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2 誕生

 遺伝子調整手術を受けた大将殿は少しずつ若々しさを取り戻していった。

 DNAは肉体の設計図だ。人間の身体は新陳代謝で日々生まれ変わっている。だからDNAを若返らせても、すぐに若人のような身体に変わるわけではない。新しいDNAを基にした細胞が生まれ、それが身体を構成するようになるまでは完璧な状態とは言えなかった。

 おおよそ3ヶ月かけて大将殿は若き日の姿を取り戻した。100年前の写真とほぼそっくりな容姿になっていた。ほくろの位置に差こそあれど、その出来栄えに大将殿は喜んだ。

 大将殿の老死は回避された。

 みずみずしい肉体を手に入れた大将殿はさっそく復讐の計画を始動させた。

 まずはドストル難民に近代国家を形成させることが当面の目標となった。セルロンに対して戦争を仕掛けられるような国家を作り上げてもらい、実際に戦争してもらうことが私たちの最終目的だった。

 セルロンに勝てる国など、この世に存在しないのだから、いざ戦争となればドストル難民はみんなボロボロになってしまうことだろう。セルロン軍の艦隊によって彼らのニイタカ山は火の海と化すだろう。

 復讐計画の工程表を書き上げた大将殿と老兵たちは不敵な笑みを浮かべていた。

 なお工程表の内容を要約すると、次のような具合になる。


 第1段階・ニイタカ山を近代化させる。

 第2段階・ドストル難民の軍隊を作る。

 第3段階・セルロンに宣戦布告する。

 第4段階・戦争に負ける。

 最終段階・ボロボロになったニイタカ山から逃げる。


 私たちは警察の監視をかいくぐって東ニイタカ州に潜入した。古びたアパートを拠点として様々な活動を行った。

 当時のドストル難民たちの生活はひどいものだった。略奪が横行するニイタカ山はまるで戦場のようだった。心の荒みきった彼らに希望などはなく、ただ帝国や自分たちを捨てたセルロン政府への恨みつらみを糧に毎日を生きていた。

 そんな苦しい状況を生きる難民たちに「みんなで協力して新しい国家を築こう」などと言ってみたところで、返ってくる言葉は「いいから金を出せ」くらいのもので、雇い入れた運動員たちはたちまち身銭を奪い取られてしまった。

 大将殿が帝国の国庫から持ち出した資金には余裕があった。金塊のほとんどは月面の秘密基地に保管されていたが、手元の資金だけでもかなりの額があった。大将殿はこの財力を生かして食べ物を買い集めた。そしてニイタカのドストル難民たちにパンや乾燥パスタなどを分け与えようと考えた。

 食べ物で人々を釣る作戦は成功したかに見えた。だが実際は毒が入っているのではないかと怪しむ者が多く、また食べ物を受け取ってくれたとしても私たちの建国運動に参加してくれる者はまるでいなかった。

 この状況を大将殿は「我々に信用がないからこうなったのだ」と分析した。

 ドストル難民の心は荒んでいた。身内すら信用できない難民の社会において、よそ者は完全なる敵であった。

 困り果てた私たちの前に1人の修道女が通りがかった。

 東ニイタカ州と西ニイタカ州のいわゆるニイタカ山地域にはエード教という土着宗教が存在した。エード教は旧世界の基督教と神道が混ざり合った独特の宗教だった。

 荒みきったドストル難民たちはこのエード教を心の拠り所にしていた。大将殿はこれに目をつけた。

 宗教の力を使ってドストル難民たちを統制してやろう。

 大将殿はさっそく行動を起こした。ニイタカ山のふもとにあるエード教の総本山に部下を派遣して、修道女と牧師たちを買収しようと企んだ。

 ところがエード教の教義を何よりも大切にしていた教会の連中はこの申し出を拒否した。

 外から攻め落とせないのなら中から侵略するまで。諦めることを知らない大将殿は、エード教の傘下団体だったドストル修道会に目をつけた。

 ドストル修道会は難民たちを支援するための慈善団体だった。彼らはニイタカ山の頂上にある聖ムーンライト教会を拠点に様々な慈善活動を行っていた。そのためドストル難民からの評判も良かった。

