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6 ときめいて羽ばたいて

 およそ1年かけて1万人の軍勢を作りだした私たちは、ドストル難民たちから追加の兵員募集をかけつつ練兵事業を縮小させた。

 手の空いた老兵たちには兵士たちの個人情報を調べてもらった。端的に強いか弱いか、リーダーシップを発揮できるかできないか。調査内容はただそれだけだった。

 大将殿はこれらの調査で得られた情報を元に階級章を発行した。階級といっても軍隊式のものではなく『従士』『准騎士』『正騎士』『聖騎士』といった騎士団らしい独自の階級が設定されていた。これはショートの献策によるものだった。

 ドストル難民は過去の経験から国家権力や軍隊組織を毛嫌いしている。混乱させないためにも軍隊式の階級は避けた方がいい。大将殿はそんなショートの意見を取り入れた。それがあの4段階式の階級だった。

 1万人程度の小規模な軍隊だったためそれほど階級の数がいらないと言うのもあったが個人的には馴染めなかった。ちなみにエード騎士団の名称もショートが考え出したものだ。ドストル軍やエード軍などの案もあったのだが、階級と同様の理由でエード騎士団となった。士官学校であるエード騎士修道会と似たような名前になってしまったが、大将殿の命令で決まった名前なので仕方がなかった。

 騎士修道会を卒業した生徒たち、いわゆる卒業生たちにはさっそく『准騎士』の位が与えられた。これは正規軍で言うところの士官にあたる階級だった。地下練兵場で鍛えられた新兵たちは『従士』の位に任ぜられた。こちらは一番の下っ端である。

 一部の優秀な新兵には、いきなり『准騎士』の位が与えられることもあった。また騎士修道会の卒業生で特に優秀だった者にも特別に『正騎士』の階級がもたらされた。大将殿は老兵たちが集めた情報を元にこれらの施策を行っていたが、それとは別に個人的に目を付けていた者にも高い階級を与えていたようだった。

 1人の『准騎士』と40人の『従士』からなる部隊は小隊と呼ばれた。大将殿はこの小隊を基軸にたくさんの部隊を編成した。ただし巡洋艦に乗り込む艦隊勤務の兵士はこの小隊には参加せず、もっぱら『正騎士』たる艦長の下でごく自然な人間関係を構築していった。

 エード騎士団はまだ正式な設立にこそ至っていなかったが、組織としてはすでに完成しつつあった。

 あとはセルロンとハンクマンの戦争が終わる時を待つばかりだった。トラギンの第5戦隊がニイタカ山を去った頃、大将殿は「この戦争はあと1年ほど続くだろう」と予想したが残念ながらはずれてしまった。あれから1年半が過ぎようとしていたが、セルロン軍とハンクマン軍はペルシャ湾の港湾都市・タルン市でにらみあいを続けるばかりで戦争が終わる気配は一向に見えなかった。

 騎士団員の中には、今こそ好機、戦争で疲れている両軍を一刀両断して王道楽土を築きましょうなどと言い出す者もいたが、そんなことしたら万が一にも勝ってしまうかもしれないため大将殿はこの意見を退けた。

 私たちの目標は「あくまで壮絶に負けること」だった。

 これは大将殿とその部下たち、帝国軍の階級を持つ者とショート・チゴのみが知る「最上級の秘密」だった。

 私たちは秘密が漏れないよう細心の注意を払った。秘密を知らない者は事務所に入れないようにしていた。そもそも私たちは事務所の場所を巧妙に隠していた。大将殿を信奉する一部のドストル難民が押し寄せてくることを予防するためだ。メディアに登場する大将殿はいつもエード教の総本山寺院にいた。難民たちはそれを信じてハーフィ・ベリチッカは総本山にいるものだと思い込んでいた。ハーフィに会わせろ、直談判したいなどと申し出てくるちょっぴり短気な連中もたいていは総本山にやってきていた。彼らがいくら叫ぼうともその声は大将殿に届くことはなかった。もっとも事務所は総本山の近くにあったため、実際のところは声の端くれ程度なら聞こえてくることもあったのだが、大将殿がそんなものを聞き入れるはずがなかった。

 いろいろと努力して守ってきたこれらの秘密だったが、漏れてしまう時には漏れてしまうものだった。私たちの正体を本来部外者であるはずのショートが知ってしまったように、情報というものは必ずどこかから漏れ出してしまうのだ。


 ある日のことだった。

 私はシャルシンドを連れて大要塞の中を散歩していた。3歳の彼女は乳児期を経て立派な幼児となっていた。手をつないで一緒に歩くことは私の仕事の1つであり、楽しみの1つでもあった。

 いくつもの階層がミルフィーユのように連なっている大要塞は迷路の様相を呈していたが、道筋に慣れていた私たちは迷うことなくいつもの道をのんびりと歩いていた。

 誰もいない通路をゆっくり歩いていると、見慣れた十字路に出た。ここを左に曲がれば9号エレベーターだ。

 私とシャルシンドはいつもの道をいつも通り歩いた。

 十字路を左に曲がると、そこにはセルロン軍人がいた。

 おそらくは潜入ミッションだったのだろう。セルロン軍人は壁際をじわりじわりと移動していた。

 はてさてどうしたものか。私の手元には拳銃が1丁あるのみだった。モデジュ少尉が誕生日プレゼントにくれたガーターベルト型のホルスター、よく映画などで女性諜報員が太ももに固定しているアレをこの日の私はたまたま携帯していた。どうしてそんなものを着けていたのかと言えば、特に理由はなくただ着てみようかと思っただけだった。

 普段の私は修道服のポケットに小さな拳銃を入れていたが、この日はそのガーターベルトのおかげでわりと大きめの拳銃を仕込むことができた。帝国東域砲兵工廠・ボタキ23自動拳銃。帝国軍時代からの愛銃だった。

 私は愛銃を手に取った。安全装置を外していつでも撃てるようにしておく。

 そそくさと通路を歩いているセルロン軍人がこちらに気づいている確率はほとんどゼロに等しいと思われた。この距離なら頭だって狙える。問題はシャルシンドだった。まだ幼い彼女に人が死ぬ様子は見せたくなかった。

