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11 対決、セルロン宇宙軍

 1隻の巡洋艦が掘りドックから出港する。

 インペリアル。S型巡洋艦の末席にあたるその艦は、貨物船を模した外装を身にまとい、ゆるやかに浮上していった。

 ニイタカ山頂のハッチから外の世界へ繰り出そう。

 上空にはトンビだけが飛んでいる。東ニイタカ州に生息するトンビは中部地方では珍しい生き物だ。エード教の教義にある西征陸軍が中部に持ち込んだと言われている。

 はるか極東の国からやってきた人々が食べ物にならない生き物をわざわざ持ち込んだ理由は定かではない。元々アラビア半島に生息していたという説もある。

 近くのトンビから、遠くの空に焦点を移せば、セルロン宇宙軍の大艦隊がニイタカ山を覆い尽くそうとしている様子が手に取るようにわかった。

 エード騎士団、アルト・ザクセンの第1戦隊は未だに健在のようだ。ただし戦力は大きく消耗しており、もはや1隻のC型巡洋艦が残るのみ。そんな状況にも関わらず、遠くの空で彼女は孤軍奮闘を続けていた。もっともそろそろミサイルの残弾数が切れる頃だと私は予想する。

 エレベーターで掘りドックまで降りてきた私たちは、シャルシンドの手を握っていたショート・チゴと、彼らに訝しげな目を向けていたカーライル上等兵に迎えられた。

 ショートはその場で愛の告白をやり直そうとしたが、大将殿はシャルシンドを可愛がるのに夢中で彼の告白を全く聞いていなかった。泣きそうになったショートを慰めてやるのは私の仕事だった。

 その後、モデジュ少尉たちがドックまで降りてきた。驚くべきことに彼らは無傷だった。対峙していた特殊作戦軍は壊滅させたが、ケルトレーキ少将を殺そうとしたところでどこからともなく増援がやってきたため、仕方なく後のことは騎士団員に任せて、自分たちはドックまで逃げてきたとのことだった。

 それからすぐに全員でインペリアルに乗り込み、大要塞から空に向けて出港した。

「レーダー確認。前方170キロ、上空3000メートル地点にセルロン艦隊。赤外線画像探知から戦隊旗を判別したところ、第4戦隊であると判断されました」

 フェンス曹長の策敵報告に私たちは息を飲んだ。

 セルロン艦隊がこちらに近づいてきている。貨物船に偽装していれば上手くトラギンの所に近づけると考えていたのだが、世の中そうそう上手くいかないものだ。

 トラギンの第5戦隊は司令長官の直轄部隊だけあって宇宙軍の中心にいた。あそこまで行くには相当の苦労が必要になるだろう。

 大将殿はトラギンの部隊に直接降伏するつもりだ。他の部隊に降伏すると部隊長にその場で斬られてしまう可能性があるからだ。出来るだけトラギンから話が聞きたい。そのためにはインペリアルを接収する部隊がトラギンの第5戦隊である必要があった。第5戦隊に最も近づいた時、私たちは彼らに白旗を上げるのだ。

 もちろんこの計画は老兵たちに伝えていない。彼らは宇宙軍から逃げる方法を一生懸命に考えている。復讐計画に則れば、私たちはニイタカ山が燃えるまで上空で待っていなければならないのだ。しかしその時は訪れない。なぜならケルトレーキが地下と地上にセルロン兵を配備しているからだ。さすがのセルロン参謀本部も味方にミサイルをぶつけるほど気が狂ってはいないだろう。

 ただ、セルロンの滅亡を画策するとされるアリスタ・アシダが、自軍の特殊部隊を全滅させるために、さらにはセルロンの評判を落とすためにミサイルを撃ってくる可能性は十分に考えられる。そこを注視しておかねばならない。