 大将殿は彼らを買収すべく、この私を派遣した。

 山の頂上に向かった私はぜえぜえ言いながらも教会に到着した。そしてアタッシュケースに詰めた大量の金塊をドストル修道会の連中に見せつけた。

 修道会を率いるチャプチップス・メージ氏は、私が持ってきた金塊をゴミ箱に投げつけた。

「残念ながら俺は大富豪だ! 金ならいくらでもある!」

 その言葉に私は言葉を失った。

 大金を使っての買い物がこれほど難しいとは思わなかった。

 これでは大将殿に申し訳が立たない。どうにかしてエード教に接近する方法を持ち帰ろう。

 聖ムーンライト教会から追い出された私は、教会前の掲示板で1枚のポスターを発見した。

 ポスターには「ボランティア募集」の文字があった。潤沢な資金を持つドストル修道会には人材が足りないようだった。

 私はポスターを勝手に持ち帰った。大将殿と老兵たちはポスターの内容を食い入るように見つめた。

「これだ!」

「これしか無いですぞソース大将殿!」

「やりましょう! やりましょうぞ!」

 嬉しそうに声を上げる老兵たちとは対照的に、大将殿の顔は晴れなかった。

 大将殿はポスターの募集条件のところを指差した。そこには「募集条件:20代の若い女性」と書かれていた。

 帝国軍人には男性しかなれなかった。ゆえに大将殿の部下たちはみんな男だった。老いた男性が募集会場に行ったところで門前払いを喰らうに違いない。これではどうにもならない。

 老兵の1人が「若い難民の女を買収してはどうか」と提案した。

 大将殿は首を振った。

「この街の人々はまるで信用に足らない。金を渡しても逃げられるのが関の山だろう。他の地域に住む者も同じことだ。我輩は帝国軍人のみを信頼している。我らの願いを成し遂げる以上、我ら自身で行動を起こすべきだ」

「ではいったいどうするのです」

「遺伝子調整手術で若い女性を作り出せばいい」

 決断を下した男の目はどこまでも鋭かった。大将殿は自分の全てを帝国に捧げようとしていた。あくまで帝国に忠誠を誓う彼の姿はとても尊いもののように見えた。


 偽造したパスポートで月面へと赴いた私たちは、例の裏病院と連絡を取った。

 資金には余裕があった。初老の外科医に金塊を渡した大将殿は、私をトイレに呼びつけた。

 トイレの手洗い場には大きな鏡が飾られており、そこに映った私の姿はよぼよぼのおじいさんだった。思えば年を取ったものだ。私は時の流れを痛感した。一方で大将殿は若々しい姿を保っていた。私はそれをうらやましく思った。

「ナルナ・タス中尉、君にも手術を受けてもらう」

 大将殿のその言葉に私は喜んだ。こんな機会でもなければ個人的に受けることなど困難な手術だ。若い身体を取り戻せば大将殿のように活発に動くことができる。道路の段差を気にせずに歩くことができる。疲れた時に乗っている車椅子にも縁が無くなる。

 多少の問題こそあれ、夢の手術であることに違いはない。

 若返りたい。昔のように軽やかな足取りで街を歩きたい。

 私は曲がりきった背骨をできるだけ元に戻して、足を懸命に揃えて見せた。私がおでこに右手を当てて敬礼すると大将殿はきっちり返礼してくれた。

「これから我々は幽霊となる。帝国の亡霊だ。実体こそ違えど我々はシーマ皇帝陛下の臣下であり続けなければならない。だからこそ精神の足場を整えておくべきだ。君は君でいてくれ。そうすれば我輩もタラコ・ソース大将でいられる」

 大将殿の言葉の意味はよくわからなかった。

 遺伝子調整手術を受けた人間が自己の連続性を失い、自分が自分である自信を喪失してしまうという話は聞いていたが、いくつもの戦争を主導してきた大将殿がそんなに脆い精神を持っているとは思えなかった。当時の私は大将殿をそういう風に見ていた。