 生け捕りにして大将殿のところまで引っ張って行くべきか。

 私は考えた。相手から銃を奪うにはどうすればいい。あのセルロン軍人はえらく重武装だ。黒光りする短機関銃を大事そうに抱えている他、リュックサックがずいぶんと膨らんで見える。中身は何だろう。爆弾で要塞を吹っ飛ばそうとしているのだろうか。それとも重要な書類や情報端末をリュックサックに詰め込んでいらっしゃるのか。

 どちらにしろ生身で対抗できる相手ではなかった。罠を仕掛けて陥れることも考えたがおそらく特殊部隊所属であろう彼にそんなものが通用するのだろうか。やはりここから頭の中に鉛玉を送りつけてやるべきなのか。

「ナルナちゃん、あの人は?」

 足元にいたシャルシンドが喋りかけてきた。いけない。見つかる。私は愛銃をガーターベルトのホルスターに戻した。

 セルロン軍人は私たちに気づいたようだった。ゆっくりと壁際を這っていたはずの彼は、ふとした瞬間に想像を絶する速度でこちらに銃口を向けてきた。反射的に私は両手を挙げた。シャルシンドは何が起きたのかよくわかっていないようだった。

「なんだ、ただの修道女か。安心しな。絶対に撃たねえよ」

 ゴーグルとマスクを外したセルロン軍人は何故か握手を求めてきた。私が手を挙げたまま動かないでいると、彼はくくくともったいぶったような笑みを漏らした。

「別に手を下げたからって撃たねえッスよ。そっちのお子さんも。わざわざこんなところまで人殺しを楽しみに来たわけじゃねえんだから。あと銃弾がすこぶるもったいない」

 これだけ撃たないと言うのなら信用してやってもいいかもしれない。彼はいつでも私たちを撃ち殺すことができた。なのにそれをしなかったのはその意志が無かったからだろう。

 短機関銃の銃口は相変わらずこちらをにらんでいたが、私は勇気を出してミリシドに話しかけてみた。

「弾があまり無いのですか。背中にたくさん詰め込んでおられるようですけど、それだけあれば十分なのではございませんか」

「ハハハ。あんた何も分かってないな。浮世を離れた修道女さんらしいや。これは爆弾だよ」

 やはり爆弾だったか。しかしセルロン軍はどういう教育を施してこんな特殊部隊員を生成しているんだ。敵の前で武器についてぺらぺらと喋るような奴がいるものか。当時の私はいい知れぬ義憤に駆られた。自分とは何の関係もないはずのセルロン政府軍の方針にひたすらケチがつけたくなった。

 セルロン軍人はミリシド・フルトラップと名乗った。階級は少尉らしい。潜入捜査中の特殊部隊員が現地の人間に自分の素姓を話すというのも変な話だが、彼はそういう男だった。

「くくく。もしかしたらご存じないかもしれないが、俺の上司はケルトレーキ・コッバ少将だ。政府軍特殊作戦軍の司令官殿。数々の特務作戦をこなしてきたセルロンの英雄。個人的には宇宙軍のプック提督より先を読む力があると思うね。あんな人はめったにいない。そんな少将殿の命令を受けてここまで来たのが俺だ」

 ミリシドは感情豊かな男だった。子供の頃から何かあるたびにお母さんに報告していたような、そんな匂いのする男だった。いわゆる教えたがりという奴だ。ますます特殊部隊向きとは思えなかったが、それよりも気になったのはコッバという名前だった。

 コッバ。コッバ。

 ああ、あいつだ。

 カーライル・コッバ上等兵。私の同僚。大将殿の部下の1人。老兵たちの中で最も階級の低い男。

 そういえばカーライルには息子がいると聞いていた。コッバなんて姓の人間は少ない。そしてカーライルは息子のことをケルトと呼んでいた。

 なるほどあいつの息子はセルロン軍の司令官になっていたのか。これは後で言ってやったほうが良さそうだ。

 思わぬ繋がりに喜んでしまった私は、状況が逼迫していることをまるで忘れてしまっていた。

 これはいけない。このままでは私たちは捕虜にされてしまう。それは困る。

 まずはこの男を倒さねばならない。どうする。やはり殺すしかないか。

「どうしたんだ修道女さん。そんな目でにらまないでくれよ。あんたはただの修道女なんだ。この要塞を作り上げた一派とは無関係の普通の人だ。わかっているんだぜ。そういえばさっき綺麗な右脚を見せてくれたな、あんたにそんなもんいるのか?」

 私はホルスターから愛銃を引き抜いた。あまり戦いが得意ではない私だったが、眉間に筒先を当てられた相手は必ず武器を捨てるぐらいの知識はあった。

 ミリシドの手からこぼれ落ちた、セルロン製の短機関銃が廊下を跳ねる。加工樹脂特有の安っぽい音がした。私は勝利を確信した。

 こんな絶体絶命の状況下においてもミリシドはへらへらと笑っていた。

「修道女さん、あんた俺の言葉で動揺しただろ。話術には自信があるんでね。よくわかるさ。そしてその動き。古臭い拳銃。今どきそんな銃を持っている奴はそうそういないぜ。23型のボタキとかいつの銃だよ。尻尾を出しちまったな、修道女さん。俺はわかっちまったぜ。へへへ。あんた、タラコ・ソースだろ」

「違います」

 そう言ってみてから、私はぶわっと鳥肌が立つのを感じた。

 こいつ、どこからその情報を手に入れた。ニイタカ山の修道女の中にタラコ・ソースが紛れこんでいることをどうやって知った。いったいどこから私たちの秘密は漏れた。大将殿とその部下たちしか知らないはずの「最上級の秘密」を漏らしたのは誰だ?

