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12 その時代の終焉

 子供の声が聞こえる。

 朗読をしているようだ。内容から察するに歴史の教科書だろうか。

 遠い昔の物語。

 今から何百年も前のことです。

 人間が生み出したバイ菌がみんなの生活を脅かしていた時代がありました。人々はバイ菌が生きていられない南北の寒い地域に引っ越していました。でもそんなところは厳しくてひたすらに寒いので、人々はいつも不満そうな顔をしていました。

 私たちの祖先の1人にタルマン・タマガミという人がいます。彼はバイ菌をなくしてしまう機械を開発した人物です。タマガミさんはまず極東のジパング列島からバイ菌を追い払いました。暑苦しい防毒服を脱いだ時のことを彼は人生最良の時だったと言います。

 人々がジパング列島に住みつき、社会を築くのを見届けたタマガミさんが、次に目指した場所こそが、私たちの住んでいる中部地方です。ここはかつて中東と呼ばれていました。

 ここで教室を出て、セルロン市の方向を見てみましょう。

「ああ、出なくてもいいわよ。今は危ないから」

 はるか遠くにタワーが見えるはずです。あれはタマガミさんの残した遺産の1つです。

 コスモDと呼ばれたタワーにはタマガミさんの作った機械が満載されていました。タワーによって綺麗になった中部地方にやってきた人々が、私たちのご先祖さまです。その中には以前浄化されたジパング列島からやってきた人もいました。

 私たちが今使っている言葉は、もともとジパングで使われていた言葉です。ジパングからやってきた人が多かったので自然と使われるようになったそうです……。

 目が覚めるとそこはベッドの上だった。

 どこかで見たような天井だ。

 身体を起こすと周りにはたくさんの負傷者が横たわっていた。白いベッドの中には赤く染まっているものもある。しかし血生臭くはない。所々で芳香剤が焚かれている。

 不思議な空間の隅っこに子供たちがいた。10人ほどの児童に歴史の授業を行っているのはドストル修道会の修道女だろうか。見ない顔なので新人さんなのだろう。

 教科書の前文を朗読していた児童が、その役割を終えて椅子に座ったので私はパチパチと手を叩いてやった。児童はこちらに顔を向けて照れくさそうに笑っていた。

 ようやく私は気づいた。ここは聖ムーンライト教会の休憩室だ。

「あっ……ナルナ、目が覚めたの?」

 ほら、こうやってチョイスマリーが近づいてきた。ここに彼女がいるということは、つまりそういうことだ。私は間違っていない。

 それにしてもどうして生きているのだろう。あの高さの軍艦から落ちたのだ。シーヴィンセントに艦橋を破壊されたプリオンは航行不能になって墜落した。その過程で私はプリオンから放りだされた。誰かに押されるような力で大空に出た。