 トイレから待合室に戻ると医師たちが待っていた。

 大将殿と私はいくつかの書類にサインをした。

 その後ベッドに移り、医師に全身麻酔の注射を打ってもらった。

 酸素マスクを付けてもらった後、私はだんだんと眠りの中に閉じ込められていった。


 手術は成功した。大将殿と私はベッドから起き上がることができた。

 身体がすぐには変わらないことはわかっていた。手術後の私は以前と同じただのおじいさんだった。

 月面からニイタカ山のアパートに戻り、1ヶ月が過ぎた頃には変化が訪れるようになった。骨が丈夫になり歩くのが楽になった。視界も鮮明になった。

 2ヶ月、3ヶ月と経ったところで私は若い女性の姿を得た。

 私はビックリした。どうして女性なのか。そういえばドストル修道会に潜入する作戦だった。だからこそ若い女性が必要だった。このことをすっかり忘れていた私はてっきり若い頃の姿に戻れるものだと勘違いしていたので、鏡に映るその姿があまりに違いすぎたことに驚いてしまった。道理で他の老兵たちが私の境遇を羨ましがらないわけだった。

 大将殿から説明を受けた私は納得した。

 自分を失う。大将殿が言った幽霊になるとはこういうことだった。私は確かに自分を構成するものを失った。だが命ぜられた以上は仕方がない。私は大将殿の役に立ちたかった。

 大将殿はその姿を大きく変えていた。突き抜けて美しく、若いながらもどことなく母性を感じさせた。黒い修道服の裏にブロンドの長髪と扇情的な体躯を隠して、大将殿はドストル修道会に参加した。付き従う私もそこに身を置いた。

 帝国軍人として著名だった大将殿はハーフィ・ベリチッカという偽名を名乗った。私のほうは本名で参加した。

 ドストル修道会での活動は厳しいものだった。女性用の修道服は裾が長いため動きにくくボランティア活動を行うには不向きだった。だがエード教の傘下団体で働く以上はこの服を着るしかなかった。また炊き出しや病人の看護など仕事自体が大変だった。

 若さを取り戻した私は一生懸命に働いた。以前よりもよく動くようになったこの身体はいくら使おうとも疲労が溜まることはなかった。計画のためとはいえこうして働くことは気分のいいものだった。

 大将殿は他の部下たちに命じてニイタカ山の治安を改善させようとした。ニイタカのドストル難民たちからエード教の関係者はすべからく信頼されており、修道服を着た大将殿に率いられた老人たちが難民から襲われることはなかった。この力関係を利用して大将殿はパトロールを始めた。

 怒号が絶えなかった街中で大将殿は難民たちに優しく声をかけた。容姿に優れた大将殿はたちまち周辺の人気者となった。

 泥棒を働いた者や暴力を働く者には老兵たちの銃口が向けられた。彼らは帝国軍の制服から一般的な私服に着替えていたが元々は優秀な軍人だった。眼光鋭く標的を見つめるその姿は、発砲せずとも相手をおびえさせた。

 まるでアメとムチだった。

 大将殿の作戦は非常に上手くいった。

 人数に限りがあったため広い範囲を見回ることはできなかったが、少なくとも聖ムーンライト教会周辺の治安は格段に良くなった。

 この功績が認められた大将殿はボランティアから正式な修道女に格上げされた。

 ドストル修道会のチャプチップス・メージ氏は大将殿の作戦を参考にして、修道女と武装民兵の巡回をより多く行わせることにした。大将殿は修道会の首領からその働きを認められたのだった。

 確固たる地位を手に入れた大将殿は次なる作戦に打って出た。それはニイタカの街を大掃除することだった。

 割れ窓理論という言葉がある。道路沿いの民家の窓が割れていると周辺で犯罪が起きやすくなるというものだ。これについては旧時代の頃からいろいろと意見が交わされており、中には何の関係もないとする人もいたようだが、帝国が支配していた時代は毎日のように巡回の役人たちが街の掃除を行っていた。思い出してみればあの頃は確かに治安が良かった。街並みが綺麗だと心も清らかになるのだろうか。

