5 建軍計画
トラギン率いる第5戦隊がニイタカ山を去ってから2週間が経った頃、かねてから病床に伏せっていたチャプチップス氏はメージ家の家督を愛娘のチョイスマリーに譲ると宣言した。
私はチョイスマリーとそれなりに仲が良かったため、この慶事を素直に喜んだ。大将殿も気難しい老人よりはチョイスマリーのほうが扱いやすいと考えていたらしく、彼女にお祝いの花束を贈呈していた。ところが当のチョイスマリーはあまり乗り気でないようだった。
どうして家督を継ぎたくないのか、当時の私はチョイスマリーに聞いてみたことがある。
すると次のような言葉が返ってきた。
「いやだってさ。家督を継ぐってことは当主になるってことでしょ。そうなるとあたしはニイタカ山の支配者になっちゃうわけよね。いやいやいや。そんなもんになっちゃったら、その辺で立ちションなんか出来なくなるじゃない。ナルナちゃんは耐えられる? あたしは耐えられない」
名家の箱入り娘がそんな下品な言葉を使ってはいけません。私はそう言いたくなるのを必死でこらえた。
結局、家督相続の話は本人の反対によって立ち消えとなったが、チョイスマリーはチャプチップス氏の名代としてメージ家の仕事を実質的に取り仕切ることになった。こうなるともはや家督を継いだのと同じだった。親の仕事を無理やり押し付けられた彼女は不満そうにしていた。
大将殿はチャプチップス氏の突然の引退宣言を訝しげな目で見ていたが、あまり深入りはしなかった。
トラギンが去ってからもニイタカ山にはセルロン軍の駐在官が残っていた。私たちは彼らの目をごまかしながら。来るべき戦争に向けて戦時動員計画を実行する必要があった。
大将殿は最初にトラギンの来襲でお蔵入りとなっていたドストル難民の徴兵計画を復活させた。ショート・チゴの提言により、難民たちは「避難訓練」の名目で集められることになった。
ニイタカ山の山頂にある聖ムーンライト教会に集められた30人の難民たち。彼らには簡単な試験を受けてもらった。試験の内容は学力を測るものよりエード教への忠誠心を試すようなものが多かった。
この試験に合格した難民だけが大要塞の中で軍事教練を受けることになった。
「どうですハーフィ様。この方式ならば忠誠心を持った強い軍隊を作ることができますし、さらには外部への情報漏洩を防ぐこともできます。我ながら最高のアイデアを生み出したと自負しておりますよ! ええ!」
「よくやってくれたショート。さすがは我輩の義弟だ」
大将殿に褒められたショートは鼻高々だった。
私は何ともいえない微妙な気分に襲われたが、あまり気にしないように努めた。
ショートが集めたドストル難民たちを実際に指導するのは老兵たちの仕事だった。実戦経験豊富な彼らは仮面で顔を隠しながら難民たちを鍛えた。素顔を隠した理由はいわずもがな、かつて嵐のごとくエード教の重鎮たちを殺し回った彼らは当然のように敵視されていたためである。集めた難民たちの中に彼らの顔を知る者がいた場合、混乱は避けられないと考えられた。仮面はそのための処置だった。
老兵たちは難民たちから仮面教官として恐れられた。素顔が見えないぶん不気味だったらしい。
大将殿は兵士育成計画をどんどん拡充させていった。聖ムーンライト教会には毎週のようにドストル難民が集められた。軍事教練を受ける難民の数は雪だるま式に膨らんでいった。
こうなると6人の老兵ではとうてい手に負えなくなってきた。大将殿は事実上の士官学校であったエード騎士修道会の卒業生たちを教官に任命することでこの人材不足を乗り切った。1人あたり30人程度のクラスを受け持つことになった卒業生たちは、慣れない指導に試行錯誤しながらも人を動かすことに慣れていった。
軍事教練はとにかく実戦的であることが望まれた。帝国軍の新兵指導要領を元に、儀礼部分を徹底的に排除した訓練計画が立てられた。これは軍事教練を12ヶ月という短期間で終わらせるための苦肉の策でもあった。
難民たちは厳しい指導を受けていく中で肉体的に育っていった。見た目だけなら歴戦の兵士と言われても疑わないくらいのものがあった。軍隊の設立はまだ行われていなかったが彼らには特注の制服が与えられた。
6ヶ月の基礎訓練を終えた新兵たちは2つの組織に分けられた。
