突進させた。ミサイルを迎撃するガードボットはミサイルにぶち当たるために高速で俊敏に移動することができる。逆を言ってしまえば、高速で飛来するミサイルに当たることができるのだから、それを避けることなどは他愛のないことだった。

 セルロン軍の前衛艦隊は一生懸命に迎撃ミサイルを撃ってきた。しかしアルトのガードボットにはなかなか当たらなかった。主砲や副砲による砲撃によって数体のガードボットが破壊されたが、それでも十分な数のガードボットが生き残っていた。

 ガードボットの特攻。

 無人兵器の体当たりを特攻と言うのはおかしいような気もするが、私が大要塞の総長室で見た映像から受けた印象は、まさにそれであった。

 通常のミサイルよりも遥かに大きい物体がセルロン軍のS型巡洋艦にぶつかっていた。そして爆発した。ありえないほど大爆発していた。

 頑丈な巡洋艦はそんなくらいではびくともしない。

 しかしガードボットが両脇にシーヴィンセントを抱えていたとしたらどうだろう。貫通力の高いミサイルの直撃を喰らった巡洋艦はいくらか損傷してしまう。そこを他のガードボットが襲ってくる。

 同じところばかりを狙われた巡洋艦はやがて装甲に穴が空いてしまい、軟弱な内部ブロックは爆発の威力に耐えきれず、やがて巡洋艦は内側から大爆発を起こして爆沈する。

 巡洋艦の護衛に就いていた小型の駆逐艦も同じことだ。ガードボットによる最初の一撃でやられてしまうだけで、結果は巡洋艦と全く同じだった。

 ニイタカ山を目指していたセルロン前衛艦隊はアルトの攻撃により約3割の所属艦を失った。しかし残りの7割はアルト艦隊を左右から突破した。

 さらにはトラギンの本隊がアルト艦隊に向けて攻撃を始めていた。

 奇策をもって前衛艦隊に多大なダメージを与えたアルト艦隊だったが、さすがに突進してくる全ての艦艇を破壊することはできなかった。

 ミサイルが飛び交い、主砲が火を吹く。

 空にきらめきが生まれる。

 爆音がとどろく。

 ニイタカ山では大要塞から顔を出した対艦砲がセルロン艦隊の来襲を待ち構えていた。

 エード騎士団の歩兵部隊もセルロン地上軍の攻撃に備えていた。

 ニイタカ山のそこらじゅうに築かれたトーチカや防御設備に騎士団員たちが集められていた。彼らの銃口はまだ見ぬ敵兵に向けられていた。

 決戦はすでに始まっていた。


 総長室の椅子に座り、大将殿は電話をかけていた。

 相手はハンクマンにいるジャムル中佐だ。

「おお、ジャムルか。元気にしているか。ならいいんだ」

 ハンクマンの証券街でエード債と呼ばれる証券を売り歩いていた中佐たちは、セルロン軍がニイヤカ山を包囲してしまったため、大将殿の元に戻れないでいた。

「我輩はズルをしてしまったが、お前もそろそろ年齢が危ういだろう。この復讐計画が終わったら、どこか温泉にでも行こうか。そうだな、極東のジパング帝国はどうだ。あそこなら一緒に入れるところがあるはずだ。飯も美味いと聞いている」

 大将殿の笑顔がこぼれる。

 ジャムル中佐は部隊の中では最も大将殿に年齢が近い人物だ。すでに用を足さなくなった足腰を車椅子で補って、就寝時には酸素のパイプを鼻に繋げて、どうにかして生きている。

 昔はそうではなかった。中佐も若かった。元気に世界中を飛び回っていた。今とは違って情報収集のためだ。ジャムルといえばタラコ・ソースの新聞屋と言われた時代もあった。

 加えて、部隊の中には中佐よりも年長の将校が何人もいた。彼らは『帝国の再興』という夢を上官である大将殿に託して死んでいった。

 気づいた時にはジャムル中佐が一番の年長者になっていた。彼が死んだら、今度は私が一番の年長者だ。その次はモデジュ少尉、その次はカーゴン准尉……。

「他の者たちにもよろしく頼む。ではまた、ハンクマンで会おう」

 受話器を置いた大将殿は渋い顔をしていた。

「どうしてみんな死んでしまうんだ……」

 遠くからその様子を眺めていた私にも彼の苦しみようは伝わってきた。

 若返ってしまった私たちが、中年と呼ばれる年齢になった時、老兵たちは生きていない。薬品漬けになることでどうにか昔の体力を維持している彼らも死からは逃げられない。それこそ遺伝子調整手術でも受けない限り、彼らはいずれ死んでしまう。

 大将殿はハンカチで目元をぬぐった。

 そしていつものようにホログラム・プロジェクターを起動させた。

 あーそうだった。

 ここから先は思い出さない方が健康的だ。



 回想は終わり、時は動き出す。

 大要塞の片隅で、やってきたことを大まかに思い出してみると、わからなかったことが少しずつ明らかになっていった。

 新しくわかったことをパズルのピースのように扱って、それらを一生懸命に組み合わせてみれば、知識は大きな体系を形づくり、世の中の流れと人々の意志が手にとるように感じられた。

 概観が生まれた。

 生まれてしまった。

 雰囲気と命令に流され続けた日々はもう終わりなのかもしれない。

 これからどうやって動いていくか、慎重に考えていかねばならない。

 すでに目標は決まっている。

 私は、あの人を取り戻す。

 そのためなら私は命だって捨てられる。


 元より拾ったような命と身体だ。使い捨てるのも悪くない。

 そうとも、そうだとも。

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