 是非はさておき大将殿はこの理論を信じていた。

 命令を受けた私はセルロン市やドップラー市の掃除業者に電話をかけた。彼らのうちのほとんどはニイタカの治安の悪さを恐れていた。

 私はチャプチップス氏に掃除業者を守ってもらうようお願いした。チャプチップス氏は大将殿がやろうとしていることに驚いたようだったが、笑って許してくれた。

 チャプチップス氏の民兵隊が掃除業者を護衛すると宣言したところ、たくさんの掃除夫がセルロン領内からニイタカに集まってきた。大将殿は彼らに潤沢な賃金を与えた。おかげで大掃除は順調に進み、ニイタカの街並みは綺麗になっていった。

 表通りが整えられると、ドストル難民たちの起こす犯罪は自然と路地裏に集中していった。監視の目が届かない暗い場所では相変わらず略奪や暴行事件が続いたが、一方で表通りの治安は難民が押し寄せる前のニイタカに近い状態まで改善された。

 ニイタカの街は平和になった。

 チャプチップス氏は大将殿の働きを褒め称えた。ドストル難民たちの間で大将殿はある種の信仰の対象となっていった。

 ドストル修道会の可憐な修道女がニイタカの街を変えた。

 大将殿は一気に有名人となった。老兵たちと街を練り歩く大将殿にはたくさんの声がかかった。大将殿は声をかけてきた難民たちに優しげな笑顔を見せた。人々は熱狂した。大将殿は声を上げて笑った。

 その後も大将殿は様々な作戦でニイタカの街を良くしていった。

 セルロン政府から見捨てられたニイタカ山には公立の学校が無かった。そこでドストル修道会の修道女を教師とする教育の場を築くことになった。

 大将殿が作った学校には老若男女のドストル難民が集まってきた。戦争を起こすためには兵士が必要だった。近代兵器を操る兵士を育てるにはまず難民たちに初等教育を施さねばならなかった。

 大将殿はドストル難民たちを近代的な市民に育てていった。その目的は当初と同じく「セルロンと戦争を起こしてドストル難民を破滅させる」ところにあった。ドストル難民は大将殿に希望を見出したが、大将殿はそんな彼らを凄惨な未来に導こうとしていた。

 互いを憎しみ合うドストル難民と帝国軍人の、歪な共生だった。


 大将殿はニイタカに住むドストル難民たちから手堅い支持を得た。彼が次に狙ったのはエード教内部での地位だった。

 ドストル修道会は規模こそ大きいが所詮はエード教傘下の慈善団体に過ぎず、ニイタカ山を支配するためにはエード教そのものを動かす必要があった。

 チャプチップス氏から許可をもらった大将殿と私はエード教の総本山で働くことになった。

 かつて大将殿からの買収の申し出を断っただけあって、総本山の牧師や修道女、職員たちは清廉な精神を持って日々を生きていた。

 総本山で地位を得るには学歴と勤続年数が必要だった。つまり神学校を卒業しておらず、かつエード教で働き出したばかりの大将殿や私には仕事が来なかった。

 困った大将殿は自ら仕事をもらいに出かけた。エード教の総本山はニイタカ山のふもとにあった。壮大な教会建築が立ち並ぶ総本山を大将殿は歩き回った。私もそれに付き従った。

 だが仕事は見つからなかった。神学校を出ていない私たちはエード教の重鎮たちに信用されていなかった。若い修道女たちの中には大将殿の社会的人気に嫉妬していた者もおり、総本山での大将殿の評判は悪かった。

 黒衣の修道服を身にまとい、ひたすらに教会を駆け巡る毎日はあまり面白いものではなかった。暑い日には黒衣が邪魔になった。下着も蒸れて気分が悪かった。大将殿に付き従う者としても耐え難い日々だった。