1つは地上部隊。小銃や対艦砲でニイタカ山を守備する兵士たちである。
もう1つは艦船部隊。この部隊の兵士にはコメット社から購入したC型巡洋艦に乗り込んでもらった。
いわば実戦部隊のようなものに配属された新兵たちは、老兵たちや卒業生たちの下で様々な戦闘技術を身につけていった。
時にはコメット社の技術者やクワッドの軍人を呼びつけて、C型巡洋艦の試験飛行や対艦砲の試射を行うこともあった。セルロン軍に怪しまれるとまずいため、これらの訓練は大要塞の中で行われた。試射については要塞を大きく壊すわけにはいかなかったので空包で我慢してもらった。
これらの訓練が行われている様子を大将殿はよく眺めに行っていた。秘書官である私もそれに付き従った。120名の新兵たちからなる中隊が、4列縦隊を組んで要塞の中をランニングしていた時などは、懐かしさのあまり思わず大将殿に抱きついてしまったこともあった。帝国軍という組織自体にはあまり愛着のない私だったが、若き日を過ごした士官学校時代の雰囲気をそこはかとなく感じとってしまうことがあり、それが私の涙を誘ったのだった。
一方で大将殿は複雑そうな顔をしていた。
当時の私には彼がどうしてそのような顔をしているのか、わからなかった。
新兵の多くは熱心なエード教徒だったため厳しい訓練にもよく耐えていた。
一方で少なくない数の新兵たちが大要塞からの脱走を図っていた。深夜中に兵舎を抜け出した彼らは、一心不乱に地下訓練場から逃げ出そうとした。ところが逃げ出そうにも地下訓練場には出入口が2つしかなく、しかも電子的な錠前が掛けられていた。すなわち中央管制室のコンピューターを操作しない限り、2つの出入口が開放されることはなかった。要するに個人でどうにかできる代物ではなかったのだ。
相次ぐ脱走を受けて大将殿は思想教育の授業を行うようになった。
3000人ほどの新兵たちがニイタカ大要塞の大劇場に集められた。押し寄せる人波、いや実際には押し寄せてなどいなかったのだが、さすがに6000個もの目玉に見つめられてしまうと心の底から怯えたような感情が湧き起こってきた。
顔の紅潮と胸の高鳴りを抑えつつ、私は舞台の右端に設けられた司会台からマイクを通じて新兵たちに話しかけた。
「みなさんおはようございます。ドストル修道会のナルナ・タスです。今日は教練の前にちょっとしたお話があります。私からではなく壇上にいらっしゃるハーフィ司教からのお話です。しっかりと聞いてくださいね」
「はい。御紹介に預かりましたハーフィ・ベリチッカです。ありがとうねナルナさん。みなさんおはようございます。朝早くから集まっていただきまして、誠に嬉しく思います」
大将殿も舞台の上から新兵たちに語りかける。
老兵たちの操るスポットライトが修道服のなだらかな起伏を照らし出していた。黒衣の下に隠された実り豊かな体躯は、見る者を虜にしてしまう。出産経験などまるで感じられない。大将殿の醸し出す色香は修道服ぐらいで隠し切れるものではない。大将殿の身体はそういう風に出来ている。
生粋の女性であるチョイスマリーの助言も相まって、大将殿は嫌みのない可憐さを手にしていた。経験と研鑽を重ねたそれは、より洗練されたものとなっていった。
舞台袖の司会台から壇上の大将殿を眺める。私の隣にはモデジュ少尉もいた。彼は複雑そうな顔で大将殿の講演に耳を傾けていた。
私たちが企画した思想教育はたった1つの単純な思想を元に形成されていた。
ニイタカ山のドストル難民たちを戦争に連れていくための一番手っ取り早い理由付け、彼らを永遠の憎悪の中に閉じ込めるという目的を達成するためには最も有効だと思われる洗脳と扇動の方向性。
ドストル難民たちに帝国を恨ませる。
「皆さんはエード教の戦士です。エード教とニイタカ山を守る屈強な戦士です。わたしもまたそうです。このハーフィ・ベリチッカが皆さんを大要塞に集めたのは稀有なるエード教を守るためです。そしてわたしには夢があります。セルロン政府とハンクマン革命政府を影で操る旧帝国勢力を捕らえて、中部地方にエード教の王道楽土を築くことです」
大将殿は力強く訴えた。