 私は足元の少女に目をやった。シャルシンドは口が達者だ。ミリシドの言ったことを理解してしまっているかもしれない。どうしたんです。キョトンとした目でこちらを見つめているのはどうしてなんです。どうして私の顔を見ている。

 これ以上、シャルシンドにはいらないことを知ってもらいたくない。

 愛銃の引き金を引いた私は、血しぶきが空を舞うことを覚悟した。幼い子供に無残な光景を見せたくなかったので、射殺の覚悟を決めた私の右脚はシャルシンドの腹を思いっきり蹴飛ばしていた。あっちに飛んでくれシャルシンド。そして私が人を殺すところを見ないでいてくれ。

 しかし肝心の弾丸は発射されなかった。それもそのはず、間抜けな私は弾倉を入れていなかったのだ。道理でいつもより重量が無いはずだった。

「もしかして弾が入ってないのか。じゃあやっぱりあんたは素人だ。何の関係もない修道女さん。ニイタカ山は治安が悪いから、身を守るために骨董屋で銃を買ったんだろ。だったら良いんだ。ちょっとヒモでくくらせてもらうから、じっとしててくれよ。人殺しは良くないからな」

 ミリシドは私の手から愛銃を取り上げた。長年使い続けてきた愛銃が地面を転がっていく。私は健気にも素手で立ち向かったが、鍛え上げられた特殊部隊員に徒手格闘で勝てるはずなどなかった。

 この男、間抜けそうでなかなかやるじゃないか。愛銃と同じような具合で地面に転がされた私は、両手をヒモで固定されてしまい、さらには天井近くを通るパイプにヒモをくくりつけられてしまった。ヒモの長さには余裕があったので吊るされるようなことは無かったのものの、身体の自由は奪われた。

「なかなか便利なヒモだろ。サナン技研製のキープワイヤーだ。人を縛るためだけに開発されたワイヤーだから強靭性は抜群。旅行カバンに付ける防犯用の奴と同等の強さはあるだろうね。だから諦めてゆっくりしててくれよ……そういえばさっきの子供は?」

「蹴飛ばしてやりましたよ。どこに行ったんでしょうね」

 自分の間抜けさにショックを受けていた私は、なげやりに答えた。

「おいおい誰かから預かってる子供じゃねえのかよ。修道院の保育園の子だろ。いや待てよ、エード教は結婚とか出産とかをやたらと奨励していたな。産めよ育てよ地に満たせよとか聞いたことあるぜ。もしかしてあの子、あんたの子供なのか?」

「あれはタラコ・ソースの娘ですよ。シャルシンド・チゴです」

「嘘だろおい、ちょっとあの子追いかけてくる!」

 あの時のミリシドの嬉しそうな顔が忘れられない。おそらくは彼らにとって最大の敵であるはずの大将殿の子供を誘拐して、それをネタに大将殿をゆすろうと考えていたのだろうが、残念ながらその思惑は失敗に終わった。

 背後から忍び寄る人影にミリシドは気付くことができなかった。無邪気な笑顔を振りまいていた彼はいきなり後頭部をスコップのようなもので殴られてしまい、何も言うことなくそのまま地面に倒れ込んだ。

「大丈夫か中尉!」

 目の前にスコップを持った修道女がいた。彼のブロンドの髪はところどころ汗で濡れていた。修道服もどことなく水気を帯びていた。ここまで走ってきたのか、はたまたさっきまでシャワーでも浴びていたのか。どちらにしろ私の心はいっぱいになった。

 大将殿の隣にはシャルシンドもいた。彼女が大将殿を呼んできてくれたのだ。

「我輩の娘を蹴飛ばしてくれたそうだな中尉。さっきまで大泣きしていたぞ。怪我してなかったから良いものの、以後慎むようにしてくれたまえ。どのような理由があろうが無かろうが、シャルシンドを傷つけるような真似は許さんからな。まあ無事そうで何よりだ。それでこの者は何だ。どう見てもセルロン軍の戦闘服にしか見えないが、やはりそうなのか」

 スコップの一撃をまともに喰らってしまい、完全に気絶していたミリシドの寝姿を大将殿は興味深そうに眺めていた。シャルシンドも一緒になってミリシドの制服をいじくっていた。子供が親の真似をする姿はいつの時代も可愛らしい。

 大将殿はミリシドのガンベルトから彼の自動拳銃を奪い取った。コメット・ボタキ89。私の愛銃ボタキ23の改良型だ。なるほど、道理で私の銃をすぐにボタキだと見抜いたわけだ。当時の私は少しだけ興奮した。

 ボタキ拳銃を愛用している人間を業界ではボタカーと言うのだが、まさかセルロン軍にもボタカーがいるとは思わなかった。シーマ皇帝に低性能のレッテルを貼られてしまい、軍用拳銃として採用されることなく民間で投げ売りされてしまった悲運の拳銃。しかし私たちのようなボタカーはボタキ拳銃の性能を信じている。信じているからこそ大事にしている。この日の私はこれといった意志もなくガーターベルト式のホルスターを身につけていたが、もしかすると身体が勝手にボタキを求めていたのかもしれない。合点がいった。あの日、あんな恥ずかしいものをわざわざ身につけた理由がわかった。良かった良かった。

「ボタキか。中尉はこれが好きだったな。戦利品にくれてやろうか」

「いえ。ボタカーは他人のボタキを奪いません。彼のものは彼のものです」

「それならまあいいが……他に銃はないのか。中尉の両手を縛っているロープを吹き飛ばそうと思うのだが、失礼を承知で言わせてもらう。ボタキでは不安だ」

「むしろボタキだからこその重要任務ですよ。ぜひ大将殿も味わってみてください。さあさあどうぞ。撃ってみてください」

 私の提案を大将殿は飲まなかった。大将殿はスコップでヒモを叩き切った。晴れて自由の身となった私は、シャルシンドに蹴り飛ばしてしまった件を謝りつつ、ミリシド・フルトラップの素性について大将殿に説明した。

 特殊作戦軍。噂には聞いていた、セルロン軍の特殊作戦部隊。

 彼らはどこからともなく大要塞に入り込んできた。数少ない出入口は老兵たちの監視下にあり、鋼鉄製のドアで守られた城門はそうそう突破できるものではなかった。それに突破された時点で誰かが侵入者の存在を確認していたはずだった。いったいどうやって大要塞の中に入ってきたのか。まずはそれが謎だった。

 またミリシドは私たちの正体を知っていた。少なくとも私たちを帝国軍の残党だと認識していた。そうでなければタラコ・ソースなんて名前は出てこない。どこからそんな情報を入手したのか。これについてはすぐに情報源がわかった。