 無傷。それは何かしらのご加護があった証だろう。

「まさかエードの神様がいるとは思わないが……」

「……あんまり修道女がそういうことを言うのは良くないよ、ナルナ」

 チョイスマリーにコップ1杯の水を入れてもらい、それを飲む。

 ずいぶんと喉が渇いていた。あれからかなり時間が経っているのだろうか。

 周囲を見渡しても時計は見当たらない。

 そういえば大将殿はどうしたのだろう。私は助かっているが、同じくプリオンのトイレにいたはずの大将殿はどうなったのだろう、まさか、そんなはずはないとは言い切れない。

 首筋から汗がだらだらと流れはじめた。

 いてもたってもいられない。どうにか確認できないだろうか。

「もしかしてハーフィさんのこと?」

「えっ……」

「心配しなくても大丈夫よ。ここにあんたを連れてきたのはあの人だから」

 チョイスマリーに図星を付かれるとは思わなかった。

 安心した。心の底から安心した。

「別に泣かなくてもいいじゃないの。何だったら一緒に探しに行く?」

 ぜひともそうしていただきたい。

 私はチョイスマリーに軽く頭を下げた。彼女は笑っていた。


 ベッドの近くにあったスリッパに足を入れて、聖ムーンライト教会の中を歩いていく。

 私の手を引くチョイスマリーの右手は生暖かった。

 心細そうな難民たちに見つめられながら、私たちは教会の外に出る。

 教会の外、ニイタカ山の山頂から眺める風景は以前のものと大きく異なっていた。

 セルロン軍の砲撃を受けたニイタカの街並みは穴だらけになっていた。煙が充満する中を難民たちが逃げまわっている。カバンを担いで、まるで火事場泥棒のような格好だ。

 ある意味で、復讐作戦は成功していたのかもしれない。私たちはドストル難民を十分すぎるくらいに苦しめた。それで満足できるかどうかはまた別の問題として、彼らの生活を破壊することには成功した。

「ハーフィさん、えーと大将殿だっけ?」

 こちらを振りかえらず、ただ前を向いて私の手を引いたまま、チョイスマリーは喋り出す。

 彼女の呼吸の音が強く意識される。そこからは緊張の色がにじみ出ている。

「さっきお父様から教えてもらったわ。前々からお父様に見張っておくよう言われてたから、どういうことなのかと思っていたけど……要はそういうことだったのね」

 今となってはどうでもいい話だ。作戦は終わった。大将殿の正体がバレていたところで困ることはない。

「今思えば、20歳で常識も知らないし、変なところはいくつもあったけど、やっぱりビックリしたわよ。あたしがドストル修道会のやり方について教えていたあの人が、教科書に載るような大物だったなんてね。現代の技術はすごいなって驚いた。でも私が一番驚いたのは昨日のナルナのことだよ。ナルナ……中尉なんだって?」

 そっちについてはできればバレたくなかった。

 こういう時は口を閉ざすしかない。何を言っても彼女からの言葉は変わらない。そんな気がするからだ。

 チョイスマリーは立ち止まり、雑木林の影をゆっくりと指差した。相変わらずこちらには顔を向けてくれない。

「あそこの林……奥まったところに景色の良い峠があるんだけどね。ハーフィさんが、ナルナが起きたらそこに呼んでくれって言ってて……それで、ナルナはどこの軍隊の中尉なの? ニイタカ山に潜り込んでいたセルロン軍の中尉、それともハンクマン王国軍、正木藩兵、太田藩兵、ホモゲ藩兵、ビタミン藩兵、まさか月の軍隊の中尉だったりして」

 何も言えない。言いたくない。

 何年も騙してきたことを明かしたくない。

 出来るなら彼女を悲しませたくない。

「うん。わかっているから。わかっているからこそ、あの林から帰ってきてね。そのままどこかに行ったりしないで、いろいろ話を聞かせてちょうだい」

 何も言わなかったからこそわかってしまったのか、あるいはどこかで情報を仕入れていたのか、それらがどうであっても、今の私たちに言葉は不要だった。

 手を離し、ゆるやかに離れる。

 手を振る彼女に手を振り返し、雑木林へ駆け出す。

 これから行く場所にいる人物のことを考える。

 やっと全てが終わって、2人きりで話せる機会を得ることができた。

 ここが正念場だ。私は大将殿を真の意味で取り戻す。

 主戦場は峠の広場。待っていたのは、ハーフィ・ベリチッカ。


 木陰が狭いから正午だろうか。

 プリオンに乗り込んだのは夕焼けの頃だった。つまり私は昨夜を知らない。

 雑木林を抜けた先には確かに見晴らしの良さそうな峠があった。草むらをかきわけて崖の際に近づくと、眼下にニイタカの街が一望できた。

 暗い煙に包まれたニイタカ山。ドストル修道会の植えた街路樹は焼け落ちていて、エード教の総本山寺院も施設の大半を失っていた。果たして誰がこの惨状から元の街を取り戻せるのだろうか。セルロンはきっと支援しない。エード教にもそんな力はない。