 このままではいつまで経ってもエード教を支配することなど叶わない。

 大将殿はいつもの古アパートに部下たちを集めた。エード教内部の調略がなかなか進んでいないことを老兵たちに報告した大将殿は、彼らにある提案を持ちかけた。

 提案というより許可を得たかったのかもしれない。いつも命令を出すばかりだった大将殿が、この時はやけに悩んでいた様子だった。

 考えてみれば悩むのも当たり前だ。大将殿はエード教の幹部に政略結婚を仕掛けようとしていた。

 ノーカト・チゴという男がいた。チゴ家は代々神職を輩出してきたドストルの名家で、ノーカト自身もエード教の重鎮の1人だった。若いながらも有能な人物だったらしく他の重鎮たちからの覚えも良かった。何よりまだ未婚だった。

 この男を落とせば大将殿は重鎮婦人となる。結婚さえできれば後はこちらのものだ。殺すなり自殺に見せかけるなりしてノーカトを葬り去り、大将殿はチゴ家の未亡人としてノーカトの責務を継げばいい。

 理屈はわかるが納得できない話だった。

 優れた艦隊指揮官であり帝国を復活させたこともある、いわば歴史上の英雄と言っても過言ではないタラコ・ソース大将が若い男と契りを結ぶ。

 大将殿の部下である私たちにとってそれは理解のできない事象だった。

 老兵たちは大将殿を説得した。考えなおしてください。悩んでおられるのなら無理はしないでください。

 まるで孫娘を相手にしているような口ぶりだった。

 私は何も言わなかった。心情的に嫌な作戦ではあったが、一番手っ取り早い方策でもあったからだ。

 アパートの中は老人たちの声であふれていた。大将殿が小さく手を叩くと老兵たちは途端に喋るのをやめた。

 大将殿は私のことをしばらく見つめてから、意を決した面持ちで老兵たちに語りかけた。

「諸君が我輩を心配してくれるのは嬉しいが混乱するのは避けたい。ならば指揮官たる我輩が皇帝陛下からいただいた裁量権を元に判断しよう。我輩は政略結婚を断行する。諸君らは共同してこれを成し遂げるのだ。よろしいか!」

 かくして賽は投げられた。

 私と老兵たちはノーカト・チゴの個人情報を集めた。

 趣味趣向から生年月日、家族構成、血液型に至るまでありとあらゆる情報を収集して、大将殿に報告した。

 大将殿は受け取った個人情報を元にノーカトに接近した。

 ノーカトの趣味は古跡探訪だったため、大将殿は古代史を勉強した。セルロンから専門書を取り寄せたこともあった。ノーカトが中華料理に凝っているとわかると大将殿は毎晩のように調理場に立った。大将殿が作った料理を食べるのは私の仕事だった。年老いた帝国軍人たちは辛いものが食べられず、彼らは香辛料の臭いに辟易していた。

 俺たちは何をやっているんだろうなあ。

 老兵たちは珍しく愚痴をこぼしていたが、私はこの状況を少しだけ楽しんでいた。

 そうしているうちにノーカトのほうから大将殿を誘ってくることが増えてきた。

 可憐な顔立ちと扇情的な身体を併せ持つ大将殿に優しくされてしまえば、そこらの男などはわりとあっさり釣れてしまえるようだった。

 ノーカトと大将殿の交際はとんとん拍子に進んだ。

 私は半年かけてノーカトの両親や一族郎党の個人情報を集めた。ところがそれを大将殿に提出したところ「これぐらいはみんな知ってることだ」と言われてしまった。ノーカト自身が大将殿に情報を渡したようだった。もはや婚約は秒読みだった。

 この頃からだろうか。大将殿は私を自室に呼びつけていろいろと話をするようになった。

 帝国軍の裏話やノーカトの失敗談などもよく話してくれたが、一番多かった話題はシーマ皇帝の話だった。どんなに他の話題で盛り上がることがあっても、就寝前には決まって皇帝についての話をしてくれた。