 ミリシドのリュックサックには私たちの機密資料が大量に詰め込まれていた。帝国軍の新兵指導要領の原本や領収書の類、はたまた老兵の日記帳など、盗まれていたものは多岐にわたった。ミリシドはこれらの資料から私たちの正体を割り出していた。幸いにして私たちの最終目標などは書類化されていない『頭の中の情報』だったため盗まれずに済んでいた。

 ミリシドは特殊部隊の隊員らしく高性能な短波無線機を持っていた。彼がこれを用いて遠くのセルロン軍司令部に様々な情報を伝えた可能性は否定できなかったが、大将殿はあまり気にしていないようだった。

「もし仮にケルトレーキ少将とやらが我々の正体を知ったとしても、さらにはセルロン軍参謀本部にまでその情報が回っていたとしても、それを有効活用する手立ては今のところ無いだろう。セルロン軍が公の場で我輩の正体を暴いたところで聞き入れる者などいるはずもない。ハーフィ・ベリチッカとタラコ・ソースでは年齢もイメージも違いすぎる。誰がそんなことを信じるものか。我々が注力すべきはこれ以上の侵入を阻止することのみだ」

 大将殿はシャルシンドの身体に傷薬を塗りながら、そんなことを言った。

 老兵たちは侵入者の存在に驚いていた。完全に封鎖された出入口、電子的な監視網、大要塞の防御装置はどれをとっても一級品だった。それを突破して中まで侵入した者がいたわけだが、実際のところ単に盲点を突かれただけだった。

 ミリシドはニイタカ山をスコップで掘り抜いていた。山の斜面から穴を掘り、地中奥深くにある大要塞までたどり着く。こんな原始的な方法で彼は大要塞潜入を成し遂げた。彼のトンネルがいつ頃完成したかは定かでなかったが、大将殿や老兵たちは彼の健闘を「一級品の潜入工作」だとして褒め称えた。私もとりあえず拍手しておいた。

 捕虜となったミリシドには地下奥深くに独居房が与えられた。騎士団員たちがミリシドから妙なことを吹きこまれないよう、独居房の警備は老兵たちが行うことになった。

 老兵たちはミリシドから有益な情報を引きずりだそうとしていたが、相手が特殊部隊員なのもあってなかなか上手くいかなかったようだ。

 大将殿はこれ以上の侵入を防ぐため、ニイタカ山のありとあらゆる場所に監視カメラを取り付けた。さらに大要塞の内部を騎士団員たちに巡回させることで、侵入者をすぐに逮捕できる環境を整えた。大要塞の深部、すなわち私たちの本拠地である総長室近辺の警備は今まで通り老兵たちが行った。

 ミリシドの潜入は結果的にニイタカ山の警備体制をより良いものに変えたのだった。

 なお、これは全く蛇足な話となってしまうが、自由の身になった後、通路に落ちていた愛銃を、修道服をまくってガーターベルトのホルスターに戻したところ、たまたま私のことを見ていたらしい大将殿は実に何とも言えない顔をしていた。


 私たちが双頭戦争の終結を知ったのは、ミリシドがやってきてからちょうど1ヶ月が経とうとしていた頃だった。

 中部西域、セルロン市から200キロほどの距離にあるタルンの地において、セルロン政府のハーバシティ・クチバー首相は戦死した。

 なぜ一国の宰相が戦場に出ていたのか当時はさっぱりわからなかったが、聞くところによるとセルロン政府軍の新造艦・F型巡洋戦艦「フランクロイツ」の公試運転をわざわざタルン上空で行ったらしく、クチバー首相はこれに乗り込んでいたそうだ。

 もしかすると首相は総大将自らが戦場に出ることで兵士たちの士気を上げようとしたのかもしれない。タルン市を囲んでの長期間のにらみ合いにセルロン兵は疲れていたとされている。しかし世の中そうそう上手くはいかないもので、待ち伏せていたハンクマン王国軍の遊撃部隊によってフランクロイツは撃沈されてしまった。上空5000メートル地点を浮かんでいたフランクロイツから放り出されたクチバー首相や船員たちの行方は全くわかっておらず、セルロンのテレビ局では実は生きているのではないかとの説に基づいた検証番組が盛んに制作された。

 戦死したクチバーに代わってセルロン政府の指導者となったのは副首相のトンボ・テルーだった。主戦派だったクチバーと違い、元々戦争に懐疑的だったらしいテルーはさっそく講和条約の締結に乗り出した。

 ところがハンクマン王国軍は講和を望んでいなかった。そもそも双頭戦争はセルロンがハンクマンを攻め滅ぼそうとして始まった戦争だったが、戦局はハンクマン側に流れており、王国軍首脳部はこのまま一気にセルロン市まで進軍してしまおうと考えていた。

 戦争を止めたいセルロン政府と、戦争を続けたいハンクマン王国の和平交渉は困難を極めた。最終的にセルロン政府は自国領土の3割をハンクマン側に譲渡することになった。中部地方の支配者を自任していたセルロン政府にとって、これは屈辱だった。

 約3年間ほど続いた双頭戦争はセルロン政府の敗北という形で終わりを迎えた。

 もっとも正木藩兵との戦いはまだ続いていた。セルロン軍はハンクマン方面の兵力を西部との国境地帯に回すことで、正木藩兵の総攻撃を防いでみせた。単独での戦争は困難だと考えた正木藩は、セルロン政府との間に和睦を結んだ。これは領土の割譲を伴わない平等な平和条約だった。ハンクマンには敗れたセルロン軍だったが、こちらの方面では負けていなかったようだ。

 かくして戦争は終わった。セルロン政府は領土を構成していた12州のうち、3つの州を失ったが、それらのほとんどは何もない砂漠だった。セルロン市からドップラー市に至るまでのメガロポリス地帯は健在であり、セルロン政府は相変わらず超大国であり続けた。

 セルロンの住民たちは久しぶりに訪れた平和をじっくりと味わった。領土割譲に踏み切ったテルー政権を弱腰だとして非難する声も多く見られたが、セルロンやドップラーの空港では戦地から戻ってきた兵士たちが家族と抱き合っていた。