観衆の新兵たちはざわついていた。彼らは自分たちのことをニイタカ山の治安維持要員だと捉えていた。もしくは東西ニイタカ州の自治を守るための示威要員だと認識していた。これはショートや老兵たちが募集の時にそういう口ぶりで彼らを集めたことが原因だった。
新兵たちが混乱する中、大将殿は壇上で講演を続けた。
セルロン政府がエード教を踏みつぶそうとするのなら、などという全く根拠のない話から、建国以来戦争ばかりしているセルロン政府軍を影で操っているのは帝国軍であるとするクソったれた陰謀論まで、ありとあらゆる『薄っぺらい話』を壇上に積み上げていった。そして多方面の話題から少しずつ確実に、ゆっくりと熟成するかのようなゆるやかさをもって『帝国軍は悪の組織である』という思想を新兵たちに認識させていった。
――エード教は悪を打ち破る力を持っていて、私たちこそがその尖兵である。
「皆さんの訓練が終わる頃、わたしは皆さんをエード騎士団と名付けたいと考えています。すでに設立済みのエード騎士修道会を母体とするエード教の騎士団です。八百万の神々の総体意思を受け継ぐ、現世の西征陸軍とでも申しましょうか。もっともあれほどの高尚なものではありませんが……わたしはただ、相次ぐ覇権戦争に苦しむセルロンやハンクマンの人たちに救いの手を差し伸べたい、ドストル修道会がドストルから落ち延びてきた難民たちを助けたように、エード教自身もまた人々を救うべきだと、そう考えています」
大将殿はさりげなくセルロン政府の戦争を覇権戦争だと決めつけた。国家の覇権を賭けたくだらない戦争であると新兵たちを諭した。そして自分たちがこれから遂行する戦争は正義の戦争なのだと、暗に知らしめた。
「だから、わたしは皆さんに謝りたいと思います。本当の理由を隠していてごめんなさい……そしてお願いします。わたしを手伝ってください。司教だとか重鎮だとか言われてもわたしは所詮ただの女です。1人では何もできません。しかしここにいる皆さんが共に戦ってくださるのなら、きっとわたしたちは中部に住む全ての人々を救うことができます。きっとです。約束します」
心細そうな声をひねり出し、頭を下げ、頭巾を取り、また頭を下げて、最後には大義を信じるように叫ぶ。
大将殿はショートの書いた台本を演じきった。新兵たちは自分たちの宗教指導者が頭を下げたことに衝撃を受けたようだった。
このような授業が月に1度は行われた。さすがに2度目以降は感情を揺さぶるような発言を差し控えてもらったが、壇上に立った大将殿はひたすら王道楽土について説いていた。
提示された理想的な未来がちょっとした努力でやってくる。そういう文句に人は弱い。新兵たちの多くは来るべき救済の時を待ちわびるようになった。粗暴な行いが目立っていたとある新兵もすっかり真面目になってしまった。
中にはいつまで経っても言うことを聞かず兵舎からの脱走を繰り返す者もいたが、やがて姿を見なくなった。老兵たちは逃げ出したと説明していたが、おそらくは彼らの自動小銃が火を噴いたのだろう。
明確な意志を持った軍隊は手強い。そんなモデジュ少尉の言葉通り新兵たちはどんどん強くなっていった。
チャプチップス氏の民兵隊ぐらいなら巡洋艦を使わずとも制圧できるのではないか。
当時の新兵たちにはそう思わせるほどの迫力があった。
彼らは大将殿の提唱する「王道楽土」の建設を目指して日々努力していた。一方で、大要塞から逃げようとすると最悪の場合仮面をかぶった老兵たちに殺されてしまうかもしれない。だったらいっそのこと頑張ってみようじゃないの。そんな半ばヤケクソとでも言うべき思考が彼らの頭の中を席巻しているようにも見えた。
ニイタカ大要塞の地下練兵場は発足してからの1年間で9000人もの兵士を生み出した。エード騎士修道会の卒業生340人を合わせても私たちの総兵力は約9340人。セルロン政府軍の総兵力80万とは比べるまでもない数だったが、大将殿はこれだけの兵力でも十分戦争ができると踏んでいた。
「要するにセルロンが我輩たちの存在を恐れる程度の戦力があればいいわけだ。あいつらが本気を出してくれないとニイタカ山は燃え尽きてくれない。1万人の兵士と8隻の巡洋艦。これだけあれば大丈夫だ。セルロン軍は全力で我々エード騎士団を叩いてくれるだろう」