 私には1つ思うところがあって、どうもアリスタ・アシダはドストルの難民を嫌っている気がするのだ。彼らが大将殿を操り人形にしていた説をとれば、わざわざドストルを武装させたのには理由があるはずだ。私の予想が正しければ、おそらく彼らは私たちを葬り去るついでにドストル難民を焼き払うつもりだ。あくまでセルロン政府の領土であるニイタカ山を痛めつけることは、ひいてはセルロンの弱体化にもつながる。

 アリスタ・アシダの主幹構成員である、トラギン中将、モーリード大将、イトーチカ中将は年代的には老兵たちと同世代だと聞いている。老兵たちと同世代の帝国軍人だった彼らがドストルを憎んでいる可能性は高い。

 インペリアルは順調な空の旅を続けた。セルロン軍は表向きインペリアルに気づいていないようだ。貨物船型の外装フィルムが効果を発揮していたのだろう。

 私たちは艦橋に集まっていた。インペリアルの中に一般の騎士団員は1人もいない。艦を動かしているのは老兵たちだ。艦長席に座った大将殿と、彼の脇に控える私には仕事がない。

 フェンス曹長がそわそわしている。何か言いたいことでもあるのだろうか。

 私から聞いてみよう。

「おいフェンス、どうした」

「いや中尉殿、さっきから気になることがありまして」

「何が気になるんだ?」

「大将殿はこの艦をどこに持っていくつもりなんです。このまま突き進めば敵艦隊の中心部ですよ。トラギンの奴と一戦交えるつもりなら、それもありでしょうけど」

「だったら、そういう気持ちでいることだよ」

「えっ、本当ですか中尉殿……本当なのですか!」

 フェンスの目がキラリと光った。周りの老兵たちも嬉しそうな顔をしている。彼らは65年の軍隊生活を経て、すっかり戦闘狂になってしまったようだ。

 思えば、ドストルに対する復讐にしても、どちらかというと単に「戦いたい」という欲望に沿った「建前」だったのかもしれない。彼らは硝煙の臭いのする世界でしか生きられないのだろうか。「戦場で死ねるなら本望」とはいつかモデジュ少尉が語った言葉だ。

「嘘だろ、あんたたち正気なのか、おい!」

 こちらはうってかわって顔面蒼白、乗らなくていいと言ったはずなのに、シャルシンドを守ったのは誰なんだと突っ掛かってきたショート・チゴの言葉だ。

 確かにカーライルの手からシャルシンドを守ったのはショートだ。しかしそれはカーライルが裏切り者だという証明がなければ何の手柄にもならない。それに彼がドックにいたのはシャルシンドを守るためではなく、大将殿に自らの愛を告げるためだ。ところでドックにいたのに裏切り疑惑の件を知っている理由は不明だが多分盗聴でもしていたのだろう。元々彼には情報に通じすぎる部分がある。

 疑惑のカーライルは何のシッポも出していない。自分の仕事に集中していた。

 大将殿は艦長席から老兵たちに指示を飛ばす。

「フェンス曹長、進行方向を13時の方向にしてくれ。ホッド軍曹はシーヴィンセントの試射準備だ。カーライルは主砲の補正を頼む。さすがは最新型のS型巡洋艦だ。ほとんど機械が自動でやってくれるみたいだから、気楽にやってくれて大丈夫だ。目標はセルロン宇宙軍第5戦隊の旗艦『プリオン』。諸君、状況を開始せよ!」