 どうして大将殿は皇帝の話ばかりするのか。当時の私にはわからなかった。ただ大将殿は人生経験が豊富なだけあって語り方が上手く、どの話も夢中になって聞くことができた。それについては皇帝の話も例外ではなかった。

 やがて大将殿とノーカト・チゴは結ばれた。

 彼らの結婚式には私も仕事仲間として参列した。顔を隠す必要があった老兵たちにはアパートで待ってもらった。

 ドストルでは名の知れた名家であるチゴ家の御曹司と、ニイタカ山を変えた修道女が結ばれる。ドストル難民たちはその様子を一目見ようと結婚式場に押しかけた。式場に選ばれていたのはチャプチップス氏の聖ムーンライト教会だった。彼の民兵隊は結婚式の警護で忙しそうにしていた。

 エード教の結婚式は神式と呼ばれつつも基督教のものと同じ具合だった。白いドレスに身を包んだ大将殿と背広を着込んだノーカト・チゴは、手を取り合って教会の壇上に上がった。

 神父役を務めるのはチャプチップス氏だった。

 彼の前で大将殿とノーカトは永遠の愛を誓った。

 その後のことはよく知らないがおそらく口づけをしたのだろう。あの時の私は気恥ずかしさでいっぱいになり壇上から目を背けてしまった。いくら2人が口づけをしたところで所詮は欺瞞に満ちたものでしかないというのに、我ながら情けない。

 大将殿は復讐のためにノーカトと結ばれた。そこに愛は無かったはずだ。


 結婚式から一夜明けて大将殿はチゴ家の屋敷に引っ越した。ニイタカの山腹に築かれた大邸宅は暴徒の乱入を防ぐための柵で囲まれており、要塞のような外観をしていた。

 チゴ家に嫁入りした大将殿には様々な仕事が舞い込んできた。夫であるノーカトの補佐や総本山の清掃事業など仕事の内容は多岐に渡った。大将殿は総本山の近辺に事務所を開いた。私と老兵たちはそこに住みつくことになった。

 ノーカトは公私の区別をわきまえた男だった。そのため大将殿の事務所に彼がやってくることはなかった。大将殿はそんなノーカトの性格をわかった上で事務所を開いたようだった。

 今まで数十年間にわたって寝食を共にしてきた私と大将殿は、久しぶりに分かれて暮らすことになった。事務所にいる時、大将殿は暇さえあれば帝国時代の話を繰り出した。老兵たちとかつての戦争について語り合うこともあった。月面軍との戦争、反乱軍との戦争、正木藩兵との戦争、セルロンとの戦争。話題は尽きることがなかった。

 私たちは大将殿の仕事を手伝いつつ、ノーカトを暗殺する計画を立てていた。結婚さえしてしまえばあの男は用済みだった。

 大将殿は任された仕事を次々と成功させていった。エード教の重鎮たちからも重用されるようになった。かつて門前払いされた頃とは大違いだった。ニイタカのドストル難民社会において家柄というものはこれだけの力を持っていた。

 結婚式から3ヶ月経ったある日、仕事中の大将殿が嘔吐した。私と老兵たちは大将殿を事務所のソファに寝かせた。老兵の1人が帝国時代の胃薬を持ってきたので大将殿にはそれを飲んでもらったが、一向に容態は良くならなかった。