 幸せそうな彼らに戦争を仕掛けるのは忍びなかったが、私たちの計画を遂行するためには彼らの力が必要だった。1万人の兵士と8隻の巡洋艦を打ち破ってもらい、ニイタカ山を火の海にしてもらう。大将殿や老兵たちが望む未来を作りだすことができるのは間違いなくセルロン政府軍だけだった。

「なるほどねえ。あんたらは中部帝国の残党で、自分たちの国を滅ぼしたドストル難民が憎くて仕方がない。そこで俺たちセルロンの偉大なる兵士たちを利用して、ドストル難民をこの世から消し去ってしまおうと考えているわけだ。えらく大がかりな計画ですなあ。あんたも苦労が絶えないだろ、修道女さん」

 ニイタカ山の地下独居房で、ミリシド・フルトラップは美味しくなさそうな昼飯をほおばりながらニコニコと笑っていた。

 私がいわゆる『最上級の秘密』をミリシドに打ち明けたのには理由があった。本来は誰にも教えてはいけないはずの私たちの真の目的について、この男がどれほど知っているのかを確認するためだった。それはそのままセルロン政府の状況理解度を表してくれるはずだった。全ての情報はこの男から漏れた。当時の私たちはそういう認識を持っていた。

 ちなみにミリシドが口にした「中部帝国」とは現在のセルロンで使われている便宜上の名称であり、本来は単に帝国と呼ばれていたはずのあの国家に中部という地名を付けただけの歴史学用語である。これはミリシドのような若い世代の人間はともかくとして中高年の帝国を知っている世代にとってはまるで馴染みのない言葉だった。もちろん私もこの言葉には違和感をもった。帝国は帝国であり、あくまで帝国だった。

 ミリシドは何が面白いのかひたすら歯間にすきま風を通して楽しそうに笑っていたが、具体的にはシッシッシと笑っていたが、私は気にすることなく『秘密』の説明を続けようとした。

「つまり、私たちが騎士団を創設したのはセルロン軍に戦う気を出してもらうためで……」

「いろいろ話してくれるのは良いんだけどさあ。もうちょっと楽しい話題にしてくれよ」

 ミリシドが文句を言ってきた。

「それはちょっと難しいですね。こちらも命令なものでして」

「そんなこと言わずにさあ。修道女さんの笑った顔を見せてくれよ」

「あなたは捕虜なんですから私の言うことを聞いてもらえませんかね?」

「……全くダメな人だな。話を聞きだすつもりなら、まずは相手と仲良くならないと。そういうもんだろ?」

 この男、わかっていたのか。だからあんなに笑っていたのか。

 ミリシドに説明の意図を見抜かれてしまった私は、ちょっとばかり自信を喪失してしまった。がっくりと肩を落とし、部屋を出て行こうとした。おそらく60歳は年下であろうミリシドに話術で敗れてしまったのだ。そうなってしまうのも仕方がなかった。

 そんな私をミリシドは呼び止めた。

「まあ待ちなって修道女さん。あんたが知りたがってたことは俺の口からちゃんと教えてやるよ。俺はその目的とやらを知らなかった。コッバ少将にはエード教の上層部に帝国の関係者がいるってことぐらいしか伝えてない。それくらいしか確定的な情報は無かったんだ。あとはタラコ・ソースの名前ぐらいだ。誓っても良い。これだけだ。あんたもボタキの愛好家ならわかるだろ。ボタカーは嘘をつかない。それは何故か?」

「……ボタキ拳銃がカタログスペックに嘘をつかないから」

「そうともさ。やっぱり昔からある言葉なんだな、これって」

 ミリシドは嬉しそうな顔をしていた。

 この男とは仲良くなれそうだ。何となくそんな気がした。

 もっとも相手はセルロンの特殊部隊員であり、檻の中にいるとはいえ油断しないよう努めた。愛銃のボタキ23を見せびらかした時も、決して相手の近くにそれを持って行くことはしなかった。お酒を持ってきてやった時にも相手以上に飲まないよう気をつけた。ミリシドからは「聖職者が昼間から飲んで良いのか」と言われたが「神無月だから関係ない」と答えておいた。ちなみに当時は3月だった。

 3月。大将殿はかねてより計画していたエード騎士団の結団式を行った。式典は総本山の大講堂で行われたが、他にも難民たちへのお披露目としてパレードなどが敢行された。煌びやかな礼服に身を包んだ騎士団員たちは8列縦隊を編成し、意気揚々と表通りを練り歩いた。

 1万人もの大軍勢を先頭に立って率いたのは大将殿とショート・チゴ、そしてチョイスマリー・メージだった。私たちとはそれなりに関わってきたチョイスマリーだったが、まさか私たちが軍隊を作っていたとは夢にも思わなかったらしく、もちろん私たちが隠していたためだが、前日にパレードの話を伝えた時には、彼女は性質の悪いジョークだと勘違いしていた。

 そんな彼女も当日にはエード騎士団の存在を視覚的に知ることとなり、大将殿やショートの横で、緊張した面持ちのままパレードを先導した。

「どういうことなのどうなってるの……そもそもあの場に私は必要だったの?」

 ドストル難民たちの歓喜の声を浴びながら、パレードの終着点だった大要塞の中央入り口に足を踏み入れたチョイスマリーは、そこで待機していた私を見つけると、疲れきった様子でこちらに抱きついてきた。私よりも彼女のほうが一回りほど身体が大きかったため、抱きつくというよりは『へたりこむようにして腰にすがりついてきた』といったほうが正しいのかもしれないが、そんなことよりもショートが若干羨ましそうな顔でこちらを見ていたことのほうが気になった。

「必要だったというよりもあなたがいないと成り立たなかったのよ、チョイスマリーさん」

 大将殿がそんなことを言いながら近づいてきた。式典の日だというのにいつもと変わらない黒の修道服だった。もちろんこれには理由があった。

「ああいう軍隊みたいなものをドストルの人たちは嫌がるでしょう。だからこそ、わたしたちのような文民が彼らを率いることで、エード騎士団は怖くないものだとわかってもらいたかったの」

「そしてエード騎士団を率いる者が我々のような重鎮衆ならば、騎士団がエード教のものだと証明できる。ハーフィ様とこのショートだけではチゴ家の私兵だと思われかねないからな。そこでお前の存在が必要だったというわけだ、チョイスマリー・メージ」