 大将殿の本業は艦隊指揮官だ。駆逐艦の艦長から立身出世を果たしただけあって、昔から艦隊の指揮に関しては一目置かれていたらしい。

 貨物船の偽装を外すことなくインペリアルはセルロン宇宙軍の中心に進んでいった。

 しばらくして、セルロン軍から通信が入った。

『どこの船であるか。当空域は戦闘空域である。民間船は退避せよ』

 これにフェンス曹長が返答する。

「こちらハンクマン船籍、紅海通運のスヴァン号。このまま北上してタルンに向かいます」

『それは認められない。迂回するかハンクマンに戻るかしないと安全は保障しない』

「自分の身は自分で守ります。無視してください」

 そこから先、セルロン軍からの返答はなかった。

 静かな空をインペリアルは飛ぶ。前方のセルロン軍に動きは見えない。

 セルロン艦隊に目いっぱい近づいたところで大将殿が叫んだ。

「ミサイル発射機、1番から8番までシーヴィンセントは入っているか!」

「戦闘空域に入る前に装填しております!」

 ホッド軍曹の答えに大将殿は満足そうな顔でうなづいた。

「だったら、1番から4番まで発射、前方のセルロン艦を攻撃したのち上方に退避!」

 号令一下、インペリアルはミサイルを発射した。

 インペリアルとセルロン艦、彼我の距離は5キロもない。音速で飛ぶミサイルを避けることなど不可能だ。相手には迎撃ミサイルを準備している時間すらなかった。

 同一地点に4発連続で着弾したシーヴィンセントは巡洋艦の装甲を貫き、巨大な内部爆発を引き起こした。相手の艦は沈みこそしなかったが、戦闘不能になったことは確実だった。

 敵艦、大破確実。

 目の前で起きた大爆発にインペリアルの艦橋が揺れた。

「よし、貨物船の偽装を外せ。艦橋も装甲の中に格納せよ。艦橋内にホログラムを展開。上方に逃げつつ、艦底の主砲で目標識別AFDを攻撃、その後、隣のAEDに向けてシーエスケープを発射。迎撃ミサイルを後方に展開しつつ高速でこの部隊から退避、奥に向かえ!」

 爆風にあおられて揺れていた艦橋が外殻の中に入っていく。堅牢な装甲の内部に収納された艦橋からは外の様子が窺えないが、代わりにホログラムで視覚情報を補正する。

 大爆発を起こした艦が所属していた部隊、宇宙軍第4戦隊は味方の仇を取るためか、インペリアルに猛攻撃を仕掛けてきた。しかしシーエスケープ通常ミサイルによる牽制と、迎撃ミサイルによって彼らの攻撃は退けられた。そもそも彼らは後方で待機していた部隊、まともに戦闘準備を行っていなかったようだ。

 艦内出力をふりしぼって全速前進するインペリアルにセルロン宇宙軍の各部隊が照準を合わせ始めた。ミサイル接近警告音が鳴り響く環境は心臓に良いものではない。

 大将殿は迎撃ミサイルを展開しつつ、一度セルロン宇宙軍の包囲網から外に出た。おのずと敵軍のミサイルが飛んでくる方向は一方向に収束される。大将殿はそこに迎撃ミサイルを集中させて、無数のシーヴィンセントを難なく撃墜してみせた。いくつかのそれは弾幕から漏れてこちらに向かってきたが、これは主砲や副砲に積んでいたサーモバリック弾で叩きつぶした。

「え、サーモバリックって……」

「国際法違反かもしれないが、要は勝てば良い話だ。敵のミサイルを撃ち落とすのにはちょうどいいだろう。それに違反しているのはエード騎士団の艦であって、我輩たちの知るところではないさ」

 大将殿はにこやかな笑みを見せる。どうやらアルトにサーモバリック爆薬を与えたのは彼だったらしい。

 主砲から発射されたサーモバリック弾頭が空中で炸裂する。強烈な爆風が相手のミサイル群を焼き尽くしていく。

 インペリアルはまだ被弾していない。

「さて、十分に掻きまわさせてもらった。セルロン宇宙軍は突然の攻撃に進行方向がめちゃくちゃになっている。観艦式のように整然としていた艦隊に『ほころび』が見えてきている。そこが攻めどころだ。合間を縫えばトラギンの所に近づけるはずだ。少々の被弾は気にするところではない。そのまま突っ込め、フェンス曹長!」

 セルロン艦隊から抜け出たインペリアルが再び彼らの元に進出する。

 前方に迎撃ミサイルを展開しつつ、大将殿はガードボットを出撃させた。身を挺してミサイルから母艦を守る兵装であるガードボットは、インペリアルにとって最後の防衛線だった。