 私はチゴ家に電話して医者を呼んでもらった。当時のニイタカには救急医療のシステムが存在しなかった。救急車などは都会の乗り物だった。

 大将殿は妊娠していた。

 チゴ家の連中は喜んでいたようだった。一方で私たちは事態が飲み込めなかった。

 暗殺計画を早めるべきだった。結婚式の次の日にはノーカトを殺しておくべきだった。いくつもの反省が頭の中を過ぎった。

 さすがの大将殿も辛そうにしていた。検査のために入院した病院にノーカトがやってきた時などは面会拒絶を貫き通していた。

 私は大将殿の秘書官として彼の入院に付き添った。

 いろいろな検査をこなすことで大将殿は自分のお腹の中に赤ん坊がいることを認識していったようだった。

 お祝いにやってきたチャプチップス氏が病室を去ってから、大将殿は枕をハンカチ代わりにして大いに泣いた。あまりの泣きっぷりに私は驚いた。

 傍に私がいることを思い出した大将殿は、今度は私をハンカチ代わりにしてむせび泣いた。

 私の胸に顔を押しつけて嗚咽をもらす大将殿の姿を見て、私は何かを悟った。

 数日の検査入院を経て大将殿は事務所に戻った。

 大将殿は何事も無かったかのように仕事をこなしていたが、時折ポロポロと泣き出すことがあった。

 それでも大将殿は働いた。全ては復讐を遂げるため。自らの身を差し出すと誓った大将殿に迷いはなかった。

 チャプチップス氏のドストル修道会で行っていた初等教育事業は、エード教総本山の支援を受けて学校の数を増やしていった。見回り組による治安維持活動も拡充された。これらの事業拡大は大将殿がノーカトにいろいろとお願いした結果だった。エード教の重鎮であったノーカトの力をもってすれば、これくらいは造作のないことだった。

 エード教から任された仕事も、大将殿はしっかりこなしていった。私たちもそれを一生懸命手伝った。重鎮たちはますます大将殿を重んじるようになり、夫であるノーカトも総本山での発言力を強めていった。

「ノーカト・チゴ司教と、その妻ハーフィ・ベリチッカがニイタカ山を動かしている。チゴ家の御曹司と若き修道女が協力して東西のニイタカ両州を良くしている」

 セルロン政府のクチバー首相が年始の国会演説で口にした言葉だった。

 ニイタカ山でもセルロンのテレビを見ることはできた。セルロン政府首相が2人を認めた。難民たちは大いに沸き立った。長らく歴史の影に埋もれていたドストル難民たちにとって、この首相の発言は久しぶりの栄誉だった。

 事務所にやってくる。仕事をする。チゴ家に帰る。

 そんな忙しい毎日を過ごしているうちに月日はどんどん過ぎていき、大将殿のお腹はすくすくと大きくなっていった。見た目からして妊婦のそれとなった大将殿を私たちは補佐した。夕方になるとノーカトが事務所の前まで迎えに来ることも多くなった。

 ノーカトの自動車が事務所から遠ざかっていくたび、私は大将殿がどこか遠くにいってしまうのではないかと考えてしまった。老兵たちも同意見だったらしく、その頃の私たちは事務所でよく酒盛りをしていた。

 やがて臨月を迎えた大将殿は大事をとって入院することになった。


 どうして子供を産む必要があるのですか。

 私は大将殿にそう尋ねたことがあった。結婚してしまえばそれで良いではないですか。とっととノーカトを殺してしまいましょう。子供など産んでも面倒事が増えるだけです。

 この問いに対する大将殿の答えは明確だった。

「チゴ家は名家だけあって跡継ぎも豊富にいる。今の当主はノーカトだがあの者を殺せばすぐに次の当主が選ばれる。そうなればよそ者の我輩に立場などなくなるだろう。だからこそ正式な跡継ぎを産んでおくのだ。我輩は何もかもを差し出した身だ。これくらいのことは正木藩兵の拷問と比べれば軽いものだ」

 まだ妊娠3ヶ月ぐらいだった頃の話だ。大将殿はお腹をさすりながら答えた。その顔はすでに母親のものだった。

 妊娠がわかった時にはあれだけの動揺を見せていた大将殿が、これほど明確な決意を固めていたのには私も驚いた覚えがある。

 臨月を迎え入院した大将殿はチゴ家の連中によって取り囲まれていた。

 彼らが知りたがっていたのは産まれる子供の性別だった。彼らは口先では大将殿の身体を気遣いながらも本心は違うところにあった。これはノーカト本人が語ったことだった。

 大将殿は老兵たちの存在を隠していた。仮に表舞台に出すことがあっても彼らにはマスクを着用させていた。大将殿の部下で公の場に出られるのは秘書である私だけだった。そのため私はノーカトやチゴ家の連中と話をすることができた。