 彼女は峠の柵に座っていた。力強く押し倒せば、そのまま崖から落ちてしまいそうな、そんな座り方だった。

「やっと来たのか。夜には起きるかと思ったが、すっかり寝てしまっていたようだな」

「ハーフィ・ベリチッカ……」

「周りには誰もいないぞ中尉。モデジュたちもショートもいない。シャルシンドもショートに預けている」

 彼女の笑顔が胸にしみる。

 私の意図することもわからずに、無邪気に笑っている彼女にわざわざ酷いことを言う必要があるのか。疑問符が頭の中で回る。

 いやダメだ。これはチャンスなんだ。どれだけ私が苦しくても、たとえ嫌われて切り捨てられてしまうことがあっても、こればかりは撤回できない。

「どうしたナルナ中尉。まだ眠たいのか」

 修道服の上から心臓を押さえる。鼓動が止まらない。

 呼吸が荒くなる。胸の奥が痛くなる。肩の震えが止まらなくなる。

 そこまで我慢してやるほどのことだろうか。

 いや、そうでなければここに来ていない。

「ハーフィ・ベリチッカ。あなたにお話したいことがあります」

 彼女の表情がわずかに曇った。

 峠の柵から降りて、そのしなやかな両腕を組んで、彼女はこちらに近づいてきた。

 私はガーターベルトから愛銃を取り出し、近づいてきた彼女に銃口を向けた。

 私の手先は、震えている。

「ハーフィ・ベリチッカ。あなたは今でもノーカト・チゴを愛していますね?」

 私の言葉に彼女の態度が一変する。

「そんなはずがないだろう。シャルシンドの子種をくれたことには感謝しているが、そんな気持ちは一切なかった。顔が赤いぞ、熱でもあるのか中尉。とにかく銃を下せ」

 ボタキを奪おうとする彼女の手を振り払う。私は再び両手で愛銃を握り、安全装置を解除した。さらに一発、地面に向けて警告射撃を行う。

 彼女は修道服のポケットから拳銃を取り出そうとしたが、彼女のテリカは私のポケットの中にあるのでいくら探しても無駄だった。特殊作戦軍から逃げる時に借りたままだったのだ。

 焦燥感の見え隠れする彼女の額に愛銃の銃口をそっと寄せる。

 彼女の前髪を軽く撫でてから、私は話の続きをさせてもらう。

「ハーフィさん。私は仮眠室のまどろみの中で、ここ数年の記憶を調べてみたのです。そしてわかってしまったのです」

「何を言うか。我輩のことは我輩が一番わかっている。我輩にそんな意図はなかった。あれは政略結婚だったと何度も言っただろう。それを中尉は手伝ってくれたじゃないか!」

「ではなぜエード教の重鎮たちの中からノーカトを選んだのです。確かに彼は名門の出身、エード教の中でも高位の人物でした。しかしもっと上の人間はいたはずです。そいつを籠絡したほうが話は早かったはずです。老人を狙っていれば子供なんか産まずに済みました」

「子供を産めば後継ぎの母親として一族を支配できる。そのために若い男を選ぶ必要があった。ただそれだけの話だと言ったはずだ。ちゃんと思い出してみろ、中尉。それにシャルシンドを産んでからすぐにノーカトは殺したじゃないか! 結果としてショートが殺したのかもしれないが、我輩がお前たちにチゴ邸を襲撃させたのは事実だろう!」

「1つ言わせていただきますと、おそらくショートはノーカトを殺していませんよ。彼の死因は間違いなく彼自身の拳銃自殺です。それも、事務所にいたハーフィさんから、老兵たちが向かっているから今すぐ自宅から逃げるように電話で言われた後、彼は自室で自殺したはずではありませんでしたか、ハーフィさん」

「そんな事実はない、我輩は電話などしていない!」

「だったら、どうしてあの日のチゴ家の邸宅に、ショートを始めとする他のチゴ家の親戚連中がいなかったのか、どういう説明をしていただけるのですか、ハーフィ・ベリチッカ!」