 すなわち迎撃ミサイル、主砲のサーモバリック弾、これらを突破してきたミサイルを全身で受け止めるのがガードボットだ。普通はサーモバリックなんて使ったりしないが、そこに主砲の通常弾頭をあてはめた「迎撃ミサイル・主砲・ガードボット」の3段構えの防衛ラインは、現代艦では当たり前の存在だ。

 だからセルロン艦隊も当たり前のようにガードボットを出撃させてくる。

 大将殿はゴムで自分の髪をしばった。黒頭巾はすでに壁際のフックにひっかけられている。

「セルロンのガードボットをサーモバリック弾で焼き尽くせ。さらに空域の熱がある程度まで冷めたところでシーヴィンセントを発射、アルトの真似だが、爆風の向こうからミサイルを撃ちこんでやれ。その後、上方から相手艦隊の中心に突っ込む。さっきも言ったが被弾は覚悟することだ。迎撃ミサイルは常に撃ち続けろ!」

 インペリアルの主砲が撃ち放たれ、立ちふさがるセルロン軍のガードボット群は瞬く間に灰塵となった。有機物が灰となり、黒い煙が立ち込める中をシーヴィンセントは突き進んだ。32本のミサイルが目指したのはセルロン宇宙軍の第3戦隊。目標識別Cラインの40隻の艦隊だ。

 巡洋艦は装甲をへこませ、駆逐艦は爆沈した。

 その中をインペリアルは突き進んだ。

 味方の仇をとろうと躍起になってインペリアルに攻撃を加える第3戦隊、しかしサーモバリック弾とガードボットによって攻撃はしばしば阻まれる。いくつもの通常主砲弾がインペリアルに着弾したが、それだけではインペリアルは沈められない。

「大軍というのは、常に戦力の全てを投入できるわけではないから、どうしても図体に対して攻撃力が小さくなってしまう。こういう小部隊の奇襲には弱いものだと我輩は考える。トラギンは旧時代の浸透戦術のように艦隊を分散させるべきだった。それがあの者の失敗だろう」

 通常弾によってインペリアルの装甲が削られていく中、大将殿はつぶやいた。

 艦橋で指揮を執る大将殿の姿はかつての老人だった頃と少し違っていた。的確に命令を下してはいるのだが、時折ぽそぽそと何かを口走っていた。

 まるでレコードから無理やり音を取りだそうとしているかのようだ。

 第3戦隊街道を無理やり通り抜けたインペリアルは、ついにトラギン率いる第5戦隊と対面した。全艦がS型巡洋艦とP型駆逐艦で揃えられた精鋭の名に相応しい部隊だった。

 大将殿がふうと息を漏らすと、カーライル上等兵が焦ったような顔を見せた。

 不思議なことに第5戦隊は攻撃してこない。

 後ろから第3戦隊、第4戦隊が迫る中、大将殿は老兵たちに命令を下す。

「降伏だ。トラギンに伝えてくれ。艦橋を上げて、マストに白旗を揚げろ」

「ここで降伏してしまうんですか! あとちょっとで敵の旗艦を潰せますのに!」

 モデジュ少尉が立ちあがって異論を口にしたが、大将殿はそれを退ける。

「本末転倒だぞ、少尉。ここでトラギンを殺せばセルロン宇宙軍は瓦解する。ニイタカ山を火の海にする我輩たちの計画が台無しではないか」

「確かにそうではありますが、この状況はあまりにも惜しい……」

「そう言うな。ここは1つ、トラギンに頼んでみよう。火の海にしてくれと。大将たる我輩が一言添えてやれば、あの者も気兼ねなくそれができるはずだ」

 大将殿は老兵たちを上手く言いくるめた。同時に何かに気づいたようで、どことなく虚しさを秘めた目をしていた。

「……尉官、下士官に戦略的な見方を期待していた我輩が馬鹿だったのか、あるいは……」

 大将殿は艦橋のホログラム映像に映る、トラギンの座乗艦をじっと見つめていた。


 大将殿から降伏の意志を受けとったトラク・トラギンは素直に喜んでいた。インペリアルの艦橋のホログラムシステムに映し出された彼の顔は、笑みにあふれていた。

 インペリアルは白旗を揚げて宇宙軍第5戦隊に近づいた。

 第5戦隊、かつてニイタカ山に来たこともある部隊だ。ゼブラ作戦の際には私と大将殿が乗り込んだこともあった。あの時は平和的な話し合いができたが、今回はそういうわけにはいかないだろう。