「ショートのくせに偉そうに言わないでよ。クズのくせに。でもわかりましたハーフィさん。ちょっと辛かったところもありましたけど、そういう理由ならわかります。いつもの服を着るように言われたのも、みんなを怖がらせないためだったんですね」

 チョイスマリーがショートのことをクズ呼ばわりしたのには驚いたが、おおまかにはショートの言うとおりだった。

 大将殿もチョイスマリーもショートも、そして私もまた、いつもの修道服で式典に参加した。騎士団員たちが着ていた豪華な礼服と比べたら、それこそみすぼらしい服装だった。

 軍隊は作ったけど私たちは変わっていない。だから今まで通り、安心して従っていてください。大将殿はその意志を「いつもの服」で表した。もちろん変わるも何も、私たちはもとより難民たちの考える理想像とは程遠いところにいたわけだが、とにかく彼らの反権力的な志向を刺激しないためにもこのような演出は必要だと考えられた。

 騎士団員の中には「C型巡洋艦を飛ばしてパレードと同時に観艦式も行いましょう」などと言いだす者もいたが、難民たちが怖がってしまう可能性が大きかったため大将殿はこの意見をさりげなく却下した。

 みずぼらしい服装による演出の賜物か、はたまた大将殿が結団の式典で口にした「エード騎士団は皆さんの味方です」との発言を真に受けたのか、ドストル難民たちはパレードの行われる表通りの沿道に集まり、騎士団員たちの不揃いな行進を歓喜の声で迎えてくれた。先頭を歩く大将殿やチョイスマリーには一段と大きな声援が浴びせられた。チョイスマリーが疲れていたのもこの声援があったからなのだろう。彼女は親しい者には大言壮語を振りまくが、それ以外の者たちには顔を真っ赤にするばかりで何も言えないのだ。私も初めて会った時には会話に苦労した覚えがある。確かドストル修道会で働き始めた頃の話だったか。

 結団式を経て、エード騎士団はようやく正式な発足を迎えた。

 ずっと大要塞の中に閉じ込められていた騎士団員たちは久しぶりの外を大いに楽しんでいた。どこの店に行っても礼服姿の男女ばかりで、彼らは気の合う仲間と共に酒を飲み、良い物を食べていた。1年にも及ぶ軟禁生活によって彼らの財布はかなり温まっていたらしく、知人や友人に食事を奢ったり、はたまた道を歩いていた私を呼び止めて晩ごはんを御馳走したりしてくれた。別にそれを期待して街を歩いていたわけではない。

 セルロンのテレビ局や新聞社、通信社は結団式の様子を詳しく報じていた。彼らはショートが式典の中で「エード騎士団の力をもってこの世に王道楽土を築く」と宣言したことをふざけた妄想、もしくはニイタカ山の治安を改善させて経済発展に持っていくという意味ではないかと論じていた。

 セルロン政府のトンボ・テルー首相は定例会見でエード騎士団を厳しく批判した。クチバーの死によって第5代首相となったテルーは、かつてドストル難民を移民船団に詰め込んで冥王星まで送りつけた右派の出身であり、彼が先生と呼び親しんでいたフォ・ルセ元首相はセルロン政界でも屈指のドストル嫌いとされていた。

 そういった経歴もあり、テルーは私たちとしては敵にしやすい人物だった。大将殿の命令を受けた老兵たちはさっそく騎士団の会報にテルーについての情報を載せていた。

 大要塞から出ることができた騎士団員の中には召集がかかっても家から出てこない者もいたが、仮面を付けた老兵たちが会報を届けに行くと、もう2度と遅刻したり命令を無視したりしなくなった。彼らがどういう手法を使ったのかは定かではないが、やはり教官というのはいつまで経っても怖い存在のようだった。


 結団式が行われた際、大将殿は月面から同志たちを呼び寄せていた。志を同じくする者、ジャムル中佐率いる6人の帝国兵である。月面の秘密基地において帝国の遺産を管理していた彼らは久しぶりの地上に興味津々の様子だった。事務所で取っていた新聞を読み漁り、おかしな事件を見つけてはみんなでゲラゲラと笑いこけていた。101歳のジャムル中佐を筆頭とする戦友たちの元気そうな姿に、私は少しばかり安堵した。

 大将殿がジャムル中佐たちを地上に呼びつけた理由はただ1つ、来るべき復讐の時に向けて、作戦の成功を祈願するためだった。

 ニイタカ山が火の海になることを祈りつつ、みんなで美味しい料理を食べながら楽しい夜を過ごそう。一通りパーティの準備を手伝わされたショート・チゴは夕方頃には自宅へと送還され、事務所に残ったのはかつてシーマ皇帝の下で働いた15名の帝国軍人のみとなった。

 パーティに参加した15名の名前を階級順に挙げてみる。

 タラコ・ソース大将。

 ジャムル・インキュー中佐。

 ナルナ・タス主計中尉。私だ。

 モデジュ・ギブエン少尉。

 ダンプ・カーゴン准尉。

 フェンス・クラッチ曹長。

 クスラ・デフォーク曹長。

 レキシン・ホッド軍曹。

 ロベリ・レンチ軍曹。

 フォベロ・カシュ軍曹。

 オルブ・ドニー伍長。

 ホルバスク・メリーズ伍長。

 アスクム・トラギ伍長。

 オスプリント・リム兵長。

 カーライル・コッバ上等兵。

 狭苦しい事務所の中にこれだけの人数が入っていた。炊事場から大将殿の私室に至るまで、ありとあらゆる場所が老兵たちの憩いの場となった。直参組と月面組の2つに分かれていた帝国軍の残党は、久しぶりの大集合を心の底から喜んでいた。思い出話が咲き乱れ、握手と抱擁が繰り返される事務所の様子は、まるで観光地のホテルで行われる戦友会の会場のようであった。

 炊事場で格闘する大将殿がどうにかしてひねり出した創作料理の数々は老兵たちから高い評価を受けた。足腰のままならないジャムル中佐や一部の老兵たちには座ったままでいてもらい、若い身体を持てあましていた私が彼らのところまで料理を持っていった。上官であるジャムル中佐はともかくとして、年下の部下たちに料理を運んでやるのはちょっとばかり癪なことではあったものの、まともに歩くこともできない人間の姿を見てしまうと、そんな文句は口が裂けても言えなかった。