「わたしを、その名で呼ぶな! 中尉!」

 激高する彼女の全身。

 瞬間、私のボタキが空を飛んだ。

 右手の一撃でボタキを弾き飛ばした彼女は、次の打撃を私の右肩に向けた。私はそれを抱えるようにして受け止めた。彼女の左腕を私の上半身が包み込んだ。

 目の前に彼女の端正な顔立ちがある。黒頭巾とブロンドと、赤くなった両目が見える。現在の肉体年齢は25歳だったはずだが、相変わらず若々しい肌をしていた。しかしその表情は険しいものだった。

 彼女は私の胸元から左腕を引き抜いた。落ちていたボタキを遠くに蹴飛ばし、彼女は私の目をじっと見つめる。

「どういうつもりだ、中尉。何が言いたい」

「あなたはノーカトに安住の地を見出すべきだった。私たちに解散の命令を下して、ニイタカ山の裾野でゆるりと暮らすべきだった。そういう老後もあってよかったはずだった!」

「一介の尉官風情が何を言うか、部隊のことは我輩が決めるものだ」

「そうです、それでこそあなたの名前は保たれた。だがあなたは自分で何も決められず、ただ現状を維持したいがために老兵たちの言う事を聞いて、それでいて偉そうにしていた。そんな人間が大将殿であるものか。私を救ってくれた、ロケットに乗せて未来を見せてくれたタラコ・ソース大将がそんな情けない人間なはずがない。あなたは大将殿ではない!」

「言っていることが、わけがわからないぞ!」

「だったらわかりやすくしてやる。ハーフィさん、私に大将殿をくださいな!」

「我輩を殺してタラコを自称するつもりなのか中尉、まさか貴様が裏切り者だったのか!」

「トラギンたちのような老いた青年どもと一緒にしないでください」

「何なんだ。我輩にどうして欲しいんだ」

 彼女は困り果てていて、哀願するような目でこちらを見つめる。

 彼女に私を切り捨てるつもりはないらしい。そんな部下に媚びるような目が、私には余計に許せない。それすらもわからないほどに堕落して、それがまた許せない。

 私の大将殿を返してもらう。こんな女に、これ以上、タラコ・ソースを汚されたくない。

 英雄の人生の果てがこんな腐れた女だなんて、私には我慢できない。

「あなたには私の大将殿を返してもらいたい」

「大将はここにいるじゃないか、どういう意味だ」

「違う、私の大将殿はもっと立派な方だった。幾多の艦隊と数百万の軍勢を率いて、帝国に歯向かう者たちを鎮圧する英雄だった。亡国の後も再起を狙い、それを成した偉大な軍人だった。それが田舎者の男に姦通されて、メロメロになって家庭を築くなんて、許せるはずがないだろう。陰では堂々とタラコを名乗っていながら、そんなこと、そんなこと、許せない!」

 目からポロポロと涙が出てきた。

 そこで私は気づいた。気づいてしまった。

 ああ、そうか。

 そういうことでもあったのか。

 自分では気づかなかったが、そういうこともあったのか。

 歯を食いしばり、修道服の裾をぎゅっと握る。

「それに……私は……変わってしまったのです。大将殿は遺伝子調整手術を受ける前に仰りましたよね。君は君でいてくれ。そうすれば我輩もタラコ・ソース大将でいられる。でも私は変わってしまいました。以前の私なら、こんな失礼なことを言うはずがなかった」