 インペリアルにトラギンの巡洋艦が接近する。

 双方が空中連結用のボーディング・ブリッジを展開。2つのS型巡洋艦は空港の搭乗橋のような構造物によって接続された。

 すぐさま、セルロン宇宙軍の陸戦隊がインペリアル側に侵入してきた。インペリアルの中によろしくない連中が隠れていないか確認する気なのだろう。老兵たちとショート、シャルシンドは機関室の使用していない燃料タンクに隠れているのでたぶん大丈夫だ。

 カーライルの先導の元、私たちはボーディング・ブリッジを渡る。

 インペリアルから離れた向こう岸には見慣れた元帝国軍人の姿があった。

 トラギンだ。宇宙軍の青い制服に中将の階級章。

「お久しぶりですハーフィさん。ゼブラ作戦以来ですね」

「前置きはいい、トラギン伍長。話を聞かせてもらうぞ」

 トラギンは目をパチクリさせた。

「ははは。今はもう中将になりましたよ、大将殿」

「知っている」

「もう少しで大将殿に追い付けますね。もう少しで……」

 トラギンはそう言って、部下らしき人物に私たちを艦長室に案内するよう命じた。

 プリオンの艦長室といえばゼブラ作戦の時にもお世話になった場所だ。トラギンにどういう意図があるのかわからないので、私は俄然緊張感を強めた。

「もっと気楽にしたほうがいいぞ、中尉」

「捕虜なんていつ殺されるかわかりませんから……」

「我輩たちはすでに死んでいるのだ。死など恐れるな」

 そうこうしているうちに、私たちは艦長室に到着していた。

 相変わらずソファが素敵な部屋だった。

 先に着いていたトラギンが私たちに座るよう促してきた。

 私たちはトラギンの対面に座った。

「紅茶は飲まれますか、大将殿」

 トラギンは顔を赤くしながら、時折白髪を掻きながら、私たちに飲み物を勧めてきた。

 私たちの答えはこうだ。

「冷たいミルクティーを1杯もらおう」

「アイスミルクティーを頼む」

「おやおや、前は飲まれなかったから、てっきりいらないのかと思って、あらかじめ用意させていませんでしたよ。ロッテ大尉。用意してくれ」

 トラギンの要請に副官らしき女性士官が頭を下げた。前にも見たことのある人物だ。

 ミルクティーをいただいて、落ち着かせてもらう。

 まるで熱湯ではなく牛乳で淹れたような濃厚なミルクティーだ。そういえば本場はこういう飲み方をするとチョイスマリーから聞いたような気がする。

 トラギンは缶詰の残り汁をそのまま飲んでいた。

「貴様の悪食は治らないのか、トラギンよ」

 大将殿の言葉にトラギンは何の反応も見せない。必死の形相で缶にしがみついている。

 そこまで美味しいのだろうか。

 トラギンがスチール缶を机に置くと、先ほどの女性士官が現れて、素早い動きでゴミ箱に放り投げた。ゴミ箱は練乳のチューブで一杯になっていた。

「さて……ご苦労さまでした」

 トラギンは神妙な面持ちで頭を下げてきた。

 対して、大将殿は動かない。

「ご足労ありがとうございます。大将殿におかれましてはお元気そうでなによりです。おかげさまで僕たちの思った通りになりつつあります。後はモスキートバスターをニイタカ山に打ち込めば終わりです。あいつらはみんな死にます。そう、終わりだったのですが……はあ」