 食事時が過ぎ、治療薬を飲むらしいジャムル中佐のために水を用意したところで、調理を終えた大将殿がパンと手を叩いた。

 たとえ年月が経っていても、たとえ相手が若い女性の姿をしていても、何十年も仕えてきた上官の機微にはどうしても敏感になってしまうものらしい。楽しそうに笑っていた老兵たちはすぐに会話を止めた。

 大将殿は調理時に使っていたエプロンを放り投げ、代わりにロッカーから将官用の青軍服を持ってきた。私服の上からそれを羽織り、さらには三方三角とも称される帝国の紋章を象った花形帽章付きの軍帽をかぶって見せた。その姿はさながら「軍人の娘が父親の軍服を勝手に着てみました」とでもいうべき有様であり、お世辞にも似合っているとは言い難かった。あれだけ帝国軍を愛していた大将殿が、ニイタカ山においてはほとんど青軍服を着用することなく生活していたのはこのあたりが原因なのかもしれない。

 いつもブロンドのふわふわした髪をはためかせながら、地図の上のコマを動かしたりショートに命令したりしている大将殿の姿を私たちは見慣れていたが、久しぶりに地上にやってきたジャムル中佐たち月面組としては上官のそのような姿は正視に堪えるものではなかったらしく、彼らはゴムヒモで髪の毛をしばっていた大将殿から目をそらしていた。

 そんな部下たちの様子に気付かぬ大将殿ではなく、彼はちょっとばかり寂しそうな顔をしていた。

 大将殿はもう一度手を叩いた。こっちを見ろという合図であった。

「諸君らの気持ちはわかる。我輩とて望んでこのような姿になったわけではない。それに目を床の方にそらしたところで、聞こえてくる声はこの身体のものなのだから、それならば現実を直視したほうが精神的にも健康というものだろう。耳をふさぐような真似をした者が我輩の部下にいるとも思えないからな。さて……ジャムル中佐には例のものを用意してもらおうか」

 大将殿の言葉に反応して、今まであまり良い顔をしていなかったジャムル中佐はその白い眉毛をピクリと動かした。中佐が親指をパチンと鳴らすと、近くで待機していた老兵の1人が奥の部屋からアタッシュケースを持ってきた。

 ジャムル中佐は渋い声色の持ち主だ。彼の声を聞いていると胸の奥がときめくような、そんな感覚に襲われる。これは昔から変わらないことで、身体が若い女性に変わったからではない。同性愛の趣味は無いつもりだが、少なくとも中佐の声がとても素晴らしいのは紛れもない事実だ。

 そしてこの日もまた、私は中佐の声色に酔いしれることになる。

「すまんなメリーズ。歩けなくなってずいぶん経つがお前たちに迷惑をかけるのは耐えがたいものがあるよ。さて大将殿、こちらにございますのが件の遺産でございます。アタッシュケースの中身は前にお伝えした通りです。許可さえいただければ開封いたしますが、いかがいたしますか」

「開けてくれジャムル中佐。できれば中身をみんなに見せてやれ」

 大将殿の言葉にジャムル中佐はひっそりとうなずいた。

 アタッシュケースは3重の鍵で厳重に管理されておりそのうちの1つは中佐の指紋認証だった。これなら盗まれても中身が奪われる心配はないだろう。もっともケース自体はわりと普通のものだったため何かしらの術で破壊されそうではあった。

 きっちりと手順を踏んで慎重に開封されたアタッシュケースの中身は、ただの金塊だった。

 老兵たちはどよめいた。無理もない話だった。

 私たちが予想していた中身はいわゆる紙切れというやつであり、月面の資金管理会社にこれだけの額を預けていますと書かれているはずの保証書だった。まさかあのような小さなアタッシュケースの中に現物が入っているとは夢にも思わず、また遺産の額は莫大でありケースの中に閉じ込められるようなものではないと考えていた。

 ところが現実は非情だった。私たちに残されていたのはケース1つぶんの金塊だけだった。かつて帝国の国家予算3年分に相当すると言われた金銀財宝の山が、たったそれだけしか残っていなかった。

 これでは何もできない。美味しいものをたくさん食べて一生豪遊するくらいならどうということはないが、新たな事業を立ち上げるにはあまりにも脆弱な資金量だった。

 月面基地において資金管理を任されていたカーゴン准尉は金欠の理由を次の3つだとした。

「えーと申し上げます。1つにニイタカ大要塞の建設費用。2つ目は大要塞の維持費です。とにかくこの2つがお金を喰いました。3つ目はコメット社に支払った資金。重役たちを若返らせてやったのもあって、これまた巨額を要しました。その他、我々に収入がほとんど無いのも遠因となっております」

 カーゴン准尉は老眼鏡をいじくりつつ報告書を読み上げた。

 報告を聞いていた大将殿の様子は余裕そのものだった。おそらく大将殿は資金難について事前に聞かされていたのだろう。自分たちにはお金がない。それをわかった上でジャムル中佐たちを地上に呼び寄せたのだろう。

 部下たちに組織の内実を暴くことがどれだけの危険性を秘めているのか。当時の私は計り知れない不安に飲み込まれそうになった。それは老兵たちやジャムル中佐たちも同じようだった。彼らもまたわかりやすく汗をかいていた。

 私を含めて14人の帝国軍人が不安そうな顔で大将殿を見つめていた。

「ふふふ。そうとも。たったこれだけなのだ。資金にしてもそうだ。人材もそうだ。ちゃんと自分の目で見なければ危機感なんて一向に湧いてこない。我輩たちは1ダースほどの敗残兵。我輩たちに残されたのはアタッシュケース1梱の金塊。栄光あるシーマ皇帝陛下の帝国もここまで落ちぶれてしまったか。そう考えると諸君らも悲しくなってこないか?」

 大将殿は事務机付属の安っぽい椅子に座っていた。前後を逆さにした妙な座り方だった。背もたれを両腕で抱きしめるようにして、しなやかな両脚を背もたれの背骨部分に絡ませるようにして、ただただ慈しみの目を持って私たちを眺めていた。