「中尉は中尉だ。それは我輩が保証してやる」

「ハーフィさん、私に同性愛の気質はありませんが、今の私は間違いなく大将殿が大好きですよ。それも愛しています。精神の深遠から貫くように甘美に、愛しています」

 彼女の目が丸くなった。

 私は構わず言いたいことを口にする。

「かつての英傑だった時代のタラコ・ソースの活躍を思い出すたびに、あなたから夜中に昔話を聞くたびに心を躍らせていましたよ。ドキドキしていましたよ。胸の高鳴りを押さえられずにいましたよ。そんな人間がナルナ・タスだと言えますか。そして、だからこそ、こんなにもハーフィが憎いんです。私のタラコ・ソースを消してしまったハーフィが憎い。殺せるなら殺してやりたい、絹を裂くような声を出させて、この両腕で絞め殺してやりたい!」

 私は怒りに任せて色々と言ってしまったことを後悔した。

 彼女は怯えるような声を出した。その声の細さに私は我を取り戻した。

 身を震わせている彼女の姿は、どこにでもいる、平凡な人間そのものだった。

「殺しませんよ。あなたの中に大将殿がいる限り、私はあなたを殺めない」

「……中尉。もしや遺伝子調整手術の影響で自分を失ってしまったのか」

 彼女はあくまで大将殿を自称したいようだが、気にしない。

 彼女の言ったことは正論だ。

「そうですね。所詮精神は肉体の奴隷なのでしょう。名前、ナルナ・タスという言葉があったところで、それが実際に存在すると保証できるものはこの世に存在しません」

 現代社会が個人的精神の認識を遺伝子に委託するというのなら、私は当の昔にそれを失っている。もちろん大将殿もそうだ。

「ナルナ中尉、こんなことを言うのは何だが、我輩は貴様と……」

「愛していますよ大将殿。心の底から、愛してます」

 私はステップを踏み、彼女の側まで近寄った。

 何とも言えない顔をしている彼女の、豊かな胸を、私はするりと押さえる。

「かつて、ここにいたあなたが私は愛しくて仕方がない。ええ。亡霊となり死者となったあなたに部下である私がふんわりとした想いを抱くのはおかしいでしょう。いずれ私も忘れたいと思います。そのためにはあなたの人生を終わらせなくてはいけません。だからこそ、ハーフィさん。私に大将殿をください。具体的には大将殿の最期を私に描かせてください」

「我輩の最期、死ぬ時を描くとは、いったいどういう……」

「本を書きます。タラコ・ソースの伝記です。寝る前に聞かせてもらったエピソードを盛り込んでいけば面白い本になります。ただし最期だけは私のオリジナルです」

「中尉の考える我輩の最期とは、どういうものなんだ」

「タラコ大将は、総長室のホログラム装置で亡き夫の姿を具現化させて、それに話しかけるような愚鈍でつまらない女性として死ぬのではなく、復讐計画を成し遂げて、死にます」

「……見ていたのか。あれはシャルシンドに父親の」

「御託は良いんです。確かにノーカトは良い人物でした。私が変わってしまったように、あなたも変わってしまった。彼に惚れてしまうのは生物学的な道理です。雄と雌は惹かれあう。遺伝子がそうさせているんです」

 精神は肉体の奴隷だ。遺伝子の命令にはなかなか逆らえない。

 きっと私の身体は大将殿が好みだったのだろう。ただそれだけだ。

「ニイタカ山を燃やしつくして帝国の復讐をついに完遂させたタラコ大将は、その後行方をくらまします。今となってはどこにいるのかもわかりません。死んだのかもしれません」