 ノーカトは大将殿の妊娠を心の底から喜んでいた。息子であろうが娘であろうがどちらでも良さそうだった。

 なかなかできた男だ。見た目は若い女だが実年齢は90歳を超えていた私から見てもノーカトは良い奴だった。礼儀をわきまえており、話上手だった。

 大将殿の出産は8時間に及んだ。ノーカトはその間、大将殿の側を離れなかったらしい。

 事務所で待機していた私たちは大将殿本人の電話で嫡子が産まれたことを知った。

 苦労の末のことだっただけに大将殿の声は喜びと安心に満ちていた。私もおめでとうございますと答えておいた。

 体験した内容を赤裸々に語ってくれた大将殿は、最後に小声でこんなことを言った。

「この我輩には孫もいればひ孫もいるはずだというのに自らが出産とは、人生はわからないものだな中尉。これであの男も用済みだろう。部下たちに出撃の準備をさせておくといい」

 私は思わず「えっ」と叫んでしまった。

 大将殿は産後の1ヶ月ほどを病院で過ごした。産後の経過を心配するノーカトがそのように求めたのだった。

 退院した次の日、大将殿は子供を腕に抱いて事務所にやってきた。

 事務所で上官の帰りを待っていた老兵たちは全員が帝国時代の青軍服を着ていた。背中こそ曲がっていたが彼らはあくまで軍人であった。モデジュ少尉を先頭に彼らはすでに出撃準備を終えていた。

 大将殿は私たちにチゴ家の邸宅を襲撃するよう命じた。

 部隊の指揮を任された私は、古びた士官外套に身を包んだ。小柄な女性に姿を変えていた私にとって、かつての士官外套はサイズが大きく動きづらいものだったが、後々のことを考えれば修道服のまま攻撃をかけるわけにはいかなかった。

 ニイタカ山のふもとからチゴ家の邸宅があった山腹まではそれなりに距離があった。夜霧に紛れて行動を開始した私たちは、愛用の銃火器と共に山道を登っていった。

 チゴ家の邸宅は3重の柵で囲まれていた。

 治安が悪かった頃のニイタカでは暴動が日常茶飯事だった。チゴ家を守る3重の柵は暴徒と化した難民たちの侵入を防ぐためのものだった。

 つまり本職の軍人たちによる攻撃は全く想定されていなかった。

 襲撃作戦は成功した。あらゆる罠を突破した私たちは玄関口から邸宅の中に侵入した。チゴ家に雇われた警備員が持っていたのは拳銃だった。戦いに慣れた老兵たちにとって拳銃を持った4人の警備員などはただの標的に過ぎなかった。

 私たちがノーカトの寝室に入り込んだ時、彼はすでに死んでいた。

 暗い部屋の中でパソコンのディスプレイが光を放っていた。ノーカト・チゴはベッドの上で血まみれになって倒れていた。彼の手にはセルロン製の拳銃があった。サナンPPK。卸売りスーパーで売られているような、いたって普通の自動拳銃だった。

 拳銃自殺。私たちは戦果報告書の末尾をこの4文字でまとめあげた。

 報告書を受け取った大将殿はわずかに眉をひそめたのみで、老兵たちに昇進などの栄典を与えることもなく褒めることさえせず、事務所の自室に戻っていった。

 そんな大将殿の様子に老兵たちは動揺していた。

「やはり我らの手で殺すべきだったのだ。大将殿は自殺では満足できなかったのだ」

 モデジュ少尉が発した声に、みんなが賛同した。

 私の考えはそうではなかった。

「いくら策略のための結婚だったとはいえ、11ヶ月も共に暮らしていれば情が湧くというものだろう。聞くところによるとノーカトはなかなかできた男だったらしい。おそらく大将殿も殺すには惜しい人間と考えていたのだろう。だからこそ、その死を悼んでいらっしゃるのだ」

 そういうことだと勝手に思い込んでいた。

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