 トラギンの口からため息が漏れる。

 いったいどうしたというのだろう。

「とりあえず、あちらをご覧ください大将殿」

 トラギンは小窓のほうを指差した。

 小さな窓からは外の様子がほんのちょっとだけ窺える。夕焼けに浮かぶセルロン宇宙軍の艦隊が見えた。トラギン艦隊とは別行動の部隊のようだ。

「あれはエンドラ・プック元帥の艦隊です。正しく彼が無理やり連れてきた第7戦隊」

「プックがどうしてここにいるんだ。捕まっていたはずだろう」

「その件について何ですけどね……はあ」

 トラギンはもう一度深いため息をつき、肩をがっくり落として、まるで言い訳をする子供かのような喋り口で何かしらを語り始める。

「いえね。あの男は留置場に閉じ込めたはずだったんですけどね。何故だか知らないんですけど……軍法会議を無視して出てきちゃったんです。側近の兵隊を使って。ご存じだと思いますけど、あの男が出てくると僕の指揮権は無くなっちゃうんですよ。だからモスキートバスターは撃てなくなってしまいまして、それがその……はあ」

 トラギンは心底落ち込んでいるようだった。

 エンドラ・プックは宇宙軍の神様だ。いくらトラギンが臨時の司令長官に任じられている事実があっても、それはあくまで肩書きの話であって、あくまで宇宙軍はプックのものだ。

 神格化された軍人の恐ろしいところで、プックは指揮権を無視してしまえるほどの影響力を持っている。参謀本部が宇宙軍にあまり大きく出られないのもこのあたりの事情がある。

 トラギンは両手を膝の上から垂らした。

「あとはモスキートバスターさえ撃てば、僕たちの計画は完成されましたね……」

「僕たちとは誰のことだ、トラギン伍長」

 大将殿の質問にトラギンは半笑いで答える。

「僕たちは僕たち、僕と大将殿、そしてみんなの復讐計画でしょう」

「我輩は貴様と組んだつもりはないぞ」

「でもニイタカ山は滅ぼしたかったはずです」

「それはお前たちだけだ。お前たちと老兵たち、お前たちだけだ」

「そんな気持ちが微塵もなかったと言えるのですか、大将殿」

 トラギンの指摘に大将殿は顔色を悪くした。

 女性士官から練乳のチューブを受け取ったトラギンは、それを慣れた手つきで開封する。

「僕はずっと願っていましたよ。セルロン軍に拾われてからもずっと。ずっとずっとドストルの連中を踏み殺してやりたかった。あいつらさえいなければ、帝国は今でも続いていたかもしれない。セルロン軍だって潰したかった。セルロン政府の描く中部の歴史が正しいものになる前に、僕たちの生活したあの時代が汚らしいものにされる前に、どうにかして帝国を復活させる必要があった。そう考える元帝国軍人は多くいたんです。問題は皇帝陛下をどうするか。そこでした」

 トラギンは練乳のチューブを少しだけ吸った。あまり美味しそうには見えなかった。あれはやっぱりイチゴと合わせたり、かき氷にかけた食べたりするのが一番だ。

「亡き陛下には子供がおりませんでした。元が商人出身の無頼漢だったそうなので素性すらハッキリしませんでした。血縁者がいない……だったら新しい皇帝を作ればいい。僕たちと大将殿の差はそこです。過去の皇帝に縛られているあなたは古い人間でした」

 大将殿の顔色がより悪くなる。

 トラギンはチューブをすすりながら話を続ける。

「アリスタ・アシダは新しい皇帝の名前なんです。6号計画と呼ばれるクローン製造計画が先の首相の下で行われていました。ええ、クチバー大尉です。彼もまた僕たちの仲間でした。しかし彼はハンクマン軍に殺されました。忌まわしきはプータ主計大佐。あいつがハンクマンに寝返らなければ、あんなことにはならなかった。おかげで無能の権化みたいな首相をつかまされて、計画は立ち往生を迎えました。こうして新しい皇帝を擁して反乱を起こす計画は失敗しました。次に僕たちが考えたのが今回のことです。別のラインで動いていたドストル殲滅のための復讐計画を利用すること」