「我輩に表舞台から消えろと言っているわけだな。ようやくわかったぞ中尉」

「舞台裏からも消えてください。タラコを名乗らず、あの頃の記憶を思い出さず、シャルシンドを連れて2人でどこかの国で暮らしてください」

「中尉はどうするんだ。我輩はお前がいないと、その……」

「私がいないと何ですか」

「自分が自分でいられなくなる……鏡に映る姿にいずれ完全に染まってしまう。素性を隠して生きるのなら、いずれそうなる気がする。もしや、それがお前の目的なのか、中尉」

「だからこそ、私はここでお別れです。さて、消えてもらいましょうか」

 修道服のポケットからテリカP2を取り出す。使いなれない銃だが小柄でも使いやすい小型のものなので扱いには困らないだろう。この軽さなら片手でも撃てそうだ。

 引き金を引いて、近くの樹木に銃弾を放つ。

 弾丸の陣風が大将殿の近くを駆け抜ける。

「さあ、消えてください。ショートが作ったクワッド連邦との食糧輸送ルートを使うと良いでしょう。あそこが見つかっていたら、難民に変装して逃げてください」

「どうしてだ、中尉。我輩は二度も貴様を助けてやったのに、昨日インペリアルが墜落した時に、貴様の背中にエマージェンシー・パラシュートを着けてやったのは我輩だぞ。恩を仇で返すとはどういうことだ、権威の簒奪は重犯罪だ!」

「だから恩を返すために愛する大将殿の名誉を守ろうとしているのです。わかっていただけないのなら、あと30秒で視界から消えないと、私はあなたが大将殿を放棄しないものとして、このテリカP2であなたを撃ち抜きます。シャルシンドも見つけて殺してやります」

「そんなの、おかしいだろう!」

 彼女の叫びを引き裂くように、私は銃弾を放つ。弾丸は木にぶつかって跳ね返る。

 周囲の木々には申し訳ないが、しばらく標的になってもらうつもりだ。

「ナルナ中尉!」

「あと15秒です、ハーフィさん!」

 テリカP2の装弾数は9発。すでに3発使ったので残りは6発。

「お願いだ、お願いだから、一緒にいてくれないか!」

「老兵たちはどこに行ったんです。彼らはいずれ死にますから、あなたと一緒にいても問題ではないと思ったのですが、一緒にいるなら彼らがいるでしょう!」

「みんな下に行った。仮面を着けずに銃器はフル装備で、人間を狩りに行った。それも我輩に土下座した後だ。いったいどうなっているんだ、今日のお前たちはおかしいぞ」

 土下座。心の底からの謝罪。

 やはりトラギンが言ったように、老兵全員がアリスタ・アシダと繋がっていたらしい。

 彼らは戦いを望んでいた。アリスタ・アシダの考え出した、大将殿を利用する計画には大きな戦い、すなわちこのニイタカ山の戦いが含まれていたので、老兵たちはそれを最期の戦場にすることを願ったのだろう。

 もっともトラギンが望んでいた大将殿の抹殺が行われていないことから、完全に彼らの指揮下に置かれていたわけではないようだ。もしかするとわざわざセルロン地上軍とエード騎士団の決戦場に突っ込んでいったのは、彼らなりの贖罪、死を持って償うというものなのだろうか。

 全部私の想像だが、不思議と間違っている気がしない。考えてみれば、老兵たちとはドストル攻防戦以来、40年来の付き合いだ。仕事仲間以上の関係にはなれなかったとはいえ、心の奥底でつながっている部分はある気がする。

 たとえば、大将殿に対する崇敬の念とか……。

「あと2秒。1秒。終わりです。撃ちますよ」

 私はテリカの銃口を大将殿に向けた。

 引き金さえ引けば、目の前の女は死ぬ。

「さあ、どうします!」

「撃つなら撃つが良い……いっそ中尉に殺されるのなら本望かもしれない」

 彼女の言葉は意外なものだった。さっきはあんなに怯えていたのに、まるで人格が変わったかのようだ。覚悟ができた、目の前の現実を受けいれたようにも見える。さっきまでのどこか他人事で私のことを諭そうとするような態度とは全く違う。

 いったい何が起きたんだ。

「いいえ、それは嘘です。あなたは生きるつもりです」

「25歳の女性であるハーフィとしてならまだ生きるかもしれないが、死ぬならタラコ・ソースとして死にたい。それを望むのはダメなのか。我輩が死んだ後はお前に任せる。伝記だって好きなように書くといい。あの世で読んでやる」