 気づいていたようで気づけなかった帝国の落日。

 私たちが努力して手に入れたのはエード教の地位であり、エード教の領土であり、エード教の兵士だった。

 そこに帝国は無かった。

 大将殿は椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がった。狭苦しい事務所の中を甲高い金属音が飛び跳ねた。

「さあ皇帝陛下の忠臣諸君。待ちに待った戦いの時だ。出来るだけ多くを巻き込んで、凄絶に負けよう。ドストル難民を永遠の禍根の中に閉じ込めてやろう。忘れられつつある我らが帝国を彼らの恨みの中に刻み込もう。彼らは永遠に帝国を憎しみ続ける。そうすることで我々の歴史はずっとずっと語り継がれる。生きるも死ぬもあったものか。後世の人間によって書き換えられた歴史に価値などあるものか。帝国は本来の形を保ったまま意思の中に残るのだ。我輩たちの輪郭は『恨み』というドス黒いインクに囲まれて……残っていくのだ!」

 ジャムル中佐が敬礼していた。

 モデジュ少尉も敬礼していた。

 その他の准士官・下士官たちや兵卒に至るまで、みんなが敬礼していた。フェンス、ホッド、レンチ、ドニー、カーライル、月面の連中、みんなみんなが老体にムチを打って教本通りの綺麗な敬礼を大将殿に捧げていた。

 私は大将殿の意図を理解した。大将殿は本来隠しておくべき組織の弱点をあえて末端の兵士たちにまで教えることで、組織の求心力を維持しようとしていたのだ。

 帝国の遺産が枯渇したということは、それを管理する部署が必要なくなったということだ。月面にわざわざ基地を構える必要はなく、秘密基地は売り払ってジャムル中佐たちには地上で働いてもらいたい。しかし彼らは大将殿の変わり果てた姿をあまり良く思っていない。長らく大将殿に仕えてきた連中とはいえ、もしかすると裏切ってしまうかもしれない。少なくともやる気は失われてしまうだろう。それらを防ぐためにはどうすればいいか。

 さすがは大将殿といったところだった。長年の経験から人心掌握もお手の物なのだろう。

 だが当時の私には疑問に思うところがあった。老化で忘れっぽくなった老兵たちと違って、私の身体は若々しく記憶も鮮明だった。

 おかしい。絶対におかしい。真意を問いたださなければならない。

 たとえ相手が上官であろうとも、おかしいことはおかしい。

 トイレに向かった大将殿の後を追いかける。

「どうした中尉。連れションとは殊勝なことだな」

「大将殿はいったい何を考えておられるのです」

「わかりきったことだろう。部下たちをまとめるのは指揮官の仕事だ」

「そちらではありません。そっちではないんです」

 いったいどう言えばいいのか。私は迷った。

 どうにも言葉が出なかった。どういう風に言えば良いのかまるでわからなかった。適当な表現が浮かばず、私の頭は混乱するばかりだった。

「何が言いたいのかわからないが、まあ待っておいてやろう」

 大将殿はそう言い残して個室の中に入ろうとした。私はそれを食い止めた。彼の右手をひっぱり、彼の行動を邪魔した。

 考えはまだまとまっていなかったが、こうなったら言いたいことを口にするしかない。

 少しばかりズレてしまっていた修道服の頭巾をかぶり直し、私は声を張り上げた。

「失礼を承知で言わせてください。先ほどの大将殿のお言葉を聞いて、疑問に思うことがありました。ソース大将殿、私たちの目的はドストル難民に対する復讐だったはずです。ところがさっきのお話ではまるで難民を利用して自分たちの存在を後世に仕えることが主目的であったかのようでした。そのようなことでは無かったはずです。生きるとか死ぬとか、そんなことは認識の外だったはずです。自分の知らないところで何かしらの決定があったのでしたら、ぜひとも教えてください」

「なるほどそういうことか。ふむ。そうだな中尉。我輩たちがあと何年生きられるか考えてみたまえ。ほら、洗面台の鏡に映る自分の姿を良く見てみるがいい」

 私はトイレの鏡に目を向けた。映っていたのは2人の若い女性だった。大将殿は私服、私は修道服を着ていた。

 大将殿は話を続ける。

「この身体とその身体なら少なくとも80年は生きられるだろう。事故死したり病気に罹らない限りはまず大丈夫だ。しかしながら他の連中はどうだ。もう何年持つかわからないような者ばかりだろう。かといって遺伝子調整手術を受けさせられるほどの資金力はすでに失われている。我輩はあの者たちの死を止めることができないのだ。本来は最年長であるはずの我輩が生きていられて、彼らが死を迎えてしまうのは明らかにおかしい。そして申し訳ない。そんな気持ちでいっぱいになってしまい、ついあのようなことを言ってしまった。彼らがまんざらでもない顔をしていたのが救いといえばそうだ。しかし中尉は不服だったようだな」

 大将殿のしなやかな右手が私の頭まで伸びてきた。頭巾の上から頭を撫でられた私は、大将殿の穏やかな顔つきに対してどうにもならない憤りを感じた。

 そもそも大将殿の答えは答えになっていなかった。私の質問が悪かったのもあるが、微妙に的を外していた。

 私が聞きたかったのはそちらではない。

 そちらではなかった。

 あなたはこの作戦が終わった後も生きるつもりなのですか。

 老兵たちが死んだ後も、この世に身を置いたままでいるつもりなのですか。

 聞きたくてたまらなかった。

 しかし私にそれらを尋ねたり叱責したり詰問したりする権利はなかった。

 なぜなら私もまた若い女性の姿でこの世を生きているからだ。

 自らもまた、これから長生きできるであろう身体を持っているというのに、それを断罪しようなど、ちゃんちゃらおかしい。

 とりあえず矛はしまっておくことにした。

 だが私の心に不満が生まれたのは事実だった。不満というより「もやもや」といったほうが良いのかもしれない。

 言葉になる疑念からそうでない疑念まで、私の心の中はそのような「もやもや」でいっぱいになった。考えれば考えるほど答えは出ず、形のない魔物によって心臓を抑えつけられているような気分になった。

 やがてそれらは苛立ちへと姿を変えて、私の意志を蝕むようになった。

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