事務所のローテーブルに大きな地図が広げられていた。帝国時代の中部地図だった。
大将殿は紅茶を嗜みながら机上演習に興じていた。段ボールの切れ端で作ったコマにはそれぞれ簡単な説明文が記されており、またセルロン軍のコマは三角形、エード騎士団のコマは四角形と、所属勢力が一目でわかるように工夫が凝らされていた。
地図の上は三角形のコマでいっぱいになっていた。
「どうだナルナ中尉。見てばかりいないで我輩の相手をしてくれないか」
「いえ。私は見ているだけで十分です」
「なかなか気分がいいものだぞ、総大将というのは。あくまで架空の話ではあるが我輩はセルロン政府軍の総司令官だ。こうやってトラギンの部隊をニイタカ山にぶつけることもできる」
大将殿は持っていたコマをニイタカ山の近く、ドップラーあたりに置いた。コマには端正な字で『宇宙軍第5戦隊』と書かれていた。その下には『わりと強い』との文字もあった。
地図の上でトラギンの部隊と対峙していたのは『エード騎士団第1艦隊(仮)』だった。戦力評価は『それなり』。
「ふふふ。まるで子供の遊びみたいだろう。将棋にも通じるところがあるからな。もっとも昔の我輩はこれ以上の兵力を指揮していた。こんなどころじゃなかった。そうだ中尉にこれをやろう。中尉の好きなところに置いてみるといい」
「わかりました」
私は四角形のコマを受け取った。当時の大将殿はよほど対戦相手が欲しかったと見える。
渡されたコマには『エード騎士団第2艦隊(仮)』と記されていた。私は地図の上をよくよく観察した。本拠地のニイタカ山はエード騎士団の歩兵部隊と対艦砲部隊が守っている。ここは彼らに任せて大丈夫だろう。
目の前で大将殿が微笑んでいた。綺麗な方だ。身をゆだねている紅色のソファと、ブロンドの髪が微妙に交錯していてよく映えている。私服の胸元には4列36連にもなる略綬が添えられていた。一介の中尉に過ぎない私には略綬のどれがどういう勲章を表しているのかよくわからなかったが、帝国時代の重臣たちが付けていたものと同じ構成だった。
ちなみに32個のバッヂをわざわざ私服に縫い付けたかというとそうではない。あれはリボンラックと呼ばれるハリガネで1列ずつまとめられており、取り付け取り外しは容易なのだ。
私は『エード騎士団第2艦隊(仮)』のコマをトラギンの部隊『宇宙軍第5戦隊』の背後に置いた。トラギンの部隊は前後をエード艦隊に塞がれてしまった。いわゆる挟み撃ちだ。2つの艦隊に挟まれてしまえば長くはもたないだろう。トラギンの狼狽ぶりが目に浮かんだ。
ところが大将殿は私がコマを置いた途端、ニヤリと顔を緩ませて、右手に持っていた6枚のコマを主戦場の近辺にばら撒いた。
「中尉はマヌケだな。あーうむ。んんっと。我はセルロン軍の偉大なる将軍。セルロン宇宙軍の第1戦隊および第2から第4、第6と第7、合わせて6個戦隊からなる任務艦隊、栄光あるエンドラ・プック元帥大将殿の御命令を受けて、愚劣なトラク・トラギン中将率いる第5戦隊を御助けに参りましたぞよ!」
大将殿の言葉を借りさせてもらえば、まさにそんなような具合だった。
トラギンの部隊を包囲していたエード騎士団の艦隊は、セルロン宇宙軍の全戦力によって逆包囲されてしまった。2枚のコマを6枚のコマが囲んでいた。こうなっては勝てるはずもない。
「つまりはこういうことだ。いくら我輩たちが努力しようが結果は変わらない。だから暇だったのだよ。勝ち目がある戦いならば頭を働かせて色々と考えるが、これではやる気が起きない。もっとも宇宙軍の連中には宇宙空間の治安を守るという重大な使命があるから、こんなにわらわらとやってくることはないだろうがな」
ばら撒かれたコマが大将殿の手元に戻された。もうちょっと考えてみろ。大将殿は得意げに笑っていた。
私は『エード騎士団第2艦隊(仮)』のコマを拾い上げて、セルロン政府の首都であるセルロン市の前に置いた。どこに置いてもいいのなら敵国の首都を狙ってみるのが定石だろう。
対する大将殿は、ここでも宇宙軍のコマを主戦場にばら撒いた。さらには首都にセルロン地上軍の防衛艦隊を積み上げた。
本当に勝ち目のない戦争なんだなあと感心した反面、ちょっとぐらい手加減してくれても良いのになあと思った覚えがある。