「あなたを撃った後、シャルシンドを殺しますよ。それでも良いのですか!」

「我輩は中尉を信じている。お前はそこまで狂っていない」

「修道女が、大将殿のフリをするな!」

「確かにフリと言われたらそうかもしれない。素ではないかもしれない。でもこれはわたしの記憶の中からあぶり出したものであって、そこに中尉の言う大将殿はまだ生きているのではないのかね。それを殺して、良いのか」

「私の上官の晩節をこれ以上汚すわけにはいかないんです。それに……あなたが大将殿だなんて認めたくない。大将殿として死ぬことだって認めない。良いからとっとと消えてください。これからの果てしない第2の人生の中で、過去の記憶を消してください。そのほうがきっと楽になれますよ、私も、ハーフィさんも!」

「だったら我輩が再び遺伝子調整手術を受けて、昔の姿を取り戻してから死ねばいい」

「そんなお金がないことくらい、わかっているくせに!」

「稼げばいいじゃないか、これから一生かけて」

 彼女はニッコリと笑った。

 そんな彼女に私は銃口を向けていられなかった。

 拳銃をポケットにしまう。

 不意に近づいてきた彼女に、私の両手は握られてしまう。

「精神が肉体の奴隷だというのなら、肉体を戻せば精神もしかり、そうだろう」

「ダメですよ、そんなこと。もっとダメなんですよ……!」

 私の返答に、彼女は気づいてしまったようだ。

「ナルナ主計中尉……」

「何ですかハーフィさん」

「もしかして中尉は、我輩から今回の戦争の責任を取り去ろうとしてくれているのか。ひいてはこれから先も生きていくために、ハーフィになってしまうであろう我輩から、過去の重責を取り去り、やがて来る良心の呵責から解放しようとしてくれていたのか……?」

 彼女の髪がわずかに揺れた。綺麗だ。

 目の前にいる、若く美しい女性から大将殿という足枷を取ることができたら、きっと素敵な人生を送ってもらえることだろう。

 私は私で、愛する大将殿と共に、大将殿として自伝を書いて、大将殿として死ぬことができれば、どれだけの幸せを得られるだろう。

「馬鹿なことを考えるものだ。我輩は今までやってきたことを後悔していない。我輩は我輩なりに生きてきた。それを消し飛ばすつもりなど毛頭ない。英雄になったつもりもなければ、悪人であることを否定する気もない」

「私の好きな人を馬鹿にしないでください!」

「我輩はタラコ・ソースだ。帝国軍の大将であり、シーマ皇帝の忠実なる僕。ハーフィを名乗ってニイタカ山を支配し、愛する夫ノーカト・チゴと愛を育んだ。全てが我輩の人生の中の大事な思い出なのだ。もし我輩がこのまま生き続けて、心の底から今の姿に馴染んでしまっても、認め難いが、それも人生の一部なのかもしれないな」

「大将殿とハーフィは違う人間です、そうでなければならないんです!」

「そもそも一般に言われる『英雄的な生き方』『初志貫徹的英雄哲学』にわたしを当てはめて、くだらない型に入れてしまうことこそ、真の意味で大将殿を殺すことになるんじゃないかしら。ナルナさんはそんな紛い物のわたしが、好きなの?」

 手をぎゅっと握られて、見つめられて、耐えられるわけがない。

 目をそらしながら考える。

「全てが全て、人生の一部か……。中尉。我輩はトラギンから全ての話を聞くことができなかった。あの時、トイレに逃げたのは怖かったからだ。我輩の思い込みが破壊されるのが怖かった。だからトイレに逃げた。だが思い込んでいたこと、違っていたこと、今ではどちらも許せる。これは中尉のおかげだな。なんだかとても晴れやかな気分だ。トラギンからちゃんと話を聞きたい。生きていたらという前提の話だが。我輩たちは本当にやりたいことをやるべきだったんだろうな。本音を言えば、我輩はもう少しだけ、ノーカトの花嫁でいたかったよ。そして帝国軍人でもいたかった。現在の話で言うなら、我輩は中尉と離れたくない。中尉の前ではタラコ・ソースのままでいたい。それが我輩の望みだよ」