 トラギンの話に大将殿が待ったをかける。

「ちょっと待て。ドストルと帝国の復活にどういう因果関係があるんだ。我輩に言えたことではないかもしれないが、これは帝国軍のための行動と言うより、単なる復讐、だ……」

 大将殿の言葉は龍頭蛇尾、最後には崩れ去った。

 トラギンの顔に笑みが生まれた。白髪を掻きながら、チューブを吸いながら、トラギン伍長は笑っていた。

 そこに、かつてドストル攻防戦の際に糞尿を撒き散らした若き下士官の面影はなかった。

 彼の話は真相に突き進んでいく。

「端的に言えば復讐ではあります。あなたが付けた計画名も復讐計画ですしね。しかし同時にいくつもの目的がありました。まずは大将殿の資産を月面に渡さないこと。あなたがあのまま死んでいたら、帝国の遺産はきっとバラバラになってしまって、最終的にはムーニスタン政府のものになっていたでしょう。これは月面の軍事力増強を招きます。僕たちの築く新しい帝国にとって、これは大変に不都合です。ムーニスタンは強いですからね、今しばらくは経済不況に悩んだままでいてもらいたい」

 トラギンはチラリとこちらを窺った。私を見ている。

 失礼な話だ。大将殿があのまま死んでいたとしても、ジャムル中佐や私が資産をバラバラにしてしまうはずがない。ちゃんと守ったはずだ。

「そう怒らないでください中尉殿。そういえば前に会った時もナルナ・タスって名乗ってましたけど、どうして偽名を使わなかったんです?」

「私は私だからだよ、トラギン伍長」

「あの時はビックリしましたよ。まさか本名を名乗るとは思いませんでしたから。そういえば以前よりお綺麗になりましたね……」

「とっとと話を続けたらどうだ、トラギン伍長」

 トラギンは胸元の第2級国防勲章をいじくりつつ、ゴホンと咳をした。

 あれは癖なのだろうか。

「2つ目の目的ですが、単純にセルロン領土の削減です。無政府状態とはいえ領土が国家に寄与する力はとてつもなく大きい。双頭戦争では我が宇宙軍がゼブラ作戦以外でほとんど動かなかったこともあり、上手く負けることができました。あの時は僕が上手く情報を操作して、架空の宇宙海賊が宇宙にいるってことにしていたんですよ。とにかく、あの戦いでセルロンは3つの州を失った。次はニイタカ山を削ります。セルロン政府はどんどん弱くなっていきます」

 トラギンはベラベラと喋ってくれる。プックに指揮権を奪い返されたことで復讐計画の成就が難しくなった今、彼の口を止める材料はまるで見当たらない。

 こちらとしては好都合。彼が愚痴を言いたいのならそれを聞いてやる。

「すまん、トイレだ……」

 大将殿が艦長室を出る。廊下にいたセルロン軍の兵士に場所を聞いて、そそくさと歩いていった。

 トラギンは構わずに話を続ける。

「3つ目。大将殿の勢力を減退させることです。新しい帝国を築いてもあなた方がこれに反発すれば、どちらが正統な帝国なのか争いになってしまいます。できれば、どうにかして抹殺するつもりだったのですが、ああなっていてはもう心配は無用でしょうね」