「話さないでください、考えられないじゃないですか」

「考える必要などないだろう。本当のことを言えばいい」

「……私は昔の大将殿が好きでした。ハーフィは嫌いです」

「どちらも我輩の人生の一部だ。我輩も……中尉の悪酔いするところは嫌いだ」

 不意にぎゅっと抱きしめられる。

 初秋の日差しに照らされた黒い修道服は太陽の匂いがした。やわらかく、暖かい。

「ナルナ中尉」

「何でしょうか」

「これから日々を暮らしていくうちに、いずれハーフィとしての思い出のほうが大きくなってしまうかもしれない。その時、良心の呵責に見舞われるのなら、それが我輩がやってきたことへの報いなのだろう。量刑が軽いのなら、誰かが我輩を殺すはずだ。だがその日までは我輩はタラコ・ソースとして生きていきたいと願っている。軍人としての自分を恥じることなく生きていくつもりだ」

「……大将殿はこれから何をするつもりなのですか」

「少しばかりの復讐と、配下の兵をまとめるために行った復讐計画は終わった。結果、モデジュ少尉たちは帝国軍から離反した。残念ながら作戦は失敗だ。だが我輩は諦めない。次は資金を稼ごう。ハンクマンにいるジャムル中佐たちと共同でフロント企業を興す。会計は任せるぞ中尉。主計科の意地を見せろ。会社経営で貯めこんだ資金を元にさらに事業を興し、最終的には我輩の身体を元に戻す。そこで全世界に向けて帝国の復活を宣言しよう」

「肝心の皇帝陛下はどうするのですか」

「空位でかまわん。皇帝はシーマ陛下にしか務まらないからな」

「トラギン伍長やモーリードたち、アシダ党はどうしますか」

「偽者の皇帝を担ぐ不届き者は陛下に代わって処刑する。さて、今後のことが決まったところでニイタカ山から脱出しようか。まずはインペリアルからガードボットを取ってきて、あれの背中に椅子でもつけて、シャルシンドと3人で脱出しよう。その前にノーカトの遺灰を取ってこないといけないな……初めての家族旅行がこんな形になるとは……」

 彼女はこれからも帝国軍人として働いていくつもりらしい。

 私から離れる時、彼女は私のポケットからテリカP2を奪った。

「これは返してもらうぞ。ふう。話しすぎてお腹が空いたな。ドストル修道会から何かもらえるといいのだが……問題はチョイスマリーか……」

 来た道を戻り始めた彼女に、私はついていけない。

 彼女が大将殿であり続けるのなら、私にはこの術しかない。

 近くに落ちていた愛銃、ボタキ23を拾い上げて、その銃口をこめかみに当てる。

 私が死ねば、彼女はいずれハーフィそのものとなり、大将殿は純化される。

 大将殿を彼女から取り戻すことができるのなら、命なんて軽いものだ。

 私はボタキの引き金を引いた。


 弾が出ない。

 ジャムだ。排莢不良。

 愛銃よ、こんな時にどうしてまたそんな酷いことをしてくれるんだ。

 私は空を仰いだ。空は広く、遠く、青い。

 遠くの空で巡洋艦が落ちていくのが見えた。あれがエード騎士団の艦なのか、プック艦隊の艦なのかはわからない。どちらにしても戦いは長く続かない気がした。エンドラ・プックは甘くない。アルトもあれから1日を乗り切ったようだが、もうそろそろ限界だろう。

 頑張って死のうと思ったのに死ねなくて、何もかもがどうでもよくなってきた。

 不発だった弾丸で、私が一度死んだものと考えてみれば、それこそ肩の重荷がぐらりと取れたような気分で……力強く背伸びするのがとても気持ちよかった。

 私は駆け出した。

 木を避けて、森を抜けて。

 向かう先はどこでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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