「ああなっていてはというと、どういう意味だトラギン伍長」

「いやいや中尉殿。あなたはずっと一緒にいたから気づいていないかもしれませんが、僕にはどう見てもあの人はただの一般人にしか見えませんよ。往年のオーラがないです」

 本人がいないからといって、あまりに酷い言い方だ。

 しかし事実ではあった。私だって、気づいていないわけではない。

 だからこそ、最善の処置を取らせてもらおうと考えている。どうにかして大将殿を救い出したいと願っている。

 トラギンは練乳のチューブをゴミ箱に投げ捨てた。

 宇宙軍の帽子をかぶり直し、背筋を正せば、そこにいるのはトラギン中将だ。長年の軍隊生活を経た、老練の艦隊司令官だ。

 彼は語る。

「先ほどの戦いは見事でしたよ。みんなサーモバリックの見た目の派手さにビックリしてしまって、混乱の中を大将殿のインペリアルは駆け抜けてきた。対して僕の艦隊は何もできずに6隻が轟沈してしまった。あれは見事でした。さすがはタラコ・ソースの戦い。もしくは彼の戦術を教科書のように読み取った人間による機動戦術でしょうか」

「トラギンはそう見ていたのか」

「はい。そうそう。さっきのエード騎士団の艦隊を率いていた奴は何者なんです。最初に出てきた4隻のC型巡洋艦、確かアルトとか名乗ってた女です」

「さっきの……ということは撃退したのか」

「いや、逃げました。今はたぶんプック元帥と戦ってます」

 トラギンが部屋の小窓に目を移したので、私もそれに倣うと、遠くの空のプック艦隊にきらめきが生まれていた。夕焼けの中をいくつものミサイルが飛び回っている。

「残り1隻だったんですけどねえ。あともうちょっとのところで逃げられちゃいました」

「アルトは旧式のC型巡洋艦に乗っていたはずだ。S型艦ばかりのこの部隊がそれを取り逃がしたのか、トラギン」

「よくわかりませんが、いきなり通信で『アルト十八計の最後っ屁を喰らえ』とかいうテキストデータが送られてきました。そしたら、敵艦が飛ぶように逃げていきまして。おそらく非常用の推進器でも積んでいたのでしょうね。相手さん、弾薬が切れてからは逃げまわっていましたし……逃げたと見るのが妥当かと思います。ところが逃げた先にプック元帥の艦隊がいたので、まあ、そのうちに撃沈されてしまうんじゃないですかね」

 トラギンが喋り終わったところで、艦内がやわらに騒がしくなった。

 どうしたのかとトラギンが女性士官に問えば、今調べていますと返ってきた。

 廊下を宇宙軍の兵士たちが走りまわっている。

 何事だ。

 もうセルロン軍に敵はいないのだろう?

 アルト・ザクセンは死に体なのだろう?

 女性士官が艦橋から聞き取った情報をトラギンに伝える。

「トラギン中将、敵艦がこっちに迫ってきています!」

「敵とは……例のエード騎士団の最後の艦か。もうあの艦にミサイルはないはずだぞ!」

 トラギンの叱責じみた言葉に女性士官が首を振る。

「違うんです中将殿、敵艦は宇宙軍第7戦隊所属の巡洋艦・パーミリオン。例のエード騎士団の艦に白兵戦を仕掛けられたらしく、最終的に乗っ取られたとのことです!」

「そんな……白兵戦など、馬鹿な、馬鹿なことがあるものか!」

 激昂するトラギン。

 この時代に白兵戦は凄い。相手の船に兵士たちが直接乗り込む戦いなんて、近代以降で行われた試しがあるのだろうか。特に正規軍相手の戦いでそんなことがあったのだろうか。

 あるいはアルトの執念か。

「トラギン! 最期に聞かせろ、裏切り者は誰だったんだ!」

 パーベリオンは迎撃ミサイルを展開しつつ、こちらに一直線に迫っていた。

 会戦前の通信で艦隊司令官の座乗艦をつかんでいたのだろうか。

 やがて彼女はシーヴィンセントを放った。

 トラギンは艦橋に電話をかけて、迎撃ミサイルの発射を命じたが、近代戦において味方艦のミサイルを迎撃するには敵味方を識別するデータを変更するしかなく、それができるだけの時間の余裕もなく、トラギンのプリオンに迎撃手段は全くなかった。

「くそっ……裏切り者、そいつはねえ、あんたと大将殿以外、みんなですよ!」

 やがて目の前に光が見えた。

 戦場のきらめきだ。

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